第99話 海賊と魔術師
東方で自由区エド・ジャハンと接する以外、三方を海にかこまれたグライセン帝国では、それを大きく北海、西海、南海と呼び、それぞれに直属の執政官と鉄機兵団籍の軍を置いている。
L・J用の換気フィルターとオイルチューブを駆使して、どうにか短時間の潜行能力を取り戻したマンムートが、およそ三百六十キロ離れた海岸線へ到達するのに、やや二日。
西海と北海の境。黒い冬の海は白波が立っていたが、風少なく、おおむね凪いでいた。
「諸君、つなぎが取れたぞ」
と、長い打電を終えたハサンが言うところでは、女海賊ソブリンはいま、ひと稼ぎののち北上中らしい。
「不景気だな。南海近くまで行っていたようだ。先にドックへ入り、自分の到着を待てと言ってきた」
「場所は?」
「このまま南だ。深い入り江がある」
セレンはすぐさま、マンムートの舵を取った。
ここでさらに、そのソブリンの入り江について語っておくと。
そこは天然の良港を利用した、はた目には、ひとつの漁師町である。
少し違うのは、険しい山々にかこまれ、抜け道を知らなければ陸からの侵入が非常に困難だということだろう。ユウが幼いころは頻繁に、それなりの歳になっても年に一度は訪れていたものだが、一度たりとも、騎士やL・Jの気配を感じたことはなかった。
ただしこれには西海執政官との裏取引もあるようで、ある程度の金を上納しておけば、執政官の保護を得た商船以外からならば、多少の強奪は目こぼしされる。また、保護を願う商船側からも執政官は金を取る、というわけで、互いの立場を利用した奇妙な持ちつ持たれつが、ここにはあるのである。
山間をえぐって顔を出したマンムートに留守居の者たちは驚いたが、すぐに現れたハサンの顔を見て、
「ああ、やっぱり」
という顔をした。
連絡を受けていたのはもちろんだが、ハサンの派手好きは周知の事実であった。
「こいつか、なおしてえって車は」
「おや、チャノム君。まだ生きていたか」
右足を引き引き現れたのは、この港をまかされた船工の棟梁、バン・チャノム。ひざから下をサメに食われたとかで、鉄の棒を義足がわりにしているエド・ジャハン出の年寄りだ。
とはいえ、七十を越えたとも思えぬほどチャノム爺は血色がよく、すり切れたシャツからのぞく筋肉などは、いまだユウでも驚くほどの若々しさを保っている。
「べーろぃ、おめえのがよっぽどだ」
と、丈の低いチャノム爺は、背伸びするようにハサンの腰を蹴りつけた。
「北の魔術師はもう死んだって、こっちじゃもっぱらの噂だぜ」
「ほう、君が心配してくれるとは思わなかった」
「俺じゃねぇ、ソブリンだ」
「……フフン」
ハサンは、無味乾燥な笑いかたをした。
「ケッ! おめえも義理のねぇ野郎だぜ。先代が生きてりゃ、そのツラ、三倍になるまで殴られてる」
「かわりに君が殴るか?」
「このレンチでやってよけりゃあな」
ユウとアレサンドロが外へ出たのはそのときで、このふたりのやりとりは、他の誰の耳にも入らなかった。
と、そこへ。
「チャノム爺、戻ってきた!」
やぐらに乗った、海賊の子らしい少年が叫んだ。
まだ十やそこらだろうに、潮で洗われたボーダーのバンダナなど、いっぱしの海賊気取りだ。
ユウが沖へ目をやると、深く切り出した港口の岩かげから、まさにソブリンの双胴艦『ブラック・クール・ハーマン』が、分かれたふたつのへさきを立てて現れたところだった。
「……前と違う」
「あぁ? ……ほ、こりゃまあ、でかくなったもんだ」
「ん……そう、かな」
ユウは昔から、この小さなチャノム爺が好きだった。
なにより、会うたびにこう言ってくれるのがいい。
この歳まで成長期らしい成長期を迎えず、自分の背丈に少し物足りなさを感じているユウとしては、この言葉はとてもうれしいものなのだ。
そしてチャノム爺も、事々にひざに乗せてかわいがり、よくなついたユウを相手にすると、決まってへろりと目尻がたれた。
「おめえはまったく、こいつに似なくてよかった」
ハサンは、明らかに馬鹿にした態度で指を振り、フンと鼻を鳴らした。
そうして、どれほどたっただろうか。
黒い鋼船ブラック・クール・ハーマンが、見事な操船で、ぴたり接岸した。
全長およそ百メートルと、L・J搭載の帝国軍用艦から比べると子どものような船だが、速度は四十ノット。帝国最高速の呼び声も高い。
逃げ足が速く、獲物を逃がすこともないために、この目立つフォルムも、むき出しの大砲も問題ないのである。
そしていま、素早く渡されたタラップを大またに降りてきた船長もまた、この船にふさわしい、むき出しの海賊らしさを持っていた。
つまり、三角の羽根つき帽に、大きく襟が立った濃緑のオーバーコート。腰には大ぶりのカトラスといった具合だ。
「フン」
と、わき目も振らずにハサンへ歩み寄ったその人、キャプテン・ソブリンは、ユウが瞬間的に、
「殴った……!」
と思うほどの速さでマントの合わせ目に手を差しこみ、中身のないハサンの右そでをつかみ出した。
「……しばらく見ない間に、随分と風通しがよくなったじゃないか」
長身で、半分は南部の血がまじっているという彫りの深い顔立ちのソブリンにこうも挑戦的な眼差しでのぞきこまれると、大抵の者はたじたじとなる。
「バングに聞いたよ。あいつのところに転がりこんだんだって?」
「フフン」
「痛くてピイピイ泣きわめいたそうじゃないか」
「ああ、はじめの三日間は本当にひどかった。ナニが三センチは縮んだ」
「アハッ!」
ソブリンは、その大きな目をさらに大きくした。
「ハ、ハ、ハ、ハ! そいつはご愁傷様!」
と、喉の奥まで見せて豪快に笑い、そでをつき返すと、
「それだけ減らず口が叩けりゃあ大丈夫だ。言いたかないが、よく戻ったねえ、ハサン」
静まり返っていた港のあちらこちらで、ほ、と息をつく音が聞こえ、町は一気に、日常の騒がしさを取り戻したのだった。
そのころ。
「……暇だなぁ」
「ホント」
マンムートのブリッジでつぶやいたのは、他のメンバーとともに留守番中の、テリーとララである。
窓から下へ目をやると、それまで距離をおいて船長の出かたをうかがっていた海賊たちが、ハサンの前に長い行列を作っている。
凱旋した英雄をひと目見ようとするかのように集まってきた子どもらにかこまれ、老いも若きも、すべての海賊に敬意を持って頭を下げられるハサンは、まるで、この港の王に見えた。
「やつのもとへ行ったらどうだ」
「いやいや、クーさん」
テリーの言うこれは、クジャクのことである。
「さっきも言ったじゃない。俺は賞金稼ぎなの。下に降りたら、あの人たちみんな捕まえたくなっちゃうでしょ?」
「要するに、袋叩きにされたくないよ俺、ってこと?」
「ララちゃん、それを言っちゃあおしまいよ」
セレンとメイが、クスクスと笑った。
「ほら、あんたたち、仕事はもう終わりかい。とっとと持ち場に戻んな!」
あらかたの挨拶が終わり、蹴り飛ばすようにして子どもらを散らしたソブリンは、
「おや、いたのかい」
そこでようやく、ユウに気がついた。
チャノム爺ともそうだが、三、四年ぶりの再会となる。
ユウはなにか言わなければと思ったが、どうも気恥ずかしく、上手く言葉が出てこない。
「そっちは」
「あ、ああ、アレサンドロ。アレサンドロ・バッジョだ」
そうかい、と、さも興味深げにアレサンドロをねめまわしたソブリンは、ユウと肩を組むようにして自らも名乗った。
「あ……」
ソブリンの、なつかしい匂いがする。
そういえば、昔はよく一緒に寝たな、などと、その陽に焼けた横顔をながめやると、ふと視界の下、はちきれんばかりにふくらんだ胸もとが目に入り、ユウは自分でも顔が赤くなるのがわかった。
「しかし、あんたもけなげだねえ。こんなやつにいつまで義理立てするつもりだい」
「え……な、なにが」
「ハサンだよ。あんたが、『トビアス・エルマンデル』なんだろう?」
ユウは、どきりとした。
「おやおや、これが魔術師の弟子かねえ、なさけない。手配書を見るのは、なにも賞金稼ぎばかりじゃないだろうさ」
「う……あ、ああ」
「ああじゃない、しゃんとしな」
ソブリンという人は、いつもこうだった。
決して強い言葉ではないが、ぴしぴしとしかり、びしびしとはげます。
心地よい劣等感とでも言えばいいだろうか。いつだったか、ユウはソブリンのことを、
「姉さん」
と、あやまって呼んだことがある。
そのときはとても恥ずかしい思いをしたが、それこそひとつベッドで寝たこともあり、姉セイラに年ごろも近いソブリンは、ひさしぶりに会ったいまも、それに近い存在のように思えた。
「なんだい、その顔は」
ユウは、柔らかく頬を叩かれた。
「確か、レッドアンバーには最初、ハサンは入っていなかった。あたしが言いたいのはそれさ。あんたが、隠居を決めこんでるこいつを紋章官に引き入れたんじゃないのかい?」
「隠居! ンッフフフ、これはいい。私は、これの情けで第二の人生を歩きはじめたわけだ」
ハサンは積み上がった酒樽の下一段に腰かけ、楽しげに煙草の煙をはき出した。
「違うのかい」
「さぁて」
「あんたはもう、この世界に張りをなくしたんだと思ってたんだけどねえ」
「フフン。では、その私の張りとやらについては、このあとじっくり語り合うことにしよう。いまは戦車だ」
ソブリンはわずかに顔をしかめたが、こうなったときのハサンが、てこでも話を戻そうとしないことは知っている。
ひとつ短く息をはき、
「まあいいさ」
視線をマンムートへと移した。
「ドックを借りたいって?」
「人手もあればなおいい」
「金は」
「ない」
「ないだあ?」
と、上げて当然の声を上げたのはチャノム爺だ。
「おめえ、それもなしに来やがったのか」
「いかにも」
ハサンは悪びれもせずにうなずいた。
「おい、ソブリン。俺なら叩きのめして放り出すぜ」
「まあ待ちなよ、チャノム爺。いいじゃないか」
「いいや、よくねえ。ウチだって左うちわってわけじぇねえんだ」
「そういうことは他人様の前で言うんじゃない」
「う……むう」
どうも、不景気というのは本当らしい。
しかし、このような旅を続けるからには、ユウたちもいつどこで金が必要になるかわからない。手持ちの金は使わずにすむよう交渉しよう、とは、あらかじめ皆で相談しあって決めたことだった。
とはいえ、もう少し頼みかたがありそうなものだと、ユウは内心、嫌な気分である。
「なんだったら、爺さん、別の物を置いていってもらえばいいのさ」
「なんだって?」
「あれさ」
「おう、ユウか。そりゃあいい!」
「あんたも、もうろくしたねえ。そこじゃない。そのうしろだ」
「ああ?」
ユウも振り返った。
「クール・ハーマンの飾りに、いいと思わないかい?」
「……違ぇねえ」
それは、マンムートの百二十ミリ機関砲だった。
「どうだいハサン。あれを二丁、こっちによこすってのは」
「ン、ン、ン、設計図では?」
「弾のサンプルつき」
「いいだろう」
「よし決まりだ。ドックは勝手に使っとくれ。あとはチャノム爺にまかせるよ」
ソブリンが手を打った。
「おっと待て。もうひとつ頼みがある」
「頼み? アッハハ、これは珍しいことを言う。当ててやろうか。月の聖石を預かれ、どうだい?」
「さすが西海の悪魔」
これにも、ユウはどきりとした。
それは、ソブリンが月の聖石について知っていたからではない。海賊にとって最も危険な相手は飛行戦艦であり、その情報収集に抜かりがないのは当然だ。
その聖石をソブリンに預けようということが、寝耳に水だった。
「でも、確かに……」
これは最適な相手かもしれない。
天候に左右されやすい海賊は、どちらかといえば戦利品をためこむ者が多いと聞いたことがある。
つまりその分、倉庫も守りが堅く、広い。
そしてなにより、ソブリンというのが安心できる。
「いいのか?」
アレサンドロがさりげなく耳打ちしてきたが、
「ああ」
ユウは、このままハサンにまかせようと思った。
「それで、どうだ?」
「そうさねえ……これもタダだろう?」
「なんなら、身体で払おうか? ん?」
「ああそうかい、だったらそうしてもらおうか。ちょいと誰か、昨日のあれ持っておいでよ」
おや、という顔のハサンの前へ、ソブリンの手下が重そうに運んできたもの。それは、およそ五十センチ四方の木箱だった。
「昨日の獲物で、ちょいと面倒なものがあってねえ」
と、ソブリンがふたを取ると、ワラの緩衝材に埋もれて、黒い鉄製の小箱が頭をのぞかせている。
「近ごろはサルベージ船なんてのもウロウロするようになってねえ。ほら、昔、魔人の浮島があったあたりにさ」
「ほう」
ハサンとアレサンドロの視線がかすかにまじわったが、またすぐに離れた。
「こいつもそれがらみじゃないかと期待してるんだけど、どうも鍵が開かなくて困ってる。あんたなら、はずせるんじゃないかい?」
「フフン、いいだろう」
「だったら石も預かろうじゃないか」
それから十分もたたないうちに、マンムートは一際巨大なドックへ、聖石は、地下倉庫へと移された。
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