第136話 帝国裏歴史

 スコルピアは、『帝都の吸血鬼』、ザ・バングの片腕と言われる人物である。

 この吸血鬼と、『西海の悪魔』こと女海賊ソブリン、そして『北の魔術師』ハサンが盟友であり、かつて大連合を組織して帝国の半分を思うがままにしていたことは、裏社会に生きる者ならば誰もが知っている。

 そして、ユウがのちに聞いた話では、なんと、あの雪山の地下道で話題にのぼったハサン若かりし日の相棒というのが、このバングであったのだ。

 ……と、そうなると、ハサンの弟子であるユウとこのスコルピアが、いったいどのようにして知り合ったか、など、いまさら説明する必要もないだろう。

 ユウはもう十年も前から、スコルピアを知っていた。

 ちなみに……。

 話は少々脱線するがこのスコルピアという人物、この十年の間に、一切外見が変わっていない。

 化粧のせいだろうか。いや、魔人かもしれない。

 プライバシーへの介入が最大のご法度とされる盗賊界では、七不思議のひとつなのである。

 いや、むしろ、

「……ユウ、首、口紅ついてる」

「え、そうか」

「なにさ、鼻の下伸ばしちゃって」

「まさか。彼女は男だし」

「え、え!」

 その七不思議は、スコルピアが独占しているようなものなのであった。

 なにはともあれ、スコルピアがここにいるということは、バングもいるということだ。

 ユウは、これも旧知の大盗賊に挨拶もせず行くわけにはいかないから、と、ララに頭を下げ、スコルピアに取次ぎを頼んで面会することにした。

 ジョッシュもスコルピアとともに中へ戻ったが、さて、いまごろはどんな顔をしているだろうか。

 バングの迎えは、すぐに現れた。

「どうぞ」

 ふたりは、言われても盗人とはわからない、そのおだやかな容貌の男に続いて、裏口をくぐった。

「ね、あたしも一緒で、大丈夫?」

「ああ」

「そのバングって、どんな人?」

「……ひとことでは難しい」

「やっぱり、変態、とか」

「名前の売れた頭領は……みんな、クセが強い」

 案内役の男が、そこで、ぷ、と吹き出した。

「あ、階段」

「下に行くみたいだな」

 これは、くだんの闘技場へと向かっているのだ。

 それもそうか、と、ふたりは顔を見合わせ、互いの目に、緊張が色濃く映っているのを見てとった。

 ララは、昔の自分を見られるのが怖い。

 ユウは、ハサンなしで大盗賊に会うのが怖い。

 そこからは言葉数も少なく、ふたりは階段をくだっていった。


 わぁっ……。

 鉄の扉が開けられると、そこは熱狂でわき立っていた。

 すり鉢上のコロシアムに、観客は一万人か、それ以上もいるだろうか。男も女も、年寄りも若者も、すべてが大きなうねりとなって、ひとつの巨大な生き物のように波立っている。

 刺激を求めて。

 自らの鬱屈した欲望を満たすために。

 怖いもの見たさ。

 人々は、持てあました退屈のはけ口を闇の中に見出し、麻薬のようにおぼれていく。

 だからこそ、この世界はなくならない。

 ここに集った実に九割は、たまたまこの街に立ち寄った旅人や商人、そして貴族なのである。

 電光表示されたオッズの下。スポットライトに照らされたその中央では、いままさに、改造L・Jによる殺し合いがくり広げられていた。

「殺せ!」

「いまだ!」

 素手のL・Jが相手の腕をへし折ると、観客席からは歓喜の声が上がった。

「こちらです」

「……ああ」

 顔をしかめたユウとララは一般席の裏をまわりこみ、今度は階段をのぼって、最上層に出た。

 立ちふさがった四人の用心棒にコートと太刀を奪われ、ビロードのカーテンをくぐると、そこは、黒いカーペットのVIP席。

「ユウ」

 男の胸にしなだれがかったスコルピアが、手招きをして呼んでいる。

「いらっしゃいな」

 ユウはひとつ深呼吸をして、ソファに座るその男の前へ立った。

「……ハァン、スウィーティ」

 帝都の吸血鬼、ザ・バングである。


 このバングについて語る前に、少し、帝国裏社会の歴史というものにふれておこう。

 古今東西どこの土地でもそうだが、国の形態いかんを問わず、盗賊・山賊・海賊のたぐいは現れる。

 しかし、黎明期のそれというものは、規模の差はあれ、ほとんどが白刃を突きつけて強奪するだけのならず者集団。この帝国内においても、ほんの数十年前までは、盗人も留守宅を狙う、けちなコソ泥程度しかいなかったようである。

 そんなあるとき、新風が吹いた。

 多くの手下と巧妙緻密な計画によって、一夜のうちに大金を盗み取っていくバング。

 奇術にも似た仕込みと大胆不敵な方法によって、宝飾品や巨大彫像までをも消し去ってしまうハサン。

 ふたりの登場は盗賊業界に衝撃を与え、それならばと、売り出し中の若い盗人を中心に、技や知能を競い合う風潮が生まれた。つまりふたりは、カリスマとなったのだ。

 過去を語ることの少ないハサンでも、このときの大モテぶりは、

「悪くなかった」

 と、のちに、ユウへ語っている。

 さて。

 それからしばらくは、盗賊の技術向上と、錠前や金庫の発展がイタチごっこにくり返されたのだが……あの十五年前の戦争が、盗賊界にも影響をおよぼすことになる。

 言ってみれば、後退期だ。

 なにしろ、かの戦争では帝国側も大打撃を受けた。

 町もいくつか消え、領内のすみずみにまで目が届かなくなった領主も多い。

 その隙に乗じて盗みを働く者が増えたのは当然で、盗人の中では下の下とされる火事場泥棒も、石を投げれば必ず当たるほどに増えた。

 では盗賊界の発展期ではないか、と言われそうなものだが、たいした技量や知恵がなくとも儲かるので、盗人の質は落ちた。

 ルールも、品位も、遊び心も失った小悪党がはびこり、日々くり返されるのは小さな縄張り争いばかり。帝国のそれとともに、裏社会の秩序も崩壊したのである。

「ああ……」

 ハサンはため息をつき、こうも言った。

「あれほど馬鹿げた時代もない。あれほど……愉快な時代もな」

 かつての相棒同士であるハサンとバングがもう一度手を組み、ソブリンまでをも巻きこんで大連合を結成したのは、このころであった。

 目的は、盗賊界の再生……などではない。

 恐ろしいことにこの三人、その乱れた表社会、裏社会を利用し、ひと儲け企んだのである。

 方法としてはこうだ。

 まず、『いつものように』ひと稼ぎする。

 その金で、どこぞ大都市の裏に、酒場のような、つまり盛り場をつくる。

 盛り場が興れば、おこぼれを頂戴しようという有象無象が集まってくる。治安が悪くなる。

 しかし、それを管理監督する力は、混乱の続く世の中にはない。

 どうする。

 弱りはてたところに、大連合からの使者が現れる。

 用件はこうだ。

『年にいくらかの上納金と、地域の安定を保証する。盛り場一帯の権利を買い取らせてはもらえまいか』

 領主にしてみれば、そもそもがゴミためのような場所だ。金が入る上に、そこを整備し、裏の人間同士が適当に治安維持してくれるのならば言うことはない。

 交渉はまとまる。

 大連合は土地の顔となり、所場代や、これも下からの上納金でうるおう。

 ……というわけだ。

 こうした方法で大連合が手に入れた土地は、百を越える。

 盗人らしからぬことだ、と、ねたみ半分陰口を叩く者もいたが、

「悪人が金を稼ぐのに、らしいもらしくないもあるか」

 と、三人は取り合わなかった。

 無論、三人はそれぞれの本職も抜け目なくおこない、ハサンなどは気に入ったものがあれば、大連合そっちのけで盗みに行った。

 ユウも、そんなハサンのもとで修行を積んだのであった。


 それから十余年。その大連合もいまはない。

 ハサンが『隠居』したことで三つ巴の一角が崩れ、自然消滅してしまった。

 大連合の支配下にあった利権の内、西海港湾にあった一割ほどはソブリンの手へ。

 残りはすべて、バングの懐に入っている。

 有り余るほどの権力と財力。

 いまやバングは押しも押されぬ存在となり、裏表問わず、なんとか近づきになろうとする人々の貢ぎ物で、行く先々には小山ができるということだ。

 おそらく望めば、この帝国さえも動かし得るに違いない。

 ユウの目の前にいるバングという男は、つまり、そういう男であった。

「スウィーティ」

 バングは、墨で書いたような美しいあごひげを、くい、としゃくり、自分の左側へ座るよう指示をした。

 ユウはもちろん、それに従った。

「これなら飲めて?」

「ああ、ありがとう」

「あなたもどうぞ」

「あ、う、うん……」

 すかさず供されたのは、カップに霜が降りるほどよく冷えた、桃のスムージーだ。

 熱気で陽炎まで見えようかという闘技場内では、この上ないごちそうと言える。

 カップを渡す瞬間、スコルピアは気圧され気味のララの腕をあやしげにひとなでし、その身震いするさまを舌なめずりして喜んだが、バングはこちらを一瞥もしなかった。

 おそらく、ララには興味がないのである。

 このバング、なぜか黒に異常な執着心を持っており、好む姿は黒のレザーパンツとレザーコート。昼夜を分かたず色の濃いサングラスをかけ、アクセサリーも黒しか身につけない。黒髪の女しか抱かず、黒以外の花は、すべて首を落とさせる。

 それゆえにスコルピアを含む一家の者たちまでも、寵愛を得んがために黒一色なのだ。

 黒い髪、黒い目のハサンとユウを溺愛し、スウィーティ、つまり『かわいい人』などと呼ぶのも、多くはそこに起因している……と、ユウは勝手に思いこんでいる。真実は謎だ。

 だが、もしもバングへ貢ぎ物をしたければ、最低限、黒いものを選ぶといいだろう。

 とりあえず挨拶を、と開きかけたユウの唇を軽く押さえたバングは、

「あいつは?」

 と、妙に抑揚のついた甘声で、なめるように聞いた。

「あいつ? あ、ああ、ハサンはいま、外にいるんだ。俺たちは用事があって、ここに」

「彼、ここのオーナーに脅されていたみたいよ」

 スコルピアが余計なくちばしをいれる。

「ハァン?」

「おまけに、この退屈なパーティ……」

「……フゥン」

「ちょっと、オーナーをここへ」

「ヒ、ヒィッ……!」

 カーテンの向こうから、なさけない声がした。

 ばたばたともみ合う物音が聞こえ、すぐに泣き顔のジョッシュが、用心棒に両わきをかかえられて引きずられてきた。

「あ、あの、はは、は……これは、その……」

「だから、言い訳は結構」

「へ……」

「あなたのミスは、もう救いようがない」

「そ、そんな……!」

「ねえ、バング?」

「ハア、ハア、ハア」

 奇妙な声で笑ったバングは、親指を、喉の前で一直線に引いた。

 ジョッシュの顔から愛想笑いが消え、

「やれ」

「ヒィッ!」

「ま、待ってよ!」

「待ってくれ!」

 ユウとララは、同時に声を上げていた。

 そして。

 闘技場を風のように駆け抜けてきた人影が、ふわり、ユウたちの前へ降り立ったのも、このときであった。

「ジョー……!」

「……ハァン」

 ジョーブレイカーの黒装束を、バングはひと目で気に入ったようである。

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