第204話 退避それぞれ

 そのとき、天使が変化した。

 天使・電雷の全身には、くまなく雷針が生えそろい、太いその先端から先端へ、幾すじもの稲光が駆けめぐっていく。

 天使・旋風にいたってはさらに顕著で、その全身、肩から足先までの直径が二倍ほどにふくらんだ。腕と翼の生えた円柱体の上に、頭だけがちょんと乗っているような格好だ。

 ふくらんだと言っても、その実、中心に光炉などの収まった心柱がある以外は、がらんどうの中空で、底から吸い上げた物体を腹の中で撹拌し、粉々になったところで上から放出する。言ってみれば胴体が丸ごと、吸引機になったのであった。

 小さな小さな岩土が、コクピットハッチにコツンと当たって飛び去っていくのを、ギュンターは見た。

 カツンと、今度はそれよりも大きな塊がかすめていったので、ミザールは思わずあとずさった。

『ギュンター、なにをしている! 雷に打たれるぞ!』

『あ……?』

 L・Jにとっては、吸いこまれることよりも、そのほうが恐ろしい。見れば、ギュンターを呼んだマリア・レオーネのアリオトをはじめとして、ドゥーベ、フェグダ、そしてララのサンセットⅡが、巨大な鉄屋根の下へと避難している。

 この屋根がなにかというと先に撃破した天使の轟断刀で、倒れた天使とこれが上手く折り重なったことで、L・Jの待避所としてちょうどいい空間が、そこにはできていたのである。

『早く来い!』

『お、おう』

『頭を下げ、身を低く。カール・クローゼ』

『はい!』

 ラッツィンガーの指示より早く、この中で最も電気攻撃に強いだろうフェグダが外の見張り役となった。

『どうだ』

 と、問われ、

『近づいています』

『うむ……電雷同士、相手はできるか』

『あ……そういう……』

 そういう意味の『どうだ』だったのかと、クローゼは赤面した。

 とはいえ、そうは言ったものの、実はラッツィンガーとしてもこれという作戦を思いついたわけではない。

 ここでフェグダを当てることが正しいのか、どうなのか。

 確かめようにも、コッセルとの通信は妨害されている。

 雷の影響だ。


『いやぁ、でもだからって俺に聞かれても困るなぁ。逆に、おたくはどう思うの』

『なに』

『疑いたくなる気持ちもわかるけどさ、がっつきすぎだよそりゃ。開く口も開かなくなる』

『いや、そういうつもりでは。私はただ、あなたの意見を……』

『だから待った待った。紋章官はおたくのほうで、俺は年下の賞金稼ぎ。そうでしょ、バレンタインさん』

『う、うむ……』

 戦闘にこそ参加していないが、ハイゼンベルグ軍アルバート・バレンタインも一応、ライ麦畑の中にいた。天使よりも山城に近い、遠距離攻城兵器群の陣内である。

 そこに、ふらりと現れたのが、テリー・ロックウッドのL・J、シューティング・スターで、バレンタインは例のコッセル・ハサン会談に基づき、これを素直に受け入れた。が、そこはやはり紋章官だけに、手放しでというわけにはいかなかった。

 まずは先輩格だというこの男の出来を見てやろうと、現況考察、様々な質問を投げかけてみたところ、先のような反論をされたのだ。

『だいたいこうなっちゃあ、俺たちの出番はもうないよ。ここにある装備で旋風と電雷の相手をするのはまず無理だ。あとはもう向こうにまかせて待つだけ』

『レッドアンバーに策はないのか』

『ないよ。おたくらの指示待ち』

 ……いったい、なにをしに来たのだ。バレンタインは思った。

 恩を売り、少しでも自分たちの立場をよくしようというのではないのか。

『考える頭がいくつもあって困るのは、そっちだって同じでしょ。指揮系統はシンプルであるほどいい。俺たちが最初に教わるのはそれだ。まぁ、とにかく落ち着けってことよ』

 そして、この、やや饒舌な先輩はあきれ気味に笑い、

『とはいえなぁ、ことこういう場面においちゃあ、俺が一番のイエスマンなわけよ。鉄機兵団の言うことを聞いて、手柄を全部ゆずってやれなんて、ララちゃんたちにできるもんかねぇ』

 と、なんだかんだで天使の座標データと射角シミュレーションデータを、後輩のモニターへ送ってきたのだった。


 このテリーの推察だが、おおむね正しいと言えた。そもそもユウはすでに、天使・轟断刀の首を取っている。

 また、もちろん将軍連中の指示を聞くのはやぶさかではなかったが、いまのユウ、モチ、クジャクは天使の攻撃を避けて空高くにいたため、ここからの行動も独自に取らなければならなかった。

『少なくとも……』

 クジャクが鉄棍を回転させつつ言った。

『あの電雷、あれの相手は俺たちがしたほうがいいだろう。せめて二体を引き離すことができれば、戦いやすくなる』

『ああ』

 眼下では、雨のない嵐が勢いを増している。

 見えるのは黒い黒い風だ。

 自然界ではあり得ないような方角へも走る、白い稲光だ。

『だが、どうする……』

 ふ、と、なにか思いついたようにクジャクの顔が上がったが、それ以上の言葉にはならなかった。


『ラッツィンガー将軍、私が行きます』

 そこで手を上げたのが、氷結のアリオト。マリア・レオーネ・リドラーであった。

 アリオトは、ひざを進めるようにして、

『旋風です。やつにわざと吸われ、中から凍りつかせてやります!』

『なにを言う』

『いいえ。そもそもこのアリオトやミザールは、天使の相手として力不足。それでありながら同行をお許しいただいたからには、せめて、なにかのお役に……!』

『待て、マリア・レオーネ、死に急ぐな』

『死ぬなどと!』

 降りそそぐ雷音に負けじと声を張り上げ、マリア・レオーネはこの作戦の利をなるたけ冷静に訴えたが、ラッツィンガーはついに、首を縦に振ろうとはしなかった。

『マリア・レオーネ。アリオトにそれができるか? アリオトは、ドゥーベではない』

『将軍!』

『いや聞け。ドゥーベならばそのタンクをかつぎ、力で押し通すこともできるだろうが、いまではない。ここは待つ』

『待つ、なにを?』

『うむ……』

 ここで、ラッツィンガーの視線が、ちらりと動いた。

『では、レッドアンバーに……』


『……やるか』

『クジャク?』

『やってみよう。これほどの時間なにも言ってこないのだ。ハサンにも策はないらしい。一か八かの賭けだが……』

『どうするんだ?』

『あれを動かす』

 そこでクジャクが指さしたものを見て、ユウは驚愕した。なんとそれは大地に長々と横たわった、天使の轟断刀だったのである。

 その下にララたちが隠れていることはユウたちも承知していたが、他に手立てはないとクジャクは言った。

 天使を直接どうにかできればなおいいが、と。

『でも、あんな大きなものをどうやって』

『念だ』

『ネン? ……その、チャクラムでそれができるのか?』

『とにかくやってみよう。おまえたちは見ていてくれ』

 言うや、クジャクの右手が持ち上がり、その手のひらが地上へと向けられた。

 細く長い、集中の吐息が続き、それが、すうっと消え入るように止まる。ユウの呼吸も思わず止まる。

 轟断刀はどうか。目立った変化は見られない。

 クジャクも微動だにしない。

 感覚的にはそのまま、十分も二十分もたったかと思われた、そのとき。

 ぴいんと放たれたチャクラム数枚が周囲を旋回し、なにを思ったか、主の右の翼を、根元からバッサリとそぎ落としてしまった。

『ぐッ……うう』

『クジャク!』

 見ていろと言われたユウだが、とっさにクジャクの腕をつかんだ。なにしろ翼がなければ落ちてしまう。

 実際、クジャクの重みは百パーセント、カラスの腕翼にかかったが、

『ホ……?』

 それも一瞬のことだった。

 長い尾羽から解放されたすべてのチャクラムが絨毯を形成し、金色の足場となったのである。

『フ、フ』

『クジャク?』

 笑うような場面ではなかった。

 だが、ユウの手を逆に握り返してきたクジャクは、はっきりと笑っていた。

『どうだこれは。こうまでしなければあつかえん力とは』

『え?』

 見れば、滅多に見ることのないN・Sの体液が、こちらの腕にまでまみれついている。

 クジャクはさらにチャクラム一枚を使って、腹までもを横一文字に切り裂いていたらしい。

『なんてことを……!』

『フ、フ……だがこれで、上手くいきそうだ』

 クジャクの手のひらが、再び轟断刀に向いた。


 このとき地上のオリジナルL・Jたちは、互いが互いの重しとなるよう、ひとかたまりになって息をひそめていた。

 とにかく風が、轟断刀の屋根の外へ機体を引きずり出そうとする。

 落ちる雷の数と激しさは、モニターのノイズ量を見れば一目瞭然で、フェグダ以外のそれが、先刻から用を成していないほどだ。

 装甲同士をふれ合わせればクリアな会話はできるが、先の見えない待ち時間は、若い将軍たちを鬱々とさせた。

 特に、ギュンターとマリア・レオーネは、よくため息をはいた。

『あれ……?』

 その変化にまず気づいたのは、ララだった。

『動かない』

『あァ?』

 聞き慣れたライバルの声が日常を呼び戻したのか、次にギュンターが、どこかほっとしたような声を上げて操縦桿をがちゃがちゃとやった。

『将軍……!』

『うむ。カール・クローゼは、どうだ』

『動きません。ただ……』

『ただ?』

『故障と言うには、少し違うような気が……』

『将軍。もしこれが、あの天使の本当の能力なのだとしたら、私たちはとんだ思い違いを……!』

 このマリア・レオーネの指摘に対して、ラッツィンガーもそのとおりだと同意を示した。

 天使・電雷の力が、ただの電気ではなく、L・Jを行動不能におちいらせる磁場のようなものを発生させるのだとしたら、もはや鉄機兵団に打つ手はない。

 影響が光炉におよぶものならば、N・Sも、虎の子の飛行戦艦も同様だ。

『ふうむ』

 さすがにうなるラッツィンガーにクローゼが、

『ですが……』

 言いかけたとき、さらに次の変化が起こった。

 数多の雷を受け止め白く発光を続けていた天井、天使の轟断刀が、音もなく、重たげに持ち上がったのである。

 これは、天使がついにネズミを追い出しにかかったか。

 万事休す、か……。

 唯一生き残っているフェグダの視界がみるみる開け、

『ユ、ユウ?』

『え、ユウ?』

 クローゼは見た。

 誰に支えられることもなく空にそびえ立った巨大な刃と、十分な存在感を示しながらも意外に遠い、二体の異形の天使。

 そして地上に降り立った、青と黒のN・Sを。

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