第91話 決壊

 聖石は、ひとまず台車に乗せられたまま、格納庫で保管されることとなった。

 預かり手はまだ見つからないが、いずれ、いや今日明日中にでも、知るかぎりの盗人へつなぎを取ろう。ユウはそう考えている。

 蛇の道は蛇。盗品を隠すには、盗人の手を借りるのが一番だろうと考えたからだ。

 だが、この点において、ハサンは他の、どの盗人よりも劣っている。

 なにより、一度盗んだ品物に対して、長く興味を維持できない。隠れ家はあっても、盗品を大切にあつかおうという気がないのだ。錠など使わず、箱にも入れず、盗られれば盗り返せばいい、の精神だ。

 自身が言うとおり、ハサンにとって盗みとは、ディナーであり、知恵の見せ所であり、すべてを内包したエンターテインメントショーでしかないのである。

 と……。

 ひと気のなくなった格納庫。聖石を乗せた台車が小刻みに揺れ、その車体後部に張られた金網が、かちりと落ちた。

 奥に見えるのは、わずかな光を放つ小型光炉。

 ……いや、それだけではない。

 まるで亡霊のように黒い物体が、床へ這い出してきた……。


 そのころブリッジでは、

「かんぱーい!」

 床に酒食を広げたて、盛大に祝宴が開かれていた。

 いまだ地中を逃走中ではあるが、こうした大掛かりな盗みを経験するのは、ほとんど皆、はじめてのことで、さらにそれが成功してしまったとくれば大騒ぎもしたくなるというものだ。

 はじめはあれほど参加を渋っていたテリーさえ、

「いや、こんな盗みなら何回してもいい! 俺ぁ、これから盗賊になるよ! いや、ホント! 大将の弟子になるぅ!」

 と、したたかに酔いながら、何度も言った。

「あたしはユウのお嫁さんになるぅ!」

 と、関係ないことを、ララも言った。

 そしてついには、

「旦那は? 旦那はなにになりたいの!」

「ああ?」

「ほらぁ、なにになるのぉ!」

「そうだぁ! アレサンドロも言えー!」

 酔っぱらいふたりは両側からアレサンドロの肩へしなだれがかり、カカカカと笑った。

 このうざったさ、ユウならば殴り飛ばしているところだが、アレサンドロは背をさすってやるようにふたりを抱き寄せ、

「そうだな……俺は……」

 なにか言いかけて、やめた。

「あ、ずるい! ずるいなぁ!」

「いや、思いつかなかった」

「いやいや、俺の勘じゃあ、答えありと見たね」

「そんなことより俺は、やつらが追っかけてこねえかが心配だ」

「またぁ、大丈夫だよ。地面をもぐれるL・Jなんてそう多くないし、少なくともトラマルにはない!」

「……だといいがな」

 アレサンドロはすするように、酒をひと口、口に含んだ。

 ……と、そのときだ。

 突如、電灯の点滅とともに、がくん、と、岩に乗り上げたかのような振動が起こり、

「なんだ?」

 けたたましく報知器が鳴りはじめたのだ。

「火事……?」

 さすがに素早く行動を起こしたセレンがオペレーターシートへ取りつくと、そこには、いくつかの警告文が表示されている。

 さらにもう一度。マンムートが揺れた。

「なにがあった」

「知らないよ」

 セレンにすれば正直な言葉だったのだろうが、つっけんどんな返答に、場は、やや騒然となった。

「まぁ待て」

 ハサンが手を上げた。

「ジョーブレイカー君も戻りたまえ。まずは落ち着いて状況を知るべきだ。セレン博士、これは内因的なものか? 外因的なものか?」

 つまり、故障か、破壊活動か、ということである。タイミング的に、これがただ事でないことは誰もが感じている。

「さあ。場所は三番物資貯蔵庫と空調室。外部装甲板に損傷なし」

 石に虫がついていたのかもしれない、と、セレンは言った。

「けど、まいったね」

 ただでさえマンムートの地中走行には、空気を清浄に保つエア・コンディショニングが欠かせない。

 そのシステムが破壊されてしまった上、さらに火災が起こっているとなれば、密閉性の高いマンムート内はすぐさま酸素を使いはたし、ユウたちは水揚げされた魚のようになってしまうだろう。

「なるほど、敵もさるものというわけだ」

 ハサンはコツコツ、ステッキを鳴らした。

「ではお嬢さん、その狡猾な侵入者の顔を拝んでやろうではないか。現場に近い監視カメラの映像を出してくれ」

「え? は、は、はい!」

 正直、そんなことをしている時間があるか、と、ユウやアレサンドロなどは思ったが、メイの操作でメインモニターの画面が切りかわる。

 映し出されたマンムート最下層通路では、黒煙が立ちこめる中、非常灯とスプリンクラーの回転だけが確認できた。

「……なにもねえな」

 アレサンドロはそう見たが、

「……いや、いる」

 ハサンは目を閉じた。

「来るぞ、いま、映る」

「あ……ッ!」

 その言葉どおり画面奥から現れたのは、黒いフードを目深にかぶった、黒い肌の男たち。

「バイパー!」

 そして、あの娘、シュナイデの姿もあった。

「くそっ……!」

 こうなると、いよいよ、ぐずぐずしてはいられない。

 ユウとアレサンドロ、ジョーブレイカーにクジャクまでもが剣を取り、通路へ向かう。

 ララも立ち上がりかけたがモチにはばまれ、接近戦に劣るテリーにいたっては、どうしようという逡巡は見せたものの、ついに動こうとはしなかった。

 そして、ただひとり。

 ユウたちの前へ立ちふさがったのが、やはりハサンであった。

「私は待てと言ったぞ、アレサンドロ・バッジョ」

 この期におよんでなお、その口もとにはシニカルな笑みが張りついている。

「……あんたと話してる暇はねえ。どきな」

 アレサンドロは、ハサンの肩を押しのけるようにして先へ進もうとしたが、ハサンはその腕を払い、拒んだ。

 このとき一瞬、間に入ろうとしたユウへ向け、ハサンは視線をくれたのだが……そこに含まれた意味を、どう解釈すればよかったのだろう。

 ただ、ハサンがふざけているのではないことだけは、ユウも理解できた。

「アレサンドロよ、頭を使え」

「だから、そんな暇はねえ。やつらはここに向かってる。俺たちを殺そうとしてやがるんだ」

「そうではない」

「なにが、そうじゃねえんだ!」

 アレサンドロの腕がハサンの胸ぐらをつかんだ。

「なんなんだ、てめえは、なんなんだ」

 あせりと不安と、説明のつかないこの状況が、再びバイパーとハサンを疑惑の糸、いや、これはもう確信の糸で結びつけてしまった。

「いつもいつも物知り顔で、人をコケにしやがって。やっぱり、てめえか……てめえが俺たちを売ったのか。てめえが、バイパーをここへ呼び寄せやがったのか!」

「アレサンドロ!」

「止めるなユウ、止めるんじゃねえ!」

「!」

「俺とこいつの、どっちを取るかなんて……そんなくだらねえこと、聞かせてくれるな!」

 ユウは、呼吸ごと、言葉を失った。

「……ハサン。いますぐここを出てバイパーをヤりにいくか、俺に、殺されるか選べ」

 問われたハサンの唇からは、いつの間にか、笑みが抜けている。

「ふたつにひとつだ。……選べ」

「殺したければ殺すがいい」

 今度は、アレサンドロが言葉を失った。

「だが、いまは考えろ。なぜやつらは、聖石には目もくれず空調などを狙った。我々を殺すつもりならば、なぜ息をひそめ、ひとりずつ殺そうとしない。足を止めるつもりならば、なぜ機関部を狙わない。ブリッジを狙わない」

「な、に……?」

「このまま行けば、我々が取るべき道はひとつ。呼吸の確保のために、地上へ顔を出すしかない。それこそがやつらの狙いだとしたら」

「……ま、さか……」

「そうだ。そこには必ず、オルカーンがいる」

 目をむいたアレサンドロの身体が、一歩、二歩、よろめき下がった。

「こうなってはいずれ避けられんだろうが、知りながら飛びこめば、それは罠ではない」

 さあ行け、と、ハサンが言う。

「行って火を消し、適当に蛇どもの相手をしてやれ。地上に出るにふさわしい場所はこちらで選定し、放送をかけてやる。直後の襲撃にそなえろ」

 業を煮やしたジョーブレイカーとクジャクが、身を引いたハサンの横からまず飛び出していった。

「ハ、ハサン、俺は……」

「おまえも行け、アレサンドロ。それこそ話す時間が惜しい」

「……」

「それとも、この首を取ってからにするか? ……フフン、早く行け」

 アレサンドロも、そしてユウも、そのあとを追った。

「さて……」

 キャプテンシートへ腰を下ろしたハサンは、珍しく、深いため息をはいた。

「聞いていたな、セレン・ノーノ」

「ああ。らしくないね」

「フ、フ、まったくだ。……で、目ぼしい場所は、見つかったかな」

 すでに航法士のサブシートへ移っているセレンはモニターを見やり、

「いくつか。お好みは?」

「ンッフフフ、それはこちらが聞きたい。少なくとも、艦砲の狙いを定めにくい場所。谷底か、山間がベストといったところかな」

「いいね。私も、そう考えてた」

「それは光栄だ」


 最下層までの長い階段を駆けながら、ユウたち四人は無言だった。

 アレサンドロと、そもそもが無口なジョーブレイカーは仕方ないとして、ユウの真横を走るクジャクさえも口を一文字に引き結び、目を、まるでけがらわしい毒虫でも見るように細く光らせている。

「クジャク」

 ユウは小声で問いかけた。

「どうか、したのか?」

「……」

 もとよりユウには、腹の奥底までえぐろうという気があったわけではない。

 すぐに、

「いや、いい。忘れてくれ」

 と、言いかけたが、それより早く、

「……やつらは」

 クジャクが口を開いた。

「やつらはトラマルにいた。十五年前だ」

「え……?」

 ユウはとっさに、それがバイパーのことだとは気づかなかった。

「砦が落ち、やつらも死んだとばかり思っていたが……」

 どうやら、はめられたのは俺のほうだったようだな。そうつぶやいたクジャクの目には、明らかな憤怒が宿っている。

 十五年前。難攻不落の異名をとったトラマルが、なぜ陥落したか。

 かつて砦長であったクジャクの、その目を見るだけで、ユウにはわかった気がした。

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