第203話 轟断刀のドゥーべ
裸のライ麦畑を進む天使の足並みは、そろっていなかった。
先頭に一体、少し間を空けて一体、さらに並んで二体。では先頭を行くのは、いったいどの天使か。
それは近くからでも容易に判断がつかなかったが、確かめる前に、ドゥーベの全背部バーニアが機体を押し出した。
ラッツィンガーにとっては、最初の相手が火炎だろうがなんだろうが関係はなかった。
とにかく当たる。
しかるのち駆ける。
戦場の果てまで突き進む。
それが剣を握りはじめてより鍛え続けてきた、ラッツィンガー唯一の戦法なのであった。
無論、これはあまり、ほめられた戦いかたではない。
真似をしたがる後輩も数人と言わずいたが、それを見つけるたびにやめるよう、ラッツィンガーはうながしてきた。
まず生身の人間がこれをやろうとすると、全身甲冑で身を固めなければならない。その重量は数十キロにもなる。
次に足が強く、身体の丈夫な馬がいる。甲冑装備の戦士が戦場を駆けるためにはこれも不可欠だが、条件に合う勇馬はそういない。
最後に馬上からでも攻撃できる、長大な、それも切れ味の落ちにくい武器がいる。槍でも剣でもいいが、当然自身の支えるべき重量は増える。
とにかくそれらの課題をすべてクリアしてからでないと、この戦法はかえって身を滅ぼすのだ。
機械化の進んだ現在の戦においても、ただ一機、『轟断刀のドゥーベ』のみがこれをなし得るL・Jであると、ラッツィンガーは自慢ではなく、真剣に言い続けていた。
『先に行く!』
『はい!』
ドゥーベのバーニアにもう一段炎が加わり、追いかける若者たちとの距離が、ぐんと開いた。
足もとのホバージェットがその推力に耐えられなくなったとき、重々しい機体は宙に浮き上がり、さらに加速した。
両手で握った、両刃の剛剣を右肩にかつぎ上げ、
『ぬうううん!』
と、地面をこするように疾駆する。
そのまま先頭を行く天使の台座へ接近せんとしたとき……ドゥーベのメインモニターに映ったものはなにか。赤い波だ。
相手はまさしく天使・火炎で、台座の下からビロードのような、なめらかな炎を放出したのである。
『ラッツィンガー将軍!』
『待て、カール・クローゼ! 行くな!』
『しかし……!』
三人の若将軍は、ドゥーベの姿が呑まれてしまったことでかなり泡を食ったが、巻きこまれるわけにはいかないと一時スピードをゆるめ、足を止めた。
そこに、声がした。
『おおおおぅ……!』
がんがん、ごんごんと、炎の中で音が移動している。
『……マジ、か』
『噂には聞いていたが……これは……』
『これは本当に……すごすぎる!』
陽炎に揺らめき、輪郭をあやふやにしている台座の下をくぐり抜けた黒い塊が、一直線、弾丸のように飛び出していく。天使の腰が、がくんと砕けた。
台座の底に刻まれた縦一文字の傷跡は誰の目にもふれなかったが、つまづいたように前のめりになった巨体の表面を這いのぼり、包みこんだ炎は、実に数十キロ先からでも見ることができた。
わぁ、と、山城待機の騎士たちから歓声が上がった。
『……すげえな』
『ンンン、さすがラッツィンガーというところか。しかし、どうもこのコウモリというやつ、目が弱くて困る』
と、そのとき、このようなことをささやき合ったのは、アレサンドロとハサンである。
ではこのふたりが、いったいどこで会話をしているのかというと、なんと鉄機兵団の本拠である山城の中であった。
ラッツィンガーらが天使へ向かって進軍を開始した、その直後。
ふたりはマンタに低空飛行をさせ、じかにこの地へ飛び降りたのだ。
『城の責任者は?』
「私です」
と、進み出たコッセルと、
『私はレッドアンバーの、シャー・ハサン・アル・ファルド。ご存知だろうが、我々もまた天使の団に対して宣戦布告をしている。この決戦、是非とも協力させていただきたい』
「さて、あなたがたを信ずるに足る、証拠は?」
『ここに、我らのリーダー、アレサンドロ・バッジョと、紋章官である私が来た。これ以上の人質があるとは思えませんな』
「ほほう、そちらが、リーダーの……」
などと白々しく交渉する形を見せて、しゃあしゃあと同盟を結び、いまに至るのである。
N・Sを降りず、上から、まるで監視するように立つふたりには、当初明らかな敵愾心や警戒心が向けられたものだが、筆頭紋章官とも言えるエルンスト・コッセルが認めた上に、事情を知る他の紋章官がそれを従順に受け入れたため、大きな騒ぎになることはなかった。
そしてこれには、反乱分子の前で騒いでは帝国の威信に関わる、と、つとめて平静を装おうとしているようなところもあり、その様子がアレサンドロには好ましく感じられたのだった。
『ハ、俺も随分、丸くなっちまったもんだな』
『……勝手に口真似するのは感心しねえな、ハサン』
『ンッフフフ』
と……。
ちょうどこのとき、天使・火炎が火に巻かれたのである。
『次の天使は……』
アレサンドロが目をこらすと、
『ああ、あれはわかりやすい。轟断刀だ』
ハサンが得意げに言った。
『それにはもう構うな、始末はグローリエにまかせる!』
天使・火炎は倒れながらまだ動いていたが、ドゥーベの進路はすでに前を向いていた。
すなわち、天使・轟断刀である。
この天使は背に巨大な剣を負っているため、確かにわかりやすい。ただ、ずらりと抜かれたその形状は、剣と言うより、先の角張った角鉈のようであった。
この平らな剣先で、大地を突き固めるように街を破壊する。そんなこともあったに違いない。
そう思うと、ラッツィンガーは同じ轟断刀としてやるせなさを感じるとともに、はらわたの煮えくり返る思いがする。
天使の構えは大上段。
そこから倒れこむ勢いで打ちおろされた刀身は、刃と言うより一枚の岩盤のようなもので、起こす風鳴は神速のベネトナシュのそれよりひどかった。
しかし、いまのラッツィンガーが、ひるむはずなどなかった。
『来い!』
ものすさまじい地鳴りとともに天使の轟断刀が地を叩きつぶし、それと同時にドゥーベは飛び上がる。
飛び上がってどこへ着地したかというと、その巨大な轟断刀の、峰である。
『ぬうううん!』
と、その傾斜をホバージェットで駆け上がれば、鮮やかな火花が四方八方へ散った。
剣から柄へ。そして太い腕から肩へ。
走りながら脇構えにした轟断刀を、ドゥーベは猛々しくすり上げた。
『浅いか……!』
切り裂いたのは天使の首の中ほどまでで、まだ頚椎を断つまでには至っていない。
せまい肩口の上で無理やり機体を踏みとどまらせ、振り返りざま、遠心力を乗せた剣を横なぎに払ったが、
『ちぃッ!』
ここは天使が早かった。
必殺の間合いに入られるその前に、ドゥーベをはたいて遠ざけたのである。
『く……ッ!』
天使・火炎の炎さえものともしなかった重装甲のドゥーベと言えど、これにはかなわない。轟断刀の腹を盾がわりにしたものの、弾かれた機体は宙へと投げ出されてしまった。
なすすべもなく落ちていくドゥーベ。
それを救ったのは、ミザールでも、アリオトでも、フェグダでもない。
ララの赤い、サンセットⅡであった。
実は、このサンセットとドゥーベは縁が深く、装甲が厚く、足が強く、轟断刀の重量にも振りまわされることのないドゥーベの後継試作機こそがサンセットⅠということになる。だがそれは、開発元のキンバリー研究所関係者のみが知る事実だ。
サンセットⅡに間一髪拾い上げられたドゥーベは傷もなく、
『ララ・シュトラウスか、助かった』
『え、えと……』
ララは、へどもどとなった。
大人相手に恐縮するタイプではないが、はじめて一対一で話すラッツィンガーは、さすがに格が違うようだった。
と……。
『む……』
天使・轟断刀が身体をひねるような動きを見せたため、ラッツィンガーは身構えた。
見ると、半分傾いた天使の首へ向かって飛翔していく人影がある。
黒い姿、黒い翼、女性的なそのフォルム。
『魔女! カラス……!』
N・Sカラスは天使の頭部へ両足蹴りを食わせて傷を広げ、素早くその隙間へ身体をすべりこませるや、胸に交差させた左右の大小を、ひと息のうちに引き切った。
『危ない!』
ちぎれた大首は胴体に数度打ちつけられながら、クローゼたちの頭上へと降ってきた。
天使の苦しまぎれの一刀が、カラスを捉えきれずに手からすっぽ抜けた。
『カール・クローゼ!』
ここで呼ばわったのは、やはりラッツィンガーである。
ラッツィンガーは、N・Sカラスの乗り手が魔女ではなく、ヒュー・カウフマンという青年であったことをすぐに思い出し、アレサンドロの持つ甘いものでも、ハサンやクジャクの持つ敬意に満ちたものでもない、かつての戦の、古い古い畏怖の記憶を、力ずくで心の片隅へと追いやっていた。
『カール・クローゼ、あのN・Sに電撃槍を!』
『あ……なるほど!』
電撃槍は電雷のフェグダの武器で、文字どおり電撃を放つことができる。そして遠隔操作もできる。
大きく振りかぶり、
『ユウ!』
投擲された槍は一直線に空を飛び、N・Sカラスの手の中に収まった。
ユウはそれをつかみなおし、頚椎のむき出しとなった首胴体へ、深々と突き刺した。
『離れろ!』
と、電撃。
棒立ちとなった首なしの天使が、ひと呼吸もふた呼吸も置いて、ずんと伏し倒れた。
残るは天使・旋風と、天使・電雷だ。
しかし、この二体とは、同時に戦うことになる。
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