第92話 銛

 ユウたちがバイパー部隊と遭遇したのは、やはり監視カメラの映像同様、最下層、貯水タンク付近の通路であった。

 ここから考え合わせても、ハサンの推察は的中していると思わざるを得ない。ユウたちを殺す意思があるのならば、もっと上層で顔を合わせてしかるべきだからだ。

 だが、ひとつ。

「あの女がいない……?」

 映像では確かに行動をともにしていたはずのシュナイデが、忽然と姿を消している。

 固形火薬と信管を手にしたバイパーたち三人は、ユウたちに目をとめると、いっせいに抜刀した。

「コブラ! パイソン! アナコンダ!」

 バイパーたちは、ぎょっと立ちすくんだ。

 その名を大音声に呼ばわったクジャクが走り出ると、動揺は、ますます大きくなったようだった。

 手にした鉄棍を回転させ、猛然と突進したクジャクの怒りは、その動揺をさらに高めるような、すさまじいものだった。

「この、下衆虫が!」

 気迫のこもった鉄棍に打ち払われ、バイパーの双剣が二本、あっという間に宙を舞う。

「むう……」

 その戦いぶりにひと声うなったジョーブレイカーは、ユウの襟首をつかみ、

「ここはいい。やつと消火へまわれ」

 と、アレサンドロを指して、あごをしゃくってみせた。

「私は、あの娘を追う」

「わかった。行こう、アレサンドロ!」

「あ、ああ……」

 ユウは、気力を欠いた様子で戦闘に見入るアレサンドロの腕を引き、大きく迂回して、火災現場へと向かった。


 炎と煙の量が著しいのは、空調室よりも物資貯蔵庫である。

 燃えやすい物が多かったのだろう、もうもうと視界を覆う煙は煤が多く、どこか油くさい。

 簡易マスクを用意してきたユウとアレサンドロは、それを口にあてがい、ちょうつがいのはずれかかった扉へと近づいた。

 そうして十分も、炎と格闘しただろうか。

 通路に設置された消火ホースからの放水と、スプリンクラーの作用によって、物資貯蔵庫が一応の終息を見せたころになって、

『諸君』

 ハサンの艦内放送がかかった。

『これより一分後、地上へ出る。以上だ』

 艦内は、にわかにあわただしくなった。

 まず動きを見せたのは、バイパーたち三人である。

 かつてのように懐から煙幕を放ち、クジャクの目をくらませたかと思うと、わき目も振らずにマンムート底部のクルー用ハッチから逃走した。

 無論これを追い、クジャクもハッチまで出かかったが、漆黒のトンネルの中、すでに三人の姿はない。

 クジャクは舌打ちし、鉄棍を鳴らした。

 さらにもうひとり、こちらは、ジョーブレイカーに追われたシュナイデである。

 シュナイデは、帝都のマッドサイエンティスト、スダレフの命令か、セレンの研究室において、データを盗みにかかっているところを発見された。

 もしここでジョーブレイカーに手落ちがあったとすれば、シュナイデもまた『超人』であることを知らなかったことだろう。

 生け捕りにしようと分銅綱を放ったところまではよかったが、サンセットの重量にも耐え得る肉体を持ち、死というものへの恐怖心を持たないシュナイデに真正面から組みつかれ、驚愕のうちに逃げられた。

 その後追いつき、無情にも片腕切り落としたが、その手のひらに握られた手投げ弾が炸裂。それ以上追うことがかなわぬままに、シュナイデもまた、顔色ひとつ変えず、落とされた左腕の傷口を押さえようともせず、ハッチを転がり逃げていったのだった。


「……出るよ」

 メイにかわり、操縦桿を握ったセレンの言葉に合わせて、マンムートは最後の岩盤を突き破った。

 反り立った崖の細い隙間から、切り取られた青天が見える。

 ちょうど深い氷の裂け目に顔を出したマンムートは、すぐ両側を壁にはさまれ、万全の体制で敵を迎え撃つことができた。

 敵とはもちろん、そのひと握りの空を覆い隠し、巨人がのぞきこむがごとく現れた飛行戦艦だ。

「来たな……オルカーン」

 のちに、このオルカーンがなぜマンムートを追跡し得たかが問題になったが、聖石の台車をくまなく調べることで明らかになった。

 発信機が出てきたのである。

 言うまでもなく、聖石を搬入した直後、メイの手により発信電波のチェックはおこなわれた。バイパーたちはそのとき電源を切っておき、行動を開始すると同時にスイッチを入れたのだ。

「敵、艦尾砲、転回します!」

「このまま走れ、セレン・ノーノ」

「ロックされました! き、来ます!」

 ……それは実に、砲声のみで装甲板がひしゃげるかと思われるほどの轟音であった。

 砲弾はこちらの狙いどおり、ことごとくが両側にそびえる氷の壁に邪魔をされたが、かわりに崩れた氷塊がマンムートに降りそそいだ。

 その揺れの中、

「テリー・ロックウッド」

「あ、あい?」

 キャプテンシートのハサンに呼ばれ、座りこんだままのテリーは身構えた。

 なにを言われたわけでもないだろうに、額には、すでに冷や汗がたれている。

「来い」

「は、はあ」

 指でちょいちょいと招かれ、とりあえずは近づいたその首を、ハサンは、ぐいと引き寄せた。

「どうだ。撃ち落せるか」

「は? い、いやいやいや、うっそ!」

「だが、それしか手がない。どうだ、男になるか? なるな。よし行け」

 テリーはあんぐりと口を開けたまま、全身で、この無茶苦茶な指令に対して抗議の意を示した。

 と、次の瞬間。

「わあッ!」

 ドッと、戦車全体が揺さぶられ、メインモニターにノイズが走った。

「どうした。撃たれたか」

「い、いえ! アンカー! アンカーです!」

 つまり、停泊時に使用するいかりを打ちこまれたというのだ。

 トラマルでそうであったように、飛行戦艦オルカーンは空中で補給を受けることもある。そのために、返しのついた銛のようなものを山肌や地面に射出して、艦体を固定するのである。

 いま、そのアンカーは最上層、ちょうど、居住区のあたりを、やや前方から貫いた。

 そして……。

「ぬ!」

「きゃ、あ!」

 なんと、このマンムートの巨体を宙に浮き上がらせたのである。

 そう、体格差を考えれば、確かに可能なのだ。だが、戦艦が戦車を釣り上げるなど誰が想像しただろう。

「フ、ハ、ハ、ハ、面白い! 誰だ! デューイ・ホーキンスか! 紋章官か!」

 ハサンは声を立てて大笑いした。

 そうするうちにも、オルカーンはみるみる高度を上げ、それに引きずられるようにしてマンムートも持ち上げられていく。

 クレバスを脱したその瞬間、激しい横風にあおられて、艦内は大いに動揺した。

「テリー・ロックウッド!」

「あ、あ、あい!」

 テリーは、十数本の酒瓶とララ、モチとともに、ブリッジの端まで転げている。

「作戦変更だ!」

「そ、よ、よかったよ!」

「この戦車の上から、やつの機関部のみを破壊しろ! 落とさんようにな!」

「え、えええ? 無理無理無理!」

 ただ撃ち落すよりも、はるかに難しい。

「護衛はつけてやる!」

 ハサンはインターカムを取った。

『ユウ! 聞こえているな!』


 そのころ。

 ユウもまた、通路の端にアレサンドロと折り重なっていた。

 ブリッジの連中ほど状況を理解できているわけではなかったが、マンムートが空を飛んでいるらしいことだけはわかっている。そして、自分が出撃しなければならないことも。

『状況はおいおい理解しろ。おまえがいまなすべきは時間かせぎだ』

 ユウは、ハサンからの指示を一言一句聞きもらすまいと集中した。

『すぐさま外へ行き、相手の気をそらせ』

 ただし、

『後部ハッチは聖石が吸い出されるおそれがある。底部ハッチから飛び降り、空中でN・Sを呼び出せ!』

「そんな……! そんな、馬鹿言ってんじゃねえ!」

 アレサンドロが届くはずのない非難の声を上げた。

 一歩間違えれば、ユウは宙へ投げ出され、そのまま地面へ叩きつけられる。

『他の者は格納庫へ向かい、聖石を固定しろ。それが完了次第テリー・ロックウッドに出てもらう。さあ、行動に移れ!』

 ユウは、壁を支えに立ち上がった。

「待て、ユウ! 行くんじゃねえ!」

 と、アレサンドロが腕をつかんだ。

「あんな……あんなのは俺が認めねえ! やばすぎる!」

「ああ、わかってる」

「わかってねえだろ! 石を固定して、それからでも……!」

「アレサンドロ」

 アレサンドロは、ユウが微笑んでみせたのに驚愕した。

「大丈夫だ。ハサンは、できないことは言わない」

「う……」

「アレサンドロが、ハサンを疑うのはわかる。あの人はあんな性格だし、いつも人の神経を逆なでする」

 でも……と、ユウは思う。

「あの人は、嘘は言わない」

 誰も信用するなとは、おそらく、言葉の真意を見逃すなと言っているのだ。

 でなければ、信用していない人間に、命運を背負わせたりなどするものか。

「……俺には、わからねえ……」

 と、首を振るアレサンドロに、

「俺だって、わかるのに十年かかった」

 ユウは、それが当然であるかのように言ってみせた。

 と……。

 さらにここで、マンムートが揺れた。

 窓の外を走った影に目をやれば、L・Jの姿。その風圧に押されたらしい。

 オルカーン搭載のL・Jはすべて首を落としてきたはずだが、トラマル常駐部隊のそれと積みかえてきたのだろう。型式が、やや古かった。

「行ってくる!」

「あ……ユウ!」

 ユウは足を止め、振り返った。

「その……悪かったな」

「アレサンドロは悪くない。聖石を頼む!」

「ああ……」

 残されたアレサンドロは、しかし一歩も動けず、俺はなにをしているんだと思いながらも、その場にひざをかかえてうずくまってしまった。


 マンムート最大の幸運は、シュナイデ逃亡ののちも、ハッチが開け放しになっていたことだろう。

 でなければハッチを開けた瞬間、急激な気圧の変化により、マンムートは空中分解していたかもしれない。正直、そんな危険があることなど、ユウは露ほども知らなかった。

 とにかく知らず知らずとはいえ、その危機を回避できたユウは、壁の突起を頼りにハッチへと近づき、下をのぞきこんだ。

 ……N・Sに乗ってでさえ、これほどの高みにのぼったことはない。

 地面は遠く、風は、とてつもなく冷たい。

「ユウ」

 モチが飛んできた。

「目が覚めてみれば、とんだことになったものです」

「眠いか?」

「少々。ま、もう少し我慢しましょう」

 モチはユウの腕に収まり、ふたりは、互いの身体を強く握り合った。

「アレサンドロはどうしました」

「ああ……落ちこんでる」

「そうでしょう。彼の立場が、ハサンを疑わせたのです。もう少し早く、手を打つべきでした」

「……行こう」

「はい、いつでも」

 ユウは、ハッチのスロープをくだりながら、何度も、心の中でシミュレーションをくり返した。

 そこへ……。

「待て」

 突然の制止がかかった。クジャクである。

「俺も行こう」

「え……?」

 ユウは、強風のために言葉を聞き間違えたかと思った。

「あなたは、N・Sを捨てたはずでは?」

 モチが問うと、

「そのつもりだったがな……」

 と、頬にかかる髪の束を、しなやかな指でかき上げてみせたクジャクの右耳には、鈍色のピアスが光っていた。

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