第196話 暗い暗い、腹の中で

「……あぁあ、バカしちゃったなぁ」

 ララはコンパネを叩いて、ため息をはいた。

 圏外。電波不通。

 おそらく、みっしりと覆いかぶさってきている、天使の厚い肉壁の影響だ。

 これまで意識的に見ないようにしていたメインモニターへ目をやると、カメラに押しついた灰色の筋肉繊維が、断続的にヒクヒクとうごめいているのが見える。気味が悪い。

 操縦桿を動かしてみると、重たい。

 もしかしたら、このまま肉の圧力に押しつぶされてしまうのかもしれない。

 だんだんと、腹が立ってきた。

「バカ!」

 まったく、とんだ大失敗をしてしまったものだ。

 天使の内部に突入したところまではよかったのだが、どこまで進んでもまったく手ごたえがないことについ不安を覚えてしまったばかりに、ほんの少し、本当にわずか数ミリ、操縦桿を操作してしまったのである。

 そのため突入時の勢いはそがれ、サンセットⅡはなにかに引っかかり止まってしまった。Ⅱへの改修の際に突進力を大きく削ってしまったことも、あだとなってしまったらしい。

「ああ、バカ……」

 本当にバカだ。ララはポーチを探って、キャンディ・バーを一本、取り出そうとした。

 お気に入りのイチゴ味。それがなかなか引き当てられずに、またイライラとしてしまう。

 もうどれでもいいやと適当につかんだ一本を頬張り、背もたれに身体を投げ出した。

 停止時に体勢がねじれたせいで仰向けになったサンセットⅡのシートは、リクライニングの具合だけ、ちょうどよかった。

「……ユーウー」

 こんなとき思い出されるのはその顔だ。

 今日は帰ってくるに違いない。

 今日でなくとも、明日には帰ってくるに違いないと待ち続けた顔。

「いま帰ってきたら、きっと、ものすごくカッコいいと思うよ?」

 伸ばした手は幻の頬をかすめて、ぱたりと腿の上に落ちた。

 むなしさも悲しさも、いまは胸にわかなかった。

「……あ」

 そういえば昔、同じように不快な場所で、同じようにユウのことを考えたことがあった。ラッツィンガーの息子、ジラルドに捕らわれたときのことだ。

 あのときは万事が上手くいった。

 ならば今回も、上手くいくはずだ。

「うんうん、よしよし」

 頭が冷え、気力が充実してきたところで、ララは再び操縦桿を握った。

 と……。

 これといった目的もなしに引いた操縦間の先に、なにか小さな手ごたえがあった。

 おや、と思い、今度は慎重に操作をしてみると、サンセットⅡの左ひじのあたりに可動空間がある。姿勢から考えるに、左のわきの下あたりか。コクピットハッチからも近い。

「なんだろ」

 天使につけた傷ならば、とうの昔にふさがっているはずである。

 と、いうことは……。

「……ええと……」

 ララは考えるのをやめた。胸部サブカメラの映像を見ればいいのだ。

 メインと違ってライトのないそれでは得られる情報も限られるだろうが、あれかな、これかなと無駄に頭を働かせるよりはいい。よっぽど建設的だ。

 コンパネを叩き、

「どれどれ?」

 モニターに顔を近づけた。

「ううん……」

 暗い闇の中に、桃色の、ぼわんとした、かすかな光の点が見える。

 カメラの倍率を上げてみると、それは肉ではない、なにか板のようなものの裂け目からもれているようだった。

「もしかして、光炉? ……ううん」

 サンセットⅡを走らせてきた距離を考えると、とてもそうとは思われない。

「じゃあ……」

 コントロール・ルーム。それとも推進剤の貯蔵室。その管理室。それとも、それとも……。

 ララは戦艦オルカーンやグローリエを参考にして、思いつくかぎりの施設、答えを探ってみたが、結局はまた首を振ってあきらめた。

 これはもう、行くしかない。

 最悪、あの光の正体が通路の明かりであったとしても、通路の先には出口がある。それかもしくは、どこかの部屋に着く。

 決して、損にはならないはずだ。

「よぅし」

 ララはポーチの中身を確認し、念のために、外気の状態にもチェックを入れた。

「問題なし、っと」

 ハッチの開閉スイッチを操作する前に、ふと止めた指を、ちょいちょいと額と胸にやり、

「ええと、お願いします、じゃなくて……」

 神に祈るときは感謝、感謝だ。

「えと、ありがとうございます。あの……いろいろ、よろしく!」


 シュ、と空気の抜ける音がして、ハッチが開きはじめた。

 まず感じたのは暖気。それも猛烈に湿度の高い暖気である。

 そして、ごつん、と、音がした。

「あれ……」

 ハッチの動作が止まってしまった。

 開いた隙間は、最大で五十センチ程度だろうか。そこから、ぐにぐに、と、うごめく天使の肉はのぞき見られたものの、それ以外のものは見出せない。

 音の調子から察するに、なにか肉というよりは他の、金属質の物質にぶつかってしまったように思われたのだが……。

 ララは暑さでなえかけた気力を奮い起こし、シートベルトをはずして、ハッチの隙間へ身体をねじこんだ。

「うん、しょ……と。あ、やだ!」

 手がかりを探してふれたサンセットⅡの外装甲が、ねっとりと天使の体液にぬれている。

 もちろん血ではない。

 血ではないが、ぬめった感じはよく似ている。料理のために肉を切ったときなど手がこうなる。

「うう、気持ち悪ぅ」

 ララはその透明の液体にぬれた手のやり場に困ったが、どうせこれからもよごれるのだからとあきらめ、ななめになったハッチの端をしっかりとつかんで身を乗り出した。

 ハッチの裏側でその動きを阻害していたのは、見覚えのある金の環だった。

「これ、クジャクの……」

 チャクラムのひとつである。

 そういえば、連れていけと言っていたような。

「動くのかなぁ」

 ララは、ぐっと腕を伸ばして、チャクラムにふれてみた。

 が、当然それは、金属として横たわることしかしなかった。

「……ふぅ、あっつい」

 ララはここでもあきらめた。

 とりあえず、早くするべきことをすませてしまおう。

 もう、息を吸い、はくだけでもつらい。熱湯を飲みこんだかのように胸が熱い。顔が熱い。

 ララはいったん、コクピットハッチ上の安定した場所に座り、ポーチをあさって光石灯を取り出した。

 手の甲で汗をぬぐい、慎重に、動きはじめた。

「ふぅ……ふ……」

 それからどれほどの時間がたっただろう。

 完全に狂った時間感覚は、もう何時間もここにいるかのような錯覚をララに起こさせていた。

 生温かい人工筋肉と、サンセットⅡの装甲にはさまれながら這い進み、例の裂け目まで到達したのが……。

 ……いつだっけ……。

 そしてその、五センチにも満たない裂け目から中をのぞきこみ、それが通路らしきものの天井部分であることを確認したのが……。

 ……うぅん、まぁ……いいや。

 とにかく中に見えた通路はアーチ状で、その壁は蛇腹ホースのような形状をしている。

 ララはいまその壁と向かい合い、折りたたみナイフ一本で格闘をしているのであった。

「えいッ……えいッ……!」

 それにしても、この硬さときたらどうだ。

 小さなナイフを振り下ろすたびに刃がこぼれる。ノコギリのように引いてみても、裂け目は広がらない。

 ただただ、汗がしたたり落ちる。

「はぁ……はぁ……」

 距離にすれば、ほんの一メートル向こう側。

 それが、恐ろしく遠い。

「これ、まずいかも……」

 先ほどから頭痛がひどい。耳鳴りもする。

 段々と、意識が遠くなってきた。

「一回、戻らなきゃ」

 と、立ち上がって、

「あ……」

 眩暈を起こして倒れこんだ。

「……う、気持ち悪い」

 これは天使が回転しているのだろうか。それともただ、自分の目がまわっているだけなのだろうか。

 ララは吐き気を抑えてうずくまっているうちに、ことり、と、意識を手放してしまった。

 その直前、金属製のハンマーを打ちつけるような音が、どこからか、聞こえたような気がした。

 

 ……それは、よく揺れる夢だった。

 右へ、左へ……。

 右へ、左へ……。

 なにか大きなものに包まれたララの身体が、目を閉じていても感じる陽だまりの世界の中で、ゆうらゆうらと揺れている。

 それが、とろけるほどに心地よく、ララはその見えない力に頬をすりつけて、離さないでと背中を丸めた。

 だが、なぜだろう。

 この心地よさの中には、なにかが足りない。

 そんなふうにも思えた……。

「う、うん……」

 額に当たる冷たさが、ララの目覚めをうながした。

「……ました」

 と、声が聞こえる。

 また冷たさが頬に当たる。あごの下に当たる。

「うう……」

「シュトラウス」

 と、ここでようやく目が覚めた。

「うん、と……」

 こちらをのぞきこんでくるこの目は、いったい誰のものだっただろうか。いや、それ以前に、シュトラウスとは誰だった……?

「意識が混乱しています」

「あ……えと……」

 その声の主を見て、ララの頭の霧が、すう、と、晴れた。

「シュナイデ?」

「はい」

 感情のない顔が応える。

 そしてそう、もうひとりの男は、

「ジョー」

「……うむ」

 黒覆面がうなずいた。

「え、ていうか……」

 自分の居場所を確認してみると、見慣れた機器類にかこまれている。サンセットⅡのコクピットだ。そういえば、天使の腹の中にいるのだった。

 外へ出て、のぼせて倒れた。そこまではいい。

 だがこのふたりは、

「なんでここにいるの?」

「シュトラウス」

「?」

 リニアシートのひじかけにつま先をそろえて置き、絶妙なバランスでかがみこんでいたジョーブレイカーが、そのとき、す、と立ち上がった。

 その頭上には、開きかけたままのコクピットハッチがある。

「カウフマンが戻った」

「……え?」

「カウフマンが戻った」

「……」

 ララはあまりに唐突すぎて、まったく言葉が出てこなかった。

 もしかすると自分はまだ、夢の中にいるのかもしれない。

「ここで動かず、やつを待て」

 そう言ったジョーブレイカーは物音ひとつ立てずに姿を消した。

「どうぞ」

 と、シュナイデが、よく冷えたドリンクボトルを差し出してきた。

 このふたりはやはり、夢の世界の住人であるに違いない。

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