第160話 乱戦聖ドルフ

『さあて……』

 ベネトナシュの頭上で、両刃の斧が風を斬る。

 得物自体かなりの重量があるだろうに、重心を狂わされることなくぴたりと構えて見せるところなど、さすが見事だ。とても空中戦に特化した、細身のL・Jの動きとも思われない。

『俺も昔は馬に乗って、こんな斧を振りまわしてた』

 スピードスター・ホークが、ユウの心を見透かしたかのように言った。

『あれから十五年、いや十六年にもなるか。あのときの斧は蔵の中で埃にまみれ、俺はいま、このベネトナシュに乗っている』

『……』

『いや、昔話ってのは嫌なもんだ。結局はいいことも悪いことも、全部時代のせい、ってなことになる』

『あの戦争は、まだ終わってない』

『ああ、そうかもしれんな。いや、おまえさんの言うとおりだ。だからこそ、俺たちはこうして顔を突き合わせてる、そういうことだろう?』

『ああ』

『……おまえさんが、この戦の幕を引くか』

『俺じゃない。俺たちだ』

『そうか……』

 ホークは、かつてラッツィンガーより聞いたこの国の熱狂、半島平定という夢に向かって、ただただ突き進んでいた時代の熱狂というものを、目の前の青年の言葉に見たような気がした。

 そして、わずかにうらやんだ。

『ならおまえさん、こんなところで負けちゃあいられんな』

『ああ』

『まあ俺も……そんなおまえさんの壁になれて、光栄だ』

 ユウはベネトナシュの長斧が静かに持ち上がるのを見て、脇構えに寄せていた太刀を、正眼に構えなおした。

 同時に、ぴん、と張り詰められる緊張の糸。それまで柔らかだった周囲の空気が、たちまちのうちに変化する。

 自然と下腹に力が入り、背の翼が、いつものように肩を叩いた。

 ベネトナシュとカラス。ふたつの機体はすべるように動き出し、前へ前へ、歩み寄った。

『む……!』

『むうん!』

 それはユウがいままで経験した中でも、最もゆったりとしたスタートをきった一騎打ちであった。

 まるでボールの受け渡しをするように、刃が行き来するのである。

 しかしだからといってホークに腕がないわけではなく、ベネトナシュ、カラス、ベネトナシュと、ふたりは攻守を入れかえながら、そしてコンマ数秒ずつ手を速めながら、得物を振るい合った。

 引くな、一歩も引くな……!

 ユウは刃の応酬が意識を離れ、反射神経の域にまで達してもなお、その場にとどまり続けた。

 刃風が竜巻となって渦を巻き、互いの装甲に、幾すじもの斬痕が走った。

『やるな!』

『ッ……!』

 ここで口を開けばすべての気合が抜け出てしまうように思え、ユウは沈黙を貫いた。

 つまり逆に言えば、ホークにはそれだけの余裕があるということになる。

 くそっ。

 ユウはむしろ、おのれの未熟さに毒づき、形勢を逆転するべく、さらに一歩、間合いの奥へと踏みこんだ。

 肩口を浅くそがれたが、持ち前の精神力で、これを受け流した。

『ほう!』

 驚きながらも気を散らすことのないベネトナシュに肉薄し、ユウは斧を握るその手首を、空いている左の手でがっしとつかむ。

 ホークのベネトナシュも同様の動作でカラスの右手を取り、ふたりは両腕で押し合う、いわば力比べの格好となった。

『こういうのも、一騎打ちならではだな』

『う……』

 ユウは、驚愕した。

 相手はバーニアも使っていないというのに、こちらが押されているのである。

 これは無論、純粋な機械であるL・Jと、肉の身を持つN・Sの違いだろう。ユウはスイッチひとつで、制限いっぱいの力を出せるわけではない。

『ユウ』

 それまで静観を続けていたモチが、自分も手を貸したいという意思を送ってきたが、

『駄目だ……!』

 いくら『おキレイ』と言われようと、こうなったからには、それだけは駄目だ。

 ユウはいとも簡単に押しこまれ、ベネトナシュの前に、ひざをついた。

『……俺は、グライセン帝国、聖鉄機兵団第七軍軍団長、デューイ・ホーキンスだ』

『え……?』

『悪いが、おまえさんの首は俺がもらうぞ』

『……ぐッ!』

 突如みぞおちに痛烈なひと蹴りを食らい、ユウはうずくまった。

 ぎらり頭上に光る、ベネトナシュの斧。

 這いつくばって首を差し出したカラスは、まさに刑場の罪人だ。

 斬られる。

 ユウはとっさに、太刀を振り上げた。

 鈍い金属音が響き、ベネトナシュ渾身の一撃を止めた腕に、衝撃が走った。

『……来たか』

 ベネトナシュが、待ちわびたように空を仰いだ。


『え、えぇ……?』

 そのときララは、言葉を失った。

 メインモニター越しに見えたその光景。いかにララでも愕然とするのは当然だ。

 クジラに翼をつけたような、丸みのあるフォルムをした鉄の浮島。

 帝国に三艦存在する飛行戦艦のひとつ、『搭載母艦グローリエ』。混戦模様の空域へ押し入ってきたそれは、そう呼ばれていた。

『なにさ、あんなのまで持ち出して!』

 ララ自身乗ったことはないが、このグローリエ、噂では最大輸送数実に百超という、一千メートル級の化け物戦艦である。

 L・Jの輸送を主任務としているため機動力こそないものの、装甲の厚さと補給能力の高さは類を見ず、気取った貴族の子弟たちからは、『巣』などという愛称を奉られているらしい。

 ではなぜ、そのようなものがタイミングよくこの場所に現れたのかというと、ララの思うような待ちぶせではなく、オルカーンの任務に関係している。二隻の飛行戦艦はこの地で合流し、マンムートの残存勢力、すなわちユウたちを含む二号車の全人員を捕らえるべく出発するところであったのだ。

 つまり手錠をかけられる予定の当人たちが、運悪く、その合流時間と場所に行き合わせてしまったことになる。

 見る間に上空を占拠したグローリエは、サンセットⅡも、カラスも、ベネトナシュも、そしてオルカーンさえもその巨大な影の下へ敷き、当然のように、一二〇〇系L・Jの最新型を空へ放った。

 それはまるで、巨大な蜂の巣から戦闘蜂が飛び出してくるようであった。

『ユウ!』

 オルカーンの右舷、いわばわき腹にあたる場所を飛行中であったララは、ひと声叫ぶとフットペダルを踏みこみ、進路を甲板へと変えた。

 このままユウに会い、それからどうしようなどとという考えは、一切頭にない。あえて言うならば、

「早くこのことを、ユウに知らせなきゃ!」

 という、あとから思い返せば顔から火が出るような衝動による。

 だがしかしその焦燥ゆえに、ララは自分を追いかけてきていたL・Jのことも、完全に失念してしまっていた。

 L・Jたちは、まったく掟破りとしか言いようのない戦法を見せ、ララを驚かせた。

『きゃッ!』

 古来騎士というものは、一対一の戦いで得た武功こそ真の誉れ、と言ってはばからない存在である。鉄機兵団に市民出身者が増えたとはいえ、他人の戦いに手を出すな、の精神は、多かれ少なかれ帝国民の遺伝子に組みこまれている。

 しかしこのオルカーンの騎士たちは、L・Jを最も速くあつかえる者がまずサンセットⅡの足をつかみ、動きが鈍ったところで、さらに別の一機が腕をつかむ。そこに追いついてきた者が、さらにもう片方の足を……といったやりかたで、サンセットⅡを四方八方から拘束してしまったのだ。

『放しなっての!』

 カッとしたララが、手足にぶら下がったL・Jごとオルカーンへ体当たりを食わせると、その反動で二、三機がはがれ落ちた。

『うざったいって、の!』

 と、滅多やたらにスピナーを振りまわすと、今度はL・Jたちがいっせいにスラスターを噴かし、サンセットⅡをオルカーン装甲板へと押し詰める。

『く、うう、なにさ、この!』

 こんな押しくらまんじゅうは聞いたことがない。

 ララは最後の手段とばかりに全スラスターを解放し、抱きつくL・Jたちへ業火を浴びせかけた。

 そして、振り払う勢いそのままに、聖ドルフの鏡のような川面へ、ダイブした。


 ……聖ドルフの水は、冷たかった。

 もちろん、直接ふれたわけではない。

 一二〇〇系L・Jも、サンセットⅡも、高高度での戦闘を可能にしたL・Jである。コクピットハッチの密閉性にかけては折り紙つきだ。

 ただそれでも、メインモニターに映る混濁した緑青の世界と、足の指先から這いのぼってくる冷気が、それを感じさせた。

『いいかげんにしなよ、エッチ』

 ララは、サンセットⅡの胸もとに抱きついたままだった、最後の一二〇三式を引きはがした。

 一二〇三式は関節部をやられたのか、不気味に四肢をこわばらせたまま、いまだ見えない川底へ、静かに沈んでいった。

『狭間の世界へようこそ』

『きゃ、きゃああ!』

『おおっととと、君がいると場が華やぐな。にぎやかでいい』

『ハ、ハサン?』

 サンセットⅡの、人で言うならばこめかみに仕込まれたサーチライトが、流れにたなびく暗血色の翼膜を照らし出した。

 まさに、N・Sコウモリである。

 こちらはこちらで、状況確認をすべく水面へ向かう途中だったというのだが、

『パパが恋しかったのかな?』

『もうそれはいいっての』

 ララはユウに感じるのと同じ、なにやら不思議な安心感に包まれ、ほっとひとつ、息をついた。

『……そうだ、ユウ! あたし行かなきゃ!』

『ほう、上は苦戦中か?』

『だって、グローリエが出てきて、ばーって!』

『グローリエ? そうか……それは、おあつらえ向きのものが出てきたな』

 ハサンはおそらく、にやりとした。

 そしてララに、二言三言指示を出し、

『いいな』

『オッケー』

 ふたりは別れた。

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