第197話 動揺

 ユウが戻ってきた。

 ララを驚かせたその知らせは、無論、真実である。

 エディンとの対決。その復活の目撃。カイ・ライス率いる赤い三日月の集団との出会い。大神殿をかかえる町、フェローの危機。そして、天使・氷結の撃破。

 様々な曲折をへてきたユウは、ちょうど、ララが天使への突貫を仕掛けた直後に、戦場であるトレーニ高原の中ほどへと到着したのであった。

「あれだ……!」

 ユウはこのとき、カイ・ライス一行の先頭馬車へ乗りこみ、手綱を握っていた。

 フェローからここまで、ろくに休みも取らずに走り詰めてきた馬も車も、くたびれきって傷みが出ている。御者台が上下左右に激しく揺れるのは、なにも道なき雪道を駆けていることだけが原因ではないだろう。

 ユウは振り落とされないよう立ち上がると、後続の馬車へ手信号を送り、ここで止まるよう指示をした。

「カイ!」

 一行のリーダー、カイ・ライスは、二台目の御者台で、天使に釘づけとなっていた。

「カイ、俺は助けに行く! これ以上、あいつに近づくな!」

「わ、わかった!」

「行こう、モチ」

「え、いつでも」

 ユウはモチを抱きかかえ、人の背丈ほどの高さを飛び降りた。

 ぐず、と足底が沈みこみ、ついた片ひざに冷たい水の染み入る気配がする。春が近い。

 この戦がはじまったころは、春のことなど考えてもいなかった。

「ユウ、天使は」

「いまはジッとしてる。誰かの攻撃が当たったのかもしれない」

「ならば、いまのうちに急ぎましょう。なに、彼らのことならば心配はいりません。エディン・ナイデルならば、我々か、アレサンドロを狙うはずです」

 なぜか棒立ちとなったままの天使は、N・Sを呼び出す光にも気づいた様子がない。

 ホウ、と、ようやく目のひらけたモチが、感心したように、そしてあざけるように息をはき出した。

『あなたはどう思います。あの天使の、能力について』

『たぶん、『神速』じゃないかと思う』

『ホウ』

『地面が荒れてない。火炎や電雷ならそれはおかしい。超光砲だとしたら、あんなに近づく必要もないはずだ』

『……フム』

『とにかくマンタに乗りつけよう。ハサンがどういうつもりなのか聞かないと』

『了解です』

 N・Sカラスは、それでもカイ・ライスたちに注意が向かないよう天使の死角を大まわりに旋回し、いったん地上近くまで高度を落とすと、距離を取ろうと一生懸命に泳ぎ続けるマンタの真下から素早く上昇した。

 マンタの背の上の、二号車の屋上に、N・Sオオカミがいた。

『ユウ!』

『アレサンドロ!』

 互いにN・S越しであるとはいえ、実にひさしぶりの対面である。

 これほどの長い期間をくわしい消息もわからぬままに別れてすごしたのは、ホーガン監獄島以来か。

 しかし、天使・氷結の遺した、

『またね』

 という言葉に追い立てられていたユウは、あのとき感じた以上に深く、深く安堵した。

『無事で、よかった!』

 ここでユウはもちろん、アレサンドロも同様に喜んでくれるものだと思っていた。

 だが、違った。

『ユウ、すまねえ!』

 と、自分自身を殴りつけんばかりに拳を振り上げたアレサンドロは、開口一番、謝罪を口にした。

 ララが、天使の腹の中にいる。

 ユウは愕然とした。

『すまねえ、ユウ。俺が行かせた。天使をやるにはそれしかなかった!』

『……』

『まだ間に合うかもしれねえ! 早く、クジャクたちのところへ行け! 早く!』

 このとき爆発的にふくらんだ言い知れぬ黒い感情ときたない言葉を喉でせき止め、N・Sカラスは顔をそむけた。

 わかっている。悪いのは自分だ。アレサンドロに非はない。こうなって欲しくなかったのならば、もっと早く帰ってくればよかったのだ。

 あと三十分。思い返せば、削ることのできる時間は十分にあったはずだ。

 長く息をはき出し、頬を二、三度張れば、翼と尾羽の逆立っている気配がする。

 クジャクとテリーは、マンタの尾のつけ根のあたりだ。

 なにも言わずに、モチが翼を振るった。

「……やれやれ」

『ハサン……、ユウが戻ったぜ』

「ンン、知っている」

『セレンはなんて言ってた』

「いかんな。サンセットとは音信不通。位置も不明だ」

『……チッ』

 ブリッジと屋上格納庫とをつなぐハッチを這いのぼってきたハサンは、いったん、しまいこんでいたN・Sコウモリを再び呼び戻し、それに乗りこんだ。ララの消息と状況確認をするために、屋内へ行っていたのである。

 無論この男は抜かりなく、テリーとの交信もおこなってきていた。

『どうも、ジョーブレイカー君に頼むことになりそうだ』

『……そうか』

『あとは待つしかあるまい。あれが戻ってきたことでまたツキも変わる。だが、それにしてもアレサンドロ』

 コウモリは落ち着いていた。少なくとも、アレサンドロにはそう見えた。

『おまえは、もう少し上手く私を使え』

『なに?』

『以前にも言ったはずだぞ、ダイヤモンド。いくらでも私のせいにしろとな』

 アレサンドロは、この忠言を無視した。


『彼氏さん!』

『戻ったか』

 テリーのシューティング・スターとクジャクは、文字どおり飛び上がってカラスを出迎えた。

 あれ以降、天使は大きな動きを見せていない。ただただ、マンタを追いかけてくるのみだ。

 あるいは人工知能ともいえるものが、サンセットⅡを呑みこんだ影響を計算しているのかもしれなかった。

 とにかくユウたちには、話し合う時間が許されていた。

『ララは』

『ダメ。ああ、通信のほうがね。L・J自体は無事だと思うんだけど』

 と、テリーの声にはどこか張りがない。クジャクについても同様である。

『ハサンはこちらにまかせると言ってきたらしい。状況がわからんいま、やつも作戦を立てきれんのだろう』

『とりあえず、ジョーさんたちに乗りこんでもらおうかって、ねぇ』

 そのとき、ユウは気がついた。

 シューティング・スターの足もとに、ジョーブレイカーとシュナイデの姿がある。

 どちらもL・J、N・Sのない生身ながら寒さに震える様子もなく、時折吹く強風にあおられるシュナイデの細腕を、仁王立ちしたジョーブレイカーが、しっかりと握りしめている。

『ジョー』

「……うむ」

 ジョーブレイカーは、皆まで言うなとばかりにうなずいた。

『しかし、彼をどうやって送りこみます。私たちはあの天使を間近から観察しましたが、内部への侵入路のようなものはありませんでした』

『まぁ、そこはアレだよ、おモチさん』

『アレ……?』

『俺のライフルか、クーさんの輪っかか』

『まさか、それに乗せて打ちこむわけですか。とても正気の沙汰とは思えません』

『でもそうも言ってられない状況なわけよ、いまは。急がないと天使の腹の中でなにが起きるかわからない、でしょ?』

『……ム』

『できれば大将としても、ジョーさんは使いたくないだろうけどね』

 と……。

 ここでクジャクが突如顔を上げ、天使をかえり見た。

 りんりんと、それまでただ風に揺られていただけであった腰のチャクラムの束が、なにかに反応して震えている。

『どうしました?』

『……ララが、ふれた』

『え……?』

『チャクラムにだ。俺は……チャクラムを連れていかせた……』

『ホウ?』

『……あ!』

 ユウは、はたと手を打った。

『N・Sと魔人はつながってる!』

『はぁ?』

 テリーが間抜けな声を出し、ご丁寧にシューティング・スターにまで『?』のジェスチャーをさせたが、いまはそのようなことを、いちいちとがめている暇はない。

 N・Sと正当な所有者とは魂がつながっている。つまり、機体と離れ離れになろうとも、いまどこにあるか、どのような状態にあるか、どのような外的接触を持っているかというようなことがわかるという、そのことこそが重要なのだ。

 クジャクはN・Sの一部であるチャクラムを通して、ララを感じたのである。

『場所は!』

『あの腰飾りの奥だ。くわしくはチャクラムに案内させよう』

『頼む』

『ちょっと待った待った。なに、ララちゃんの居場所がわかったわけ?』

『そうだ。生きている』

『いや、生きているって……はぁ、うぅん』

 テリーはひとうなりし、

『これだもんなぁ。じゃあまぁ、うん、いまいち、よくわかんないけど、穴は俺が開けるよ。ジョーさんとシュナイデちゃんは輪っかに乗って、そこから突っこんで』

「承知した」

『彼氏さんたちは……』

『あいつを引きつける』

『さっすが、わかっていらっしゃる』


 ユウには考えがあった。

 基幹部分が機械である天使は、あらかじめ入力されたプログラムから大きく逸脱することはない。だが、人はどうだろう。

 エディンを呼び出すことができれば、がむしゃらにマンタへと向かっていくだろうその目標を、自分へと変えることができるのではないか。

『フム……』

 短い沈黙ののち、モチもまた同意した。

 すでにマンタを離れ、とにもかくにもと天使へ向かいつつあるその翼は、いつもと変わらず力強く風を打っている。

『ここでリスクの話をしていても仕方がありません。やりましょう。天使を止めるためには、どうしても、あの男のいたぶり心が必要です』

『ああ』

『あなたはあまり、腹を立てないように』

『……わかってる』

『……ム』

 天使が動きはじめた。

『……あちゃあ、もうちょっと、じっとしといてくれたらよかったのに』

『テリー』

『うん。ま、狙ってみるよ。クーさんは、ジョーさんたちをお願い』

『……わかった』

『できれば穴を開けるところに、目印をつけてくれたらうれしいんだけどなぁ』

『やってみよう』

『あああ、彼氏さん、頼むから無茶はしないでよ。おたくが死んだら、元も子もなくなっちゃうんだから』


 いまでは距離をへだててしまったL・Jから発せられたこの呼びかけが、N・Sまで届くことはもちろんなかったが、ユウとて無論、命を落とすつもりはさらさらなかった。

 なかったが、しかし、天使相手の武器としては少々心もとない借り物のバトルアックスを握る自分の姿は、ひどく頼りないものとして皆の目に映っているだろうとは思っていた。

 新しい太刀は、まだ届かない。

 モチは目覚めた天使の鼻先へ、大胆に近づいていった。

『エディン!』

 天使は、カラスを見もしなかった。

 腕を持ち上げ、再び回転をはじめようとするその視線の先にあるのはマンタだけ。もう、ユウもアレサンドロもどうでもいい、そう、のたまっていた憎らしい声を思い出す。

『くそッ……エディンめ』

 ユウはモチと呼吸を合わせ、天使の回転が早まる前に、その額へと取りついた。

 エディンとの回線がつながったときのみ光るらしい赤色ランプがそこに埋めこまれているが、言うまでもなく、ともってはいなかった。

『エディン! ……エディン!』

 天使の頭がぐるぐるとまわり、周囲の景色が目まぐるしく移り変わっていく。

 ユウは叫びながら、バトルアックスの柄頭でランプを乱打した。

 おそらく、どこかで聞いているはずなのだ。

 フェローで現れたときそうであったように、常に監視しているはずなのだ。

『エディン!』

 ランプにヒビが入った。

 風圧で翼がねじれるほどに、その時点での自転速度は、すさまじい域に達していた。

 ほんのわずかな取っかかりにすがり、吹き飛ばされまいと耐えていた指先が、このときついにはずれてしまった。

『くっ……!』

 カラスの身体には、いまや十二分に遠心力がかかっている。体勢も無様に空へ放り出され、そこをさらに天使に平手打ちされてしまっては、もうどうしようもない。

 カラスは弾かれたというよりも射出されたかのように宙を走った。

 それが上方向にだったのか、下方向にだったのか。だが、あっという間に地面はそこにあり、受身を取る暇もなく、ユウの全身に衝撃が走った。

『……ツ』

 とにかくはじめに思ったのは、生きているのかということだった。

 二度三度と地面をバウンドし、嫌というほど転げまわされた。

 手足は無事なのか。翼は無事なのか。

『モチ……?』

『……』

『モチ』

『……いえ、失礼。息が、詰まってしまったもので』

『ああ』

 ユウは深く息をつき、脱力した身体を押して立ち上がろうとした。

 両手を突っ張り、うつぶせになった上半身を持ち上げると、それ相応の痛みはあったものの、五体は一応、満足なようであった。

『飛べるか』

『え、おそらく。しかし、少々考えなしでした』

『……ん』

 まったく、そのとおりである。

 肩甲骨のあたりがぐるりと動き、翼が試運転するように羽ばたく。

『これは、ハサンの言う優先順位というやつです』

 と、モチが言ったそのとき、ふたりの頭上を、マンタが大きな影を残して通りすぎて行った。

 続いて天使。

 マンタの後部で、ぱちぱちとまたたいている光は、おそらくテリーのライフルから放たれているものなのだろう。だが、その銃弾がどこへ当っているのかというところまでは確認できない。大きな効果もないように見える。

 我々は、と、モチが神妙に言った。

『我々はどうも、エディン・ナイデルにこだわりすぎていたようです。エディンはエディン、天使は天使。我々はまず純粋に、あの兵器の足を止めることだけを考えるべきでした。それもより、リスクの少ない方法で』

 カラスの身体が浮き上がった。

『あの男を利用しなくとも止める方法はきっとあるはずです。そのためにも、頭を使わなければなりません。あの傷つかない天使を傷つけるために、我々が狙うべき場所はどこなのか。それは……』

『天使の、機械の部分……?』

『そう。いわゆる、ブースターというやつです』

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