縁 ーユウの未来編ー

第219話 仇討ちとは

 ついに来た。

 この町に!


 帝国北部、ホーキンナック領。

 かつてこれより北に、先帝ユルブレヒト三世をして、最強の大国と言わしめた国があった。その侵攻に最後まで抵抗した、北方アルデン聖王国である。

 アルデンの民は、北海の民。信心深く、またその一方で勇壮活発、気性が非常に荒かった。

 当時の戦においても守りに徹するということをせず、時折、騎馬兵が南下をしてきては、グライセンの土地を逆に侵すことさえあったそうだ。

 それを監視・牽制するために建てられたのが、『北の白鳥城』と呼ばれる白亜の山城であり、それを取りかこむように広がったのが、ウスコの町だ。そのため、町そのものの歴史は三十年あまりと、そう古くない。

 現在は帝都と旧アルデン、双方からやってくる人馬の受け入れと送り出しをする、いわゆる宿場町というやつで、街道沿いには、馬屋つきの宿屋と食堂が軒を連ねていた。

「あそこにしよう」

 昨夜、時ならぬ雪に見舞われた北国の街をひと当たりして、ユウはその中のひとつに目をつけた。

「えー。あたし、もっと大きいところがいい」

 甘え声で答えたのは、もちろんララだ。

 頭をすっぽりとフードで覆い、ユウの腕にからみついている。ふたりの衣服は粗末なものとかえてきたため、少し寒いということもある。

「あそこはきっと、料理が美味い」

「なんでわかるの?」

「……なんとなく」

「アハ、なにそれ」

 ララはクスクス笑ったが、結局ふたりは、その宿に落ち着いた。一階が大衆食堂、二階が寝部屋という、よくある安宿である。

 兄妹ということで押し通し、あてがわれた小部屋の窓から身を乗り出すと、正面は隣家の白壁であったが、右手にそびえ立つ岩山の上に、北の白鳥城の美しい姿が望まれた。

「キレイ!」

 ツンと天をつく黒屋根の尖塔は、まさに白鳥の首とよく似ている。

 雪をかぶった城壁のシルエットなどは、ふわふわとした羽毛そのものだ。

 いまはさらにそこに、厚い雲を通した夕陽が反射して、桃色のような、紫色のような、幻想的な色彩が加わっていた。

「ね、ユウ! ……ユウ?」

「ああ」

「なにしてるの?」

 ララが怪訝な顔をしたのも無理はない。ユウは一応、白鳥の首にも目をやったが、あとは地面ばかりを見ていたのである。

 ララもユウの動きに合わせて、右へ左へ視線をまわしたが、そこには、ただの間道があるだけであった。

「思ったとおりだ。あのあたりの木が目隠しになって、街道からはこちらが見えない」

「う、うん」

「ちょっと情報を集めてくる。ララは目印を出して、モチを呼んでくれ。絶対に、外には出ないように」

 

 そうしてユウは、天井の梁にロープをかけて、ほとんど飛び降りるようにして行ってしまった。

 びゅうと風が通りすぎ、そのとき不意に聞こえてきたのは、叫び声だ。

「ユウ……!」

 と、身を乗り出して、ララは、ほ、と、息をつく。どうも誰かが飼い葉おけかなにかを飛ばしてしまっただけらしい。笑い声が起こっている。

 ララはしばしそこから動かずにいたが、再び見上げた白鳥の、いまは不気味な宵の青に染まっている姿を見て、ぞっとなって窓に手をかけた。

 内側からたれたロープがはさまって、窓は上手く閉まらなかった。

「……はぁ」

 ララは、その場にうずくまった。

 心の中が、もやもやとしていた。

「なんか、つらい」

 この気持ちである。

 ララはとてもうれしかったのだ。旅の道連れに選ばれたことが。ふたり一緒にいられることが。

 これは遊びの旅ではないし、デートでもない。ユウにとっては、人生最大の大一番だ。

 その、なんとやらいう男を殺すまでは、他のことを考える余裕などあるはずがない。

 これは、仇討ちなのだ……と、そんなことはわかっている。

 それでもララは、うれしかったのだ。

 しかし、やはりと言うべきなのか、ユウの心はいつも遠いところにある。ユウの頭の中には、いつも仇がいる。普段どおりの優しさを見せてくれるだけに、それが、とてもさびしい。

 それまでの気持ちがかき消えて、いま思うのはこうだ。

 どうして選ばれたんだろう。

 兄妹のほうが、あやしまれないから?

「あーあ」

 ララは、ひざをかかえて、さらにさらに小さくなった。

 早く帰りたい。

 早く帰って、また一緒に、お菓子が食べたい。

 あれをして、あれもして、あんなこともして……。

 と、つま先をこすり合わせているうちに、ふと、ひらめいた。

「そっか……サンセット」

 サンセットを使えば、その仇をいますぐにでも、城からいぶり出すことができる。

 そこでユウが、とどめを刺せば。

 そう、すぐに終わる!

 ……コツコツと、ガラスを叩く音がした。

 胸のブローチへ伸ばしかけていた指を引き、

「ユウ?」

 ララは立ち上がった。

「ユウなの?」

「ララ、私です」

「あ、モチ」

 窓を開けると、すぐ真下にモチの顔があった。ユウの残していったロープに爪をかけ、器用にぶら下がっているらしい。

 ユウとララ、モチの三人は、この近くまでN・Sでやってきたのだが、いかんせん白フクロウを持ち歩くわけにもいかず。それで仕方なしに、町の外で日暮れまで待たせていたのである。

 本来ならば合流のための目印として、窓の外に白いハンカチを刺し止めておくはずだったのだが、

「……あれ」

 ララはそれをしていない。

「このロープが出ていたので、そうではないかと」

「あ、そっか」

「取りこんでおいたほうがいいでしょう。これは目立ちます。ユウは外ですか?」

「うん、情報収集」

「では、あちらの屋根からでも見ていましょう。戻ってきたら知らせます」

 モチはパッと飛び立ち、隣家の屋根に座りこんだ。

 ユウからカジャディールの太刀を預かっていたはずだが、

「安心してください。隠してきました」

 と、自信たっぷりに胸を張った。

「どうしました。せめて窓を閉めたほうが暖かいでしょう。さ、どうぞ」

「うん……ねぇ、モチ」

「はい」

「あたしね」

 言いさして、ララは躊躇した。

 まさかここで突然、サンセットを呼び出して城に行ったらダメか、などと言っても認めてくれるはずがない。

「あの、あたしね、ユウのこと、手伝っちゃダメかなぁ」

 と……。

 モチの、黒真珠のような目に射抜かれて、ララはなにやら、いたたまれない心地になった。

 昼間とは違う、夜のモチのこうした風格を、神官のようだ、教師のようだと人は言う。

「さ、それはどうでしょう。ユウがひとりでやりたいと言うのですから、我々は、それを尊重するべきでは?」

「でも……」

「心配はわかります。しかし、彼がN・Sを持っていることも忘れてはいけません。なによりも頼れる味方です」

「それは、わかってるけど」

「では?」

「その……効率的に」

「ホ、ホ」

 屋根の上の小さな教師は決してあざけるのではなく、どこか、いつくしむように笑った。

「ララ、私も経験したわけではありませんが、これだけはわかります。仇討ちとは、ただの復讐ではありません」

 たとえば、ジョーブレイカーがそうですと、さらに続けてモチは言った。

 クジャクもそうです、とも言った。

「彼らはふたりとも仇持ちです。ジョーブレイカーはスダレフ。クジャクは、自分を裏切った蛇たち」

「う、うん」

「彼らは行こうと思えばすぐにでも、仇を討ちに行けたでしょう。そして彼らの腕を考えれば、その達成は実に容易なことであったはずです。しかし、彼らはそうはしなかった。いまのいままで、勝手に行ってしまうようなことはしなかった。なぜでしょう」

「それは……」

「……それは?」

「みんなが、行かないで欲しいって思ってたから……」

「本当にそうでしょうか」

「え?」

「本当にそれだけでしょうか、ララ。よく考えてみてください。本当に、それだけなのでしょうか」

「うぅん」

 ララはむしろ、なぜそのようなことを言われるのかがわからなかった。

「私は思うのです。彼らは、許しを求めているのではないかと」

「許し?」

「そう、許しです。彼らは憎しみだけではなく、罪悪感をもかかえている。そうは思いませんか、ララ」

「あ……」

 ララの反応に満足して、モチは、ゆったりとうなずいた。

「守れなかった父親、守れなかった民。だからいま彼らは、それと同等のものを守ろうとしている」

 そう、シュナイデと、マンムートの人間たちを。

「それが仇討ちなのです。仇討ちとは、罪悪感の清算です」

「ユウもそうなの?」

「え、そうであると私は見ています。ユウはよく祈りを捧げているでしょう。私は彼と、長いこと行動をともにしてきましたが、最近の祈りは特に長い。それも鎮魂というより、まるで懺悔をしているかのようです。彼の中にもきっと、なにかがあるのでしょう」

「……」

「彼の意志を尊重して欲しいというのは、つまりこうしたわけです。いまは待ちましょう、ララ。いつか必ず、ユウはあなたを必要とするはずです。いまは、彼にまかせましょう」

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