決起 ーアレサンドロの未来・前編ー
第102話 ホーガン監獄島
「さあ、キスをしろ。長生きしたければ、誰が主人か知ることだ」
ビンセント・ラムゼーは、ひざまずいた男の面前へ靴を突き出した。
男はどこかの職人だろうか。骨ばった身体つきをしているが、引き裂かれたそで口から見える筋肉は若々しい。
背後には、同じく手錠に拘束された妻と子。
しかし男は、臆することなく骨の浮いたあごを振り、ギラギラとした力強い瞳をラムゼーへ向けると、こう言い放った。
「万歳! 魔人万歳!」
「……ハン!」
ビンセント・ラムゼーの腰から走った光芒が男の心臓を貫くのに、まばたきほどの時間もかからなかった。
「おまえたちはどうだ?」
妻は夫の魂のために小さく祈りを捧げ、おびえる我が子の顔を光り輝くブーツに押しつけると、自らも服従のキスをした。
夫の名誉と、子の命を守ろうという気高い行為であったが、ラムゼーは露骨に、馬鹿なやつ、という顔をした。
「おまえたち、あれを踏んでいけ」
「そんな……お慈悲を……!」
「駄目だ、踏め」
妻と子は逆らえず、夫であり父であった亡骸のすそを、抱き合い、涙しながら踏んだ。
「もっとだ」
「おお……」
「もっと踏め」
「ああ……神よ!」
「そうだ、俺が神だ! さあ、踏め! こう踏め!」
まるで虫に対するかのようなラムゼーの狂気に、妻は我が子の目をふさぎ、かぶりを振り続ける。
「……フゥン」
ひとときの暴力で満足したラムゼーは、その興奮を抑えるように詰襟を正し、
「よろしい。ようこそ、ホーガンへ!」
と、大きく両手を開いて、ふたりを抱きしめた。
海へ投げ捨てられた男の亡骸は、腰に彫られた赤い月の入れ墨を水面に浮かべながら、遠く、波間をただよっていった。
……ホーガン監獄島。
現存する、帝国唯一の奴隷収容所である。
収容人数は明らかにされていないが、三百人とも四百人とも言われ、およそ半数が、実際に『魔人の奴隷』として十五年前の戦争を戦った者、残り半数が、その家族であるとされている。
西海に浮かぶ絶海の孤島を、高さ五メートルの壁と鉄条網によってかこった天然の牢獄で、囚人の収容棟四棟の他、管理棟、労働棟、物見やぐら、サーチライト施設、騎士の宿舎、L・J格納庫・補給庫など、広さは、ちょっとした町ほどもあった。
朝五時起床。
朝食と朝礼ののちに島の各所へ散り、L・Jや戦艦の部品を作る作業に従事。
夕食。就寝。
いまでも月に二度は新しい囚人が送られてくるが、それだけが、この島で起こり得る、ただひとつの変化と言っていい。所長、ビンセント・ラムゼーによっておこなわれる理不尽な虐殺など、もはやニュースにもならないほど日常的な光景のひとつとなっていた。
そんな、ひとたび足を踏み入れれば、与えられる安息は死のみ。出ることはかなわず、という、墓場のような、悪夢のようなこの島に。
今日もまたひとり。戦艦に乗せられて、奴隷がやってきたのである。
「ほう、でかいな。何センチある。一九〇か? 二メートルか?」
その奴隷をひと目見て、ラムゼーは興味をそそられた。
赤い月の入れ墨は、荒縄に拘束された左の前腕。さげすみと敵意は奴隷に共通しているが、その男の目には他に、もうおまえに逃げ場はないぞ、という、むしろこちらを脅しつけるような気迫が見え隠れしている。
仲間がいるのか、と、視線を走らせたが、男を連れてきた騎士は見知った者で、疑うべきところはなにもない。
「……名は?」
「アレサンドロ・バッジョ」
「アレサンドロ・バッジョ!」
ラムゼーは手を叩いてみせた。
「なるほど……いい名だ」
アレサンドロが『ホーガン解放』を次の目標にかかげたとき、ユウはそれを誇らしく思った。スピードスター・ホークはユウたちの行動を、力を持ったやつのちょっとした悪ふざけ、と言ったが、これはそんなものではないのだと奮い立った。
しかし、そのアレサンドロ自身が潜入役となるのはどうだろう。
四方を海にかこまれた、さえぎるもののなにもない孤島を、人質を取られた状態で、内部工作もなしに襲撃することがどれほど困難か。わからないユウではなかったが、なにより危険すぎる。
せめてジョーブレイカーを呼び戻し、かわりに潜入してもらってはどうかと訴えたが、アレサンドロは、自分のつとめだから、と、笑ってユウの肩を叩いた。ユウが宙吊りのマンムートから飛び降りた、あのときと同じだろ、と。
「俺は、十五年前のことを、どこかでつぐなわなきゃならねえんだ」
「……アレサンドロ」
「だから、生きて帰るぜ。中のやつらとな」
ユウはいま、人の目の届かない空の彼方から、カラスの目で、アレサンドロを見守っている。
なにかあれば、すぐに飛び出すつもりだったが、ラムゼーは、にっと口もとだけの笑みを浮かべてみせ、
「よろしい。ようこそ、ホーガンへ!」
アレサンドロの背を押すようにして、先に門をくぐらせた。
そうして潜入に成功したアレサンドロだが、これからホーガンで、はたすべき役割はふたつある。
ひとつは、ホーガン内部の情報を探り出し、外へ伝えること。
そして、作戦開始のタイミングを計ることだ。
そのための連絡手段もすでに手はずは整っており、実際アレサンドロは、この日のうちに第一報を送ることに成功している。葉のついた枝をくわえて訪れた海鳥に、簡単な手紙を託したのだ。
「……よし」
管理棟での形式的な尋問と非人道的な身体検査を終え、粗末な囚人服にそでを通しながら、まずは溶けこむことだ、と、アレサンドロはそれだけを考えた。
目に入った左腕の入れ墨が、この収容所では、なによりも心強い味方だった。
と……。
「おうおうおう、アレサンドロ。いま迎えに行こうと思っていた」
棒に追い立てられながら部屋を出たところで、アレサンドロは踊るように近づいてきたラムゼーに呼び止められた。なにやら、不気味に機嫌がいい。
「準備はできたか?」
という問いにうなずいてみせると、
「なら出発だ」
ラムゼーはアレサンドロの手錠をはずすように命じ、まるで友人との散歩を楽しんでいるかのように密着して歩きはじめた。
「おまえにぴったりの仕事がある。おっと、殺しじゃあないぞ。殺しは俺の仕事だ」
つばのひとつでも吐きかけてやりたかったが、ここは我慢と、アレサンドロは奥歯を噛みしめた。
「おまえは外で医者をしていたそうだな」
「ああ……」
「ここでもしてくれ。ちょうど、医者の空きが出た」
さされた指先を追って目を移すと、白い布をかけられた担架が、門の外へと運ばれていく。
アレサンドロは、す、と、血の気が引く思いがした。
「安心しろ。あれは奴隷じゃない。本土の医者だ」
「……殺したのか」
「ああ。だが気にするな、おまえのせいじゃない。もともと生意気な医者だった。ふたことめには奴隷をもっと大事にしろだ。俺ほど奴隷を大事にしているやつがいるか? なあ?」
数メートル離れてついてきている騎士たちが、にやにやとした。
「で、どうだ。やってくれるか?」
アレサンドロは茫然と担架の行き先をながめていて、返事をするのがわずかに遅れた。
「そうか、フン、ならそれもいい。面白くもない部品作りをしてもらうだけだ。……だが、人数が増えるのは困るな」
「!」
「おいおまえ。ちょっと、この男の分を空けてこい」
「待て、わかった! ……やる。なんでもやる」
「フゥン、よろしい」
優しく肩をなでられて、アレサンドロはこの島のルールを完全に理解した。
「いいか、アレサンドロ。おまえたちは皇帝陛下からの大切な預かり物だ。悪い子にはおしおきし、気に入らんやつは殴ることもあるが……できれば、おまえたちには老衰で死んでもらいたい」
「く……ッ!」
「誰ひとり死なせるなよ。仲間と、俺のために。それができるのは、おまえだけだ。……いいな?」
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