第195話 天使・神速

 その二日後……。

 マンムート二号車のもとへも、天使『超光砲』が破壊されたという情報がもたらされた。

「やれやれ、これでまず、ひとつの脅威は去ったわけだ」

 と、安堵したのも束の間。

『アレサンドロ君、なにやら嫌な予感がするぞ!』

 と、言い出したのは、疲れも見せずに泳ぎ続けるマンタである。

 マンタは、ただでさえ大きな声をさらに張り上げ、

『においがする、妙なにおいだ!』

「におい……?」

『むむむ、我輩もひさしぶりのこの予感。サメか、そう、はたまたシャチか……!』

 そこで、アレサンドロとハサンはすぐさま警戒態勢を敷き、遠方に対する監視を強化した。

 無論、この場合は天使の襲来を第一に想像しなければならない。

「やつら、来るか?」

「そろそろ来てもいいころだ」

「なにが来る」

「さて……残っているのは火炎、電雷、旋風、神速、そして轟断刀。なにが来てもそう大差はない」

「しかし超光砲のやつ、随分と簡単に倒されやがったな」

「それは我々が知らんだけで、鉄機兵団の犠牲は万にもおよぶのかもしれん。一を聞き十を知った気になるのは感心せんな、アレサンドロ」

「……チ」

「とにかく、できることも少ないが、やれるだけのことはやっておかねばならん」

「ユウのやつも、遅えな。またなにかあったのか……」

「いない者に期待してもはじまらんぞ」

「そりゃ、わかってるがよ」

 フフン、と、アレサンドロの肩をひと叩きしたハサンは、ブリッジへと駆けつけてきたララたちに打ち合わせどおり行動するよう指示を与え、自身も屋外の仮L・J格納庫へと上がっていった。我が目、我が耳で、マンタの言う、そのにおいというものを確認しようというのだ。

 サンセットⅡ、シューティング・スターのデュアルアイに光がともり、整備班が続々と撤収を開始する中、ハサンは瞬時に凍りついてしまった口ひげを手のひらの熱で溶かしながら、

「……なるほど」

 手すりから身を乗り出した。

 しめり気を帯びはじめた晩冬の風鳴りの中に、確かに、これはと思うものが含まれていた。

「東だな、マンタ君! つまり、いまは追いかけてきている!」

『そのとおり!』

「少し高度を下げようか!」

『おお、いいとも』

 マンタの黒く艶のあるヒレが波打つように傾き、すうっと、地上の景色が近づいた。

 落差にして五、六百メートルは下降したはずだが、二号車の車内では水もこぼれない。ハサンの口から、感嘆と満足のため息がもれる。

 マンタは得意げに、頭部先端のヒレを上下に振った。

「これをキープだ! わかっているだろうが、戦闘に参加してもらっては困るぞ?」

『ううむ、よしよし』

「……ああ、音が変わった、こちらを見つけたな。出てくれ、クジャク君! やつは近いぞ!」


 その天使は、チェスの駒のような身体を前のめりに傾け、晴天の真昼の空を、突進するようにして現れた。

 武器は持っていない。

 特別目立つ装飾も、砲筒のたぐいもない。

「さて、轟断刀ではなさそうだが……」

「神速か?」

「まぁ待て、クジャク君が仕掛けるぞ」

 手すりにつかまり、やきもきとして遠眼鏡をかかげていたアレサンドロと裸眼のハサンの目の先を、青い翼の美しいN・Sが飛んでいく。

 クジャクとしても無論、自身が斥候であることは百も承知の上であり、長く長く伸びたマンタの尾の先あたりに静止すると、尾羽を開き、念動チャクラムを放出した。

 小さな光輪が、チラチラとまたたきつつ、巨大な敵へと向かっていく。

 それが天使の灰色の皮膚にまぎれ、見えなくなったところで、天使が腕を振って嫌がるような素振りを見せた。

 そこからさらに注視していると、その手の動きは見る間に大振りとなり、上下運動中心であったものが左右にも回転をはじめ……ついにはなんと全身ごと、コマのように大回転をはじめたものである。

 ハサンはここで、どうも『神速』のようだ、などと、のうのうとアレサンドロの言葉を肯定した。

「あの巨体でどう神速を演出するのかと思えば、なんだ、なんのことはない。ぐるぐるとまわるだけか」

「いやいや、ちょっと待て、こいつはまずい。あの勢いでぶち当たったら、マンタもなにも粉々にされちまう!」

「ああ、そのとおり。だから、なぁ、アレサンドロ」

「ああ?」

「残念ながら、おまえの出番は今回もお預けだ」

 ……この野郎、予定調和だな。

 アレサンドロは思ったものの、状況が状況だけに、うなずかざるを得ない。

 ハサンはなにやらうれしげに、ぽんぽん、と、その肩を叩いた。

「さて……」

 腕を開き、十字の形となって回転する天使・神速の立てるすさまじい音が、いよいよ激しさを増してきた。

 距離としては、まだ、かなりのへだたりがあるのだが、なにしろ存在感が突き抜けている。マンタも必死になって大気をかく。

 しかし離せない。

 むしろ、近づいている。

『あたしたちも行くね!』

『ほらほら、リーダーさんたちは中へ入った入った』

 ララのサンセットⅡと、それに抱きかかえられたテリーのシューティング・スターもまた、揚々と飛び出していく。

 マンタの背の、尾のつけ根とも言える場所に放り出されたシューティング・スターが、

『うわぁい』

 と、まぬけに転がり、這いつくばるようにして伏射姿勢を取るのが見えた。

「ジョーブレイカー君たちも、ああ、ともに行ったようだな。よし、N・Sを呼び出せ、リーダー君。……フフン、そう妙な顔をするな、万が一ということもある。準備だけはしておけと、まぁそういうことだ」

 ハサンは言って、アレサンドロより先に、N・Sを呼び出した。

 そのN・Sコウモリも、主に置いてきぼりを食わされたナーデルバウムも、天使を前にしたクジャクも、サンセットⅡもシューティング・スターも、どれもこれもがせまり来る敵に対してあまりにも小さく、アレサンドロにはハサンの言う『万が一』が、『百にひとつ』、『十にひとつ』、あるいはもっと確実に起こり得る事象であるかのように感じられた。

 ……早く戻って来いよ、ユウ。

 そう、強く思われてならなかった。

『アーレサンドロー、なんならおまえは中で待っていてくれてもいい』

「なに、冗談じゃねえ」

『ならば早くしろ。空へ弾き出されるぞ』

 アレサンドロはかぶりを振って、ハサンに続いた。


 さてその閃光とともに立ち上がった白銀のN・Sを見て、

『……はぁ』

 肩を落とした者がいる。

 言うまでもなくテリーだ。

『まぁ、今回ばかりはしょうがないか。どこにいても同じことだしね』

 と、この男はアレサンドロのように悲観こそしなかったが、より絶望的にこの状況を捉えていた。

 なぜならば……、

『ん? なんか言った?』

『なんでもないよ、ララちゃん。とりあえずほら、頑張ろうって話』

『ふぅん。ていうか、そう思うなら超光砲くらい用意しなよね。全財産をはたいてさ』

『てはは』

 と、そのとおり、このマンタには天使に対抗できるだけの武器がないのである。

 帝国の戦艦が持つ大口径の艦砲とは言わない。せめて攻城弓の何基かでもあれば違うだろう。

 しかし悲しいかな、ここにあるのは優秀なL・J、N・Sがわずかばかり、と、それだけなのである。

 では、武器がないならばどうするか。

 温存している手駒を取り崩していくしかない。

『あ、またなんか、うしろ向きなこと考えてるでしょ』

『うん、まぁね。俺としては現実的と言ってもらいたいとこだけど』

『はいはい、じゃ、援護よろしく』

『気をつけてよ、ララちゃん』

 これからララのサンセットⅡは、天使の光炉に風穴を開けるべく捨て身の特攻をおこなう。まさか身体に気をつけてなどいられない。

 とはいえ、ふたりは悲壮感をにじませることもなく、ごく自然に笑顔をかわし合った。

 むしろこれが、他の騎士とは違う成り立ちを持つふたりの、平常であると言えた。

『いやしかしこいつ、本当に頑張ってどうにかなるなら楽なんだけどなぁ』

 戦力差で言うならば、これはさながら超光砲のメラクとシューティング・スターの戦いだ。

 質量しかり。装備や、メンタルしかり。

 テリーの目には、天使・神速が、みるみるメラクに見えてきた。

『ううう、いかんいかん。テリーさん、おたくはトラウマなんてかかえるキャラじゃないでしょ』

 テリーはひとつ身震いをして、シューティング・スターのボルトアクションを、少しキザに決めてみせた。

『ねぇ、ララちゃん。ああぐるぐるとまわられちゃあ、狙えるものも狙えないよ。もう少し、じっとさせられない?』

『はぁ? 援護の援護しろっての?』

『いいじゃない。どうせあの状態じゃあ、ララちゃんだって光炉のとこに近づけない、でしょ?』

 サブモニターに映るララが、面倒くさそうにまとめ髪を払った。もちろんこれは仕方がない、やってやるかの仕草だ。

『ちゃんと仕事はしてよね』

 シューティング・スターからはやや離れた位置、一直線に伸びるマンタの尾の中ほどあたりでスラスターを噴かしていたサンセットⅡが、直後動いた。

 ド、ド、と。

 まばゆいばかりの噴射炎が、天使を無視して上空へと走っていく。

 そのあとを、クジャクの青いN・Sが追いかけていく。

『ララ、まだ早い。無茶をするな』

 ララは高速飛行の得意でないクジャクのために若干スピードを落とし、それが追いついてきたところで、テリーの援護をしてやるのだと返答した。

『策はあるのか』

『うぅん、策っていうか、ほら、あれってコマじゃない。真ん中の、ぼっこを叩いたら止まるかなぁって』

『つまり軸である胴体をということか』

『うんうん』

『その方法は』

『え?』

『叩く方法だ。まさかその槍でつつこうというのではないだろうな』

『だ、だって、それ以外にないし! あぁあ、ほらもう時間ない!』

 天使の起こす風圧で、マンタの尾が不自然にたなびきはじめている。ぐらぐら、ふらふらと、舵取りもつらそうだ。

『他に方法があるなら聞くけど!』

 イライラとして叫ぶと、

『……いや、ないな』

『だったら』

『俺が行こう』

『ええ!』

『俺が行き、テリーが行く。おまえはそのあとだ』

『ちょっ、クジャク!』

 クジャクは空の真ん中で、くるりと足を持ち上げ、逆立ちとなった。

 回転の中心となっている天使の頭頂部が、ここからはよく見える。一見すると止まっているようだが、どうも腕の振りに合わせて頭ごと回転しているようだ。

 目のまわらない機械だからこそできる芸当だな。

 クジャクはひそかに、にやりと笑い、静かに顔の前で刀印を結んだ。

 ここへ来るまでに時間はたっぷりとあった。あの神速のベネトナシュとの戦いで可視化させた、『気の流れ』。あれを再び見るために、よく考え、よく心を整えてきたつもりだ。

 まず、見ようとしてはならない。

 そして、むやみにあやつろうとしてはならない。

 すべて自然のあるがまま。明鏡止水。

『……さあ、俺に力を貸してくれ、N・Sよ』

 一介の鳥であったころの自分と、魔人として転生したいまの自分とをつなぐミッシングリンク、N・Sよ。

 クジャクは自らの気の充実を感じたところで静かに視界を開き、

『……ふ』

 願ったほどの変化がいまいち現れていないことに、若干、失望した。

『ふむ……だが』

 予感はある。熟しかけている。

 クジャクは深く息を吸って、チャクラムを四方の空へと放出した。

 鋭く輝く円盤が、風切音に乗り、軽やかに駆けていく。

 二枚が四枚、四枚が八枚と寄り集まり、それらはずらりと連なって、巨大な、直径にして二十メートルはゆうに超えようかというひとつの金環となった。

 金環は、天使に負けじとその回転を早くして、ふとこちらを見上げた無機質な顔面へと切りかかった。

 このとき天使は、機械の身ながら驚いたのに違いない。

 金環を払うために動きを止め、そこを、シューティング・スターの弾丸に襲われた。

 弾丸は天使の左目にパシパシと命中し、傷にこそならなかったが天使を嫌がらせた。

 そして……。

『ララちゃん!』

『わかってるっての!』

 と、いまこそ、ララの出番である。

 ララのサンセットⅡは、オルカーンの機銃によって穿たれた弾痕がいまだに残るシールドを投げ捨て、スピナーの柄を、両手でしっかと握りしめた。

 目標は、天使の上半身と台座の境目。

 埋めこまれた光炉が、どれほどの大きさのものか知らないが、少し傷つけるだけでも効果は得られる。セレンいわく、デリケートさでは他の機関の比ではない。

『ララ、連れていけ!』

 疾走を開始したサンセットⅡの周囲に、天使の腕を切りつけ再び散開したチャクラムたちが集まってきた。

 それはさながら、サンセットという名の巣を守るミツバチのようであり、実際ララの座るコクピットには、それに似た羽音のようなものが、わんわんと響いた。

 天使が大仰に腕を広げ、またしても回転をはじめようとする。テリーの弾丸が続けざまに命中したが、これはもはや抑止力とはならない。

 予備動作とも言うべき腕の逆振りを、すんでのところでやりすごしたサンセットⅡの手の中で、鋼のスピナーがうなりを上げる。

 ララは来るべき衝撃にそなえ、リニアシートへと背を押しつけた。

『くっ……!』

 スピナーの先端が、天使の皮膚装甲に突き立った。

 灰色の肉が弾け、予想外に柔らかい皮下組織があらわとなった。ララは瞬間、その組織に拒まれるどころか、むしろ飲みこまれていくかのような感覚に捉われた。

 スピナーの回転に合わせて、肉がまとわりついてくる。

『フン! 上ッ等!』

 もうどうせ止まらない、止められない。

 ならばこの勢いにまかせて行くだけだ。

 赤い砲弾サンセットⅡはスラスターの勢いを殺すことなく内奥へと侵入し、幾枚かのチャクラムがそれに続く。

 そしてそのまま……、

『ララちゃん?』

 外へ飛び出してくることはなかったのである。

『ララ……!』

 通信室に詰めていた、セレンの手が止まる。

 まさか閉じこめられてしまったのか。

『ララちゃん……ッ!』

 天使の硬い口もとが、わずかにほころんだように見える。

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