第202話 春陽

 ダンダーゲンは帝都の西。領土拡大以前の、前グライセン帝国・西端領である。

 旧領の中では、もっとも他国からの侵攻を受けた土地であり、領主の住む平山城と家屋の他には平坦なライ麦畑が続く。なにしろ麦は育てやすい上に、踏みにもある程度強く、いざとなれば、その高い穂の間を這って逃げられるということで重宝されたのだ。

 ただ、そんな風景を残しながらも、現在のダンダーゲンは西端ではなく帝国内陸部であって、国土防衛のための出城や物見の多くは姿を消している。

「少しは残しておくべきだったな」

 と、暁闇に差す、哨戒灯の照り返しを受けながら、近来の戦装備としては珍しい、全身甲冑の身ごしらえも十分にラッツィンガーが言った。

 三日前の到着時、その足でおこなった馬上視察のおりにも、同じ言葉をつぶやいていた。

「戦のしようは変わったな、コッセル」

「はい」

 かたわらにひかえるコッセルもまた、哀愁深く微笑んでいる。こちらはその身に寸鉄も帯びていない。

「変わりました、まことに」

 と……。

 宿営地となっている、この平山城所属の地方騎士が、このとき、ひとりの若者を案内して西側城壁塔へと上がってきた。

 若者は、ラッツィンガー軍の通信士であった。

「定時の連絡です」

「うむ」

 答えたラッツィンガーにかわり、小さく折りたたまれた紙が、コッセルへと手渡された。

 コッセルは眉を下げてニコニコとして、

「探したでしょう」

「は?」

「我々をです」

「あ、いや……まぁ、少し」

 実は、ここ数日のラッツィンガーはどうも腰が落ち着かず、L・Jの整備へ向かったかと思うと、いまのように城壁塔へ上がり、なにをながめるでもなく、時をすごしたりしていたのである。

 それもすべて、やや十六年ぶりに参戦する戦のためなのだろうが、それにしても筆頭将軍らしからぬ。

「すまんことをしたな」

 苦笑いするラッツィンガーに、通信士のほうがあわててしまい、

「と、とんでもない!」

 敬礼もそこそこに逃げ帰っていってしまった。

「ふふふ、転ばなければよろしいですが」

「ふふふ……」

 そこでコッセルが紙を開き、目を通しはじめたので、ラッツィンガーはいま一度、数時間後には戦場になるだろう畑のほうへと目をやった。報告の中身をのぞき見ようなどという気はまったくない。

 ふう、と、白い息をはいて見る景色には、ぽつぽつと人家も見られたが、住民はすでに避難を終えている。

 土のにおいのする風が、城壁の下から吹き上げてきた。

「すべて予定どおり、と申し上げてよろしいかと」

「レッドアンバーはどうした」

「参ります」

「……うむ」

 あまりにもはっきり言われてしまったため、ラッツィンガーは二の句が告げなくなってしまった。それと言うのも今回の件、躊躇というわけではないのだが、どうも心中、複雑なものがある。

 だが、それがどういった心情で、どういう結末を望んでいるのか、ということになると、我が想いながらよくわからないのであった。

「閣下」

「む……?」

「まずは閣下が生き残られること。まだまだ、古い戦が求められることもありましょう」

「……少なくとも、やつの好きには、な」

「それ、そうしてすぐ熱くなられる。よろしいのです、そのようなことは」

「なに」

 ラッツィンガーはふり返り、老僕の顔を見やった。

 逆光を受けてはいるが、やはり、ニコニコとしている。

「コッセル……!」

 そのようなとは何事か、という意味を含ませ名を呼べば、コッセルはわびるように首をたれた。

 しかし、

「よろしいのです」

「なにがよろしいか」

「策とはそうしたものなのです、閣下。相手が動くからこそ、こちらの動きが生きてくる。駒の動かないチェスに勝ち負けなどありましょうか」

「国家はチェス盤ではない」

「たとえです。ほら、力を抜いて、さあさあ」

 コッセルにかかれば、いつまでも子どもあつかいだ。

 ラッツィンガーは、おのれがなさけなくなることがままある。

 これだから、同じような性質のクローゼに肩入れしたくもなるのである。

「なに、情勢は変わりつつあります。あの男の策が、さて、いままでどおり上手く運びますか、どうか」

「三つ巴か……レッドアンバーのシャー・ハサン・アル・ファルド、おまえは好人物と言うが、なかなかの奸物らしいな」

「是非一度、お会いいただきたいと……」

「なにを言う、コッセル」

 ラッツィンガーは大きな肩を揺らして笑ってみせた。

「口巧者には勝てん。これの目方を五キロ増やせと言われるほうがよほどいい」

 と、背に負ったグレートソードの柄を手のひらで叩き、

「おやおや」

「ふっふふふ」

 といったところで、それに申し合わせたように『全体起床』のラッパが鳴った。いよいよ戦がはじまるのである。

「スープなどご用意いたしましょう」

「頼む」

 戦へおもむく際には固形物は口にしない。ラッツィンガーの心がけを、コッセルはよく心得ていた。


 この戦いに参加するのは、聖鉄騎兵団四軍の長、ならびにそれぞれの所属中隊、計八百余名である。

 ただしこれには先ほどの通信兵や、整備などといった兵站業務をおこなう者まで含めるため、L・Jの数としてはそう多くない。

 この背景には、天使の相手となり得るのがオリジナルL・J、すなわち将軍機のみであるという事実があった。

 天使の残りは、轟断刀、火炎、電雷、旋風の四体。

 これに対して参戦する将軍機は、轟断刀、火炎、電雷、氷結であった。

『閣下。攻城弓、アディントン海岸砲、ともに準備よしとの報告が入っております』

『うむ』

『ギュンター様、くれぐれも迷惑などおかけになりませんように』

『うるせぇ! テメェは黙って見てりゃいいんだ、サリエリ!』

『閣下……』

『うむ、援護は頼んだぞ、アルバート!』

『ササ・メス、L・Jを持たんコッセル殿を守るのはおまえだ。職務を忘れるな!』

『ボンメル様のオルカーン、天使の監視を離れられ、こちらへ向かわれております。合流まで十分』

『ならば天使はもう見えるな』

『はい』

 空が、色薄く明けはじめている。

 だが鳥の声も聞こえない静かな朝だ。

 騎士たちは絶えず動きまわり、L・J隊も特段、隠密行動を強いられているわけではないのだが、それでもやはり全員が息を詰め、張り詰めた緊張感の中で活動している。それが、ラッツィンガーにはよくわかった。このあたりは訓練でどうこうできるものではない。

 経験を積んでも、慣れることはない。

『天使確認。総員、所定の位置へ』

 整備士、通信士たちが用意のコンテナ二台に分乗し、それを空戦用L・J隊が手分けして持ち上げる。退避先はコッセルのいる山城だ。

『ご武運を!』

『ラーゼのご加護を!』

 いまはまだ土ばかりのライ麦畑に、将軍機だけが残された。

 ……遅いな。

 クローゼは思った。

『来やがった……!』

 ギュンターが言った。


 それは、まだらに紫がかった西の朝雲の下、黒く横たわった切り絵のような小山の上端に、ぽつぽつと並んでいた。

 はじめて見るギュンターやラッツィンガーからすると、思いのほか小さな首である。それがよっつ。天使のものに間違いはない。

 それを将軍たちは、それぞれのメインモニターを通して見た。

 カメラを目一杯ズームにしてようやく見えたのだから、戦闘開始にはまだ間があるようだった。

『うむ。四機、確かにいるな』

 ラッツィンガーがシートベルトの締まりを確かめながら言ったところ、

『よく見つけたものだな、ギュンター』

 言わなくてもいいようなことを言い出したのは、マリア・レオーネだ。

『臆病者は目がさとい』

『あァ?』

 と、そこからは、いつもどおりの売り言葉に買い言葉。クローゼが止めに入る。

 戦は変わったな。時代は変わった。

 先ほどと同じ感想をいだきながらも、ラッツィンガーはなんとはなしに心強く、楽しい心持ちであった。

『……さて。では、行くか』

 三人の若将軍はぎょっとなった。

 なぜと言うに、天使はまだ例の小山から、上半身を見せただけにすぎなかったのである。いま進軍すれば、予定をはるかにはずれた場所で敵とかち合ってしまうだろう。

 そうなればどうなるか。

 当然、ラッツィンガーにわからないはずはない。

 だが、ラッツィンガーのL・J『轟断刀のドゥーベ』は、その、あまりの巨大さゆえに背に負うことさえできない剛剣を捧げ持ち、照覧あれとでも言うように天へと突き上げた。

『もとより策のない戦だ。いや、策のおよばんものにも頼もうという、な……』

 さあっと光が走り、将軍機の影が西の方、天使へ向かって長く伸びた。コクピットの中にまで染み入ろうかという、春の太陽である。

 垂直に立った轟断刀の引く影は他のなによりも遠くへ届き、まるで一本の道のようになった。

 そのとき強い北風が起こり、将軍機の頭の上を、大きな塊が通りすぎていった。

『来た……!』

 空飛ぶエイ。マンタ。

 待ちかねたというクローゼのその声を合図に、黒色のL・J、ドゥーベが出る。

『行くぞ! おくれを取るな!』

『……はい!』

 それでも天使は、どこ吹く風で向かってくる。

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