第100話 魔術師と弟子

『ソブリン』

『信用できる人だ。ご安心くださいと、ディアナ大祭主様に伝えて欲しい』

『承知した』

『乱暴な手段を、お許しくださいとも』

『それはカジャディール様にか』

 ユウの打信号を書きとめる手が、しばし止まった。

 そうだった。

 ディアナはいま、カジャディール大祭主の庇護のもとにある。

 ペン先をながめ、コンコン、と、通信台を叩いたユウは、

『ふたりに』

 と、返信して、ヘッドフォンをはずした。

 打電の相手は、言うまでもなくジョーブレイカーである。

 あのあと、アレサンドロの口からカジャディールの私兵であることを聞かされたユウは、もちろん飛び上がるほど驚いた。

 すぐにいまと同様、打電で交信したが、

『大祭主様に申し訳ない』

 と言うユウに対して、ジョーブレイカーの答えは……、

『それは、あのかたが決められることだ』

 ユウの信頼は、いやが上にも増した。

「あの……?」

「ああ、すまない」

 ユウは暗号表とヘッドフォンをメイに返し、やりとりを書きとめたメモを、丸めてポケットに押しこんだ。

 装甲板の張替えのために壁を叩く音が、ブリッジにいても、かなり響く。

「修理は、かなりかかるのか?」

「え? じ、時間ですか? ええと、空調はそんなにかかりません。居住区と装甲のほうが、ちょっと。あと、サンセットも」

「サンセット?」

「はい、ちょっと改造を……」

 マリア・レオーネに敗れてからのララが、時折、セレンの研究室や格納庫に出入りしているらしいことは、ユウも知っている。

「コンセプトからの見直しで、ブーストノズルの追加と、スラスターの位置を大幅に変えることになりそうなんです。機体の重量も削らなくちゃならないし、ほとんど新型ですよ。大変です」

 などと言いながら、メイはとても楽しそうだ。

「チャノム爺に、話を通そうか?」

「え!」

「そっちも人手がいるだろ」

「は、はい! 実は足りない部品もあって……そうしてもらえると助かります!」

「わかった。手を貸してくれるように、頼んでおく」

「あ、ありがとうございます! あの、本当に!」

「いや、俺にも、関係あることだから」

「わかります、ララさんのL・Jですからね!」

 いや、別にそういうわけではないのだが……。

「あ、それじゃあ、あたし、セレン様に知らせてきます! 喜びますよ!」

 メイは、スキップするようにブリッジを飛び出していってしまった。


「L・Jだあ?」

「ああ、少し手を入れたいらしいんだ」

「おりゃあ、そっちにゃ明るくねえぜ」

「わかってる。人手と、部品の調達を手伝って欲しい」

「ふむう……まあ、おめえの頼みだ。嫌とは言えねえ」

「ありがとう」

「なあに。ここまでくりゃあ、おんなじよ」

 アンカーに貫かれた居住区の修理にかかっているチャノム爺は、こうして、いとも簡単にそれを請け負ってくれた。

 結果、百人からなる船工は、空調室、居住区、外装甲の修理に分かれ、サンセットにはブラック・クール・ハーマンの機関士。ドックは、いよいよ活気づいてきた。

「俺にできることは?」

「あー、ねえな。暇なら、あいつんとこ行ってこい」

 チャノム爺は、両の人差し指を鼻の下にあてがってみせた。その意味するところは、ハサンの口ひげだ。

「おめえに言うのもいまさらだがよ、鍵開けってのは大層な仕事だ。片手でできるもんじゃねえ」

「あ……!」

「あいつがほえづらかこうが知ったこっちゃねえが、箱が開かねえのは困る」

「い、行ってくる!」

 ユウは弾かれるようにドッグを飛び出し、係留中のブラック・クール・ハーマンへ駆けていった。

「……ソブリンの言うとおりだぜ。けなげすぎて涙が出らあ」

「チャノム爺!」

「おう、いま行く!」


 俺はなんて馬鹿なんだ。

 ユウは、相変わらず血のめぐりの悪い自分の頭に腹が立った。

 ハサンの錠前はずしが失敗するはずがない、とは、別れる以前までの話だ。片腕を失ったいまもそうであるはずがない。それをすっかり失念していた。

 おまけにあれは聖石を預ける代償で、本来は自分の仕事ではないか。

 ……だが、どうだろう。

 自分が手伝いにきましたと言って、あのハサンが素直に受けるだろうか。

 わからない。

 わからないが、とにかく行こう。

 ユウはタラップを駆け上がり、ハサンが錠前はずしの場所に選んだ船長室の前で、いったん足を止めた。

 呼吸を整え、ノックしようと手をかざすと……、

「?」

 中で話し声がする。


「……節操なしに、目につくものを手あたり次第に盗む。それもいいさ。でも、それだって最初の一年だ。最近は、そんなつまらない盗みの噂さえ聞かなかった」

「……」

「見かねたバングが、あんたに仕事をまわしたって言うじゃないか」

「フフン、『帝都の吸血鬼』も口が軽くなったものだ」

「それだけ、あんたを心配してんのさ」

「おお、涙が出るな」

「……ハサン、あたしはねえ、あんたのことを、よおく知ってる。あんたは盗みが好きでしょうがないって顔をしながら、いつもどこかで呑まれないようにしてた。人生じゃなく手段なんだって、あたしはいつも思ってたよ」

「……」

「だから、あんたが隠居するのもいいと思ってたのさ。ねえ、それがどうして、あの子たちといるんだい?」

「フフ、さあて……」

「どうも、ユウかわいさ、ってわけでもなさそうじゃないか」

「それは勝手な思いこみというやつだ。私とてあれはかわいい。私の技も、言葉も、よく覚えた。できれば手放したくはなかった」

「おや」

「たとえ盗み聞きが趣味であってもな」

 冷たい金属の扉に、耳を押し当てるようにして話を聞いていたユウは、そこではっと身を離した。

 直後、中から扉が開き、

「おーや、本当だ」

 ソブリンのたくましい腕が襟首を捕まえる。

 ユウは部屋に引きずりこまれてしまった。

 鉄鋼船であるブラック・クール・ハーマンは、いまだ木造帆船の多い帝国海域においては、数少ない近代船舶のひとつである。

 ただ、キャプテンも含め、乗員の大半は古き良き木造時代からの乗り組みで、内装や雰囲気は大部分でそれを踏襲していた。

 たとえばいまユウが連れこまれたこの船長室も、床壁天井こそ白いツヤ消しの鋼板だが、その上にカーペットを敷き、調度品は木製。天井の明かりも電気ではなく光石を使っている。

 戦利品らしい船のプレートや、先代キャプテン愛用のアイパッチ、三角帽、魚を突くモリ、海図、中にはガラスの浮き玉までもが、それでもすっきりと部屋の壁を飾っているところなど、シンプルすぎるマンムートの部屋から比べると、いかにも生きている匂いがするのだ。

 ハサンはその中央、ソブリンが古くから愛用しているビロードのソファに身を投げ出して、例の箱についたダイヤルをぞんざいにまわしていた。

「おお、ソーブリーン、連れてくることはなかった」

「どうしてさ。ユウはあんたを手伝いに来たんだ、そうだろう?」

「ん……」

 さすが、ソブリン。すべてお見通しだ。

 だが、ダイヤル式の鍵という事実が、多少なりともユウを拍子抜けさせたのも確かだろう。これならば片手でも開けられる。

「でもまぁ、せっかく来たんだ。ここで話し相手にでもなってやりな。あたしは向こうに帰るから」

「え!」

「えっ、てなんだい。十年も一緒にいた仲だ。いまさらじゃないか」

「いや、それは……」

「とにかく、あたしだって仕事があるんだ。箱はあんたたちふたりにまかせるよ。いいね」

 ユウはハサンとふたり、部屋に残されてしまった。

 さて、それからの気まずさを、どう表現すればいいのだろう。

 はじめからふたりになるとわかってここへ来たのだが、さあどうぞ、と言われると、かえって言葉に困ってしまう。

 当のハサンは胸に乗せた箱をいじり、ユウを見ようともしない。

「あの……ハサン」

「……」

「それ、俺が……」

「自信はあるのか」

「え……?」

「私より早く開ける自信だ」

「う……」

 ハサンは眼球をぐるぐると動かし、手を振った。

「私の退屈しのぎなら、裸踊りでもしてみせろ」

「で、できるか!」

「ならば去れ。……ああ待て、行くな」

「どっちだ!」

「やはりさびしい。なにか話をしてくれ」

「……なにを」

「まずは座れ」

 ユウは指示された椅子をハサンの頭もとまで動かして座った。

 ここまで寄ると、箱の装飾がよく見える。

 四十年ほど前まで西部一帯を治めていた、ロンドランドの伝統紋様だ。

「いくらつける」

「……七万五千」

「ンンン、妥当な線だが、魔人の持ち物ならば桁が違う」

「そう、か」

 素直にうなずいたユウを、ハサンは鼻で笑った。

「さて語ってもらおうか。題目は、私と別れたあとの生活について」

「別に、特別なことはしてない」

「それはわかっている。特別でないなりに、なにをしていた」

「俺は……」

 ユウはダイヤルをまわすハサンの指先をながめながら、時計の針をあの日へと巻き戻していった。

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