第101話 決意の日

 以前、少しだけ話に出たことがあるが、かつてユウは一度だけ、ハサンに盗みの計画をまかされたことがある。

 それはとても小さな盗みで、皇帝のひざもとである帝都を荒らす以外、これといったリスクもない……そう、言ってみれば卒業試験のようなものだった。

 しかし、盗みが成功し、帝都中央の宿へと戻った、その翌早朝のこと。

 どこで情報がもれたのか。目が覚めると鉄機兵団の騎士が大挙押し寄せ、ハサンとユウは袋のネズミとなってしまっていたのである。

 ドアの外はもちろん、窓の下までが騎士で埋まり、万事休す……と、あきらめかけたそのとき。

「足跡を散らしていけ。北へは戻るな」

 ハサンは単身、窓から屋根へと飛び移り、自らがおとりになることで、ユウを逃がしてくれたのだった。

 ……と、話は、それからだ。

 ひとり逃げおおせたユウは、それでも、ハサンの生還を信じて疑わなかった。

 どこかで鉄機兵団をまき、再び自分を見つけてくれる。それだけを信じて逃げ続けた。

 ソブリンや他の盗賊たちを頼ることも考えたが、万一、追っ手がかかった場合の迷惑を考えると、それもできず。

 ある日……ハサンが捕らえられたことを知った。

 いま思えば確かに愚かなことだが、当時のユウにとって、手錠と吊るし台は同義だった。

 ハサンが死んでしまった。自分のために死んでしまった。

 自分を責め、失意に打ちのめされたユウは、それ以降どうやって、どの道を通って逃げたものか覚えていない。

 気づけば、とあるメイサ神殿の片隅で、目覚めれば祈り、眠り、また祈る生活を送っていた。

 土に座り続けた両足が冷えで感覚を失い、身も心もボロ布のようになり、ついには手を持ち上げることさえできなくなったすえに……ユウの心の糸は、ぷっつりと切れた。

「死ぬって、身体がどんどん冷たくなって、地面に沈んでいく感じなんだ。でも怖くはなくて、ああ死ぬんだな、死んでもいいかと、そう思った。神の前で死ねるなら……」

「私よりは、ましな死にかただと?」

「ん……それも、思った」

「ンッフフフ」

「でも、目が覚めたら、ベッドの上にいた」

 メイサ神殿の神官たちが、助けてくれたのである。

「俺は、あのとき受けた恩を、一生忘れない」

 神官たちはなにも言わず、なにも聞かず、暖かいベッドと温かい食事を与えてくれた。

 まだ二十歳前で、すぐに健康を取り戻したユウを、神殿の菜園で働かせてくれたりもした。

 そして労働の汗は、どのような言葉よりも、ユウの心を前向きにさせてくれた。

「それで思ったんだ。俺はいつまでも、ここで甘えていちゃいけない。外で働こうって。働いて、金を稼いで、それで恩返しと……罪滅ぼしを、しようって」

「フフン」

「でも……表の仕事は怖かった」

 ただでさえ、陽のあたる道を歩くのには勇気がいった。

 たとえ職を得ることができたとしても、いざなにかあれば、受け入れてくれた人々に対して連帯責任を背負わせてしまうのではないか。その思いもあったのだ。

「だから盗掘か」

「ああ。あの町が盗掘の拠点になってたのは知ってたし、まだ金になりそうだって噂も聞いてたから……」

「盗みで稼ごうとは?」

 ユウは、かぶりを振った。

「盗んだ金を寄進するわけにはいかない」

「自信もなかった」

「……ああ」

「盗掘は盗みではないのか」

 ユウは、ぐ、と言葉に詰まり、

「それは……もう、持ち主のいない品物だから……」

「売っても罪にならんか。……ン、フ、フ、フ。あの男が聞いたらなんと言うかな」

「ハ、ハサン!」

 それがアレサンドロのことを指すのだと、ユウにはすぐにわかった。

「おお、安心しろ。私は口が堅い」

「う、嘘だ! 言う気だ!」

「言わん言わん」

「そんなことを言って、あのときもつげ口した!」

「ほう、私がなにを言った」

「む、昔……その……」

 恥ずかしい過去だ。

 ハサンはにやりとした。

「フフン、では、おまえにチャンスをやろう」

「え?」

「アレサンドロ・バッジョをどう思っている」

「ど、どういう意味だ」

「そのままの意味だ。思ったことを言ってみろ。謝罪をこめてな」

 ユウは、うらめしい気持ちでハサンをにらみつけた。

「アレサンドロは……俺の、相棒だ」

「フン、馬鹿のひとつ覚えだな」

「頼りにしてる。俺より、まとめるのが上手いし、剣も使える」

「おお、確かに」

「……」

「終わりか?」

「ん、その……」

「もっとあるだろう。背も高く、おまえよりずっと男前だ。男気もある。馬鹿にも優しい。医者としての腕はどうだ?」

「ああ、いい」

「そうだろう。ならば、アレサンドロを愛していると言え」

「え、ええ?」

「言え。言えば黙っていてやる。さあ言え」

 ……これは、やるまで解放しない顔だ。

 ユウは、嫌がる舌をどうにか動かし、

「……ア、アレ……アレ、サンドロ……」

「聞こえんぞ」

「アレサンドロを……てる」

「ユーウー」

「アレサンドロを愛してる!」

「……だそうだ。よかったな、アレサンドロ」

 がつん。

 金属の扉を叩く音がした。

 振り向いたユウの目の前で、ゆっくりと開いたそこから顔を見せたのは……。

「ア、アレサンドロ!」

 ユウは、あまりの出来事に卒倒しそうになった。

 顔から火が出るとはこのことだ。穴があったら入りたい。

 アレサンドロは困ったような顔をしながらも、立ち上がった勢いで椅子を蹴倒したまま、パクパクと口を開け閉めするユウの頭をなで、

「俺も愛してるぜ」

 軽く、ウインクしてみせた。

「いつから気づいてやがった」

「はじめからだ。甲板でソブリンに会ったな。それも聞こえていた」

「……それが、あんたの秘密か」

 アシビエムではナイフの風切り音を察知し、サンセットがシュナイデを踏みつけた際には、おそらくその足の下で、生物のものではない、なにか別の活動音を聞いた。

 最近では、黒煙のみを映し出す監視カメラの映像に、バイパーの存在を感じている。

「フフン、耳だけではない。魔術師の五感は特別製だ。こうして話している間にも、そら」

 軽い音を立て、小箱の鍵がはずれた。

「さて、なにが入っている」

 ハサンは、嬉々として箱を開けた。

「……ほう。面白い」

「なんだ?」

「鍵だ」

 アレサンドロがのぞきこむと、確かに朱のサテンを張った上げ底の中に、銀色をした、十センチほどの鍵が埋まっている。

 ただし、アレサンドロがよく見る鍵は、棒に凹凸の板をつけただけのようなタイプが多かったが、これは切りこみが芸術の域にまで達している、見事なウォード錠だった。

「見覚えは?」

「ねえな」

「それは残念。しかし、魔人の持ち物でないと決まったわけでもない」

「少なくとも、あんたのもんじゃねえがな」

「ンンン、そう言うな。興味を持つのは自由だ」

 ハサンはその鍵を、ためつすがめつながめまわした。

「それで? おまえはなぜ、ここへ来た」

「さすがの魔術師様でも、それはわからねえか」

「ほう、当ててやろうか」

「結構だ」

 アレサンドロは倒れた椅子を起こし、いまだ立ったまま、視線を合わせられもしないユウを座らせた。

「あの、アレサンドロ……すまない」

「盗掘のことか?」

「ああ」

 やはり、そこも聞いていたのだ。

「別に気にしてねえさ。俺だって、ものによっちゃあ売りさばくことだってあった。それが寄進の金になったってんなら、あいつらの、いい供養になったさ」

「おお、おまえは本当にいい男だ、アレサンドロ。まるで聖アレサンドロ様だ」

「あんたは黙ってな」

 アレサンドロは、横になったハサンのひざあたりへ無理に座る素振りをしてみせ、足をどかせた。

「さて、俺は決めたぜ」

「次の目的地か」

「ああ。あんたにも話したことがあったな、俺たちはアルケイディアに行くってよ」

「だが行かんのだろう?」

「行かねえ」

 それと聞き、ユウは思わず身を乗り出した。

 とうとう決まったのだ、アレサンドロの心が。

「ならば聞こう。おまえの選んだ道は?」

「……ホーガンだ」

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