第207話 収束

 話は、天使・電雷が念の力によって倒され、山城を包む空気が、勝利一色に輝きはじめたころまでさかのぼる。

 まずそれに気づいたのは、N・Sコウモリの耳だった。次いで見張りの衛兵。

 そして、その衛兵の口からほとばしり出た絶叫が、山城全体にその異変を伝えた。

 すべての目が困惑に右往左往し、それでも一点に集まったのは、異変の正体が非常に目立つ存在であったからに他ならない。

 神々しいまでに光り輝く、白銀甲冑を身につけた男だった。それが、L・Jカーゴの規格に対応していない古い城門の内側に、ひとりたたずんでいたのである。

『出やがったな……』

 ……うふ。

 あどけなく微笑んだ甲冑の男は、誰もが知るその白面に、鮮やかな返り血をひとすじ浴びていた。

『エディン』

 N・Sオオカミ……アレサンドロが一歩進み出た。

「アレサンドロ・バッジョ。あなたにはもう用はない」

『ああそうかよ。あいにく、こっちはそういうわけにもいかねえんだ』

 このアレサンドロの言葉に、鉄機兵団の多くの騎士は安心をしたようだ。

 レッドアンバーによる天使の団への宣戦布告を、そもそもパフォーマンスと疑ってかかっていた者もいる。そうでなくても鉄機兵団は敵、天使の団は元仲間。兵器である天使はともかく、エディン・ナイデルに対して剣を向けるだろうか。いや、まさか。

 逃げてしまうのではないかという大方の予想を、いい意味で裏切ってくれたというわけだ。

 こうなるとN・Sの力を知っているだけに、騎士たちのオオカミを見る目は俄然、好意と期待の色を帯びてきた。

『おとなしく捕まれと言って、聞くおまえでもねえだろうな』

 アレサンドロは静かに言った。

「ではどうすると? 私を殺す? ここで? なんのために」

『なに?』

「私の首はいくらで売れるのです」

『てめえ……!』

「あは、はは」

『見くびるなよ、俺は人気取りのためにやるんじゃあねえ。てめえを野放しにしちゃおけねえからやるんだ』

「ふん」

『それとも、こう言ってやったほうが満足か? てめえのつらが、やっぱり気に入らねえからだってな』

「ああ、それがいい。辞書の『正義』の項になんと書いてあるか知ってますか。『エゴイズム』ですよ。うふ、ふふ……」

 不意に、エディンの姿が門の前から消えた。

『うっ』

 と、アレサンドロが、左のくるぶしに鋭い痛みを感じて見れば、そこにいる。三十メートルは離れていたはずなのに。

 エディンはさらに、にぃ、と笑い、消えた。

『行ったぞ、ジョー君!』

 ハサンが叫んだ。

「ぎゃあ!」

「わあっ!」

 広場の奥へ悲鳴が連なっていく。

 腕や足を押さえた騎士たちがドミノ倒しのようにエディンの軌跡を示し、その先に、総指揮官とも言えるエルンスト・コッセルの姿が認められた。

 その温顔が引き締まり、大盾を構えた重歩兵ふたりが見えぬ敵の前に立ちふさがる。

 と、次の瞬間。

 白い光と黒い影が地上でかち合った。

 ふたつは、その勢いでか空へ跳ね、くるりと身を転じて着地した。

「……へぇ」

 エディン・ナイデルと、ジョーブレイカー。

 騎士たちが離れ、人垣の作る円の中央に、ふたりは対峙した。

 ラバースーツ姿のシュナイデがどこからともなく現れ、エディンとコッセルを結ぶ直線上に立った。

「……ジョーブレイカー」

 シュナイデの呼びかけに、黒衣の超人は、ただ小さくうなずいて応えた。

 わかっている。

 共振しているのだ。ふたりの心臓、超小型光炉が。

 いつかスダレフの手によって模造品が生み出されることは覚悟していた。だから目の前の男が自分たちと同じものであると知っても、その胸に驚きが起こることはなかった。

 しかし、シュナイデの声にいま、かすかな『感情』が含まれている。これにはジョーブレイカーも、驚嘆の域を越えて感動した。

 ただし読み取ったそれは、おびえの感情であった。

「ふぅん、どうしてだろう。あなただけは、ここで殺しておかなければいけない気がする」

 にらみ合うことしばし、エディンが構えを、ひょいとはずして言った。

「ねぇ、どうしてだと思います?」

「そう『植えつけられた』のだろう」

「ああ、なるほど。あの年寄りに……」

 狂気のみをたたえたガラス玉の目に、わずかばかりの嫌悪がよぎる。

「でも、それはどうも……私だけじゃない」

「なに」

「うしろをどうぞ」

 はっと振り向いたジョーブレイカーの胸に、冷たい肉体が飛びこんできた。輝く松葉色の髪が鼻先で舞い上がり、かぐわしい微香が鼻にふれた。

「……シュナイデ」

 顔を上げた娘の目も、無情無慈悲のガラス玉。

「シュナイデ……」

 まだ、あちらの支配下にあったのか。

 細い指に握られた小刀が幾度も皮膚を突き破り、腹腔内を行き来するのを感じながら、なおジョーブレイカーはうめき声ひとつ立てず、シュナイデを腕に抱き続けた。おまえは悪くないのだと言うように。

 憎いのは、

「スダレフ……!」

 ついに、ジョーブレイカーが、その場にくずおれた。

 土によごれた石畳の上にその肢体を投げ出せば、シュナイデもあとを追って覆いかぶさってきた。

「……」

 だが、とどめと言うにはいささか妙だ。

 シュナイデの手足は硬直し、ジョーブレイカーが受け止めなければ、ごちんと地面に転がっていたかもしれない。

 任務遂行ののちは、語らず、指示を受けつけず、人形となって回収を待つべしというプログラムか。

 折り重なったふたりの面上に、影が落ちた。

「お気の毒」

 この男はキツネか、タヌキか。

 ジョーブレイカーのにごりかけた意識に、一瞬、そのような思いがわいて出た。

「なにか?」

「……」

「ふ、ふ、ふ」

 エディンはそして、背を見せた。

 無防備なようで手を出しかねる、無邪気な自信がそこにはみなぎっていた。

 腰が落とされる。人垣の輪が崩れ、道ができた。

 エルンスト・コッセルへの道であった。

「どうです、これで忠義だの言うのだから!」

 さすがに重歩兵は微動だにしていない。

 コッセルの白髪も、わずかながら確認できる。

 エディンのつま先が地を蹴った。

 十メートルの距離を一足飛びに縮め、

「あは!」

 二歩目でその身は、宙へ躍り上がった。

 進路を変えさせたのは割りこんだN・S、オオカミの勘頼りの蹴りだったが、あえなくそれは空を切った。

 着地。三歩目。

 重歩兵は目の前。

 手を伸ばしかけてエディンは振り向いた。

 今度は、的確に首すじを狙ってきた棒手裏剣を払うためであった。

 投擲手であるジョーブレイカーは仰向けに寝たまま。となれば、手首とひじの運動だけでこれを放ったことになるが、とてもそうは思われぬ威力だ。

 はっしとそれをつかみ、

「ひゃあ!」

 エディンの口から驚きの悲鳴が上がった。

 ぴかりと、自身の腹の上を、刃が横一線に走るのを見たのであった。

 コッセルと、重歩兵しかいないはずの背後からの一閃。全身甲冑の継ぎ目を縫った達人の技である。

 エディンの上半身と下半身は見事に分断され、数メートルの距離をへだてて石畳の上に転がった。

「……うふ」

 しかし恐ろしいのは、この男の肉体である。

 血だまりどころか、一滴の血液さえ見られない。

 切断面からの内臓の露出もなく、平然と生きている。

「誰です、あなた」

「……」

「コッセルじゃない」

 重歩兵がわきにずれた。

 その間から進み出た影武者は、コッセルよりもはるかに長身で、コッセルよりもやや若く見えた。

 手にしたナギナタは、自由区エド・ジャハンの武器。

 マリア・レオーネの紋章官、ササ・メスだ。

 黒い頭髪に白い粉をまぶしつけて作った即席の白髪が、老け顔のこの男には、ぴたりとはまっている。

「コッセルは?」

「私ならここに」

 エディンの上半身がぴょんと跳ね起きたが、ナギナタのひと振りで、身体を支える腕が二本とも飛んだ。

 エディンは小麦袋のようになって、地面に突っ伏した。

「うふ、ふ……」

 これで終わりだった。

「エディン・ナイデル」

 コッセルが身をかがめて、その顔をのぞきこんだ。

「あなたの主人が、やはりアレサンドロ・バッジョよりも私を脅威として捉えていること、よくわかりました。ありがとう。私の道が正しい方向へと進んでいる証です」

 無口な影武者がエディンの頭に布袋をかぶせてしまったので、このとき、この狂信者がどのような顔をしたのか、N・Sコウモリにも見ることはできなかった。


 よっつに分かれたエディンの身体には、それぞれ、L・Jの運搬にも使われる強化繊維の布と鋼鉄製のワイヤーが巻かれた。

 これをこのまま、帝都へと運んでいくつもりらしい。

「いま報告がありました。天使はすべて、撃破されたそうです」

「それは結構」

「そちらは?」

「ふむ」

 ハサンとコッセルが視線を送った先ではアレサンドロがひざをつき、ジョーブレイカーの傷所を確かめている。

 刃渡り十五センチの小刀で、計十三カ所。

 これでまだ生きていられるのだから、ジョーブレイカーを見る騎士たちの目がいぶかしげなのも仕方がない。

 だが、ジョーはエディンとは違う。痛みを感じるのだ。

 血も赤いものが出る。

 結局は中身だよな……と、いまだ硬直が解けぬまま、目を見開いて横たわるシュナイデに対する哀れみが、アレサンドロの胸には広がっていった。

「そのスダレフをどうにかすりゃあ、戻してやれるのか、こいつは。シュナイデは」

「……わからん」

「まあ……そうだよな。なに、心配はいらねえさ。おまえとこいつが生きてりゃあ、きっとなんとかなる。だから、死ぬなよ、ジョー」

 アレサンドロは、できるかぎり楽観的な言葉を選んだつもりだったが、ジョーブレイカーのうなずきは覚悟を秘めた深いものだった。

 この身を幾度刺されても。この血がついに枯れはてたとしても。

 必ず、シュナイデをスダレフの呪縛から解き放つ。

 十五年前の自分があきらめてしまった情熱をジョーブレイカーの中に見たような気がして、アレサンドロは目をふせた。

「で……俺は、どうすりゃいい。俺の見たところじゃあ、どうも治療のためには腹を開けなきゃならねえようだ。だが、おまえは……普通の身体じゃねえ。わかるよな?」

 ジョーブレイカーはうなずいた。

「傷をふさぎ、あとは構うな」

「構わねえで治るか?」

 またうなずいた。

 これを信じるしかない。

「痛み止めは?」

「……わからん。効くのか」

「やってみようぜ」

「それが、許されるのならば」

 静かな緑眼が、ふと自分からそらされたので、アレサンドロの目も自然とそちらへ向いた。

「エルンスト・コッセル……」

「治療は認めましょう。ですが、あなたがたも、ここまで」

 鋭く光るナギナタの刃が、アレサンドロの首もとに差しつけられた。

 ちょうどそのころ……。

 戦艦グローリエによってN・Sマンタも鎮圧されている。

 その知らせを受けたL・Jシューティング・スターもハイゼンベルグ軍に投降。

 N・S二体とサンセットⅡがサリエリ率いるヴァイゲル軍によって拘束されたのも、このすぐあとのことだった。


「……」

「シュナイデ……?」

 乾いた目で虚空を見つめながら、その唇だけが動いている。

 それを読み取って、ジョーブレイカーは愕然となった。

『ごめんなさい』

 それはそう言っていた。

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