第190話 凍ったウサギ
ど、ど……と。
グローリエに対して身体を開きかけていた天使の左胸に、轟回転する徹甲弾二発が直撃。装甲をえぐって貫通した。
天使を人間に置きかえて見るならば、その砲弾のサイズはまるで、ライフルの銃弾である。
少なくとも人間相手のライフルならば殺傷能力は十分、それも心臓の位置とくれば即死必至だが、機械の天使ではどうか。光炉に微妙な差し障りを与えてくれるだけでも万々歳といったところだが……。
警告を受けて散開したユウたちが、ひとことも発せず固唾を呑んで見守る中、天使は一瞬動きを止め、胸の穴がふさがるのをながめるような仕草を見せた。
そして事実、穴は見る間にふさがり、ユウたちをひどく落胆させた。
そこに撃ちこまれた、第二射、第三射。
これはグローリエが狙いを変えたため、天使の顔面と、そして上半身と台座のつなぎ目に命中した。
これらの弾痕もほどなく消失したが……、
『む、見ろ! 効いているぞ』
いかにも自由がきかなげに、首や手の関節がこわばりはじめている。命令の伝達系統に支障が出たようだ。
さらに白煙。
『……あ、いかん!』
なかば歓声の中にあったL・Jたちは、ここにきて、はたと、置かれている状況のまずさに気がついた。
天使はまだ、かろうじて浮いている。しかしその台座は、市壁を越えて町の内部にまで踏みこんでいたのである。
このまま墜落ということにでもなれば、それこそ大惨事ではないか。
『全員続けぇ!』
L・Jたちは再び天使にまとわりつき、今度は下から突き上げるようにして、その巨体を押しはじめた。
天使は大きな反抗もせず、また高度を下げるような真似もせず、されるがままにフェローを離れた。
『……ねぇ、カウフマン』
『……エディン……?』
『また、ね』
『エディン……!』
このエディンの言葉は、戦略上重大な兵器を破壊されようとしている男のものとは到底思われなかった。余裕と哀れみとに満ちあふれ、不吉な予兆めいたものを、ユウに感じさせた。
……またね。
エディンは、狙おうとしている。
おそらくマンタを。マンムートを。
『エディン!』
ユウの呼びかけに答えるように、もとはランプの赤く光っていた天使の額から、バッと激しい火花が散った。
……エディンは、もうそこにいなかった。
『N・S、なにをしている!』
『え……?』
『押すのだ!』
ブラックバーンに言われ、ユウは自分の立ち位置が、天使からかなり離れてしまっていることに気がついた。
『これは、失礼』
モチがあわてて翼を振った。
『モチ』
『え、わかっています。とにかくいまは押しましょう。私たちはそのためにやってきたのですから』
天使はもはや、人形も同然であった。
ただ、その腹の中に危険極まりない液体をためている、油断のならない人形であった。
台座の底からふらふらと立ちのぼる白煙は、あたかも導火線に火がついたようであり、誰もがこれを早く捨ててしまいたいと願った。
『東だ、東へ押すのだ!』
『神兵長殿、西の、あの、山の裏へ落とせば、町への被害も出ないのでは』
『あなたはリストのお山を穢せとおっしゃるのか、騎士団長殿!』
『いやしかし、そちらのほうが、近い』
『近さの問題ではない!』
もうこうなっては仕方がない。
L・Jたちは天使を押し、東へ向かう。
途中、憎きこの天使によって生み出された死の氷原を眼下にしたときには、さすがに皆の沈黙が沈痛の色を帯び、非常な重苦しさで場が色あせたようになった。
街道の上空を注意深く進み、南へはずれ、ようやっと、ここならば大丈夫だろうと思われる平地へたどり着いたとき、もう一時間もこの作業にかかっていたかのように全員が疲弊をしていたが、実際にはまだ、時間にして十分もたっていなかった。
フェローの町と、こちらへ向かいつつある救い手、グローリエ。
このふたつが雲間から差しこむ夕日を浴びて、金色に輝いている。
それが弱った心にどうにも染みて、あちらこちらで鼻をすすり上げる音が起こった。
『全員、まだ気を抜くな』
ブラックバーン神兵長が、やや感傷的な語り口で言った。
『この像を降ろす。そののち散開。とどめは戦艦殿におまかせする。よろしいか?』
N・Sカラスには聞こえないところでボンメルの了承があったのだろう。L・Jたちの動きに再び淡く、緊張がただよいはじめる。
ブラックバーンは、ひと呼吸置いて、
『では……、一、二、三!』
パッとL・Jが散った。
うなだれた天使が、宙に取り残される格好となった。
今度は手探りをすることなく、一切の遠慮もなしに振りそそいだ徹甲弾が、天使のいたるところに大穴を開けた。
弾ける電光。砕ける翼。傷口は開いたまま、もはやふさがることもなく、台座の底がまず地表に接する。
のけぞった上半身がその重量に耐えきれず倒壊し、天使は腰から真っ二つという、見るも無残な有様となった。
上半身と下半身の間に通った、二本の銀色をした血管状のものが、ぷちんとねじ切れた。
『離れよ! 離れよ!』
ごぼ、ごぼ、と、噴き出す端から凍結液は固まっていく。
それは予想に反した、静かな死であったが、それについて異議をとなえる者がいようはずもなかった。
天使はある種の思想的なオブジェか、冬の戸外に捨て置かれた壊れ人形同然の姿となり、配電部と凍結液がふれあうことによって発生していた水蒸気も、ほどなく消えた。
『N・S』
『……神兵長』
いつ来たものか、カラスの隣にブラックバーンの二〇〇系が浮いていた。
周囲はまだ茫然という空気が抜けきれておらず、この神兵長や地方騎士団長の命令がなければ動きそうにない。
他ならぬユウとモチも脱力感の中にあったが、この熱血漢は感動するのに忙しく、そういった気分にはあまりならないようである。
『N・S。君の名を聞いておこう』
『ヒュー・カウフマン』
『カウフマンか。うむ、確かにそのような名が手配書にあった。君は正直な、よい男だな』
と、なんとも、おもはゆい。
『君には是非、なにかしらの礼をさせてもらいたいが』
『いえ……』
その言葉はなによりありがたいが、必要以上にまじわれば神殿に迷惑がかかる。
ユウがそう答えるとブラックバーンはますます感激したようで、大祭主猊下には必ず、君の心根の美しさをお伝えしようとそう言った。
『あ、神兵長! ひとつ』
『なにか?』
『仲間のもとへ戻りたいんです。マンタ……その、レッドアンバーのところへ』
『ああ、空飛ぶ、エイ』
『はい。居場所がわかるなら、それを』
『ふうむ……』
ブラックバーンは困ったような鼻息をもらし、
『あいにく、我らのもとにそのような情報は……。君さえよければ、あの戦艦の艦長殿にうかがいを立ててみるが、どうか』
『お願いします』
『よろしい。では待っていなさい』
返答を待つ間、ユウは所在なく、カラスの頭をキョロキョロとさせた。
眼下の天使は腹にためた凍結液を吐けるだけ吐き出したと見えて、もはや一寸の、微々たる変化もなく、神兵と地方騎士たちへ目をやれば、ようやく地方騎士団長の点呼で集合を開始したところである。これとは別になにやら相談をかわす態で寄り集まった鉄機兵団籍の出向騎士たちは、おそらく地方騎士団長とボンメル、どちらの指示を仰ぐべきかと、そのようなことを話しているのだろう。
そして、
『う……』
カラスの目を射した鋭い光。
ユウははじめ、これをグローリエからの発光信号かなにかだと思ったのだが、そうではなかった。
それはあの氷原が反射した、西日であった。
『……モチ』
『はい』
『俺はもう、あいつに手加減をしない』
またしてもわき起こった怒りが、ユウの口をついて出た。
『俺は、許さない』
そうだ、エディンを。そして甘かった、自分自身を。
『斬れたんだ。あのとき、斬れたんだ……』
『……』
『斬っていれば……!』
『え、まあ、それはもういいでしょう』
モチの温かい心が胸に寄りそってきたかのようにユウは感じた。
いまさらですと、モチは言った。
『……ム。あれは、確か……』
氷原の端、ややいびつながら円形に広がったそれの、最もフェローに近いあたりに、いくつかの人影が見える。
『カイ・ライス……』
『あなたを捕らえた男では?』
『そうだ間違いない。行こう、モチ』
『了解です』
『……あ、カウフマン君、どこへ行く!』
『すぐ戻ります!』
カラスは翼をひと振りして、風のない空を降下した。
氷の壁を前にして棒のように立ちつくすカイ・ライスのかたわらには、つらく顔をゆがめるロルフとテオの姿もあった。
「カイ、N・Sだ。カウフマンだ!」
ふたりは手を振って迎えてくれたが、
「う、うむ……」
カイはぶつぶつとなにか言ったきり、顔も上げられない。
ユウはまず皆の無事を確認し、天使は死んだと告げた。
『カイ』
「あ、ああ……」
『俺たちは、マンタに戻る。あんたたちはどうする』
「お、俺は……」
カイは、ちらと、氷の中へ目をやった。透明度の高いその内部は、驚くほど遠くまでを見通すことができる。
目をむき、棒立ちになったまま閉じこめられた馬。横倒しになりかけた馬車。その御者。
その世界にあるものすべてが、荒々しく、時を止められている。
「う……」
そのとき、カイ・ライスは、あまりの衝撃に色を失った。
遠くに見える一台の幌馬車。その荷台からのぞく、小さな白い手はどうだ。ベージュ色をした古いウサギのぬいぐるみを握りしめている。
昔、ウチの子に買ってやったのと、うりふたつだ!
『これが救世主のすることか!』
「う、ううッ!」
間髪入れずに響いたユウの一声は、カイ・ライスがどうにか腹に収めようとしていた本心を見事に言い当て、引きずり出した。
絶句したカイは硬直し、ふらふらとひざを折ってくずおれる。号泣であった。
『……すみませんでした、神兵長』
『いや。彼は、君の仲間かね』
『はい』
『君はいい仲間を持っている』
ブラックバーン神兵長は、激情に揺れる声でそう言った。つまり、惨状を見て涙を流せる男は、平和を愛することのできるいい男だと言うのだ。
ユウはそういうことではないのだがと思ったが、黙ってうなずいた。
『私も涙を流してやりたいが、早く彼らの肉体を救い出してやらなくてはな。そうでなくては、あまりにも哀れだ』
『……はい』
『せめて彼ら、無辜の魂に、良き風の導きがあらんことを』
ふたりはL・JとN・Sの指で、それぞれ額と胸にふれ、しばし、祈りを捧げた。
『さて、先ほどの件だが……』
グローリエからの返答はすぐにあり、マンタは中部と東部の境、トレーニ高原付近で近ごろ目撃されたということであった。そこへ行くにはこのまま東へ進み、帝都を迂回する形で南下すればいい。
帝都を避けていくのならばこの場は見逃す、と、グローリエ艦長ボンメルは言ったそうだ。
『すぐに出立するかね』
『まず、フェローに。この場の手伝いも……』
『我々への心づかいならば無用。確かに我々の罪は深く、そのために多くを失ったが、君は多くを救ってくれた。もはや君は、許されている』
モチの肯定が、言葉とならずとも伝わってきた。
『行きたまえ。そして願わくばその清らかなる魂をもって、他のおびやかされつつある命も救って欲しい。鳥は、かの『名をなくされた神』の眷属ではあるが、風神の使いでもある。君は鳥となって行くのだ!』
ユウは、この純粋なブラックバーンの言葉に、知らず、友クローゼの姿を重ね合わせていた。
行けと、いつも背を押してくれたクローゼも、いまはどこかの戦場で、天使を相手に戦っているのだろうか。
夕闇がせまり、目玉のようなグローリエの探照灯が、このとき点灯した。
「……なんだって? それは本当なのか、アルバート!」
「はい。ボンメル伯爵ご本人からの報告です。また……」
「うん?」
「ヒュー・カウフマンのN・Sが現れました。彼の協力も、少なからずあったとか」
「ユウが……!」
「現在は姿を消したとのことですが、おそらく、空飛ぶエイのもとへ向かったのでしょう」
「うむ、うむ。どうだアルバート、やはり彼らはあの放送どおり、天使を敵と捉えているのだ。きっと、共闘できる!」
「……フン、貴公はおめでたい男だな、カール・クローゼ」
「リドラー将軍……?」
「貴公はまったく甘い。大甘だ」
クローゼをにらみつけたマリア・レオーネ・リドラーは、淡空色のシニョンを指先で整えた。こうして見れば高貴な美しさのにおい立つ女性なのだが、棘だらけの花と知りつつ手を出す男など、無論いない。
ここは、ハイゼンベルグ軍の所有する指令装甲車の車内であり、クローゼ、マリア・レオーネ、紋章官アルバート・バレンタインの他には、マリア・レオーネの紋章官ササ・メスの姿がある。
将軍ふたりは効きすぎた暖房に閉口しながら、地図の乗った机をはさみ、向かい合っていた。
「彼らの敵も、こちらの敵と同じ。共闘の道がないとは思えません」
と、クローゼがなおも食いつけば、
「レッドアンバーは、とりあえず我々の標的からはずれたにすぎない」
「しかし……!」
「だいたいその天使、いかにもあっけなく破壊されたではないか。奴隷どもの自作自演をどうして否定できる」
「そんな……。ホーク将軍も、赤い三日月戦線とレッドアンバーの関係を否定されています」
「つまりホーキンス将軍も、貴公と同類だということだ」
「ッ……!」
「とにかく我々は、受けた命令を遂行しさえすればいい。そうだな、アルバート・バレンタイン紋章官」
「は……」
「戦艦で天使が落とせるとなると、やつら、次にグローリエを狙うかもしれん。至急合流していただくよう連絡を入れよ」
「……了解しました」
「いいな、カール・クローゼ。きっと我らのみの手で落とすぞ、天使『超光砲』を!」
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