第97話 ラフ・ダイヤモンド
砂のような氷の粒が、痛いほどに頬を打つ。
憎らしいほど青い空の下。マンムートを見下ろす、せり出した岩盤の上に座るのは、肩を落としたアレサンドロだ。
「こんなところにいたのか」
「……ユウか」
と、アレサンドロは背を向けたまま答えた。
あの、ジャッカルと出会ったロストンの町でもそうだったが、こうしたときアレサンドロは顔を見られることをおそれるように、人目を避けて、ひとりの殻に閉じこもる。
今回のユウは隣に座ろうとせず、少し距離をおいて、アレサンドロの背へ語りかけた。
「アレサンドロ。下に戻ろう」
「……」
「アレサンドロ」
「なあ……ユウ」
「ん……?」
「おまえ……指輪を返してくれるか」
抑揚なく、しかし、はっきりとつぶやかれたその言葉に、ユウは言葉を詰まらせた。
「別に、いまってわけじゃねえ。戦車で、とりあえず近間の町に出て……そこでいい」
「……」
「そこで別れようぜ。……俺は、ひとりでアルケイディアに行く」
「……死ぬのか?」
それは、確信に近かった。
「あんたは、そこで死ぬのか?」
アレサンドロは、泣いているのではないかと思える声で、笑った。
「おまえだって、わかってるはずだぜ。俺はもう駄目だ。これ以上、あいつらを引っ張っていくことなんかできやしねえ」
ユウが、首を振る気配がする。
「俺は、オオカミにも、クジャクにもなれねえんだ。普段はどうにかなっても、ちょっとしたことで、すぐ頭が駄目になっちまう。勝手に疑って、勝手にへたれて……こんなやつが、リーダー張るわけにはいかねえだろ?」
「……別に、ハサンは気にしてない」
「いや、ハサンだけのことじゃねえ。あいつが白だとわかっても、次になにかあれば、俺は別の誰かを疑う。それは、ジョーかもしれねえし、おまえかもしれねえ。そんな自分が、もう、嫌になっちまったんだ」
「だからって、あんたひとりがアルケイディアに行って、なにかを終わらせて、それで解決になるのか? みんなもう、ここまで来たんだ」
「だったら、テリーに頼んで俺の首を持っていってもらえ。全部俺ひとりがしたことにして、おまえらは、またもとの居場所におさまりゃいい。カラスとオオカミは、おまえとクジャクにまかせる」
「……」
「……ハ、わかっただろ。俺はもう、駄目なんだ……」
「おお、まったくだな」
「!」
アレサンドロは、飛び上がるほどに驚いた。
突如『切りかわった』声に、まさかと思い振り向くと、
「ハ、ハサン……!」
憮然とした顔つきで立っていたのは、その男。
「ユ……ユウはどうした! そこにいたんじゃねえのか」
と、その姿を探したが……ハサンは、フンと鼻で笑い、
「ユウ? ユウとは、『俺のことか』?」
アレサンドロは、驚愕を通り越して唖然となってしまった。
ハサンの喉から出された声が、ユウのそれ、そのものであったのだ。
「……だましたな」
「フン、声帯模写など馬鹿でもできる。ユウはしてみせなかったか? ん?」
「ユウは、てめえみてえな悪趣味は持ち合わせてねえ」
「それは失礼」
ハサンは、マントの内から取り出したパイプへ、キザったらしい手つきで草を詰めた。
「で……いまの話、本心だろうな」
煙がただよう。
「だったらなんだ。もう少し頑張れとでも言ってくれんのか」
「フフン、そう言ってもらいたいか、坊や?」
「……帰れ。もう、あんたとは話したくねえ」
「まあ、待て待て。いまのは私が悪かった。これでも私は、おまえをなぐさめにきてやったのだ」
なにを白々しい。アレサンドロは思った。
どう取りつくろおうと、結局は、人の泣きっつらを拝みにきただけではないのか。
「帰ってくれ。もうひとりにしてくれ」
アレサンドロは顔をそむけたが、
「アーレサンドロー」
相手は、もともとが他人の心情や都合をしん酌する男ではない。堂々と隣へ腰かけ、絶壁に足をブラブラとさせはじめた。
「……あんた」
「ンーン?」
「誰も信用しねえってのは、ダチが少ねえのをひがんでるだけじゃねえのか」
「ンッフフフ」
ハサンは煙を含んだまま、さもおかしげに笑った。
「私は、百人の友より、ひとりの親友を選ぶたちでな」
「それがユウか」
「おお、私は親友と言ったぞ、アレサンドロ。あれはただの拾い物だ。おまけにいまは、持ち主がかわった」
そう言う視線の向こうでは、ちょうど、マンムートがかぶった雪を振り落とし、半分埋もれた状態から回復したところである。
「さて、アレサンドロ。なぐさめてやろうか。……なに、聞きたくなければ聞き流してくれて結構」
ハサンは、勝手に話しはじめた。
「まず、私の率直な意見だ。確かにおまえは経験も浅く、少々被害者意識が強い。頭はまわるが、それゆえに混乱も多く、仲間を大事にしすぎるがゆえに決断も遅い。目は曇りがちで、ペシミスト」
「……」
「だが、そう、平たく言えば、人望がある」
「ねえよ、そんなもの」
アレサンドロの考える人望とは、カリスマ性に近い。
人を集め、導き、応える存在。つまりオオカミであり、クジャクであり、カラスである。
魔人と自分をはかりにかけようとさえ思ったことのないアレサンドロにとって、それは絶対的な自己評価だった。
「だいたい、いまの連中だって、俺に期待して集まってきたわけじゃねえ。……あんただってそうだろ」
「そら、そこが目が曇っているというのだ」
「……?」
「他の連中はさておき、このシャー・ハサン・アル・ファルドの目的は、おまえだ。アレサンドロ・バッジョ」
「なに?」
ハサンは、アレサンドロの鼻先へ、ぐいと顔を近づけた。
「おまえは前に言ったな。いかなダイヤモンドでも、金づち一本で粉々になると。そう、おまえはまさにダイヤの原石だ。最高の輝きを内に秘めながら、傷つけられようもないものに、いとも簡単に傷つけられてしまう」
「……見えすいた世辞だぜ、ハサン」
「別に、ほめてはいない」
所詮いまは、ただの石だと言っているのだ。
「しかしだからこそ、おまえを磨いてやりたい」
「……それが人望か?」
「フフン、痛いところを突くな。だが少なくとも、私の興味は引いている。それだけでも自信を持っていい」
「俺に……なにを期待してる」
ハサンはにやりと笑い、
「それは、おまえがダイヤになってからのお楽しみだ」
と、顔を離した。
「なあ、アレサンドロよ。一度や二度の失敗をくやむことはない。いくらでも開きなおれ。いくらでも私のせいにするがいい。どの道へ進もうと、この魔術師が、おまえの望みをすべてかなえてやる」
だから……、
「もう少し頑張れ」
「……プ、フ、ハハ、ハ」
アレサンドロは、思わず吹き出してしまった。
「ずるいぜ、あんた」
「ンッフフフ」
世に、なぐさめかたは様々だが、どれも最終的には、笑いを引き出す、というところに行き着くだろう。
そうした意味では、ハサンの勝利だった。
「さて、あとは自分で考えろ。生きるもよし、死ぬもよし」
ハサンが立ち上がる。
「だが、おまえが死んだところで、世界はなにも変わりはしない。私ならば、生きて世界を変える」
そのための力も才能もすでにそろっているのだと、ハサンはもと来た道を戻りはじめた。
「ハサン!」
「んん?」
「……あんたを、信じてもいいのか……?」
「フッフ」
ハサンはパイプを振り、白い斜面をくだっていった。
「アレサンドロ・バッジョ」
「ッ! ……ジョー、見てたのか」
アレサンドロは、またしても誰かに驚愕させられてしまったことを憎らしく思いながら、大きく息をはき出した。
すぐ隣、亡霊のように直立するのは、まさに白装束のジョーブレイカーである。
神出鬼没というが、いつ、どのようにしてこの距離まで近づいたのか。
「勘弁してくれ」
それが、正直な感想だった。
「ジョー。いまのは……ユウたちには黙っててくれ。まだ、どうなるかわからねえんだ」
ジョーブレイカーは答えず、ただ、座ったアレサンドロに視線を合わせるべく、ひざをつく。
「おまえまでやめてくれ。もう少し時間……」
と、言いかけた言葉をさえぎり、その懐から差し出されたのは細長い布包みである。
「……これは?」
「見ろ」
意外にずしりとした布包みを開くと、現れたのは白々とした女の左腕だった。
一瞬ぎょっとしたが、すぐに、あのシュナイデのものであると気づき、
「……そうだな。おまえはそういうやつだったよな」
なぐさめの言葉を想像した自分が馬鹿だった、と、アレサンドロは苦笑した。
「ひとついいか、ジョー」
「なんだ」
「おまえは……俺がリーダーにふさわしいと思うか?」
ジョーブレイカーの深緑の瞳が、ふ、と、アレサンドロを見返した。
期待も、哀れみも、絶望もない。
この目ならば、客観的な評価を下すことができる。そう確信させる目だ。
アレサンドロは、どのような辛らつな言葉にも気を乱すまいと、固唾を呑んで次の言葉を待った。
「私が主と仰ぐのはただひとり。おまえではない」
「主……?」
「メイサ神殿大祭主、カジャディール様」
「じゃ……おまえはユウを守るために……!」
「いや」
ジョーブレイカーは首を振った。
「私は見届けるだけだ」
それが、カジャディールより受けた命令だからである。
「だが……」
「うん?」
「仲間のために戦うということはあるだろう。おまえも、そのひとりだ」
……まさか、である。
アレサンドロの脳は、このらしからぬジョーブレイカーの言葉をどのように捉えればいいのか、その収拾をつけるのに難儀した。
しかし同時に、
「そうか……それでいいんだな」
と、自分の魂ともいえる部分が、妙に納得したのも事実だ。
アレサンドロは事ここに至って、ようやく目の開ける思いがした。
さて、腕である。
ジョーブレイカーが斬り落としたのは、ひじから先。逃走の際、手投げ弾を爆発させたはずだが、例によってこげ跡ひとつついていない。
その切断面からのぞく美しすぎる筋繊維と、鋼のような骨組織をひと目見て、
「……ん?」
アレサンドロの頭に、疑問符が浮かんだ。
どこかで見た覚えが、などというものではない。N・Sのつくりに酷似していたのである。
「いや、でも、そんなわけはねえ。人間サイズのN・Sなんて……ありえねえ」
もし仮に、シュナイデがN・Sと同じ体構造を持っているとしてだ。
まず指摘される不可能要素は心臓、光炉だ。手のひらサイズの光炉など、少なくとも常識の範囲では存在しない。
そして脳、命令中枢はどうなっているのだろう。
N・Sこそ、腹部に存在する核により、乗り手を情報として取りこむことを可能としているが、あのシュナイデもそうなのだろうか。
いや、核を形成する、あの虹色の液体を作り出せる科学者が人間の中にいること自体、ありえないことのように、アレサンドロには思われた。
「N・Sを参考にして、筋肉と骨を強化した人間……それでも夢みてえな話だが、まだ現実的かもしれねえな」
「うむ」
ジョーブレイカーは、再びその腕を懐におさめた。
「この娘について、少し調べたい。戦車を離れるぞ」
「ああ、そいつは俺も気になる。なにかわかったら教えてくれ。ついでに、鉄機兵団の動きもな」
「うむ」
「こっちも、行き先が決まったら連絡する」
「承知した」
「ユウに、その、大祭主のことは?」
「必要ならば話せ。これ以上の混乱は無用だ」
「ああ……悪かった」
気をつけろ、と、言ったそばから、ジョーブレイカーは崖下へ飛び降りていった。
「俺が死んでも、なにも変わらねえ、か」
本当だな。アレサンドロは思った。
小さいことを言えば、自分がいなくとも、ジョーブレイカーはシュナイデの謎を追っただろう。
セレンとメイはマンムートの修理をするであろうし、テリーは恩師との対決を迎えるはずだ。
ハサンの扮したユウは言った。みんなもう、ここまで来たのだ、と……。
アレサンドロは、ここでふと、身体の芯が冷えきっていることに気がついた。
崖のふちに立ち、両腕で肩をこするうち、抜けるような空の青さにも、太陽の白さにも気がついた。
胸に吸いこんだ透きとおった冷気が、肺の細胞、ひと粒ひと粒を目覚めさせるような心地がして、何度も何度も息をする。
「……戻るか」
アレサンドロがそうつぶやくのに、時間はかからなかった。
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