第146話 紋章官会議
「……これだけですか?」
「いまの時点では」
「これでは、なんとも判断のしようがありませんね」
帝城の一室に集った、六人の紋章官のひとり、ハイゼンベルグ軍アルバート・バレンタインは、薄いレジュメの裏側まで確かめて、ため息をついた。
そこに記されているのは、昨夜、鉄機兵団宿舎において起こった、ボヤ騒ぎについての報告。
夜間であったことに加え、比較的警備が手薄であったことから、犯人、および動機についてはいまだ不明であること。そして、高さ三メートルの塀の向こう側から、手製と思われる爆発物が投げこまれたらしい、と、それだけであった。
「奴隷の一派でしょうか」
「例の『赤い三日月戦線』か?」
と、ホーキンス軍、ヨーゼフ・グレゴリオがひげをかく。
「それはどうでしょう」
と、ヴァイゲル軍ヴィットリオ・サリエリが、議長へ発言の許可を求めた。
議長は、最年長のエルンスト・コッセル。ラッツィンガー軍紋章官であった。
「私は、そう決めつけるのは早計であると考えます」
「なぜ、そう思いますか?」
コッセルは、その温顔にふさわしい所作で、サリエリに起立をうながした。
「は。私は、赤い三日月戦線のリーダー、エディン・ナイデルという男に、強い自己顕示欲を感じました。それでなくとも、帝都中心部への攻撃は、外部への格好のアピール材料。それを、犯行声明文ひとつ出さずにおこなうとは考えられません」
「なるほど」
「これは、彼に触発された奴隷か、もしくは帝国への不満を持つ者、すなわち、旧ロンドランドやアルデン、その他地域の残党勢力の仕業ではないかと考えます」
「他に意見は?」
「コッセル紋章官」
「どうぞ、バレンタイン紋章官」
「自分は、旧国家の残党勢力、という意見には反対です」
「その理由は?」
「先帝、ユルブレヒト三世陛下が平定宣言をされて、すでに三十年です。つまり、残党勢力には三十年の猶予があった」
「ふむ」
「しかし、それにしてはやりかたも、標的も、結果も小規模すぎます。まるで訓練を受けていない者が、昨日今日思いついたような……」
「なるほど、わかりました。では、他の意見を……」
「いや、わしはありませんな」
「シックザール紋章官、あなたはどうですか」
指名を受けたハインツ・シックザールは、わずかに背もたれから身を起こし、首のこりをほぐすような動きをした。
この人物、ここではシックザールと言うよりも、『鉄仮面』と呼んだほうがわかりやすいかもしれない。
この黒甲冑の鉄仮面こそが、セロ・クラウディウス軍の紋章官だったのである。
「なにか意見は?」
「……ひとつ」
「聞かせてください」
鉄仮面は、音もなく立ち上がった。
「無駄ではないだろうか」
「無駄?」
「このような話し合いも、不毛な犯人探しも、すべて」
「失礼だが、シックザール紋章官! それは……!」
「バレンタイン君。冷静に」
「く……失礼、しました」
「それでその、理由は?」
「貴公がわからぬはずはない」
「それが理由にならぬことも、あなたならばわかりますね」
「……」
「シックザール紋章官?」
鉄仮面が深く息をはき出す、くぐもった音が響いた。
「……もし仮に。いまの流れで奴隷を犯人と断じたとしても、なにができる。見境のない粛清は火に油をそそぐようなもの。生かさず殺さず、それこそが安定世界の条件であったはず」
「ふむ……」
「だからこそ、適度に捕らえてはホーガンへ送りこみ、恐怖を根づかせてきた。ネズミのように言葉を持たず、隠れひそんで生きるならば、生き長らえるだけの自由は与えてやろうと」
「……そのとおりです」
「それを貴公、いや、貴公の主、ラッツィンガーは、あえて排除するというのか」
「いいえ。……確かに、それは不可能でしょう」
「それこそが理由だ。コッセル紋章官殿」
鉄仮面は、また、闇が降りるかのように着席した。
……そのとき、ふと。
窓際のササ・メス、リドラー軍紋章官が外をながめやったことで、全員の目が、その視線を追いかけた。
雪が降り出している。
「今年は、よく降ることです」
コッセルは、手もとの資料をトンとそろえ、わきへ押しやった。
「さて……これは、いまだからこそ言える話ですが。陛下は、ホーガン解放を、政策のひとつとして考えておられるようでした」
これには、打ちそろった紋章官全員が、驚愕をあらわにした。
「それは、陛下ご自身が?」
「ええ。今年、いえ、去年の春のことです。私を呼び止められ、そのような選択肢はないのだろうかとおたずねになりました」
「それで、なんと」
「陛下が望まれるならばと、お答えしました」
「ううむ、いかにも。いかにもですな」
「……しかし、ホーガンはすでにない」
「そのとおりです、シックザール紋章官。正確には、機能を停止している。あなたに言わせれば、これも無駄な情報でしょう」
「……」
「しかし、陛下が奴隷の立場を見直そうと考えておられたことは確か。現在帝国内で起こっている一連の事件は、それを考えるいい機会になるのではないか、私はそう思っているのです」
と、コッセルは机上に置いた手を、祈るように組み合わせた。
「そのためにも、我々には正確な情報が必要です。その情報を共有する、ネットワークの体制も。こうして話し合いの場を持ち、結論は出せないまでも可能性を探っていく。それは決して、無駄なことではないと思いますよ」
「……ふん」
鉄仮面は、四度、手を打ち鳴らし、自身の負けを認めた。
「とはいえ状況は、あまりかんばしくありませんね。このままでは本当に……」
奴隷の粛清がはじまり、十五年前の戦が、再びくり返される。
「コッセル紋章官、彼らはどう出るとお思いですか」
「レッドアンバー、ですか」
「はい」
サリエリの眼鏡が、今日は謙虚に輝いた。
「仮に私ならば、おそらく非戦闘員をかかえている分、極端な攻撃行動は避けるかと。しかし、黙っているとも思えません」
「ええ。その判断は正しいと思いますよ」
「では」
「彼らは拠点となる場所を探しているのでしょう」
サリエリは、わが意を得たりとうなずいた。
「我々の知らない魔人砦があるのかもしれません。魔人の長い歴史において、そういったものが一切存在しなかった、と考えることのほうが不自然です。……ただ、拠点を得たところで、彼らが戦いに出るか、どうか」
「では、篭城を?」
「彼らが生き延びるためには、おそらく」
「そこに他の奴隷も集まれば脅威です」
「そう……脅威ですね」
そこでふと、コッセルは口をつぐんだ。
「ふふ……どうせならば、そこが『陸のホーガン』になってくれればよい、などと考えていては、和解などとてもとても」
それは、自嘲の笑みだった。
「ひとりの人間でさえこうなのです。十五年に渡って積み重ねられてきた集団感情は、なまなかのことでは払拭できない。それはもちろん、奴隷にとってもそうでしょう」
「……」
「先の長い戦いになりそうですね」
マンムート・ブリッジに、それら一連の情報がもたらされたのは、やはりジョーブレイカーの報告によってであった。
『……それで、鉄機兵団はどう動いた』
『ハイゼンベルグ、ヴァイゲル両軍が帝都の警備に』
『将軍機の修理待ちだな』
『そうだ』
『そしてオルカーンが帝都を出た。違うかな?』
『……そうだ』
『ンッフフフ』
無論、この超人とて紋章官会議を盗み聞いたわけではないのだが、例の檄文に対する帝都の反応を探っている間に、こうした鉄機兵団に関する現況情報も入ってきた、ということだ。
『エディンはどうしている』
『手下を三人、使いに出した』
『行き先は君でも無理か』
『……』
『なに、手が足りんものは仕方がない。監視を続けてくれ』
『承知した』
おおよそこのような打電をかわし、ハサンは伝え聞いたそのとおりの事実を、ブリッジキャプテンシートのアレサンドロと、その隣のクジャクへと告げた。
なにもこの程度の仕事はハサンでなくとも事足りるのだが、暗号表もなしに打電をやりとりできるのは、マンムートの中でもハサンとジョーブレイカー、そして意外にも、テリーの三人だけなのである。
「そうか」
あごをかいたアレサンドロは、帝国全図をサブモニター上に表示するよう指示をした。
「整理してみようぜ。ギュンター・ヴァイゲルと、カール・クローゼが帝都だな。そして、スピードスターのオルカーンが、こっちへ向かってる」
「エディン・ナイデルは、そう、ここからおよそ三十キロ」
「他のやつらはどうだ?」
「いま現在は帝都だ。オットー・ケンベル以外はな」
「ケンベル……例の、スナイパー軍団か」
「新年祭にも戻らなかったというが、はてさて、どのあたりにいるのやら」
するとクジャクが、
「帝都とはやりとりをしているはずだ。それを追えんのか」
「並の軍ならばともかく、相手はスナイパーだ。そうやすやすと足取りをつかませるとは思えんな」
「む……」
「とはいえ、こちらが先に居場所を特定できなければ命取りだ。開発にたずさわった我らがセレン・ノーノ博士によると、やつの将軍機『メラク』の射程は、七キロ」
「な……ッ!」
「たとえレーダーの網にかかったとしても……」
ハサンは、パッと、手を開いた。
「どうする?」
「そう、そこだ。単純にして最も難解な質問。どうすればいいか」
「手はあるのか」
「ふむ、ないでもない。つまり我々が求めているのは、なにはなくともケンベルの居場所だ。そのために、まずは、ジョーブレイカー君の情報網を利用する」
それは、鉄機兵団をもしのぐ、神殿内のネットワークだ。
「ただし、我々が信用できるのは、土女神と月女神のみ。となると、それら神殿の少ない、この西部領近辺では少々分が悪い。メイサの眷属である海女神も味方にできれば、もう言うことはないがな」
「他には」
「オルカーンが出たというのがポイントだ。たかだかL・J三機程度の戦力しか持たん赤い三日月戦線相手に、帝国の誇る飛行戦艦を投入するだろうか。いや、すまい。やつの目的もまた、我々だ」
「……だろうな」
「ならば、強大な力を持つもの同士、いずれどこかの場所で合流、もしくは連絡を取ると考えられる。そこをキャッチする」
「ふうむ」
「無論、隙があるならば先手を取るのもいいだろう。最低限、奇襲を回避し、対応を練る時間は得られるはずだ」
「それもジョーにやらせんのか?」
「そうだ。それに加え、もうひとつのルートを使う」
「もうひとつ?」
「フフン」
「おい、もったいぶるな」
「いや、おまえもどこかで聞いた覚えはないかな? 飛行戦艦を天敵と位置づけ、その情報収集を抜かりなくおこなっている組織のことを……」
「海賊か!」
「そのとおり。言うまでもなくオルカーンは我々を警戒しているだろうが、いまこのときに、海賊は眼中にあるまい。ソブリンならば裏切る心配もなし」
「……へぇ」
「おや、リーダー君、エディン・ナイデルの真似かな?」
「まあ、な」
にやりにやりとするアレサンドロに、ハサンは、わざとらしい閉口顔を見せた。
誰も信用するなと言ったのは、あんたじゃなかったか?
うるさい。
そんなやりとりが聞こえるようだ。
「とにかくも、使えるものは馬糞でも使う。でなければこの戦、到底乗り越えられんぞ」
そうしてすぐさま、ジョーブレイカーとソブリンに、電信が打たれた。
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