第86話 フェティシスト

 そこからマンムートに到着するまでは、何事もなく過ぎた。

 外門の外でジョーブレイカーと合流し、ホバーバイクにはテリー、ユウ、クジャク。忍者ジョーブレイカーは、なんとそれと並走して山をのぼる。

 猛烈な夜の吹雪の中、マンムートの開けた穴は巨大なバルーンでふさがれ見えなくなっていたが、レーダーで帰還を知ったN・Sオオカミが大手を振って迎えてくれた。

 オオカミの押し上げたバルーンの隙間をくぐると、密閉された洞内は、驚くほど温かく感じられた。

「あああ、寒かったぁ」

 ホバーバイクを降りたテリーが、グシグシ、と、鼻をすすると、

「お疲れ様です」

 と、すかさず差し出されたのは、鼻紙と、メイお手製の熱々のココア。

「うわ、気がきくぅ。……ああ、生き返るなぁ」

「あの、鼻、かんだほうが……」

「メイちゃんが取ってぇ」

「す、すみません。自分でお願いします!」

 メイは鼻紙を押しつけ、マンムートへ逃げ去ってしまった。

「可ぁ愛いィ」

 と、テリーは目尻を下げた。

 その、同じココアを盆へ乗せ、ユウの前へ差し出したのはもちろんララだ。

「はい、ユウ」

「ああ、すまない」

「ジョーも飲んで。……って、え、え?」

 ララは、ユウをも、ぎょっとさせる勢いであとずさった。

 そこには、あの黒覆面がいると思ったのだろう。

 だが、のぞきこんだ最後尾の座席から降り立ったのが現実離れした美男だったのだから、驚くのも無理はない。

 フードつきのマントを羽織り、身の丈を越える六角の鉄棍を手にしたクジャクは、呆気に取られ、ぽかんと大口を開けるララの手からマグカップを取ると、

「もらおう」

 まるで冷水でも飲むように、湯気の立つそれを、なまめかしく喉へ通した。

「ジョーって、こんな格好よかったっけ……」

「なに言ってる。ジョーはあそこにいるだろ」

「あ、あれ、ホントだ」

 ユウがあごで示した先で、白装束の忍者は、ホバーバイクの雪を払っている。

「じゃあ……」

「彼はクジャクだ」

「ク、ジャク……?」

 ララは首をかしげた。

 南国シュワブに生息するその鳥を、帝国で見る機会はほとんどない。図鑑でならばユウも見たことはあるが、ララはそれさえもなかったらしい。

 ララはクジャクをまじまじと見やると、

「鳥? へぇぇ……」

 物珍しげなため息をもらした。

「食べられる鳥?」

「馬鹿、そういうことを言うな」

 外で尾行者の有無を確かめていたアレサンドロが、そのとき、バルーンの下をもぐるようにして戻ってきた。

「よう、お疲れ。ひでえ吹雪だな」

「ああ」

「……こいつは?」

「クジャクだって」

「ク……! マ、マジかよ!」

 飛び上がったアレサンドロはララを弾き飛ばし、熱くクジャクの手を取った。

「あ、あんたが、トラマルの砦長か!」

「ほぅ……?」

「俺はアレサンドロ。あの、あれだ、オオカミのところにいた、アレサンドロ・バッジョだ。あんたの噂は、いつも聞いてた!」

「どうせ、ろくな噂ではあるまい。あの男は俺を笑ったはずだ」

「まさか、なにを笑うってんだ」

 あのアレサンドロが、顔を真っ赤にして興奮している。

「そうか、生きてたのか……生きてたんだな……! でかしたぜ、ユウ!」

 と、ユウを抱きしめ、その頬へキスするのも、かつてなかったことだ。

「あんたが協力してくれるなら、これ以上はねえ。さあ入ってくれ。すぐ部屋も用意する。ああ、ジョー! あとで報告聞かせてくれ! あとでな!」

 クジャクの背を押すようにして、さっさとマンムートへ戻っていってしまったそのあとは、まさしく台風一過というやつだった。

「……魔人好きすぎだね、アレサンドロ」

「……そうだな」

 その勢いに圧倒されたユウとララはしばらくものも言えなかったが、顔を見合わせるとなにやらおかしくなり、ぷうっと吹き出した。

 と、さらにそこへ。

「ほぅ、誰だ。あの美形は」

 入れ違いに現れたのはハサンである。

 ハサンは、暑かろうと寒かろうとスタイルを変えることはない。すなわち、襟付きの夜会風マントに、例の刃を仕込んだステッキだ。

「クジャクだって」

 ララが言うと、

「クジャク! なるほど美しい鳥だ。あれなら億でも買い手がつく」

 ハサンは目を細め、なめた指で口ひげをなでつけた。

「上等な鳥カゴに押しこめて、力つきるまでながめていたい。ンッフフフ、そそられるな」

「あ、変態発言!」

 ララの手がハサンの胸をつついたが、

「おお、ラーラー、なにを言っている」

 するりとかわしたハサンはその腰を素早く抱き寄せて、背中へぴったり密着した。

「男は、すべからく変態だ。真性のマゾヒストで、サディスト。フェティシズムの塊。そうだろう、ユウ?」

「知るか」

「ンンン、知っているぞ。おまえは、女のうなじが大好きだ」

「!」

「そ、そうなの?」

「ああ、そうだとも。今度、髪を結い上げてみるといい。こいつは一発で落ちる」

「う、うっそ! だ、誰か! ゴム持ってない? ゴムぅ!」

「ハサン! 妙な知恵をつけるな!」

「ンッフフフ、嘘は言っていない。礼はいらんぞ?」

「誰が!」

 ユウの振り上げた拳はやはり空を切り、ララは誰かぁ、と叫びつつ、マンムートのハッチへ消えた。

「平和だねぇ」

 まだココアをすすっていた猫舌のテリーが、小さくつぶやいた。


 さて……。

 夜もふけ、灯の消えた格納庫。

 そこには再び、ユウの姿があった。

 中指の指輪を見つめ、横たわるカラスを見上げ。

 そっと腕を伸ばし、カラスの手にふれる。

 無機質なようでいて、確かに感じる有機的な体液の流れに意識を乗せ、

「……カラス……」

 ユウは目を閉じた。

「カラス……」

 答えは、なかった。

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