第145話 狂言まわし

『……エディン・ナイデル。私はオオカミの遺志を継ぐ者。赤い三日月戦線の、エディン・ナイデルです』

 広域電波に乗せたエディン・ナイデルの『檄文』は、このような一文からはじまった。

 すでに、先の接触から五日。

 この二日前には『襲撃成功』の報が、ジョーブレイカーよりもたらされている。

 その出城にN・Sが、という情報はいわゆるガセネタであり、エディン・ナイデルのもとにはいま、奪い取った三機のL・Jがあるのみだそうだ。

 魔人と帝国、かつての戦がどのようにしてはじまり、どのようにして終結したか。

 いや、真実終結したのか、まだ終わっていないのではないか。

 そう話が進むほどにエディンの論調は強くなり、

『いまの、我々の生活はどうだ!』

 声を荒ぶらせたときには、全艦放送に耳を傾けるマンムートの誰もが、息を詰まらせた。


 変わりはしなかっただろうか。昨日までは家族同然の付き合いをしていた隣人の目が、入れ墨の存在を知った途端に、けがらわしい密告者のそれへ!

 責めはしなかっただろうか。医者にみせることをためらい、愛するものを死なせてしまった自らを!

 戦争が終わったと言うのなら、なぜ、いまだに鉄機兵団の目をおそれなければならないのか。ホーガン監獄島をおそれなければならないのか!

 なぜ、なぜ、なぜ!

 エディンはくり返した。

『……しかし、ホーガン監獄島は、すでに解放されました。我々の同志、N・Sを持つ同志によって』

「……チッ」

『我々は、ホーガンを復活させてはいけない。いまこそ、立ち上がるべき時です。我々を愛してくれた魔人たちが、いったいなんのために戦ったのか、それをもう一度、思い出すべき時です。……あの一時代、魔人との絆こそが、我々の誇りなのだから!』


「……どう思う」

「それは私にではなく、おのれの胸に問うことだ」

「……」

「揺れたか」

「……そりゃあな」

 キャプテンシートをきしませたアレサンドロは、顔色を読まれることをおそれるかのように、ハサンから顔をそむけた。

「見事なもんだぜ。俺なんかよりも、ずっとリーダー向きだ」

「フフン、そう卑下するものでもない」

「いや……見ろよ」

 しゃくってみせるあごの先では、ブリッジクルーの誰もが苦い涙を噛みしめ、様々にわき起こる感情を抑えつけている。

 直接的には戦争を知らないはずの若者たちでさえこうなのだ。二号車ではいま、どれほどの想いがあふれていることか。

「なあ、ハサン。あんたは……」

「おまえの紋章官だ。おまえの望むところへ、おまえを導こう」

「……好きにしろ、ってことか」

「無論、場合にもよるがな」

「あ、アレサンドロさん、通信が……」

「誰だ?」

「いまの、エディン・ナイデル、さん、です」

 虚を突かれたアレサンドロは、はっと、ハサンを見た。

「なるほど。おまえに猶予を与えん気か」

「どうすりゃいい」

「なに、構わん。やつの面を見れば、おのずと答えは出る。思うところを伝えてやればいい」

「……つないでくれ」

 ブリッジの大画面に、あの、妖物をも惑わすような笑顔が映し出された。

 背景は、戦利品のL・Jであった。


『聞いてもらえましたか』

「ああ」

『これが、私の想いです』

 と、今日のエディンは人目を気にしてか、妙に神妙な声音だ。

「聞いたぜ、確かに」

『では、先日の返事を聞かせてもらえますか』

「返事?」

『とぼけてもらっては困ります。帝国を滅ぼすために、是非とも協力していただきたいとお願いしたはずです』

「……」

『さあ、答えを』

「……断る」

『断る! へぇ』

 ブリッジがざわめき、エディンは、心底あきれた顔でアレサンドロを見た。

『それは、あなたがた全員の意見ですか? いや、違うはずです。うしろの彼などは、心から驚いている』

「だったらなんだ」

『ひとりよがりですよ、それは』

「ハ、余計なお世話だぜ。とにかく俺は、てめえのつらが気に入らねえ」

 このひとことが、ブリッジの混乱をさらに大きくしたと言っていい。

 個人の主観にまみれていることもそうだが、マンムートのことは自分が決める、それでなにが悪いという、ある意味これは、四百人の意思をないがしろにする発言である。

 信頼していたリーダーへの失望。青年たちの視線に、そんなものが含まれはじめていることに、エディンはにやりとした。

『では、こうしましょう。あと一日待ちます。今度こそ、全員で決めてください』

「俺は、くつがえすつもりはねえ」

『いえ、そうはいきません。あなたが思うほど、状況はあなたに味方しない。ねえ、そうでしょう、うしろの人』

「私か?」

『ええ、あなたがそちらの紋章官、違いますか』

「いや」

『あなたの目から見てどうです。彼は勝てますか』

「ふむ……」

 ハサンは思わせぶりに、ふたりのリーダーの顔を見比べた。

「確かに、勝利は君の手にあるようだな、エディン君」

「ハサン……!」

『う、ふふふふ』

 エディンは、ますます喜んだ。

『さすがです。冷静な判断力をお持ちだ』

「それが、私の仕事でな」

『これは、失礼しました』

「ンッフフフ」

 アレサンドロは言葉もない。

「……ところでどうだろう、エディン君。私の出す条件を呑んでくれるのならば、全面的に協力してもいいが」

『へぇ、やはり話がわかる。どんな条件です』

「なに、簡単にして当然のことだ。N・Sクジャクは言わずもがな、こちらの所有する、オオカミ、カラス、コウモリに関するすべての権限を、いままでどおり、我々に一任してもらいたい」

『……え?』

 途端に、エディンの顔色が変わった。

「知ってのとおり、我々は大所帯、非戦闘員も多い。守るためには、それなりのそなえが必要なのだ」

『……オ、オオ、カミが……そこに』

「つまり、我々のリーダーであるこの男が君を拒むのも、そういうところに理由があるのではないかな。幸い、これとオオカミをはじめ、当方の乗り手は適合率が高い。我々としては……」

『待った』

「ンン?」

『待ってください、紋章官の人』

 手を突き出したエディンは、大きく目をむき出して、アレサンドロを見た。

 それもにらんだのではなく、死人でもこうはなるまいというほど感情の抜け落ちた目で、ただ見た。

 そして……、

『本当ですね、いまの話』

「私が嘘をついてどうなる?」

『そうですか』

 エディンは、抑揚のない声でそう言った。

 道化師の面をかぶったかのような不気味な笑顔。機械音かと思うほど、冷たい声だった。

『残念ですが、その条件は受けられません。では、さようなら。次は戦場で』

 と、それだけで、通信は一方的に断ち切られた。


「無礼な若造だ」

 茫然一色に包まれていたブリッジは、このハサンのひとことで、我に返った。

 なにしろ、わけがわからない。

 ハサンの突きつけた条件は、特別理不尽なわけでも、相手の足もとを見たものでもなかったはずだ。

 それがどうして、突然の交渉決裂となったのか。

「あの男、はなから、我々のN・Sを奪うつもりだったのではないか?」

 ハサンが、うそぶいてそう言った。

「なにしろあれだけ口が立てば、協力などと言いながら、後々、我々の上位に立つことも可能だ。そうなれば、N・Sの所有権など思いのまま。そこを先んじられたために、次は戦場、あろうことか力づくで奪おうという……」

「な、なるほど……」

 若者たちがうなずく。

「それにしても、おまえの慧眼にはおそれいったな、アレサンドロ。おまえは先日のやつの態度から、いち早くそれを見抜いた。しかし、かつての仲間である以上、衆人環視の中で責め立てることも心苦しく、おのれひとりが悪役となったのだ」

「あ……!」

「ほ、本当ですか、アレサンドロさん!」

「う……」

「そうだろう? アレサンドロ」

「あ、ああ……」

 期待に満ちた、若者たちの視線に押されるように、アレサンドロは、首を縦に振った。

「あいつの気持ちも、わからねえではねえし、な……」

「おお」

「やっぱり……!」

「さすがだ。さすがアレサンドロさんだ」

 若者たちは、口々に賞賛した。

 しかし無論、これは嘘である。

 これは、エディンの内にひそむ、オオカミへの信仰心を逆手に取った誘導術。エディンにわざと敵意を抱かせ、自ら手を引かせることで、アレサンドロの意思どおりに事を運び、さらにはその名誉まで守ろうというハサンの魔術だ。

 それがいま、このような形で完結したのである。

「こうなればもう油断はできん。やつは我々からN・Sを奪うため、様々な手段を講じてくるはずだ。なまじ、軍隊などを持たんがゆえにな」

 そう説くハサンの、頼もしさと恐ろしさ。

「これからはこのブリッジ、いや、我々ひとりひとりの耳目がマンムートを支えていくことになる。それを忘れず、わずかな変化も見逃すな。N・Sがなければ、建国はおろか、我々など一日と持たず鉄機兵団の餌食だぞ!」

 アレサンドロはあらためて、深い感服の念を持った。


「ンッフフフ、アーレサンドロー」

「うん?」

「おまえはもう少し誇りに思え。これは私を紋章官に選んだ、おまえの手柄だぞ」

「ハ」

「だがいいか、私は確かにできることはやった。しかしその見返りに、エディン・ナイデルの憎悪を、おまえがすべて引きかぶってしまうことになった」

「ああ、上等だぜ」

「やつの誘いを断ったおまえに、いまさら聞くまでもないだろうが……」

「ああ?」

「おまえはこの……これから先も数多の命を救うだろうこの手で、あの男を絞め殺す覚悟があるな?」

 アレサンドロは強く、うなずいた。

「結構」

 ハサンはひそめていた声量を、わずかに高めた。

「ではアレサンドロ。やむなく表へ出る場合は、私かクジャク君のどちらかを、必ずそばに置くこと。これだけは一瞬たりとも違えるな。おまえの命も危ういが、やつはこの指切り落としてでもオオカミを奪っていく。指の一本など、あっけないほどたやすく落とせるぞ」

「あいつは、この指輪がオオカミだと?」

「知っているかどうかは問題ではない。我々が対処できているかどうかだ」

「わかった」

「ハサンさん、通信です。二号車から」

「どうするのかという問い合わせならば、いまから説明すると伝えておけ」

「了解です」

「さあ、リーダー君、仕事だぞ」

「ああ。……つないでくれ」

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