第215話 協力者たち(3)
いまさらだが、これは見事にお膳立ての整った逃亡であった。
幾人かの大祭主、幾人かの将軍が便宜をはかってくれているというので、当然と言えば当然かもしれないが、もしそれを知らなければ明らかに罠であった。
ここまでの道のりが、まさにそうだ。これほどの騒ぎとなっていながら、本来、いてしかるべき要衝に騎士がいない。そのようなことが罠以外の理由であり得るだろうか。ましてや、捕らえられたすべての仲間たちがマンムート二号車に軟禁され、さらにはそのマンムートが準備万端、きちんとN・Sマンタの背に固定されているなどと。
無論、ユウたちは油断をしなかった。体裁程度に配置されたL・Jを追い払ったのち、マンムート、N・Sマンタ、人間、すべてのチェックを念入りにおこなった。
異常は、まったく見つからなかった。
『恐ろしいな。これは、かえって恐ろしい』
クジャクは神経質にくり返した。いまは責任の重い、リーダー代理の立場である。
『ハサンはまだか』
と、何度も口にしたが、これも、ただ単純に早く出発したかっただけではないだろう。
『……来た!』
最初にその姿を確認したのは、L・Jシューティング・スターであった。N・Sマンタの千畳敷の背の上に腹ばいとなって、スナイパーの目を光らせていたのだ。
どこから来るかはわかっていた。大闘技場は遠目にも目立つ上、いまだ、その上空には薄黒い雲が渦巻いている。ここは、二十メートルを越すコンクリート壁によってかこまれた演習場だが、それの見える方角にある出入り口は、人間用の鉄格子門ひとつだけだった。
ハサンらしきその人影は、青毛の馬を駆っていた。
二頭の鹿毛と、犬ぞりのようなものが付き従っていた。
『旦那だ!』
『ホント、アレサンドロ!』
テリーとララの喜びを聞いて、ユウはいままで以上に、ぐっと目をこらした。やはりこの点、ズーム機能のついたL・Jの目にはかなわない。
万歳!
確かに襲歩で近づきつつあるのはアレサンドロで、おまけに背すじをしゃんと伸ばして鹿毛にまたがっている。
『クジャク!』
ユウは、きっと同じようにほっとするだろうと思い、その男に声をかけた。
しかしクジャクは、それに応じるより先に、
『マンタ、飛べ!』
と、命令を出した。
『あとは、俺とカラスで引き受ける。先に行け!』
『おおう!』
待ってましたとばかりに、N・Sマンタのヒレが大地を叩いた。
おっととと、と、体勢を崩したシューティング・スターをサンセットⅡがつかまえ、二機はそのまま、マンムート屋上の仮整備場へと向かう。
飛び散った土塊がバタバタと地表を打ち、地響きにおびえた馬の足が跳ね上がった。犬の悲鳴が響いた。
『行くぞう!』
白い腹をこすって滑走したマンタが、壁をなぎ倒して地を離れた。
一気に、市街地の上空を越えていった。
「クジャク君、ご苦労だったな」
『おまえのためではないぞ、ハサン』
N・Sクジャクの視線を受けて、馬上のアレサンドロは苦笑いした。
どのような覚醒術を受けたものか、その顔つきは尋常だが疲れの色が濃い。
『オオカミに会ったか』
いまの状況では無慈悲とも言えるクジャクの問いに、それでもアレサンドロは、力強くうなずいた。
クジャクは、悔悟のため息を、ひとつついた。
『俺は、知っていた。やつがオオカミだと』
「そうだってな」
『なぜそんな顔ができる?』
「カラスが生きてた」
『なに、カラスが! それは……』
「待て」
ぴいんと、緊張の糸が張った。ハサンが、そでをたらして右腕をかかげ、会話を制したのだ。ジョーブレイカーはこの時点ですでに、馬首を鉄格子門へと向けている。
あっと、ユウが思ったのは、このときはじめて、犬の引いている車に乗りこんでいたのが、ジャッカルとヤマカガシという、ふたりのなつかしい顔だったことに気がついたためである。
当然、このふたりも心配そうに、視線を向こうへくれていた。
「あれは……」
開いた鉄格子の間に見えたのは、騎馬のシルエット。
「ジークベルト……ラッツィンガー」
周囲の壁が落とす影よりもなお濃い、全身甲冑とその乗馬の黒であった。右肩から左足のあぶみのあたりにまで下がった大剣・グレートソードが、色以上に、その正体を表している。
ラッツィンガーは単騎であった。
急ぐ風もなく、ゆったり、ゆったりと馬を進め、十メートルの距離をおいて止まった。
兜を小わきにかかえた主の姿に似て、馬もまた、威風堂々たる体格をしていた。
「……ふむ」
まるで古代彫刻のように骨太な男の目が、ユウたちを静かにながめまわした。
そのかもし出す空気はまるで、歴史的、文化的価値の高い刀剣を鑑賞するふうである。
相手は所詮騎馬であるのだから、すぐにN・Sで飛び去ってしまえばそれでおしまいだったはずだが、ユウたちはそうしようという気さえ起こさずに、その場にとどまった。
動けばやられる。などといったことではない。むしろ相手の戦意のなさに、自然とそうなったのだ。
しばらくして感得のうなずきを見せたラッツィンガーは、その面を、巻角の兜で覆い隠した。
「グライセン帝国、聖鉄機兵団軍団長筆頭、ジークベルト・ラッツィンガー。我が子、ジラルド・ラッツィンガーの仇、ヒュー・カウフマンと、真剣をもって勝負がしたい」
ジラルド・ラッツィンガー?
これに驚くな、と言うほうがどうかしている。
うらみは当然あるだろう。性悪な男であったとはいえ、ラッツィンガーにすれば跡取りである。
しかしまさか、この場所、このタイミングで。
ユウはハサンを見た。
ハサンはなぜだか居心地の悪い様子で、ひげをなでながら、アレサンドロに一言二言ささやいていた。
アレサンドロは言った。
「わかった」
ラッツィンガーは馬を降りた。
もとよりこの将軍は、レッドアンバー逃亡を、手助けとまではいかなくとも、看過するつもりだったのに違いない。これはただ、それがどのような者たちか、自分の目で確かめてみたくなったのだ。
つまり、どこまで信用できるか。
うわべはともかく深層において、敵か、味方か。
だからこの果し合いも、言ってみれば方便である。ここへ来るための口実だ。家名に泥を塗ったジラルドの仇討ちなどとんでもない。それを、ハサンは看破していた。アレサンドロに耳打ちした内容もそれであった。
ただし……。
隠している事柄もひとつある。
これだけの男が真剣での斬り合いを望み、それを口にした以上、なれ合いになることもあり得ないということだ。
ではどうする。
ある意味では協力者であるこの男を立て、剣も合わさずに逃した、との不名誉を与えぬために勝負を受けたが、このままでは、アレサンドロの首を守るために、ユウの首を差し出したことになる。
「おまえたちは行け。ここは見逃す」
二メートル近い、巨身のラッツィンガーの声は腹に響いた。
ハサンはアレサンドロにうなずいておいて、N・Sのユウを地上へ呼びつけた。
こいつめ……。
この弟子は、こうしたとき妙に腹のすわった顔をする。
ひとたび決定がくだされれば、その遂行に集中するのみ。
つまり、自分にできる仕事しか与えられんと思っているのだな、こいつは。
ハサンは口もとに浮かんだ笑みを、手のひらで覆い隠した。
「ほう、感心に、刀だけは持ってきたか」
「ああ」
「どうだ、ラッツィンガーは。斬れるか?」
「……わからない」
「馬鹿め。斬れるわけがない」
「ん……」
もちろん、ユウも愚かではない。相手は帝国一の武人である。
だが倒せるかではなく、斬れるかということであれば、不可能ではない気がする、というのがユウの考えだ。
黙っていたが。
「三つ子の魂というやつだな」
「え……?」
「おまえもそうだ。あの男もそうだ」
「将軍が?」
「フフン、共通点と言えばそれだけではない。どちらにも神は斬れん」
ユウには、その言葉の意味がよくわからなかった。
問い返そうと思ったが、ハサンは他の面々とともに、クジャクの手に乗り移って行ってしまった。
あとに残ったのは、N・Sカラスとモチだ。モチはN・Sに入ったまま、逃亡の準備を整えつつ、見守るつもりのようである。
「神は斬れない……」
ユウは空を見上げて反芻した。雲が飛んでいる。
「神……」
「ジラルドを手にかけたな」
いつの間にかラッツィンガー将軍の手に、グレートソードが握られていた。
刃渡りだけで、ララの身長ほどもありそうなそれだが、ラッツィンガーは恐るべきことに片腕であつかえるようだ。そのような相手から目をそらし、物思いにふけるとは。
ユウは不覚悟を恥じ、その態度は、巌のようなラッツィンガーを再びうなずかせた。
そして、もう尋問は不要と感じたか、
「抜け、カウフマン」
ラッツィンガーは腰を落として地摺の脇構えを取った。
ユウも、鞘を払った。
刃には心が映る。
ユウは刀を抜くたびに、この言葉を思い出す。
清く正しくあれば、誰に見せても恥ずかしくない輝きを放つのかもしれない。
だが、いまは強く。
冷たく。
ユウは太刀を真正面に構えた。
大剣を相手にする際のセオリーなどは知らない。ただ、気力負けだけはするものかという一心で、刃に力をためた。結果、相手の間合い詰めを待つ形となった。
ほう……。
と、これに内心、感心したのはラッツィンガーである。
目の前の正眼はいかにも未熟だが、どうしてどうして、なかなか小気味がいい。
いままで立ち合ってきた者たちの多くは、勝つこと、逃げることに心を捕らわれ、あげく、刃への集中を欠いて勝負を落としていったものだったが、この正眼にはその乱れがないのだ。
甲冑と囚人服という、明らかなハンディキャップさえも小事の態。
世界に存在するのは、この一戦、次の一刀のみと言わんばかりの目。
悪くない……!
ラッツィンガーは、自ら飛びこんでみる気になった。
わずかに腰を沈めると、相手の若者も、鏡写しのように重心を下げた。
一歩踏みこむと、若者の足も前へ出た。
そして二歩、三歩四歩。
「おおっ!」
甲冑全体から噴き出したような気合声が、押し進むユウの骨を猛烈にしびれさせた。これを平然と受け流すことのできる者など、この世にはたしているだろうか。
しかしそれでも、ユウはそれまで以上に力強く、前へ出ようとした。
大剣がなぎ払われる前に懐へ飛びこみ、その柄をつかむ十指のうち、どれか一本でいい、落とそうと考えていた。
甲冑を斬る技術、甲冑の継ぎ目を狙う技術、そのどちらもない自分に斬れるのは、きっとそこだけだと。
ユウは突いた。
すべて読まれていたことに気がついたのは、柄を握った両の手首が、相手の右のわきに、がっしりとはさみこまれたときだった。
そこからは一瞬である。
どこをどうされたものか。あっと思った瞬間にはもう、両手両ひざが地についている。
首のうしろに、ずしり、と、鋼の重みが乗った。
鉄板のように見えたグレートソードだが、やはり斬るための武器。刃の鋭さは、ぞっとするほどであった。
「決まったな」
深い声が降ってきたので、ユウはうなずいた。
うなじがチクリとした。
「後悔はあるか」
「……後悔?」
「ジラルドを殺めたことに」
「ない」
「……」
「ない!」
ふ、と、首が軽くなり、ユウは素早く額と胸にふれた。
よし、落とせ。
覚悟の目蓋を閉じた。
しかし。
「……?」
がちゃりと音がしたその方向を見ると、ラッツィンガーはすでに馬上で、背を向けている。
「将軍!」
巨大なひづめが土を跳ね上げ、ラッツィンガーはひとこともなしに行ってしまった。当然、一瞥もない。
ユウはうれしくもなく、くやしくもない、それでいてわだかまりもないという、不思議な気分になった。
ぽかんと座りこんでいた頭上に影が差し、
『行きましょう』
モチが、いたわるように言った。
鉄格子門を抜けたラッツィンガーは東へ馬首をめぐらせ、あわてて、ぐいと手綱を引いた。
馬から飛び降りたのは、道をふさいでいたのが、まさにそうした礼を取るべき相手であったからである。
兜を脱ぎ、
「猊下」
ラッツィンガーがひざを折ると、その人、カジャディールは、いたずらな笑みを浮かべて手をひらひらと振った。仰々しい真似はやめろと言うのだ。
メイサの敬けんな神徒であるラッツィンガーと、大祭主カジャディール。
親交の深さは、誰もが認めるところであった。
「また逃げてこられましたな」
「なに、逃げたと?」
「カール・クローゼとともにおられたはず」
「さて、神殿まではそうだったか」
「猊下……」
ラッツィンガーは失笑した。
「やんちゃはおひかえを」
「ふ、ふ」
このときカジャディールは一頭の白馬を連れていたが、くつわを取られて、たてがみを揺すっていたそれが、突如、石畳を蹴っていなないた。
演習場を飛び立ったN・Sカラスに驚いたのである。
「これこれ」
「私が……」
「いや、よいよい。それ、もう落ち着いたわ」
カジャディールは馬の首をなでながら、カラスを遠く見送った。
「で、どうであった。ヒュー・カウフマンは」
「なかなか……」
「なかなか?」
「もったいない相手であったようです。あの、ジラルドには」
ラッツィンガーは額の汗をぬぐい、微笑した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます