第161話 一徹
ウィルヘルム・ボンメルという帝国伯爵がいる。
貴族の中でもそれなりに由緒正しく、それなりに裕福で、十数年前の狐狩り大会の折に授けられた、先代皇帝からの賜杯を自慢とする五十男である。
寡黙で忠実。
重厚な面立ちと金髪、太い眉という、絵に描いたような中部顔。
船好きが高じて自らも数隻を所有し、その操船技術は、弓馬のそれよりも評価が高い。
そしてそのために、いまは搭載母艦グローリエの艦長であった。
さて。
そのグローリエだが、希少性と任務の特殊性から、七軍からなる鉄機兵団のどこの軍団にも属していない。要請があれば枠組みを越えてL・Jを乗せ、戦闘地域に向かう。言ってみれば、バイパーたちと同じ独立戦闘部隊である。
それに加え、艦長ボンメル伯が先も言ったように玄人はだしの技量を持ち、さらに才能を見出された男特有の、気骨と誇り高さまで持っていたため、同じ空を行くオルカーンとは、一種のライバル関係にあった。
特にグレゴリオとの仲は、最悪であった。
「艦長、確認できた敵機は、N・S、L・J、それぞれ一機ずつ。L・Jは聖ドルフへ落下した模様」
「……うむ」
「L・J降下、第一陣完了。艦載砲の準備も完了いたしました」
ボンメルはわずかな指の動きだけで、射撃の必要がないことをブリッジクルーに伝えた。
いま現在危機的状況におちいっているわけでなし。威嚇のためだけに無駄弾を使うことはない、そう言いたいのである。
それよりもこの男の頭の中は、どうにかして一歩、オルカーンより先んずることができないか。これまで下に見られ続けてきたグローリエに、なんとか日の目を見せてやれないか、ということにばかり向いていた。
前述のようにグローリエは戦艦のみの部隊であり、搭載したホーキンス軍のL・Jが戦果を上げても武功にならない。戦艦グローリエが活躍することにこそ意味がある。
幸い、ここ数ヶ月の間、オルカーンは失敗続きだ。こちらの手柄を印象づけるのに、これ以上の時期はないだろう。
標的としては小さすぎるN・S相手ということも、心証という点で言えば、有利に働くのではないか……。
「艦長」
はっと我に返ったボンメルは、内に秘めたグローリエへの親心をかけらも表に出さず、視線のみを通信士へ転じた。
「オルカーンより連絡です。戦域を離脱されたし」
これは少なからず、グローリエ・ブリッジを動揺させた。
「なんという言い草だ」
「我々をただの足だと思っているのか!」
「手下ではないぞ、我々は!」
やはりこの船に生きる誰もが、オルカーンのふるまいをよしとしていない。
ボンメルは部下たちの憤慨と気高さに満足し、ひとりうなずいた。
「返信。貴軍L・Jの回収に支障生じかねず、よって、離脱受け入れがたし」
「離脱受け入れがたし、了解!」
艦長ボンメルはこうしたところから、グローリエ乗り組み全人員の熱烈な支持を得ていた。
そこへ……。
「艦長。敵L・J、姿を見せました。N・Sと合流し、上昇中」
「目標は」
「オルカーンと思われます」
「そうか」
「か、艦長?」
立ち上がったボンメルは、操舵士のもとへ、つかつかと歩み寄った。
そして、うろたえる青年操舵士の肩を叩くと、
「操艦もらうぞ」
と、場所を入れかわった。
「おお……」
ボンメル艦長が舵輪を取った。
ブリッジが期待に震え、その一挙手一投足に視線が集まる。
ボンメルは特に確認もせず右手もとのレバーを握り、カフスをとめる程度の気安さで、それを操作した。
『ユウ、大丈夫?』
『……ああ』
『将軍は?』
『わからない』
ララと合流したユウは、我ながらなさけなくなるほど力なく、首を振った。
少なくともホークは、隙を突いて逃げ出した自分を追ってきているふうではない。
かといって、オルカーンに戻ったふうでもない。
ではいまは、どこにいるのか。そしてなぜ、見逃してくれたのか。
『もしかして……ううん、なんでもない』
ララは、冗談を言う空気ではないようだと悟り、口をつぐんだ。
……そうだ。
それよりも、ユウはきっと次の仕事をしたほうがいい。自分ひとりでもできるが、ふたりのほうが楽しい。いい気分転換になる。
『ね、ユウ。あたしいま、ハサンに会ってきたんだけどね』
ララは思わせぶりに、サンセットⅡをカラスへ近づけた。
『ハサンに? なんて言ってた?』
『マンタは手に負えないって』
『なんだって? だったらララは、向こうを手伝ってくれ。こっちは俺たちでなんとかする』
『あ、違うの違うの。あのね、グローリエ……あ、あの戦艦だけど、グローリエでもオルカーンでもいいから、アンカーを撃たせろって。それで釣り上げるって』
『ホ!』
モチが笑った。
『なるほど、ハサンの考えそうなことです』
『でしょ。ね、ユウはどうしたら、アンカー撃たせられると思う?』
ユウは、敗戦と逃亡で沈みこんだ気分を奮い起こし、頭をひねって考えた。
『まず、下を狙える艦砲をつぶす』
『うんうん』
『そのあとで……』
『挑発!』
自分と同じ考えだ。
ララはコクピットの中で、拳を握りしめた。
『しかし、下の艦砲だけを破壊したのではあやしまれます。ここは、すべてを葬るつもりで当たりましょう』
『狙うのはオルカーンだ』
『うん!』
『了解です』
頭上のグローリエが降下をはじめたのは、実にこのときであった。
かなりの川幅があるとはいえ、小高い山にはさまれた聖ドルフ。川の真上にはすでにオルカーンが陣取っており、残された空間はいよいよ少ない。
しかしその幅に、グローリエの巨体は割りこみはじめたのだ。
「とうとうおかしくなったか、ボンメルめ!」
グレゴリオは飛び上がって驚き、回避行動のため急角度に傾いたブリッジの中で、ひじかけを支えに叫び散らした。
その、直後。
「紋章官殿、衝撃防御を!」
「う、うおおおッ!」
オルカーンの左翼が、そそり立つ雪の壁に接触した。
『ララ、止まれ!』
『わ、わ、わ!』
がらがらと、音を立てて崩れ落ちる、雪と岩の塊。
カラスとサンセットⅡは身を返し、一時、オルカーンから距離を取る。
混乱がおさまってみると、オルカーンとグローリエの間隔は、わずか十数メートル。二戦艦同士は傷つけ合うことなく、まるで測ったかのような具合のよさで、谷間に並んで収まっていた。
「な、なんちゅうやつじゃ! 横暴にもほどがある!」
怒るグレゴリオの鼻息は、数メートル先にいる操舵士にまで吹きかかるほどだった。
だが……。
ここで感情に身をまかせていられるほど、戦場の時間はゆるやかではない。
カラスとサンセットⅡは動き出している。
この隙を逃してなるものかとオルカーンの艦底へもぐりこみ、艦砲へ武器を振るっている。
そして今度は展開中の大口径砲台へ向かおうと、二機が進路を変えたところで、
『危ない!』
カラスとサンセットⅡはまたもや、取って返さざるを得なかった。
なんとなれば、グローリエ艦底の機関銃が、こちらへ向けて火を噴いたのである。
ユウとララにすれば、これは仲間を守るための当然の防衛行動、というところであったが、
「けっ、助けたつもりか。嫌味なやつめ!」
グレゴリオははき捨てた。
「L・J部隊はどうした! 攻撃の手を休めるやつがあるか!」
「は、はい!」
「あのボンメルの馬鹿たれにだけは、手柄を持っていかれるな!」
この老兵たちの意地の張り合いが、ハサンの言う、おあつらえ向きの状況なのだとしたら、事態は確かに上手くいっていると言っていいのかもしれない。
とはいえ、そのすべての矛先を向けられたカラスとサンセットⅡからすれば、これはたまったものではなかった。
オルカーンは弾をまく。グローリエも弾をまく。
そして、オルカーンとグローリエを盾に、ぐるりと死角からまわりこんできたL・Jたちが、先と同様、サンセットⅡへ組みついた。
『くうッ!』
グローリエから放出されたL・Jは、少なく見積もっても五十機はくだらないだろう。
それらが波濤のように次から次へと襲いかかってきたのだから、サンセットⅡは抵抗もむなしく、敵L・Jのかげに埋もれて見えなくなってしまう。
『ララ!』
叫んだカラスもまた、耳障りなほどのブースト音を響かせて押し寄せてくるL・Jの人海戦術に屈し、さながら機械の団子となって、聖ドルフの川面目指して降下を開始した。
『モチ!』
『駄目です。羽が……!』
『くそっ!』
ユウは暴れた。力まかせに身体をよじった。
ぎしり、ぎしりと、四肢を押さえつけてくるL・Jの手指らしき感触はあるが、視界をふさがれているために、実際自分がどのような状態にあるのかさえわからない。
よほど厚く覆われているのか、耳もきかず、風の流れも読めず。
『ララ!』
叫んでみても、目と鼻の先で反響するのみだ。
蒸し暑い。
『……うっ!』
そのときユウは、突如日光の照射をまともに受けてたじろいだ。なぜだろう、L・Jたちが散り散りになって離れたのだ。
目の前に広がる光景が、上のものなのか下のものなのか、とっさのことで判断がつきかねる。
しかし視線の先に、同じくきりきり舞いして落下するサンセットⅡの姿が見えた。
『ララ……ッ!』
『てぇぇぇい!』
『!』
カラスとサンセットⅡは雨粒のように降りかかる機銃掃射に撃たれ、あちらこちらと弾きまわされた。
そして黒の羽根、赤い装甲板の破片を散らしながら、波立つ川面へと落ちこんだ。
『手を休めるな! アンカー準備!』
『アンカー準備よし!』
『てぇぇぇい!』
『放てぇ!』
二隻の巨大戦艦から放たれたアンカーは、大河聖ドルフに浮かび上がる水泡に狙い違えず突き立った。
あとに残されたのは、ただただ沈黙の世界だった。
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