第186話 フェロー・白波亭(1)

 さて……。

 市壁を持つ多くの町に、裏口がある。これは『その道の者』ならば誰もが知っている事実である。

 そしてまたその道に通じている者ならば、裏口の通行が誰にでも許されているわけではない、ということも、当然のごとく知っている。

 以前ユウの訪れたアールシティでは案内役であったロビン少年が、四回、そして間を空けて三回壁を叩くことで、自分が同じ町の、同じ人種であることを門番へ知らせた。つまりこういった合図のようなものが、すべての街に、異なった形で存在しているのである。

 では、ユウのような、裏社会の出ではあるがこの町の人間ではない、というイレギュラーはどうすればいいのか。

 その場合もまた、それに対応した合図があった。

 ユウは、フェロー市壁の西端に、見るからに頑強そうな馬車門を見出すと、そのくぐり戸の板面を五回、間をおいて二回、さらに四回と打った。

 くぐり戸の物見窓が間髪入れずサッと開き、みっしりと入れ墨のほどこされたカラフルな腕が、手のひらを上にして差し出された。

「馬車は十万。人間はひとり頭一万だ。文句があるなら別の町に行きな」

「一万だって?」

 テオが飛び上がって叫んだ。

 一万フォンスといえば、世間一般の人間が一ヶ月は楽に暮らせる金高だ。驚くのも無理はない。

 一万フォンス値の大金貨を手にしたことがある、と答える人間のほうが、この世の中、圧倒的に少ないのではなかろうか。

 それにしても、ユウの知る裏口通行料の相場は、およそ一千フォンス。商魂たくましいと言うか、この機に乗じて、随分と足もとを見てくるものだ。

「どうした。三人で三万フォンスだ」

 ユウは物欲しげに手招きする腕を押しのけ、物見窓へ顔を押しつけるようにして、こう言った。

「この町の元締に会いたい」

 入れ墨の門番は沈黙し、そして、なにやら煮え切らない、曖昧な笑い声を立てた。

「冗談を言っちゃいけねえ」

「いや、冗談じゃない。会いたいんだ」

「……あんた、名は」

「ヒュー、カウフマン」

「その証拠は」

「証拠?」

 ユウは戸惑った。

 ハサンとともに暮らしていたころも含めて、いままでに何十回と裏口を通ってきたが、個人の確認をされたのははじめてだ。

 しかも、自分が自分である証拠など、はいそうですかと簡単に提示できるはずもない。姓名と肖像の記された身分証など、鉄機兵団の騎士でさえ身につけていないのである。

「こっちもガキの使いじゃねえんだ。証明できねえようなら、通すわけにはいかねえな」

 男の太い指が物見窓のへりにかかり、左右に動く鉄製のふた板が半分ほど閉められてしまった。

「金を払うなら別だぜ」

 と、男が笑ったその声にかぶせるようにして、

「私では証拠になりませんか」

 ユウの足もとから、声がかかった。

「モチ……!」

「あ、し、白フクロウ!」

 それはまさしく、白い白いモチである。

 おそらく、馬車から目を離さずにいてくれたのだろう。特に合図をしたわけではないのだが、ここまで、ひそかについてきてくれたのだ。

 モチは、ロルフとテオのふたりを一瞥して、

「これを、ひとまず返します」

 と、両足の爪で、しっかと押さえこんでいたポーチをユウへ戻した。この中には言わずもがな、N・Sの指輪が入っている。

「門番の彼と話をさせてください」

 ユウはモチを抱き上げ、物見窓へと近づけた。

 門番の、息を呑む気配がした。

「私は、デローシス五一二号です」

「う、そ、そう、かい……」

 モチの頭に隠れて見ることはできないが、門番はかなり狼狽している様子である。

「私がそうである証拠は必要ですか?」

「いや……うむ、こいつぁ、驚いた」

「では戸を開けてください。彼がヒュー・カウフマンであることは、私が保証します」

「う、む……」

 門番の低いうなり声がもれ、扉の向こうで、かんぬきの抜かれる重々しい音がした。

「入んな」

 と、くぐり戸が開き、ユウとモチ、ロルフとテオは、こうしてようやく、フォローの関門を抜けることができたのである。

 アールシティとは違い、馬車門からの進入であったため、そこはすでに裏町の、裏通りであった。

 一般の市民ほど危機感がないと見え、行きかう者たちの姿は、それほど緊迫しているわけでも、取り立てて多いとも感じられなかった。

「あんたのことは、元締から聞いてた」

「え……?」

 物見窓越しの印象よりも若く見えるその門番は、なにやら申し訳なさげに、つるりと光る頭をかいた。驚くべきことに、その頭頂部にまで入れ墨が彫られている。

「ヒュー・カウフマンが来たら、タダで入れて、自分のところへ連れてこいってな。……おっと、そっから先を答える権利は俺にはねえ。あとは元締に聞いてくれ」

「元締は、どこに?」

「あの突き当たりを左だ。あとは迷うこっちゃねえ、白波亭、この辺じゃ一番でかい酒場で、看板も出てる」

「わかった、ありがとう」

 ユウは、一万フォンス、とまではいかないまでも、いくばくかの心づけを男に渡し、モチを抱きなおして歩き出した。

「お、おい、待て!」

 ロルフとテオも、また先ほどと同じようなことを言って追いかけてきた。

「……ユウ」

「ん?」

「その、元締という男に?」

「ああ、会いにきた。食べ物と、ハサンへのつなぎを頼みに」

「なるほど、では、顔見知りというやつですか」

「いや、知らない」

「ホウ? しかし……」

 先ほどの門番は、元締からユウのことを聞いたと言っていた。

 それに加えて、資金源のひとつである通行料まで免除するという高待遇だ。

 モチが疑問に思うのと同様、ユウとしても、もちろん、それを気にかけずにはいられなかったが、いくら頭をひねろうと、会ったことがないものは会ったことがない。

 多くの元締は地盤を動こうとしないため、別の町で出会った、などということも考えにくかった。

「とにかく……会えばわかるさ」

 ということになる。

「ま、いいでしょう。さすがに危害を加えるような真似まではしないはずです」

「それは、わからない」

「ホ?」

「俺たちを捕まえて、強請りの種にしようとするかもしれない」

「……ホウ」

「昔のハサンには、すごく、力があった。だからその分、買ってるうらみも多いんだ」

「指輪はしていますか、ユウ?」

「ああ、大丈夫だ」

「あれが、白波亭ですか」

「ああ、たぶん、そうだ」

 なるほど、これは大きい。ユウは思った。

 車まわしのある酒場など、いままで一度として見たことがない。まるで貴族の屋敷だ。

 ただしそのポーチの屋根には、無数の蛇がからみ合う、なんとも不気味な大看板がかかげられているし、この昼日中から酒を飲もうという客たちも、当然ながら身なりがいいとは言えない。

 誰もが両手をポケットに突っこみ、ぶらりぶらりという態で、体格のいい男ふたりに守られた大扉をくぐっていく。

 ユウはひとつ息をはき、

「よし、行こう」

「ちょ、ちょっと、待った!」

 ロルフとテオが、鼻息荒く立ちふさがった。

「あ、あんた、いったいここへ、なにしに来たんだ!」

「そうだ。俺たちは、なにも聞かされてないぞ!」

「モトジメってのは誰だ!」

「俺たちをだまして、売るつもりか!」

 裏通りの人間に『売る』は禁句である。その疑いがあるというだけで血の制裁を受ける者も少なくない。

 世界は一瞬にして静まり返り、刺すような視線が、ユウの背中へと集中した。

 チ……というのは、誰かがナイフを抜いた音。

 なます斬りにされるのか、それとも、投擲の的にされるのか。

 なにも知らない馬車が一台、ゆっくりと、ストリートを通り抜けていく。

「え……と、なんか、まずいこと言ったか……?」

「ああ、言った」

「お、おまえの声がでかいからだぞ、ロルフ」

「おまえが先に叫んだんじゃねえか」

「しっ……」

 ガードマンの男がひとり、肩を揺すって近づいてきた。

「おい」

「は、はい!」

 それは、ユウの頭の先がその肩まで届くかどうかというほどの大男で、その肌の焼け具合から察するに、おそらく南部の出身者である。

 男は、アクセサリーなのか武器なのかわからない、特殊な形状の指輪をちらつかせ、

「飲みにきたのか、ひと山当てにきたのかは知らないが、どうも、ここにはいちゃいけないお客さんらしいな」

「あ、う、そ、その……」

「いまならまだ間に合うぜ。黙って、表へ、帰りな」

 と、その太い指を、ぼきぼきと鳴らした。

 これを警告だと受け取るのならば親切な男であると言うべきだろうが、実際のところ、この男にそのような心はないはずだ。

 おまえたちがどこで死のうと構わないが、店の前を血でけがされるのだけは困る。

 それが本音だ。

「ひ、い、いや、その……」

 おびえきったロルフとテオが、ユウの背を押すようにした。

「……おまえは?」

「ヒュー・カウフマン。元締に会いたい」

「カウフマン……!」

「証拠は……」

「私です。デローシス五一二号」

 男は、ユウと、言葉を話すフクロウの顔を交互にながめ、おまえが、と、小さくつぶやいた。

「うちのボスに用か」

「ああ」

「うしろのふたりは」

「俺の、仲間だ。少しもめただけで問題ない」

「……ついてきな」

 四人は、男の広すぎる背中のあとについて、白波亭へと足を踏み入れた。

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