第90話 聖石強奪
そうして、出発から数時間。
「休もうか」
クジャクが言い出したときには、ユウ、アレサンドロ、テリーは疲労困ぱいの域に達していた。
トラマル城塞はドーザからの標高差にして、たかだか千メートル程度の高みだが、いかんせん神経のすり減りようがただ事ではない。
入り口に設置されていたような警報器か。直接こちらへ害を与える罠か。歩道の内外、まったくの無作為に配置されているらしい二種類のトラップを、たとえば一歩一歩、汗の一滴も落とさぬように身体をくねらせて通らねばならないかと思えば、眠気を覚えるほどなにもない時間があったり、という具合なのだ。
一度などは、足の踏みどころをあやまったテリーがうっかり罠を起動させてしまい、
「ひゃ、あ、あぁ!」
突如抜け落ちた穴の底へ落ちかけてしまった。
ジョーブレイカーの投げ打った分銅綱のおかげで事なきを得たが、そうでなければ串刺しになっていたところだ。
必死の態で這いのぼったテリーは、
「だ、大丈夫、大丈夫」
と、アレサンドロに手を振ってみせたが、顔面は蒼白。半分べそをかくというなさけない有様だった。
「先が思いやられるな」
アレサンドロは乱暴に荷物を放り出し、歩道の真ん中へ座りこんだ。
「で、あと、どのくらいだ?」
問われたクジャクが鉄棍で示した先には、天井へ続く鉄ばしごが見える。
「あれをのぼれば処理場へ出る。トラップはここまでだ」
「ありがてえな」
腹から息をついたアレサンドロは、テリーから渡ってきた水筒をぐいぐいとあおり、それをユウへとまわした。
打ち合わせで聞いたところでは、ここから地上まで、三十分とかからないはずだ。
「日の出には、少し早い」
ユウが言うと、
「そうだな」
だから休みを取った、と、クジャクはモチの喉をくすぐった。
これからユウたちは月の聖石をパラシュートで投下するわけだが、その展開や誘導は、日の光がなければ困難な作業である。
計画では暁闇にまぎれてオルカーンへ入り、日の出を合図に、聖石を投下することになっていた。
ララたちマンムート組も、当然そのつもりでトラマル直下へ待機している。
さぞや、こちらも緊張していることだろう。
……と、思いきや。
「……で、あれはなんと言った?」
「いいんじゃないか、って」
「それだけ?」
「うん」
「やれやれ、相も変わらず言葉を知らん男だ」
「いざというとき大物を逃がすタイプ」
「ンッフフフ、違いない。いい見立てだな、セレン博士」
と、ブリッジの床に座り、なんとババ抜きに夢中であった。
金は賭けない、ハサンにすれば、ままごとのような遊びだが、女性陣にかこまれているという事実だけで、至極機嫌がいい。
「もぉ、うるっさい!」
と、むくれてしまったララの頬をあやすようにつつき、
「だが、君はそれで満足か?」
「え?」
「女性としては、もっと踏みこんだひとことが欲しいだろう」
などと、大人の男ぶってみせた。
するとララは、
「フッフン」
鼻で笑い、薄い胸を張ると、
「ユウはそれでいいの。『うるさい、離れろ、あっちへ行け』。でも、態度はすッごく優しい」
「ほぅ」
「女の子は、そのくらいギャップがあったほうが好き。ハサンみたいに優しすぎるのは、かえってよくないよ。ね、メイ?」
「え! は、はぁ……」
メイは、なぜか赤面した。
「ン、フ、フ、フ、これは一本取られたな。君は目のつけ所がいい」
「でしょ?」
「ならば私も、たまには君のお尻をつねってやらねばな」
「あ! やっだ、エッチぃ!」
「はいはい、ララの番だよ」
実に、のんきなものである。
日の出が近づいた。
彼方までひらけた濃紺の空が、蒼穹の輝きへと変わろうとしている。
快晴。無風。
ユウたちはその空の変化を、肌がふれれば張りついてしまうほどに冷えきった、金属製の燃料タンクのかげから見守った。
幸運なことに昨夜は一切の風雪がなかったため、桟橋に停留するオルカーンのハッチは大きく開放されたままだ。
先行したジョーブレイカーの手がその奥で振られ、ユウたちは、騎士たちのつけた足跡の上をなぞりつつ、オルカーンへと駆け向かった。
そこは、L・J格納庫である。
オルカーンの最大搭載数は、一個中隊にあたる二十余。
横たわった状態で階層式L・Jベッドに積み重ねられたそれが、有事にはコンベヤーを移動し、両舷のハッチからカタパルトで射出される仕組みになっている。無論、すべて空中戦用機だ。
さらに、その奥の空間。L・J用推進剤のスペアタンクや、武器、交換パーツのコンテナが整然と並ぶ暗所に、専用の台車へ乗せられ、灰色の保護シートごとロープでがんじがらめにされた月の聖石があった。
万が一、贋物という可能性もないではなかったが、
「……うむ」
あらためたジョーブレイカーが、しっかりとうなずいたのだから間違いない。
それにしても、さすが超人ジョーブレイカー。十数人からの守衛は、ことごとく気絶している。
「感心してる暇はねえ。はじめるぞ」
アレサンドロが小声で号令した。
「ジョー」
と、声を受ける前に、ジョーブレイカーは素早く行動を起こしている。
飛ぶように庫内管制ブースへ駆け上がると、左手甲に装備した珍しいソーラー発電の無線その他一式の中からジャックのついたコードを手繰り出し、コントロールパネルのスロットへ差しこんだ。
「来ました!」
その、『準備よし』の信号は、すぐさまマンムートのメイへと伝えられた。
コンピュータルームとも言うべき、このセレンの私室兼研究室には、他に家主であるセレンの姿がある。ララとハサンは、格納庫で聖石確保の準備にあたっているはずだ。
「実況」
「はい!」
キーボードを叩くセレンの指は、まるでピアノでも奏でているかのように優雅に動いた。
「第一ゲートクリア……第二、第三……オールクリア! 指揮権、マンムートへ移ります!」
その異変にまず気づいたのは、あくびまじりにモニターを看視していた、オルカーン当直の新米オペレーターだった。
「あれ?」
「……どうした?」
同じく眠たげに答えた航空士は、オペレーターの指さしたモニターをのぞきこんだ。
両舷ハッチが稼働中である。
桟橋に面した左舷側が閉じ、逆に、右舷側が開きはじめているらしい。
「誰が操作してる。連絡はあったか?」
「いえ」
オペレーターは手もとの書類をめくったが、そのような引継ぎ事項はない。
だが経験も浅く、帝国の誇る飛行戦艦がクラッキングされるなどとは夢にも思わなかっただけに、それほどの危機感はいだかなかった。
「寒さで、回線がいかれましたかね」
「そんなわけないだろう。空の上のほうが、ずっと寒い」
応じる航空士も、どこか、とぼけた調子である。
「一応、格納庫の連中にコールしてみろ。眠気覚ましに遊んでるのかもしれん」
「了解です」
オペレーターはインターカムを取った。
しかし、コール音を待ちながら、なにげなくモニターへ視線を戻し、
「え?」
「どうした? ……あ、ああっ?」
「な、なんだ……これ!」
さすがに青ざめた。
無線・電信禁止。
艦砲使用停止。
L・J用ハッチ以外の艦内全電子ロック、強制施錠。
それらの赤色警告が、続々と画面へ現れていたのである。
「う、嘘だろ……!」
ふたりはコントロールパネルへ飛びついたが、時すでに遅し。
「警報を……!」
「だ、駄目です! 作動しません!」
「グ、グレゴリオ様! 誰か、誰か応答してくれ!」
ふたりは、ただオロオロするばかりだった。
直径五メートルにもなる聖石を乗せる台車は、ほぼ正方形に近い形をしている。
その四辺の中点へ貼りつけたのは、鉄環のついた吸盤、とでも言おうか。レバー一本で内部に真空状態を作り出し、完全密着させることができる代物だ。
「お許しください」
と、額と胸にふれたあと、聖石へ駆けのぼったユウは、その鉄環に通されたベルトを四方から受け取り、頂点でパラシュートと組み合わせた。
「終わった!」
「よし、おまえたちはN・Sの準備だ! テリーはL・J! クジャクは、こっちに手を貸してくれ!」
「あいよ!」
ひと声、手を打ち鳴らしたテリーは、L・Jベッドのエレベーターへ。アレサンドロとクジャクは台車を操作し、開ききった右舷ハッチへと移動させる。
立ち上がったN・Sカラスの真正面に見える東の空は、いまにも弾けんばかりの勢いをもって、今日最初の輝きを放とうとしていた。
『……ユウ』
『なんだ?』
『私は、このN・Sというものに出会い、よかったと思えることがふたつあります』
モチの声は冷静だが、押し殺した興奮が見え隠れしている。
『ひとつは、この鳥の身にも戦う手段が与えられたこと。そして、もうひとつは……』
光です。モチは言った。
『太陽は美しい』
ユウは、そのモチの単純な言葉にこそ感動した。
『さ、行きましょう!』
『ああ!』
ふたりは台車の片側を支えつつ、空へ一歩、踏み出した。
ユウはこのときほど、耳を裂く風鳴りを、心楽しく聞いたことはない。
パラシュートが開くまでのわずか数秒間ではあったが、生まれたばかりの陽光の中、聖石とダンスするように回転し、落下するのは、思わず声を上げたくなるほど愉快だった。
『もう少し、壁から離れましょう』
モチは、ほんの少し翼を傾けただけで見事に理想の場所へ移動し、パラシュートの展開は、無事完了した。
さあ、ここからは地上で待つふたりの出番である。
「おお、おお、うらやましいことだ」
つぶやいたハサンの横には、例の迷彩バルーンが、八割方ふくらんだ状態で敷き延べられている。
左手の発光筒を天へ向け、隻腕のハサンは、歯を使って紐を引いた。
一発。そして二発。
気づいたカラスが、手を振って応えた。
「フン……さぁ来るぞ! 準備はいいか!」
『もっちろん!』
ララのサンセットも、上空のカラスへ手を振った。
一瞬の乱気流にひやりとする場面もあったが、聖石を乗せた台車は、旋回の幅を徐々に縮めながら地上へ近づいてくる。
それはカラスの手を離れると、バルーンの中央へ吸いこまれるように着地し、
『せぇ、のッ!』
今度は力自慢のサンセットが、巨大風船の排気弁からためこんだ空気が抜け切るのも待たず、マンムートの格納庫へと引きずりこんだ。
……さて。
ユウとモチが、まだ空中にあったころ。
オルカーンに残されたアレサンドロたちも、次の行動を開始していた。
脱出である。
L・Jの強奪と破壊は、あっけないほど簡単に達成されたため、むしろ、それしか残されていなかった。
「テリー! おまえはクジャクと先に行け!」
アレサンドロは叫んだ。
「回収するまでパラシュートには近づくな! 艦砲にも注意しろ! いいな!」
『あい了解!』
脱出用に確保した一二〇一式L・J一機に乗りこみ、テリーとクジャクは一足先に空へ飛び出していった。
「ジョー! 俺らも行くぞ!」
しかし、管制ブースのジョーブレイカーは、手もとのコントロールパネルを操作しながら、右へ左へ、絶え間なく視線を走らせている。
「ジョー!」
そこでようやく、スロットへ差しこまれたコードに手をかけた。
これを抜けば、オルカーンの指揮権はセレンの手を離れる。
ジョーブレイカーは、ためらいもせずに抜いた。
直後、警報が鳴り響き、格納庫と通路を閉ざす電子ロックハッチの施錠ランプが、赤から緑へと変わった。
「急げ!」
ジョーブレイカーは階段を躍りくだり、疾風のごとき速さで、残されたもう一機の一二〇一式へすべりこむ。
操縦技術のないアレサンドロは、すでにリニアシートの裏側へ入り、待っていた。
「ベネトナシュがない」
「なに? どういうことだ」
「わからん。遊蕩癖のある男だとは聞いている。……行くぞ」
ふたりの乗った一二〇一式は、まるで、どこか故障でもしているかのように絶壁を急降下して逃走した。
L・J回収後、地中潜行直前の外部カメラに、はるか上空を走る三角形の影が映ったが、いまさら言ってどうなるものでもなかったため、セレンは黙っていた。
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