第158話 遊楽
ララとハサン、そしてアレサンドロとマンタが宿を発ったのは、それから二時間ほどたってからのことだった。
目指すは、ユウと同じく聖ドルフ。バーテ南地区の船着場。
さすがにこの時間ともなると、対岸のアーカンへ向かう者や、観光船のチケットを買いに行く者、旅先の珍しいみやげを探し求める者で、メインストリートの人出は少なくない。露店の客引きも、大いに調子を出している。
先に川べりへ到着したララとハサンは、まず、もやのかかった聖ドルフの大パノラマに感嘆の声を上げ、次に、古い船着場へ泊まった清掃中の観光船を横目にながめながら、ふらふらと時間つぶしの態で道を折れた。
上流へ向かうこの道の先は、バーテでも、歴史的建造物が多く立ち並ぶ区域であったため、あやしむ者もいなかった。
「見たか、なんとも趣味の悪い色だと思わんか」
ハサンが、巨大な外輪(水車状の推進器)をつけた観光船を指して、言った。
その木造の船体は、喫水線から下が赤、上が茶で塗られていたが、まずいことに外輪部分が水色だったのである。
「目立つからいいんじゃない?」
「おお、いかんなララ。趣がない」
「もぉ、そんなことどうでもいいっての。ねぇ、ユウどこ?」
「もう、じきだ」
「でもユウは、船買ったこと知らないんでしょ?」
「なに、フクロウ君が知っている」
「モチ?」
ハサンはうなずいた。
「私は昨夜、彼に船の見張りを頼んでな、事のついでに、あれのこともまかせておいた」
いまごろモチは、朝一番で船着場までやってきたユウを停泊場所まで導き、役目を引き継いでいることだろう。
「ふぅん」
「そら、あの船だ。あの馬鹿めは、まさかまだ神官衣のままなどということはあるまいな」
しかしユウは言われるまでもなく衣服をあらため、平常の姿に戻っていた。
そして貴族が遊覧に使うような、二十人は乗れる幌かけ舟の甲板で、外輪まわりに張りついた氷を砕いているところであった。
「ユーウー!」
「ああ、おはよう」
ユウは、足もとを用心しながら土手の石段を駆け下りてくるララに、軽く手を上げて応えた。
ここは周辺住民が使う公共の船着場と言える場所で、他にも大小合わせて四艘の船が、水に浮いたり、陸上にふせられたりなどしている。
四季を問わず船を交通の足とするこの街では、こうした自由係留所がいくつもあるのである。
「アレサンドロたちは?」
「もう来るんじゃない?」
「そうか」
「なんだこれは」
「え? ああ、蜂蜜と、その箱に、レモン」
「結構」
ハサンは丸型の薪ストーブが赤々と熱を出す近くに椅子を寄せ、その上に乗ったケトルから、蜂蜜をたっぷりと入れたカップへ湯をそそいだ。
そこへさらに、ぎゅ、と、レモンを絞り、
「ラーラー」
「え、あたしに? ありがと」
「ユーウー、おまえは仕事をしろ」
「……ああ。そっちの包みには、サンドイッチが入ってる。ハムとチーズ、ジャム、ピーナッツバター」
「わ、食べる食べる! ユウのお手製?」
「いや、神殿の女神官様が作ってくださったんだ」
「へええ。あ、バゲットのだ」
ララは、冷えているそれをストーブの上でほんのりとあぶり、カリカリッと、いい音を立てながら平らげた。
「美味しい!」
と、二個目に手を伸ばしたところで、アレサンドロとマンタが到着した。
「がははは、おはよう、諸君!」
「おう、なんだ、飯食ってねえのか」
「食べたけど、これも美味しいんだもん」
「太るぜ」
「あ、なにさ、いじわる」
「と……モチはどうした?」
「へさきで寝てる」
「どれどれ、我輩もひとつ……む! 美味ぁい!」
……こんなことをしていると、船上はさながら、富裕層のティーパーティ会場のようだ。
もちろん、そこでのユウの役割は給仕以外の何者でもなかったが、皆がこうして無事顔をそろえられたのは、なによりも喜ばしいことだった。
「なにをニヤニヤしている。早く船を出せ」
「ああ」
ユウは、最後に残った外輪の氷を落とし、船尾に置かれた光炉のスイッチを入れた。
ウウン……。
小気味よいモーター音が起こり、おだやかな川面に波紋が流れる。
船首よし。左右外輪よし。前後に障害物なし。
舵輪を取り、手もとのレバーを倒したユウの手に、コツ、コツンと、氷のかけらを跳ね飛ばす感触が当たった。
船はゆっくりとすべり出て、大通りを走る小ネズミのように、大河聖ドルフをさかのぼっていった。
さあ、それから先の船旅は、なんともおだやかで、心楽しいものだった。
ぱしゃん、ぱしゃんと、川水を叩く外輪の音。
「おぉ、そぅれ見ぃよぉ」
と、ほがらかに響く、マンタの歌声。
アレサンドロとハサンは笑顔で語り合い、ララは隣で物珍しげに視線を走らせては、様々な疑問を投げかけてくる。
「あの鳥は? ねぇ、ここって魚いる? それって食べられる? あの塔はなに?」
ユウはそのひとつひとつに、できるかぎり答えてやった。
「へええ……じゃあ、あれは?」
「あれは……」
「……なに、ユウ?」
「ああ、その……髪、切ったのか」
「え? う、うん、昨日ヒマだったから、ちょっとだけね」
「そうか」
「うん、そう。へへ、そっか、気づいてくれたんだ」
この時間が、ずっと続けばいいのに。
ユウは、そう思わずにいられなかった。
さて。
そうして三十分もすぎると、川面のもやは太陽の熱に流され、船上からの視界はぐっとよくなった。
遠く対岸に広がって見えるのは、アーカンの住宅街。
バーテと同様歴史は古いが、時代に合わせて幾度も改修をくり返してきた町並みは、遊山で来た者からすれば面白くない、という噂の町だ。住みよいと言えど、その宿に滞在するのは、ほとんどが商人らしい。
ただ、すみ分けができているせいか、バーテとアーカンは競合することなく、どちらもおおむね裕福であった。
「あ、ユウ、うしろ」
ララの声に振り向けば、先ほどの観光船が近づいている。
このまま行っても余裕を持って追い抜いていくだろうが、ユウは船を、少し岸に寄せた。
客を腹いっぱいに乗せた観光船は、にぎやかな笑い声を振りまきながら、白波立てて通りすぎていった。
「あれ? いいにおい。なんだろ」
「シチューかな。きっと、あの中でふるまわれてるんだ」
「うぅ、いいなぁ……あのサンドイッチ、シチューと一緒だったら、もっと美味しいよね」
そこでユウは、
「もう少し行ったら、あの船も泊まる、観光スポットがあるんだ」
と、皆を待っている間、暇つぶしに調べてきた情報を披露してみた。
「そこに着いたら……」
「わかった、あの船から盗むんでしょ!」
「ええ?」
「プゥッ、フ、ハ、ハ、ハ!」
これには、ハサンとアレサンドロまでが大笑いである。
ララは目をくりくりと動かして、ユウを見た。
「あれ、違うの?」
「違う。そういうところには屋台が出てるんだ。そこで買う」
「なぁんだ。……もう、そんなに笑わないでよぉ!」
「いやいや、いかにも盗人の恋人だ。ンッフフフ、ああ、おかしい」
「そうだ、いっそ、おまえ盗んでこいよ」
「アレサンドロも、冗談じゃない」
「む、なんだなんだ、我輩も大爆笑にまぜてくれ」
船はしばらく絶えることのない笑いであふれ、誰もがひととき、憂さを忘れた。実際そのために、ハサンでさえどれほど進んできたものかわからなくなってしまったほどだ。
しかし、心配はいらない。かわり映えしない景色の先に、あの水色の外輪が見えた。
「おい、さっきの船が泊まってるぜ」
「おお、やってこい、ユウ。そら行け」
「やるわけないだろ」
ユウはわざと真面目ぶって答えたが、なんだかんだで、温かいシチューを思うと食指が動く。その観光船が停泊した、くだんの観光スポットの船着場へ、船を接岸させた。
「買ってくる」
「おい待てよ。そいつも連れてけ」
「え……」
「ひとりじゃあ、手が足りねえだろ」
「ん……じゃあ、行こう、ララ」
自分がまんざらでもない顔をしていると気づかぬまま、ユウは、ララ助けて船べりを飛び越えた。
こっそりとピースサインを出したララに、アレサンドロは同じサインを出し返して、サンドイッチをひと口、ぱくりとやった。
「さて……と」
と、ぐっと伸びをしたアレサンドロは、目が合ったハサンに対して、にやりとして見せた。
「俺たちは、エディンのやっつけかたでも考えるか」
「ほう?」
「いや、冗談だ。あいつの頭の中は、考えたってわかるもんじゃねえ。大方……」
言いさして、アレサンドロは、はっとハサンを見た。
「あの野郎、ユウが突っぱねたのを根に持って、なんてことはねえだろうな」
「それであれを狙うか? フフン、偶然立ち寄ったこの街にやつらが待ちぶせしているとは考えづらい」
「う、そ、そうか」
「そう深く考えるな、アレサンドロ。我々はそう簡単にやつの手のひらには乗らん。そうだろう、マンタ君?」
「うむ、よくわからんがそうだ、そのとおり!」
「あっちはどうだ? 上手くやってると思うか?」
「なに、便りがないのはよい便りだ。ジョーブレイカー君がいれば大概のことはかたがつく。事件になる前にな」
「ハ、そりゃまあ、言えてるな」
「さあ、そうとわかればマンタ君、この神経衰弱気味のリーダーに、なにか余興を見せてやってくれ。なんでもいいぞ」
「む、ではタツノオトシゴたちの舞をひとつお見せしよう! これは愉快! 間違いなく抱腹絶倒の嵐!」
「よしそれだ、派手にやれ!」
そうして、筋骨たくましい滑稽ひげの男が両のつま先で立ち、甲板の上をちょこちょこと行ったりきたりするさまをながめながら、ハサンはやれやれと鼻息を吹いた。
これは、アレサンドロがエディンの非人道的な行為に対して過敏でありすぎるという、一種母性本能的な意味も含まれていたが、多くは、この男にどこまで話していいものか、それを悩んでいるため息であった。
思えば、まったく難儀な問題である。
無論、ユウの前にエディンが現れたという事実はアレサンドロも承知しているところだが、あくまで、エディンの目的はユウであったと言ってある。仲間になれとの誘いを断ると、適当な脅し文句を並べて帰っていったらしい、と。
しかし、問題はこれからだ。
いくら隠したところで、いずれ今回の黒幕が何者か、アレサンドロにも知られるときが来る。
それがいつなのか。いつならば、この壊れやすいダイヤモンドに、深い傷を与えずにすむものか。
よしんば、現実を受け入れさせたとしても、『冷静な復讐』を受け入れさせることができるか、どうか。
「まったく……難儀だな」
ハサンはもう随分と前から、明確な答えを出すことができない自分の脳に失望していた。
そして、なさけなくも真実の思いとして、自分にも休息が必要である、と、考えていた。
「たっだいまぁ」
「おう、お疲れ」
ユウとララが戻ってきた。
こうしたところに出ている屋台シチューは、頼めば器ではなく、別売りの手さげ鍋に入れてくれる。ふたりが持ち帰ったそれの中身は、とろりと煮こまれたビーフシチューとクリームチャウダーだ。
ちょうどそのとき甲板では、第二幕『真夜中の珊瑚たちの踊り』が披露されていたところで、両腕を上げ直立したマンタが、ゆさゆさと左右に揺れている。
「なにこれ、新しいイジメ?」
マンタは、がははと笑った。
そうしてほどなく、丸型ストーブの上で鍋を温めながら、船は桟橋に別れを告げた。
あの目立つ観光船の外輪がはるかうしろへ遠のき、別のルートを通る、こちらは少々地味目の小型観光船が、どんどんとわきを追い抜いていく。
とはいえ、競争しているつもりもないユウたちは特段あせることなく、サンドイッチをつまみ、シチューをつまみしながら、上流へと進んでいった。
途中、幾度か休憩をはさみつつ、とある支流との合流地点へ差しかかったのは、まだ昼まで間がある時刻のことであった。
「む、ここは覚えがあるぞ!」
マンタがへさきへ駆け寄り、言った。
「我輩は、そう、右の道を行ったのだ!」
ここでマンタの言う『右』とは、聖ドルフの本流にあたる。ユウの調べでも、土砂崩れが起きたのは、この先だ。
そして、すべての観光船はより景観のいい左の支流へと入っていくため、ここから本流をのぼるのは商船か荷船か連絡船、と相場が決まっているのであった。
「フン。まぁ、これから先どのような船に会おうと、あわてることはない」
パイプの灰を、安物の灰皿へ落としつつ、ハサンが言った。
「こんにちはと言われれば、こんにちはと返せ。挙動さえあやしまれなければ、多少のことは誰も気にとめんものだ」
そこでユウたちは、いかにも遊覧船であることを隠そうともせず、さらに本流をのぼっていった。
道々、やはり道に迷っていると思われたのか、通りがかった親切な船頭が、
「ラインコープは戻って左だよ!」
などと、声をかけてくれたりもしたが、そのようなときはララが純真さたっぷりに、
「この先のおばあちゃんに会いに行くの!」
と、手を振る。
すると、なるほどそういうことかと納得した面持ちで、船頭たちは旅の安全を祈ってくれるのだった。
さて……。
そんなふうにして、ユウたちの船は山間を進んでいったのだが、それでもまだ、こんな小さな船ならば数十隻は並んで通れそうなほど、川幅は広かった。
しかし、時折見かける船着場は、切り出された材木を積み出す粗末なものばかりで、民家はもう、一軒たりとも見られない。
そのうち川は、一面雪の降り積もった、広い河原のある一帯へと差しかかった。
「むぅ、近い、近いぞ!」
マンタが鼻をうごめかせて言った。
「感じる! 不思議だ、感じられるようになった!」
「感じる?」
アレサンドロは怪訝な顔をしたが、いろいろと黙っておきたいことのあるユウとハサンは、そ知らぬ顔をして首をかしげておいた。
N・Sと正当な持ち主とは、魂がつながっている。もしもそれをアレサンドロが知れば、きっと様々な方向へ考えをめぐらせることだろう。
そしてそれが、どのような行動を生み出そうと、いまは好ましい結果になるはずがない。
どうしよう。ユウは思ったが、とにかく話を変えておいたほうがよさそうだと、話へ割りこんだ。
「あの、アレサンドロ。俺が聞いたのも、このあたりだった。ほら……」
「ここだぁ!」
「きゃっ!」
「マ、マンタ!」
ユウは、我が目を疑った。
なんと、突然叫んだマンタが全身の服を脱ぎ捨て、下着一丁となってしまったのだ。
さらにそのまま振り返りもせずに川面へ飛び出し、どぼんとひとつ、盛大な水柱を上げる。
この寒空に、それは自殺行為だった。
「マンタ!」
「なにやってんだ、この、馬鹿!」
船べりに駆け集まったユウたちは川面をのぞきこんだが、ぽつ、ぽつ、と泡がのぼってくるのみで、マンタの姿どころか、川底さえも判然としない。
「チッ、なにやってんだ。おい、俺たちも行くぜ!」
「待て」
「あんたはまたそれか。とにかくマンタを連れ戻してからだ!」
「いいから待て。私に音を聞かせろ」
「音?」
アレサンドロは、ハサンの様子に尋常でないものを感じ、声をひかえるよう全員に目配せした。
そして、わずかに眉をひそめつつ聴覚に集中するハサンが、なにかしらの答えを出す瞬間を待った。
「……まったく。これがエディンの仕業ならば、たいしたものだな」
「え……?」
「……おいおい、マジかよ……」
「うっそぉ……」
それをひと目見た途端、ユウは高名な画家の描いた、とある恐ろしい絵を思い出した。
その画題とは、山向こうから不気味な目つきでこちらをのぞきこむ、ひとつ目の巨人、キュクロプス。
いま、それと同じく現れたのは、帝国の巨人、飛行戦艦オルカーンであった。
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