第89話 第一歩

 天を刺す、白いサーチライトの中。

 薄雲を破り、徐々にその姿を現しはじめた、飛行戦艦オルカーン。

 映像などとはまったく違う。

 空の覇者たる貫禄を秘めたそれを目のあたりにして、ユウは小さく武者震いした。

 おそらく、いままで入った、どの建物よりも巨大で、どの建物よりも恐ろしい。

 あれに忍びこむのか……。

 胸を恐怖に縛られるのと同時に、腹の内が、まるで煮えたぎった湯をそそがれたかのように熱くなった。

「……楽しみだ」

「え……?」

「そんな顔です」

 広場に立つ馬のモニュメントの背に座りこんだモチが、丸々とした目で、ユウを見下ろしている。

「やはり、あなたは、シャー・ハサンの子だ」

「よしてくれ」

 ユウは手を振った。

「冗談じゃない」

 モチは、ホゥホゥ、と、からかうように鳴き、オルカーンへと視線を戻した。


 ユウを含めたオルカーン攻略組は、現在、ドーザの宿へ泊まっている。

 あの戦艦の正確な降下時刻がつかめず、マンムートでは、いざ、という瞬間を逃すおそれがあったためだ。

 ここならば、例の地下水道へも近い。

「今夜になりますか」

「ああ」

 ユウはモニュメントの台座の雪を払い、腰を下ろした。

「ユウ、ハサンと言えば……」

「ん?」

「彼はなぜ、我々との同行を言い出たのでしょう」

「……アシビエムでか?」

「そうです」

 今回の作戦、ハサンはマンムート待機組に入っている。

「彼が根っからの悪人でないことは、無論承知しています。しかし、無償で協力したいと考えるほどの善人でもなければ、おそらく、退屈しのぎなどという短絡的な考えで動く凡人でもない」

 言いながらもモチの目は、抜かりなくユウの顔色をうかがっている。

「もちろん、この旅を生き抜く上での、彼の必要性は理解しているつもりです。アレサンドロも、彼を信じている」

「なら……」

「不安なのです」

 ユウは、はっと、モチを見上げた。

 まさか、モチの口からそのような言葉を聞こうとは思わなかったのだ。

「私は確信が欲しい。彼を信ずるに足る確信が。あなたのひとことが」

 城塞から鳴り響く、サイレンの音が途絶えた。

「教えてください、ユウ。彼の目的はなんです。彼が我々に見出した、利害関係の一致とは?」

 ……ユウは、言葉に詰まった。

 おまえは甘い。そう言われるかもしれないが、ユウの中ではすでに、ハサンはテリーなどよりもずっと信頼できる相手として認識されている。N・Sコウモリの一件はともかくとして、自由気ままにやっているようでも、その行動と思考は常に、仲間の利益のために働いているはずだと。

 そしてそれは実際、そうだったはずだ。

 しかし、だからといって、

「ハサンが、俺たちについてくる目的……」

「あるはずです」

「ああ……きっと、そうだ」

 この一事が否定されるものでもない。

 あのハサンに限って、ないわけがないのだ。

「N・Sでしょうか」

「違う」

「では……?」

「わからない」

「フム……」

 モチは、首を左右にまわした。

「でも、次の獲物を探してるふうでもない。なにかを狙ってるなら、当たりはもう、つけてるはずだ」

「それが、物ではないとすれば?」

「え……?」

「つまり、我々の首を……」

「違う」

 これも、ユウは即座に否定できた。

「あの人は、そんな人じゃない。誰かにやるくらいなら自分のものにする。物じゃないなら、俺たちの内の誰かを狙ってるんだ」

「フム……なるほど」

「モチ……」

「ええ、わかります。確かに、その方が彼らしい。自分の才能や、たくましさを誇示する、というのも、気を引くために雄がよく使う手です。しかし、そうなると……」

 ハサンが狙っている獲物とは……。

「ララ?」

「ホ! まさか、あなたと、さや当てを? ホ、ホホ! ホ、ホ!」

 珍しく、モチが馬鹿笑いした。

「いやいや、なるほど。それこそ彼のやりそうなことです。袂を分かった弟子の、恋人にちょっかいを……ホ、ホホ!」

「だから、ララとはそんなんじゃない!」

 ユウは腰をひねって雪玉を投げつけたが、見事に、あらぬ方向へ飛んでいってしまった。

「ホ、ホウ」

「いい加減にしろ!」

 と、今度は当たるかと思われた二投目も、ひょいと飛び上がったモチの尾羽をかすめ、遠く、街灯のあたりまで行ってしまう。

「くそ!」

「ホウ、ホウ」

 そこへちょうど白馬亭から出てきたほろ酔いの湯治客らが、大きな白フクロウへ、がむしゃらに雪玉を投げ続ける青年に目をとめ、

「見ろ、馬鹿なことしてらぁ」

 笑いながら、宿へ戻っていった。

 結局、雪玉は一発も当たらなかった。

「……くそ」

「いや、しかしこれで、わかりました」

 息が上がって、降参してしまったユウのそばへ降りてきたモチは、まだ笑い声である。

「真相はどうであれ、あなたが言うのです。ハサンが帝国と通じている可能性は少ない。それで十分です」

「……不安は?」

「ええ、消えることでしょう」

「え?」

「いえ、消えました」

 モチは、それまで語った不安や疑問が、すべてアレサンドロのものであった、などと、ユウに言うつもりはない。

「これで、彼も外へ目を向けることができる」

 くちばしの中で、そうつぶやくと、

「さ、戻りましょう。いまのうちに、少し寝ておいたほうがいい」

「……そうだな」

 ふたりは帰途に着いた。


 ここで整理しておくと……。

 オルカーン攻略組は、ユウ、アレサンドロ、モチ、テリー、そしてジョーブレイカーとクジャク。

 マンムート待機組は、ハサン、ララ、セレン、メイ。

 と、なっている。

 それぞれに与えられた役割があり、そこにわずかでも狂いが生じれば、まず、面倒なことが持ち上がるのは間違いない。

 深夜をすぎ、酒場で軽く酒を入れたオルカーン攻略組は、ぶらぶらと酔い覚ましの態を装いながら、ドーザ南北を貫く小さな流れへ近づき、

「よし、行くぜ」

 アレサンドロを先頭に、石橋の欄干から飛び降りた。

 川面は、すでに硬く凍りついている。

 橋げたのかげには荷物とともに先発したジョーブレイカーが待っており、ユウたちの姿を確認するや、足もとのカムフラージュシートを取り去った。

 そこに、ぽっかりと開いた横穴こそ、地下水道への侵入口である。

 ただし、当初予定していた下水の出口ではなく、大雨や不測の事態により、水が一定量を超えてしまった場合にもちいられる、水抜き用の水道管だ。

 覆っていた金網はジョーブレイカーによってはずされ、いまはもう、侵入を待つばかりとなっていた。

「ここを抜ければ、下水の天井に出る。だが、抜けたが最後、後戻りはできん。足がかりもなく、真下にはトラップが仕掛けられている」

「それは……?」

「警報器だ。ある程度の圧力を感知し、砦へ通報する。飛び降りる際も真下は避けることだ」

 クジャクとかわしたその先夜の打ち合わせどおり。無言のままうなずきあった六人は、順次、身体を押しこむようにして、せまい土管へともぐりこんでいく。

 最後は、わずかばかりのへりにぶら下がり、前後へ身体を振って飛び降りると、むっとする暖気が身体を押し包んだ。


 地下水道の幅は、目測で十メートル弱。トラマル城塞内で処理をほどこされているため、生臭さはあるが、悪臭というほどでもない。

 アーチ状の石組みには等間隔で光石がはめこまれており、薄ぼんやりとしたその明かりが、ゆるいカーブと傾斜を描きながら、遠く彼方まで続いている。

 ユウたち六人は、まず両わきに敷かれた歩道の上へ荷物を広げ、最後の身支度を整えた。

「ユウ、足はどうだ?」

「ああ、いける」

 痛み止めが効いている。

「なら、そいつを頼むぜ」

 ユウは、パラシュートを固定するための機材など、一式をまかされた。

 パラシュート本体はアレサンドロが背負い、

「クジャクのあとを、ユウ、俺、テリー。ジョーは、しんがりを頼む」

「承知した」

「テリー」

「わかってるよ」

 ここまできたらやるしかないでしょ、と、テリーは銃床を叩いてみせる。

「私はどうしましょう」

 モチが言うのへ、

「クジャク、頼めるか」

「いいだろう」

 土管を通すため分解していた鉄棍を、慣れた手つきで組みなおしたクジャクが、その腹羽をくすぐり、抱き上げた。

「おそれいります」

「フ、フ」

 このふたりはどちらも鳥類だけに、どこか通じ合うところがあるようだ。

「……行くぞ」

 鉄棍を振ったクジャクが、トラマル攻略の第一歩目を踏み出した。

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