第157話 確信

 その後ユウは、すぐさまモチを介して、ハサンを呼び出した。

 いや、特に誰と指定したわけではないのだが、事情を聞き取った上でやってきたのが、ハサンだった。

 ユウとしては、エディンが近くにいることを考え、アレサンドロのそばにいてもらったほうがよかったのではないかと思ったが、

「又聞きでは情報がにごる」

 と、マンタに警護をまかせてきたらしい。

 戦闘能力は未知数だが、冒険でつちかわれたマンタの度胸は、どのようなものにも勝る武器なのだった。

「それで?」

「俺はエディンを、祭室に」

「鍵は」

「まだ、借りたままだ」

「よし、では移動するぞ」

 ユウとハサンは祭壇前から祭室へと移り、鍵をかけずに椅子へ座った。

 ハサンの目を真正面から見ることとなったユウは、エディンなどを相手にするよりも数倍緊張した。

「では、はじめからだ」

 左手の中でパイプをもてあそびながら、ハサンは言った。

「やつとここでかわした会話を、順番どおり、一言一句違えず再現してみせろ」

「ああ。まず……」

 ユウは、この恐ろしい師の前で喉をからからにしながら、できるかぎり要望に応えようと努力した。

 途中、ハサンはひとこともものを言わなかったが、時折フンと鼻を鳴らしては身を揺する。それがまた、ユウの心臓を飛び上がらせた。

 話が終わると、ユウはもう、額から汗がしたたり落ちるほどになっていた。

「なるほどな」

 ハサンは懐からマッチを取り出そうとして手をとめた。神前は飲食喫煙禁止。子どもでも知っているルールである。

「まあいい。まず、ひとつ」

「ああ?」

「おまえは本当に、ディアナ大祭主からオオカミが生きていると聞いたのか」

「いや、俺が見たのは……」

「見た? おまえが?」

「あ、ああ、大祭主様は、見たものをそのまま俺に見せてくださったんだ。たぶん、頭に、直接」

「ふむ……」

 さすが聖乙女と、ハサンは感服しきりにうなずいた。

「それで?」

「俺が見たのは、N・Sの見た、景色。N・Sカラスとオオカミが、殺し合う瞬間だった」

「……続けろ」

「勝負がついたそのとき、カラス……生身のカラスが、N・Sを降りたのが見えた。そして剣を抜いて、左のほうに」

「左ではわからん」

「でも見えなかった。N・Sの左目は傷ついてたんだ」

「つまり、相手が誰であったかは……」

「わからない。でも状況から考えると」

「オオカミ」

「……ああ」

「だが、ふむ、オオカミのN・Sに、そのままオオカミが乗っていたという証拠もない、か」

「ああ。オオカミは、たとえば真犯人を追って砦を出たのかもしれない。カラスと一緒に」

 ユウはこのとき、はなはだ勝手ではあるが、そうに違いないと思った。

 そうであれば、アレサンドロの信じるカラスとオオカミ、両方の名誉が守られる。なにか名乗り出ることができない理由があるだけで、ふたりは生きているのかもしれない。

 ……しかし。

 ハサンの確信は、ユウが思うそれとは、まったく別のものであった。

 ハサンの胸の内ではいま、はっきりと、事件の黒幕の姿が形を成していたのである。

 それは……オオカミ。

 この男は、少なくとも十五年前から、帝国の側についていた。

 そしてバイパーのような輩を使い、魔人と奴隷の一掃に、力を貸したのだ。

「フゥン……」

 こうしたとき、ハサンは『なぜ』とは考えない。

 考えても、深く追求をしない。

 なぜならば、人間が行動を起こす理由は多岐にわたり、その人物の人となりを見なければ判断ができないからだ。

 残念ながらオオカミとの面識がない自分では考えるだけ無駄。ハサンはあっさりと、思考を打ち切った。

 しかし、

「カラスはもう、生きてはいまい」

 そう、冷徹すぎる自身の脳が出した結論に、ため息せずにはいられなかった。

 ハサンにとってカラスとは、つまり、それだけ大切で、正しい女だった。

「ハサン……?」

「いや……まあ、おまえにしてはよくやった」

 ユウは、自分の肺にこんなにも空気がたまっていたのかと我ながら驚いてしまうほど、大きく息をはき出した。

「無論、ディアナ大祭主の名を軽々しく口にしたことは感心できんが、まずまずだ」

「う……そ、そうか」

「とはいえ、いま現在ディアナ大祭主は帝都だ。いかにあの男でも、そうそう手は出せまい」

「帝都? メイサ大神殿じゃないのか」

「カジャディールとともに帝都だ」

「どうして」

「大祭主ならば帝都に出向くこともある」

 ユウは、それもそうかと思った。

 大祭主ともなれば、月例祭の他にも皇帝主催の茶会、相談の呼び出しと、なかなか忙しいと聞く。

「なに、帝都には虫もいるが、真の騎士もいる。案ずることはあるまい。とにかくおまえは、やつとの誓いを守ることだ」

「エディンを大祭主様に?」

「会わせろと言うなら会わせてやれ。そして……」

「そして?」

「ふむ」

「ハサン……?」

「いや……おまえもオオカミの生死、さらにわかるようならば居場所を聞き出してこい」

「わかった」

「それまで、この話は一切他言無用。アレサンドロにもだ」

「わかった」

「……それで?」

「それで?」

「二百年前の情報はどうした」

「あ!」

 すっかり忘れていた。

「やれやれ、夜にまた寄る。それまでに調べておけ」

 席を立ったハサンは、祭壇まわりを清めていたマーコット神官に折り目正しい会釈をし、去っていった。

 マーコット神官は、

「ステキなかたね」

 と、乙女のように恥じらった。


 それからは、ユウの予定どおりに事は運んだ。

 そもそも神殿ほど土地の歴史に通じた場所もなく、地下蔵に収められた膨大な書物の中に、二百年前の大地震についての文献が眠っていたのである。

「お借りします」

「ええ、どうぞ」

 ユウは、貧しい者たちへの炊き出しを終え、食器類をすべて片づけたのちに、部屋でその書物を読みふけった。

 そして、重要と思われる箇所をすべて薄紙に書き写し、固く折りたたんだものを、そで口に忍ばせた。

 あとは、このまま夕食前の祈りで混雑している聖堂内を、適当にぶらついてやればいい。

 現れたハサンと何食わぬ顔ですれ違い、それで終わりだ。

 こうなれば、ユウとハサンのつなぎに、わずかの手抜かりもあるはずがなかった。

 さて……。

 その文献によると、土砂崩れの現場は、ここよりさらに上流。

 マーコット神官に確認したところ、両側を山にはさまれた、荷船と連絡船が時折通る程度の場所だという。

 そこへ行くには船が必要となるが、それに関しての首尾は、ハサンが上手くつけてくれるだろう。

 ユウは、いまごろ皆はどうしているだろうかと思いながらも、その日は早めにベッドへ入り、夢も見ずに眠りこけた。

 そして翌早朝、朝のつとめを終えたところで、神殿を辞した。

「いいですね。アーカンへ行ってはいけませんよ」

「はい。いろいろ、ありがとうございました」

「いいえ。メイサのご加護がありますように」

 つぶらな青い目を何度もまたたかせたマーコット神官は、そう言って、柔らかく暖かい手をユウのそれに重ね、旅の無事を祈るまじないをとなえてくれた。

 さらに、いつの間に用意してくれていたものか。大きなカゴに収めた、皆で食べても余るほどの弁当までもを、ユウの手に握らせた。

「いまさら、いらないなどとは言わないでちょうだいね」

「……はい」

 感激したユウとマーコット神官は、互いの頬にキスをかわし、固く手を握り合った。

 そうして一歩踏み出したメインストリートは、いまだ夜のように暗く、昨日の雑踏が嘘のように、シンと静まり返っている。

 冷気が横たわる道を歩き出し、温かい光を背にしたマーコット神官へいま一度手を振って見せたユウは、大河聖ドルフへの道を、まっすぐに進んでいった。

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