第189話 大同団結
『へぇ』
全身全霊をこめたカラスの体当たりは、そのまま行けば町の大半に降りかかったであろう凍結液の軌道を、わずかながら変えた。変えることができた。
きらめく奔流はフェローの東へ飛び、巨大な氷の塊となって地表へ突き立ったが、幸い市壁の内側には大きな影響を与えなかったようだ。
しかし息を入れたのも束の間、今度は天使の、左の腕が持ち上がる。
『邪魔だよ、カウフマン』
『く、そ……ッ!』
『そうして頑張れば、彼がほめてくれる?』
『黙れ!』
『また黙れ。みじめ、みじめ。う、ふふふ……』
そのとおり、カラスはみじめで、無力だった。
天使の腕を押しのける。ひとまず町が救われる。またしても天使の腕が町を狙う。その腕を、また押しのける。
こんなものは戦いとはいえない。どれほどこれをくり返そうと、事態の打開ができなければ意味はない。努力点などというものは存在しない。
いつかは必ず疲れはて、無念の涙を流すこととなるのだ。
では、あきらめるか。
そんなわけにはいかない。
『……怖いかい、カウフマン』
『え……?』
『この天使が両手を使いませんようにと、ねぇ、祈っているのだろう?』
『エディン……!』
『ああ、不思議だ。君を引き裂いてやりたいと、ずっと思っていたはずなのに、やっぱりいまはもう、虫にしか見えない。その忌々しい鳥にしても、哀れみしか感じない。ああ本当に、君をからかうのにも飽きたよ、カウフマン。君ときたら、まったく、つまらない人間だ』
と……。
ついに、ふたつの噴射口が、照準を定めるべく同時に動いた。
『やめろ! エディン!』
『ああ、つまらない。なんて陳腐な台詞』
『ユウ、左へ行きます』
『駄目だ、両方、両方止めるんだ!』
『無理です、間に合いません!』
自分の意思に反して身体が流れ、カラスは巌のような天使の左腕へ、体当たりを決める形となった。
ひどく不格好な体勢でぶつかったがために、強烈な痛みと冷気が左半身を走る。
だがそんなことよりも町だ。町はどうなった。
パッと振り向いたユウの目に映ったのは、以前と変わらぬ、屋根の連なりであった。
フェローは、守られていたのだ。
『……どうして』
まさか、エディンが手心を加えた、などということはないだろう。
ふたりはその原因を探し、そして、目を見張った。
『ホウ、これは……!』
天使の右腕に飛行型L・Jがかぶりついている。それも一機ではない、十数機もだ。
それらは翼型スタビライザーをそなえた二〇〇系L・Jをベースとしながらも、金糸で紋章を縫い入れたマントを羽織るなど多分に装飾的で、頭の先からつま先まで、フレッシュグリーンに輝いていた。
フーン神殿の神兵たちだと、ユウにはすぐにわかった。
『N・S! 私は、フーン大神殿神兵長、サミー・ブラックバーンである』
と、これは、頭頂部のとがった隊長機である。
若い男だ。声には活力がみなぎっていて、いまこのようなときには実に頼もしい。
『君にまかせるような形となってしまったこと、このとおり謝罪する。なにぶん、ご領主殿が出撃を許さぬと言ってきたのでな』
『神兵長様、それは……』
『なに、構うものか』
他の神兵からのたしなめを、ブラックバーン神兵長は心底失望した口ぶりで一蹴した。国家的には罪人であるユウだが、どうもこの男は好意を抱いてくれたものらしい。そしてそれはつまり、温順で知られたフーンの大祭主が、レッドアンバー一派についての過激な発言をひかえてくれている証拠でもある。
これがもし騎士に近い太陽神殿や火神殿、鋼神殿の神兵長であったならば、浴びせかけられる言葉は聞くに堪えない辛らつなものであったことだろう。
『やつらめはおのれが助かればよいのだ。真っ先に神殿へ駆けこみ、扉を閉めろ、L・Jを出すな。まったく、恥を知るがよい!』
『神兵長、大祭主様は!』
頭に血をのぼせかけていたブラックバーンは、ユウの言葉を感服のため息で受け取った。もちろんこの間にも、L・Jたちは抜群のチームワークで天使の腕を押さえこんでいる。
『猊下のお身体をまず案ずるとは、なかなかの心がけだな。そう、猊下におかれては、月例祭のために帝都へお入りになられている。いまこの事態を耳にされれば、さぞやお心を傷められることだろう』
すると、それと聞きつけたエディンが、
『なぁんだ』
残念ぶって言った。
『猊下を神の御許へお届けしようと思っていたのに』
『黙れ……神敵ぃッ!』
激昂したブラックバーンのL・Jが、猛烈にスラスターを噴かして天使の顔面へせまった。
国の敵はそのまま神殿の敵ではないが、神の敵はまぎれもなく敵である。
神殿と祭壇、神の威信を穢す者。そして、神の愛する民をおびやかす者。
『フーンよ、我に力を! 我、御身になりかわり神罰を与えん!』
コクピットのブラックバーンは、彫刻のごとしとたたえられる端正な面を憤怒の形相と変え、女性神徒から、せめてそのひとすじなりともと求められる自慢の金髪を振り乱して叫んだ。
剣を抜き、天使の額に光るランプを目がけ、一閃。
『む……!』
弾かれた。
神兵たちを振り払った巨大な手が、ブラックバーンのL・Jを狙って、ぐうっと持ち上がった。
『神兵長様!』
『来るな! フェローを守ることが、我らに与えられた天命ではないのか!』
この言葉は完全に自分を棚に上げていたが、神兵たちの行動を思いとどまらせるには十分であった。なにしろ実際、手の届く距離に町は広がっているのだ。
そうしておいてブラックバーンは、意外にも危なげのない、スマートな操縦桿さばきで回避を見せると、またふた振り、三振り、天使の指へ向けてL・J用の長剣をきらめかせた。
やはり結果は、同様であった。
『ええい、小癪な!』
『う、ふふ、ふふふ……』
『エディン!』
『んん?』
このとき、蚊帳の外へ放り出されていたカラスの一撃が、これ以上ない形で大天使の額へと決まった。
得物は、サンセットⅡの高周波ナイフ。武器自体の性能に加えて、N・Sの重量と加速を乗せて突き刺せば、貫けないものなどなにもない。
刃は深く、柄の近くまで突き通り、あの赤いランプはスパークを起こして飛び散った。
さらにユウは握りを持ちなおし、
『う、お、おおお!』
そこから眉間、鼻すじ、唇を通ってあごまでを切り裂く。
この痛みを感じない機械仕掛けの兵器はたじろぎもしなかったが、少なくともユウは自信を取り戻すことができた。傷口から機械の部分が見えている。意外にその装甲は厚くないのだ。
『う、ふふふ、カウフマン、君って子は』
スピーカーを通して届くエディンの声も、より硬質に聞こえた。
『そんな小枝で傷つけて、なにがうれしいの』
『……!』
『残念』
天使の傷がふさがっていく。
超速回復。N・Sの力だ。
ただし、ランプ自体は完全なる機械であるためか、額には醜い傷跡が残っている。
『自律した兵器は、自立した兵器。このくらいの手間ははぶくのが当然だろう?』
『くそ……!』
『さあ、私は仕事をしなければならないから、相手はまたあとでね。坊や』
なにが坊やだ、などと、ここで悠長に反論している暇はなかった。
その太い腕のひと振りでL・Jの一団を蹴散らした天使が、ついに、前進を開始したのである。
町の上空へ陣取り、台座の底から凍結液を噴射。おそらく狙いはそれだ。それがもっとも効率的な、大量殺戮の形であると判断したに違いない。
市壁はそのまま型枠となり、内部のすべてを、氷の中に閉じこめてしまうだろう。
『……全員、続けぇ!』
呆けるL・Jたちを一喝し、まずブラックバーン機が真っ先に、天使の腹のあたりへ飛びついた。
L・Jたちもすぐさま動き、ユウとモチもそれにならって、ブラックバーンの隣へすべりこんだ。
『押せ、押し戻すのだ!』
スラスターが、いっせいに火を噴いた。
『押せぇい!』
……しかし。
これもまた、みじめである。
破壊が容易でないとわかったいま、町を守る手だてはこれしかない。
N・S一機とL・J十二機が、力を合わせ、いっせいに押す。それしかない。
しかも、
『神兵長様!』
『いかん、一班、二班、行け!』
天使が、ツイている、とばかりに自由となった両腕を持ち上げたため、L・Jの半分がその対処へまわらざるを得なくなってしまった。
ただでさえ、力の足りないこの状況で、いったいどう抑えろというのか。
天使は小さなユウたちの反抗など意にも介さず、悠々と、市壁というデッドラインに達した。
『む、無念……!』
……が。
『神兵長殿!』
突如、風向きが変わった。
ブラックバーンを呼ぶ、低い、男の叫び声が聞こえたかと思うと、どうしたことだろう、ブロロ、ブロロロ、と、スズメバチの大群にかこまれたかのような猛烈な羽音が起こり、ユウの腕にかかっていた圧力が、ふとゆるんだのだ。
顔を上げれば、太陽がどこにあるかもわからない。つまりそれだけ多くのL・Jが、ものすさまじい勢いで天使に群がりつつある。
そのすべてが三〇〇系。
まさしく、スズメバチである。
『……またか』
耳の端に、エディンの発した侮蔑の鼻息が届いた。
『神兵長殿、ご助勢!』
『遅い!』
このとき単機近づいてきた隊長機らしき三〇〇系が、ブラックバーンにしかりつけられ、むむ、と言葉を詰まらせた。
その装甲は白く、肩には長い歴史を物語る複雑な紋章がペイントされている。
『騎士団長殿! 騎士のつとめとはいえ、土地と忠義にばかりに執着されるのはいかがなものか!』
『いや、神兵長殿、それだけにこだわらぬと思うからこそ、我が主をおいさめして参ったのだ』
『それが遅い!』
声だけ聞けば、フェローの地方騎士団長と思われる男のが歳は上なのだが、そこは大神殿の神兵長。その憤慨にも理がある。
騎士団長はしぶしぶ謝罪の言葉を口にして、今後は神兵長の指示に従う、というようなことを言った。
『とにかくいまはこの、像を押し戻すのです』
と、さすがにこれでは遺恨が残ると思ったのか、ブラックバーンは語気をあらため、
『この一件は大祭主猊下が戻られてから。それでよろしい。猊下のあのご気性なれば、まさかご領主殿を責め立てられることもありますまい』
『う、む……う』
『しかしそれも、フェローの民を守りとおした上でのこと!』
『い、いかにも! それ、全員押せ、押し返すのだ!』
『無論、鉄機兵団への援軍要請はおすみでしょうな!』
『それはもちろん。このL・Jの中にも、それ、先日リスト出城から配属された十二機、参戦いただいております!』
大神殿の置かれたこの町に、たったの十二機とは。
ブラックバーンのうらみ節が、聞くともなしにユウの耳へ入った。
天使の巨大さ、恐ろしさを知らぬわけでなし、いかにも不備ではないかと言うのだ。ユウもそう思う。
せめてそうであるならば、天使の足止めなり、別の大軍をもってできなかったのか。
もっと言えば、天使の進路をあらかじめフェローに伝えることはできなかったのか。
帝都や貴族を守り、民をないがしろにするその姿勢は、先の戦からまったく変わっていない。つまりはそうであるから、赤い三日月戦線のようなものが現れるのだ。
ユウはなにやら、はらわたが煮えくり返る思いがして、天使を押す腕に、我知らず力をこめていた。
『押せ、押せ!』
びっしりと、前面をL・Jに埋めつくされた天使だが、それでもまだ、じわりじわりと前へ進んでいた。
『……面倒だな、本当に面倒だ』
『だったら場所を変えろ、エディン。そこで相手をしてやる!』
『どうしてそういうことになるのか、ねぇ、カウフマン、さっぱり理解できない』
『う……く……!』
『いまはどのあたりだろう。もう市壁は越え……う! ……うん?』
『あ!』
『おお、あれは……!』
最後の、そして最大の援軍であった。
リスト街道の東、天使を追うようにして現れた丸い艦影。
いましも天使の右側頭部へ榴弾を命中させ、わずかながらもよろめかせたそれは……、
『グローリエ!』
ウィルヘルム・ボンメル伯爵を艦長にいただく、帝国無二の、搭載母艦である。
ユウたちとは聖ドルフ、そしてその後に起こった争い以来の鉢合わせとなるが、この戦艦自体はこれまでずっと、『天使降臨』を目撃したバルビエリ機兵長を乗せたまま、最も危険と思われる天使、『超光砲』を追い続けていたのだ。
そこへ入った、大神殿をかかえる町、フェローからの救援要請。
ボンメルは、転針を即決していた。
「赤玉、撃て」
「赤玉撃て!」
グローリエの艦首から、上空へ向けて赤い発光弾が打ち出された。
砲撃開始を意味する警告・注意信号である。
「徹甲弾準備」
と、キャプテンシートに座ったボンメルの右手が、す、と、敬礼にも似た形で持ち上がり、
「準備よし!」
「……撃て!」
グローリエの主砲二門が、火を噴いた。
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