第137話 吸血鬼
「カウフマン、シュナイデが来る」
「え……?」
「ナーデルバウム、あの娘のL・Jだ」
「それが、ここに来るのか?」
「そうだ。……おまえがオーナーだな」
「……ハァン」
「すぐに全員を避難させることだ」
「ハア、ハア、ハア」
バングはひと声笑い、立ち上がった。
身体にフィットした衣服のためだろうか。無駄をそぎ落としたその肉体は、数字で聞くよりもはるかに長身に見える。
そのまま、すでに死人同然のオーナー・ジョッシュにかわり、人々に避難を指示するのかと思いきや。バングはゆっくりとジョーブレイカーへ近づき、
「む……!」
その胸ぐらをつかみ上げた。
これには、ユウも驚きである。
なぜならばジョーブレイカーは、確かに身をかわす動作を見せたのだ。
見せたのに、逃げられなかった。
あのジョーブレイカーが、である。
バングは、その細長い身体を黒装束に揉みこむようにして、
「ハァン、惜しいな」
「……」
「目の色が悪い」
と、口もとからのぞく異様に長い犬歯を、舌の先で転がした。
これが『吸血鬼』の由来。そしてバングの癖であった。
「髪はどうだ?」
「……」
「ハァン、これは、まあまあだ」
と……忍者刀の鯉口が切られた気配に、バングは一歩飛びすさる。
「ハア、ハア、ハア」
これも、余裕しゃくしゃくである。
「……カウフマン」
「あ、ああ。とにかく、彼女の目的は俺たちだ。こちらから外に出よう」
「あら」
「バング、明日もここにいられるようなら、必ず挨拶に来る。そのときはハサンも……」
言いかけて、ユウは息を呑んだ。
いつの間にかバングの骨ばった指が、こちらの腕をがっちりとつかんでいる。
いや、その指からはたいした力を感じなかったのだが、身体は、わずか一ミリも動かせなくなってしまっていた。
黒々としたサングラスの奥から突き通してくる視線。なんという威圧感か。
その眼光は、忍刀を抜いたジョーブレイカーをも空間へ貼りつけ、低くうならせた。
「バ、バング……」
「スウィーティ、まだ、駄目だ」
「でも……鉄機兵団のL・Jが、ここに向かってるんだ」
「駄目だ」
「ユウ!」
そこでいつものごとく、ララが、バングの背後から飛びかからんとした。
しかし、こちらはスコルピアが邪魔をする。
「ちょっ、離してよ!」
「駄目よ。彼が駄目と言ったら駄目なの。それが決まりよ、イチゴちゃん?」
「う、うるさいっての!」
「ああ、甘い香りがするわ。若い、女の子のにおい……」
「この、変態!」
「あ、は、は、そうよ。だから暴れる子をもてあそぶのが大好き」
「う……」
「あら、もう暴れてはくれないのかしら? あ、は、は、は」
ララの、どうしようもなく困惑しきった目が、ユウに向けられた。
「バング、頼む。せめて、観客を逃がしてやってくれ」
「ハァン? どうして」
「どうしてって……」
「おまえは観客もなしに戦わせる気か? スウィーティ」
「……ま、さか……!」
ド、ドンッ、と、L・J入場扉が打ち叩かれる音がした。
これは、格納庫から外部搬入口まで通じている、L・J用のものでは唯一の出口だ。
かなり大きな扉、そして音だというのに、熱闘に心奪われている観客は気づかない。
再び、音。
扉が、外から加えられる圧力に耐えきれず変形したことに、わずかばかりの人間がざわめいた。
さらに、音。
今度は鉄扉を突き破って現れた水色の刃に、観客の大半が異変を悟った。
水を打ったように静まり返る闘技場。刃は、のこぎりの要領で扉を切り開いていく。
力づくで扉を押し開き現れたのは、モノアイを赤々と燃やした異形のL・J、ナーデルバウム。
わあ、と、声が起こった。
悲鳴。いや違う、歓声だ。
観客は皆、シュナイデを新たな闘士だと思っている。
これはすべて演出だと、そう思っている。
きょろきょろとあたりを見まわしたナーデルバウムは、戦いの手を一時止めた闘技場中央のL・Jに目をとめ、邪魔者は失せろ、とばかりに、猛然と踊りかかっていった。
「くそ!」
ユウにとっては初見のナーデルバウムだが、力があるにせよないにせよ、放っておくわけにはいかない。
闘技場へ出てN・Sを、と走り出しかけたその腕は、しかし、まだバングの指に押さえられている。
「バング!」
「おまえが行けば、すべてを知られる。それでも使うか? N・Sを」
「ここには鉄機兵団の騎士も多く来ていてよ?」
「あれだって鉄機兵団だ!」
「……違う」
「ジョー?」
「あれは鉄機兵団籍には入っていない。あくまでスダレフの私兵……実験体だ」
「……く」
「だからイチゴちゃん、あなたが行くの」
「あ、あたし……?」
「そう、あなたがあのL・Jを倒すのよ。ここにある、改造L・Jを使ってね」
ララは目をむいて、小刻みにかぶりを振った。
「どうしたの? 知っていてよ、あなたが百人斬りのレッドアンバーだって」
「ララ、行かなくていい! 俺が行く!」
「そうね。彼のためにもなるのではなくて?」
「……行く」
「ララ!」
「あたし、行く」
「そう、いい子ね。あなたは本当にいい子。そうと決まれば……オーナー!」
「は、ははは、はい!」
「この子にL・Jを。くれぐれも、最高の機体をね」
「は、は、はい!」
九死に一生を得たジョッシュは、転がるようにVIP席を出ていった。
「ララ……」
「うん、大丈夫。だってほら、いつもやってること、やるわけだしね」
「……すまない」
なんと謝ったらいいか。上手く言葉が出てこない。
「あ、いいのいいの。待ってて、すぐにやっつけてくるから」
と、無理に取りつくろったララの明るさが、とにかく胸に刺さった。
「……あら、彼がいないわ?」
「ハァン?」
「余計な手出しをしてくれなければいいけれど」
「フゥン……スコルピア」
「はいはい、わかっていてよ。鉄機兵団への手まわしでしょう?」
「行け」
「んん、いけずね」
スコルピアはバングのあごをひとなでし、しなを作って姿を消した。
ユウとバングのふたりだけが、広すぎる空間に残された。
「座れ」
「……」
「座れ」
かきむしるほどいらだっているというのに、言うことを聞いてしまう自分がなさけない。
「さぁて、スウィーティ。おまえはどちらに、いくら賭ける」
「え?」
「ここはそういう場所だろう?」
「……」
「俺は、そうだな、青いL・Jに百万」
「……俺は、ララに賭ける」
「いくら」
「俺の命」
「ハア、ハア、ハア」
思ったとおりの反応だった。
「スウィーティ、おまえの命は百万じゃ安い」
「だったら、バングも命を賭ければいい」
「ハァン、俺とおまえの命じゃあ、それこそ吊り合わないな」
「だったら……」
「やめておけ、おまえに駆け引きは無理だ」
「ッ……」
「あいつの真似事は、誰にもできない」
そう言って持ち上がった唇の奥で、ライトに照らされた犬歯が、てらてらと光った。
その上を這いまわる舌先の、なんとも不気味な紅色。
……と、次の瞬間。
「あ、あ……ッ」
ソファへ押さえつけられ、のけぞったユウの喉に、なんと、バングの犬歯が食らいついていた。
「バ、バン、グ……ッ!」
吸血鬼のそれと言うよりも、獣が優位性を見せつけるさまに似ている。
喉仏をはさむように刺さった牙は、深く、血流を止めるほど入りこみ、ぷつ、ぷつ、と皮膚を裂いて、すぐに離れた。
ユウは、恐怖した。
「ハァン、俺は六億賭けるぞ、スウィーティ。おまえの、命の値段だ!」
「はっ……はぁっ……」
「この血は、その契約書がわり。ハア、ハア、ハア、楽しいファイトになりそうだ」
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