第187話 フェロー・白波亭(2)

「……う」

 なんという混沌とした光景だろう。

 バーカウンターがある。テーブル席が三十、いや、それ以上もある。吹き抜けに面した二階席も当然ある。

 酒がある。得体の知れない煙をはき出すパイプがある。トランプがある。色とりどりのコインが散らばっている。

 男たちの下品な笑い声がある。罵り声がある。殴り合い、ナイフを抜く音がある。

 しなを作った豊満な娘たちが、酒と金貨を谷間にそそがれ、嬌声を上げている。

 巨大なシャンデリアに、目がまわる。

「気に入ったのがいるか?」

「……え?」

 見上げたガードマンは舌なめずりをしていた。

「ボスに気に入られれば、よりどりみどりだ。上手くやりな」

「……」

「へ、へ」

「そのボスは、どこにいるんだ?」

 ユウの、一見淡白にも見えるその態度に肩をすくめ、ガードマンはあごをしゃくった。

 もちろんユウが酒に弱いことも、女を必要としていないことも、この男は知らない。

「魔術師の仕込みがいいってわけだ」

 と、興ざめもあらわに舌を打つ。

 先に立ったガードマンはバーカウンターの前を通りすぎ、入り口から見て左手奥の、併設の宿へと続く渡り廊下の前を、さらに通りすぎた。

 関係者用の階段の前で、ユウたちは、別のガードマンへと引き継がれた。

「……おい、下に行くのか?」

「く、くっつくなよ、テオ」

「下は、地面の下ってことだろ? なにかあっても逃げられないぞ? ロルフ」

「そ、そうか……」

 幅のせまい階段は薄暗く、じめじめとして肌寒い。

 ユウたちは、それを三階下までくだり、たどり着いたのは打って変わってきらびやかな、真紅の絨毯の敷き詰められた通路であった。

 ガードマンの数も装備も上層の比ではなく、ここが元締のいるフロアであることはもはや間違いないと言っていいだろう。

「あの壷、まるで成金趣味です」

「しっ……」

「この音はなんでしょう」

 潮が騒ぎ立つようなノイズと言ってもいい声のうねりに、腕の中のモチは、ぐるぐると首をまわして興味を示した。

「きっと、闘技場があるんだ」

「ホウ……なるほど」

「ララから?」

「え、聞きました。彼女も見せ物にされていたとか」

「ああ」

「まったく、とんでもない話です。孤児を守るべき神殿が、彼女を人買いに売ってしまうとは」

「……え?」

「彼女に、もしもL・Jの才能がなかったら……そう思うと、ぞっとします」

 ここでユウが足を止めたため、モチは、はっとくちばしをつぐんだ。

「……まさか、ここまでは?」

「ああ、聞いてない」

「フム……それは、その……」

「いや、いいんだ。教えてくれて、よかった」

 実はこれは、ユウにとってもつらい話である。

 神殿による、戦災孤児の人身売買。あり得べからざることだが、事実、存在しているのだ。

 以前に比べれば取締りも強化されているが、それもイタチごっこ。そこから裏の道に入った、いや、否応なく入れられてしまった少年少女を、ユウは幾人も知っている。

 そしてその多くは使い捨ての駒という人生以外、与えられることはないのであった。

 しかしまさか……。

 ララもそうであったとは。

 ユウは心のどこかで、ララはごく普通の家庭に生まれた、普通の少女なのだと思っていた。作業用L・Jにでも慣れ親しんでいて、そこを、あのジョッシュに見込まれたのだろうと。

 だからこそあのとき、迎えに来てもらいたかった、などという言葉を使ったのだろうと。

「置いていかれたのは、ジョッシュの手もとに、じゃないのか……」

「ユウ」

「ん……?」

 モチのくちばしに甘く指をつつかれ、ユウは、通路の先でガードマンが手招きしていることに気がついた。

 ロルフとテオも、すでにその近くにいる。

「ユウ。ララが孤児であることは、あなたの考えかたに、なにか影響を与えますか? その……人間的な、印象という点において」

「いや」

「本当に?」

「俺だって、ハサンに育てられた」

「……フム」

「孤児になるのは、別に悪いようなことじゃない。それに、それが不幸でかわいそうな過去かどうかなんて、そんなこと誰にもわからないさ」

「おい、早く来い!」

 ユウがガードマンに追いつくと、すぐに身体検査がはじまった。

 どうやら、目の前にあるこの大扉の向こうが、例の元締の居座っている部屋らしい。

「武器はこれだけか」

 ユウのポーチから発見した小型ナイフを顔の前で振って見せ、ガードマンは言った。

「ああ」

「N・Sは、駐機場か」

「そんなところには置かない。仲間が預かってくれてる」

「フン。生意気な口をきくな」

 しかられたのだか、感心されたのだかわからない口調で言われ、ユウはなにやら申し訳ないような、妙な心持ちになった。

「ここで待て」

 ガードマンが一度中に入り、すぐにまた出てきて、四人を部屋へと招き入れた。

「……あれ」

 と、声を上げたのは、何事も思ったことをすぐ口に出してしまいがちなテオだ。

 だが別に驚くには当たらない。

 ひとつの街を仕切る大物が、扉を開けてすぐいるはずがないのだ。

 ユウたちがまず足を踏み入れたのは、その前室とも言うべき部屋で、ここには平時から数人のガードマンが待機している。いまもそうだ。

 血のしたたりを隠すためではないかと思われるほど赤い絨毯に従って奥の扉の前に立つと、ここまで案内してくれたのとはまた違うガードマンが、それをノックした。

「入れ」

 舞台役者さながらのよく通るテノールが、高らかに聞こえた。


「あっはぁ、おまえがヒュー・カウフマンか。なるほど、噂どおりのいい男だな」

「……」

「どうした? ほら見ろ、俺は武器を持ってない。武器なんてのは野蛮なやつの持つものだろう? たとえば、そこにいるような、筋肉だけのムキムキ野郎みたいなな。おい、なにをしてる、おまえはさっさと持ち場に戻れ。は・や・く。……へ、へ。真に力のある男ってのは、剣よりも酒だ。女を持つべきだ。ああ、チョコレートでも食うか? なに、いらない? じゃあ、キャンディ。帝都ベロンティの一級品だぞ? ほら、んん、美味い!」

 その元締は、実に精力的な印象を与える男だった。

 歳としては中年の域に達していたが、脂を塗りつけてでもいるような髪つや肌つやといい、飛び出さんばかりにむき出された目の力といい、まだまだ老いとは縁遠い。

 肉の厚い手をひっきりになしに揉み合わせている小さな身体は、丸々としながらも肥満とは言えず、むしろ、どっしりとした熟成樽のようだった。

「え……と」

「以前、どこかでお会いしたことがありましたっけ、ってな話か? いいや、ない。いっぺんもない」

「じゃあ……」

「ハサンにはある。このあたりはみんな大連合の土地だった。もちろん大連合のことは知ってるよな」

「ああ」

 ハサンと、ザ・バング、ソブリンの三人が結成していた、裏の大組織のことだ。

 ユウがそう言うと元締は、

「そう、その大連合だ」

 と、大げさに拳を振りかざした。

 それにしてもこの元締は、よくしゃべる。

「俺はシラコだ」

 シラコと言うらしい。

「さて……じゃあ話も出たことだ、まず俺の話からしようか。つい最近、と言っても、例の宣戦布告があった夜のことだから、何日前だ? まあ、とにかくその日に、我らが真皇帝の吸血鬼様から全国の元締へ二通の手紙が届けられた。なあ、すごいだろう? あの男ぐらいになると、どんなに離れていても、その日のうちに手紙が届けられるんだぞ」

「ああ……それで?」

「それで? おぅいおい、おまえの態度は魔術師そっくりだな。まったく、おそれいる!」

 フン、と、鼻息を飛ばしてユウをねめつけたシラコは、書類や大金貨がこぼれ落ちんばかりに乗ったマホガニー製の両袖机から、封筒に入った手紙二通を引き出してきた。

「これが一通目。俺に宛てたもので、ヒュー・カウフマンを名乗る男がたずねてきたら、くれぐれも特別の便宜を図るようにと書いてある。ついでに、おまえの居場所も知らせるようにとな」

「バングが、そんなことを……」

「いいや、ザ・バングじゃない。吸血鬼の裏にいる魔術師だ。魔術師がこれを書かせた!まったく、あいつはいつまで俺たちの上にいるつもりだ、ええ?」

 ……この話が確かならば、ハサンは宣戦布告された次の瞬間にはもう、ユウの行動に対して、ある程度の確信を持っていたことになる。

 つまり、ユウが太刀の完成を見届けずに取って返すだろうこと。混乱の中、事態に窮し、結果、裏社会に助けを求めるだろうこと……。

「そしてもう一通は、おまえ宛だ」

「え……?」

「できれば声に出して読んでもらいたいもんだな」

 そこでユウは、受け取ったそれの髑髏型に押された黒い封蝋をはがし、収められていた一枚の便箋を開いてみた。

 それは間違いなく男の手によるものだったが、バングの字でないことだけは確かだった。

「スウィーティ」

 と、手紙は、その一文からはじまっている。

「スウィーティ、あいつから聞いた。おまえに借りを作るのも悪くない。俺の名を使いたければ、好きなように使え」

「あいつ? そら見ろ、やっぱり魔術師だ!」

「……ただし俺たちは、どこを斬っても下衆の血しか出ない。おまえの血を、混ぜようとしないことだ……」

 またしても、シラコの鼻が、フンと鳴った。

「下衆、ハン、下衆か。下衆の王と、ただの下衆なら、どっちのがより下衆なんだろうな!」

 そして、あろうことか床にいたモチを蹴り上げようとしたので、モチは、ギャアと威嚇して飛び上がった。

「なにをするんだ!」

「いや……これは、冗談さ、冗談。わかるだろ? な?」

「つまらない冗談です」

「お、しゃべった! しゃべったぞ、こいつ! はぁあ、驚いた。どういう仕掛けだ?」

 むくれたモチは、コートかけの上へ飛び移り、そっぽを向いて目をつぶってしまった。

「それで……」

「それで? あぁあ、さっそくおねだりか。いいぞ、言ってみろ。なにが欲しい」

「食料だ」

「あぁあ、なるほど食料か。ふぅん、なるほど」

 シラコはもったいつけて、つるりとあごをなで、

「難しいな」

 にやりとした。

「いまはこんな状況で、うちとしても蓄えを残しておきたい。おまえひとり分なら、どうにか都合をつけられないこともない、かな」

「それじゃ困る。二十人が十日は食べていける量が欲しい」

「おぅいおい、そりゃ暴利ってんだ」

「上の酒場では……」

「ああそうだ。好きなだけ飲んで、好きなだけ食ってる。食い残しも山のように出る。だがそれのなにが悪い? あいつらは少なくとも、金を、払ってる」

「ッ……」

「いいか、ヒュー。俺たちはそうだ、下衆だ。皇帝陛下だろうが吸血鬼だろうが、そいつが口にしなかった、ちょっとした粗をつついて商売してるんだ。いま吸血鬼は、おまえに肩入れをしろと言ってきた。だが、どこまでかは言ってこなかった。要するに、そこから先は俺たちのさじ加減で決めろってことだ。……おわかりか?」

 さすがに一国一条の主ともなると、一筋縄ではいかないようだ。

 ユウはどこかに突破口はないものかと、モチいわく成金趣味の部屋を、さりげなくひと当たりしてみた。

 あの、書斎机のかげに、人目をおそれるようにして立てかけられている絵。壁にある不自然な空間といい、どうも気になる。

 キャビネットの中にかけられている、目隠しのカーテンもあやしい。

「なあ、ヒュー。俺だって悪魔じゃない。取り引きって手もあるが、どうだ?」

「取り引き……?」

「口ではこんなことを言ってるが、俺は小心者だ。なんだかんだで吸血鬼の庇護が欲しい。この町がじゃないぞ、俺自身がだ」

「……それで」

「なに、簡単なことさ。その口でひとこと、吸血鬼に物申してくれればいい。フェローのシラコは、あなたの忠実な番犬です。決して逆らうことはない。いつか、西部の土地半分をまかせてやってもいいかもしれませんね、ってな」

「俺が言ったところで、あの人は動かない」

「いいんだよ、こいつは印象の問題だ。掃いて捨てるほどいる元締連中の中から、ちょっとでも頭が出せればいい」

「……」

「じゃあ悪いが、この話は……」

「ハサンと相談してみる」

「なに?」

「相手はバングで、俺だけじゃ決められない。ハサンと相談してみる」

「そんな、馬鹿な!」

 シラコは諸手を振り上げて、天を仰ぐような態度を見せた。

「そんな馬鹿な! おまえはなんだ、まだ母ちゃんの乳を吸ってやがるのか!」

「そう言われても、バングに意見できるのはハサンだけだ。俺はただの弟子で……」

「黙れ! もう、この話は、ここまでだ!」

「なら、ハサンにもそう言っておく。シラコは、特別の便宜を図ってくれた」

「この……ッ!」

「ホ、ホ、ホ」

「笑うなフクロウ野郎!」

 シラコの投げつけたペンは、壁に当たって床に落ちた。

 もれ出したインクが、みるみるカーペットに広がり、ぎらついた目をむき出しにしたシラコの指がユウの襟首をつかむ。

 ロルフとテオが、はっと息を呑んだ、そのとき。

 ゴロン、ゴロロン……。

 どこかで、鳴るような時刻でもないのに鐘楼の鐘が鳴った。

 時報でないとすれば、それは地方騎士団の手入れを表す警報だが、

「……来たか」

 シラコの見せた顔つきは、にやり、である。

「なにが来たんだ」

「おぅい、わからないとは言わせないぞ、魔術師の弟子。エディン・ナイデルだよ!」

 天使が来たのだ。

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