第98話 芽生え

「アレサンドロ……!」

 山頂へ続く足跡をたどり、ここまで息を切らせて駆け上がってきたユウは、遠く雪のかげにアレサンドロの姿を認め、ああ、と、ひざに手をついた。

 胸が苦しいのは、気圧のせいだけでも、山のぼりのせいだけでもない。

「おい、どうした。大丈夫か?」

 と、ひざまで積もった雪を重たげにかき分けてくるアレサンドロの胸へ、ユウは、すがりつくように飛びついていた。

「よかった……アレサンドロ、よかった」

「ユウ……?」

「心配したんだ。急にいなくなって、どうにかなるんじゃないかって……」

「……死ぬと思ったか?」

「言うな! そんなのは絶対嫌だ!」

 駄々っ子のように泣き声を出すユウを、アレサンドロは、ふ、と、笑い、抱き返した。

 その手のひらは、厚手のコート越しにも力強く、ユウの背を叩く。

「ああ、生きてるぜ。死んでる場合じゃねえよな」

 ユウは驚いた。

「……なんだ?」

「いや、あんたこそ……どうしたんだ」

 言葉も、目も、晴れ晴れと澄んでいる。まるで別人だ。

「なにがあったんだ」

 アレサンドロは、さあな、と微笑した。

「まわりに合わせて、ちょいと顔を上げただけさ」

「え……?」

「ハ、まあ、いいじゃねえか。戻ろうぜ、俺はもう寒い」

 頭をくしゃくしゃとなでられ、ユウは、アレサンドロを解放した。

 と、突然。

「い、痛ッ! なんだ!」

 なんの前ぶれもなく、ぎゅっと鼻をねじまげられてしまったので、ユウは悲鳴を上げてのけぞった。

 その痛さときたら強烈で、今度こそ本当に涙が出る。

 鼻を押さえてにらみつけたユウに、

「ああ、悪ぃ」

「悪いですむか!」

「いや、あいつなら、変装だってしかねねえと思ってな」

「は?」

「いや、なんでもねえ。行こうぜ。……ほら、そんな顔すんな、悪かった!」

 アレサンドロは、茶目っ気たっぷりにウインクしてみせた。


 そうして、数十分後。

 ユウの左足の傷のこともあって、ふたりがゆっくりと時間をかけて戻ると、双角を山頂へ向けたマンムートでは、すでに破損部位の確認作業が終わっていた。

 それによると、メインダクトやフィルター、管理システムなど、室内のおよそ六割の機械・部品に被害をこうむった空調室が、本来ならば全交換されてしかるべき状況であるという。

 しかし、いまはそれをするほどの資材も、人手も、時間もなく、かといって地上だけを走り、修理のできる場所へ向かう、などということも難しいために、

「とにかく、その……どこに向かうかだけでも決めてもらえませんか? 応急処置のしようもありますから」

 と、メイがおどおど、ハサンへ陳情しているところであった。

「ハサン」

「おお、いいところに戻ってきたな、リーダー君」

「チッ、やっぱりそれか。嫌味な野郎だぜ」

 舌打ちしたアレサンドロが空調室をのぞくと、作業用に髪を結わえたセレンが、あごに手を当てて、なにか考えこんでいる。

 その隣では床にかがみこんだララが、ナットをどこまで積み上げられるか、ひとり遊びに夢中であった。

「話は聞いていたな」

「ああ」

「意見は?」

「あんたはどう思う。鉄機兵団はここに来ると思うか?」

 やはり、アレサンドロは変わった。ユウは思った。

 以前、特にマンムートに乗りはじめたあたりから、アレサンドロはハサンに意見を求めても、どこか一線を置いた目をしていたものだ。

 それがいまは険の取れた、言ってみれば、普段の顔に戻っている。

「フフン」

 と、ひげをなでつけたハサンもまた、にやりとした。

「本隊は来ない。せいぜい様子見の二、三機だろう」

「理由は」

「オルカーンはトラマルへ戻ったが、そこで重光炉の修理ができるかと言われれば……どうかな、お嬢さん」

「む、無理……だと思います」

「よって、ホークの軍は除外していい。残るギュンターに関しても、炎と雪は相性最悪だ。私が紋章官ならば無理はせず、次に現れるだろう場所で張りこみをする」

「どこだ、そこは?」

「ンッフフフ、それは私が決めることではない。連中とて、いくつか候補を絞っている最中だろう」

「そりゃそうだな」

 アレサンドロは頭をかいた。

「で、これからどうするか、だが……俺は、まず戦車の修理を優先させるべきじゃねえかと思ってる」

「ンン、結構だな」

 意見を求められたユウも、これに同意した。

「嬢ちゃん、このあたりに修理できそうな場所は?」

「え、あ、あの……ないこともないですけど、みんな一応、国の研究所ですから……」

「協力は望めねえ、か。ハサン、あんたはどうだ。最近はL・Jを使う盗人もいるみてえじゃねえか」

「あいにく、私の友人は正統派ばかりでな」

「ふうん」

「だが、心あたりがないでもない」

 ハサンは指を振った。

「海にいる女でな。なかなか、いい船を持っている」

「あ……!」

 と、ここでユウにも、その相手の顔が見えた。

 ユウがその女性と出会ったのは、家族と死別し、拾われたころ。

 ハサンからはじめて引き合わされた盗賊が、当時まだ若く、ミラーダを名乗っていたその人だった。

『暗黒街の魔術師』、『北の魔術師』と異名をとったハサンに対し、こちらは『西海の悪魔』。

 泣く子も黙る、海の悪女。血の嵐を呼ぶ女。

 それが、女海賊ソブリンである。

「あのドックならば、設備も十分」

「行った途端に身ぐるみはがされる、なんてことはねえだろうな」

「それはソブリンの懐具合次第だ。海女神に祈っておけ」

「ハ!」

 アレサンドロは笑った。

「おい、セレン!」

「いいよ、そこで!」

 と、セレンも賛同し、決定である。

「場所は?」

「まあ待て、まずは海だ。少々距離はあるが、西海へ出る」

 かくまわれる者の礼儀として、アポイントメントを取るのは常識だ。

「つなぎをつけ、その後、相手の指示に従って行動する。なに、肝の太い女だ。喜んで受け入れてくれるだろう」

「よし、セレンと嬢ちゃんは、とりあえずそのつもりで応急処置にかかってくれ。準備ができたら出発だ」

「りょ、了解です!」

 修理は、足まわりや光炉のチェックも含め、三昼夜かかった。


 さて。

 その間、起こったことといえば、鉄機兵団の一個小隊が上空を飛んだ以外に、皆の寝る場所が変わった。

 理由は言うまでもない。オルカーンのアンカーに貫かれ、最上層居住区そのものが閉鎖されてしまったからだ。

 しかし、マットレスを敷き延べた食堂での雑魚寝は面白みがあり、頭を突き合わせてトランプをしたり、他愛もない話をしたりで、別段、文句を言う者はいなかった。

「あがり!」

 と、その晩も、就寝前のトランプ大会をゴロゴロとながめていたアレサンドロは、

「あんたは、これからどうする?」

 と、マットレスの上に座禅を組み、瞑想しているクジャクに聞いた。

 生身では物質を動かすほどの念動力など生じないが、このような鍛錬をすることで集中力が高まり、チャクラムの反応、速度が上昇するのだという。

「俺はやつらを追う」

「やつら?」

 クジャクは柳眉をひそめ、バイパーたちが、かつてトラマル砦にいたことを語った。

「あの日、俺はカラスに呼び出され、砦を留守にしていた」

「カラスに?」

「そうだ。だがなぜ呼び出されたのか、いまだにわからん。俺になにか伝えたがっていたようだが、くだらん世間話に終始した。戻ると、火の海だ」

「カラスは、裏切り者なんかじゃねえ」

「フ、わかっている」

 微笑んだクジャクの目が、薄く開いた。

「蛇どもの片棒をかついだのは、カラスではなく、俺だ」

「なに?」

「オオカミはおまえたちを愛し、おまえたちのために戦を勝利へ導こうとしていた。だが俺は違う。俺は勝ち負けなどどうでもよかった。俺にとってトラマルは、人間たちの避難小屋にすぎなかった」

「……」

「その、俺の性根が砦を落とした。騎士団ではなく、俺がな。……フ、フ、やつらを追うのも、ただ罪をなすりつけているだけかもしれん」

 そう言ってクジャクは、右耳にさわるような仕草をした。

 しかし、アレサンドロにはわかっていた。

 それでもクジャクは、オオカミや他の魔人たちと同じように、入れ墨の仲間たちのことを想ってくれていたのだと。

 責任転嫁などではない、だからこそ、バイパーを追うのだと。

 アレサンドロは、自責の念をかかえながら晴らすべきうらみをも負うクジャクの姿に、いつの間にか自分を重ねていた。

「……クジャク。これからも、俺たちに力を貸してくれねえか」

「……」

「バイパーは俺たちを追って、きっとまた出てくる。あんたの力が必要だ」

 すると、しばし口を閉ざしたクジャクが、ふ、と、ため息をつき、

「おまえたちは、なにをするつもりだ。なにをしようとしている」

 と、鋭い眼差しで、アレサンドロを見すえた。

「目的もなく、ただやみくもに火の粉を払うだけならば、俺は協力できん」

「いや、俺は」

「なにか目当てがあるのか」

「ああ……」

 と、つい先ごろまでのアレサンドロならば、ここで話は終わっていたはずだ。

 それがいま、アレサンドロの心には、自分の行くべき道について、ひとつの答があった。

 ユウにもハサンにも明かしていない、まさにこの瞬間、芽生えた答である。

「聞いてくれるか、クジャク」

「む……?」

 アレサンドロは起き上がり、クジャクの耳へ口を寄せた。

 二言三言つぶやくと、

「……なに」

 クジャクが目を丸くする。

「その覚悟はあるのか」

「ああ。あんたや、ユウたちがいれば俺は戦える。だから力を貸してくれ」

「……後悔するな。俺はツキのない男だ」

 アレサンドロの差し出した手を、クジャクは、しっかりと握り返した。

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