第85話 ハイ・アンド・ロー

 それから小一時間。白馬亭に入ったユウとテリーは、適当に金と酒を振りまきながら情報収集を続けたが、なかなか思うような成果を挙げられなかった。

 ほとんどが外地からの湯治客で、城塞に明るくなかったということもあるが、なによりトラマルの騎士は、この地においては重要な資金源なのだ。うかつに城塞の内情まで踏みこんだことを聞けば、すぐさま密告されるだろう。そんな空気が、白馬亭のそこかしこにただよっているのである。

「こいつは、もうあきらめたほうが無難だなぁ。目をつけられるのは怖いよ」

「そうだな」

 ふたりは、このあたりで切り上げることにした。

「じゃ、帰る前にもう一杯」

「いい加減にしろ」

「なら食べていこ。俺、おなか減ったよ」

「ええ……?」

 ユウは、むっとする熱気と酒のにおい、煙草の煙に、気分がすっかり滅入ってしまっていた。

 待ち合わせ場所を酒場にすると決めた時点で、素直にアレサンドロと交代してもらえばよかった。そう何度思ったことか。

「仕方ないなぁ。あとでなんかおごってよ。立てる?」

「当たり前だ」

 やっと出られるかと、ユウは浮き立って腰を上げた。

 ふと、二階席の吹き抜けから階下を見やり、

「あ……」

 一階席の片隅。それも、光石灯の明かりも届かないような奥まったテーブルで、ひとりの人物が杯を傾けているのが目に入った。

「……どうしたの? 彼氏さん」

「う……」

「彼氏さん?」

「……頼む。ここで、待っていてくれ。すぐに戻る」

 階下へ走り下りていくユウのあとを、しかし、テリーもついてきた。

「戻れ。待ってろと言っただろ」

「そうもいかないでしょ」

「?」

「ほら、お酒に弱い人って、吐いたままつぶれちゃったりするから」

「違う」

 柱のかげに隠れ、こそこそ語り合うふたりの横を、酒場の娘が不審の目を向け、すり抜けていく。

 ユウはテリーの腕を引き、別の柱へ移動した。

「俺は用があるんだ」

「それって、あの人に?」

 と、首を伸ばして見ようとするテリーの襟をつかみ、

「いいから、おまえはどこか行ってろ!」

「なに、いいじゃない。帰ってララちゃんに言っちゃうよ? 彼氏さんが、酒場で美人とイチャイチャしてたって」

「……テリー」

 テリーは震え上がった。

「あ、や、でも、ほら、俺、旦那に彼氏さんのこと、まかされてるからさ。心配なのはホント。……ね?」

「……口出しだけはするな」

「あ、あいあい。了解」


 テーブルに近づくと、その人物は待ち構えていたかのように視線を上げた。

 切れ長の瞳に、このあたりでは珍しい褐色の肌。輝く瑠璃色の長髪はゆるく肩口でまとめられ、胸もとへと流されている。

 ふ、と、目をそらす仕草も、頬にそえられた指も、どれひとつ取っても目がくらむばかりの美しさだが、間違いなく男だ。

 ……そう。

『……男のようなァ、女のようなァ……青い髪のォ……』

 ミミズのじいさんの言っていた、トラマルを生き残ったという魔人に特徴が酷似していたのである。

 ユウはその手もとにも目を走らせたが、そこに、N・Sの指輪はなかった。

「俺は、ヒュー・カウフマン」

 ユウは、男と差し向かいに座った。

「一杯おごらせてくれ」

 そう言うと、男の表情に一瞬、意外の色が浮かんだが、すぐに手もとのグラスを干して、

「受けよう」

 と、にやりと笑う。

 それが、どことなくハサンに似た笑みで、テリーはともかく、ユウの心は軽くなった。

 新たな水割りが運ばれてきても、男の手は、トランプをシャッフルし続けていた。

「あんたのことは……ミミズのじいさんから聞いた」

「ミミズ? ……知らんな」

「あんたが、トラマルにいた魔人だと」

 テリーが驚き酒を噴いたが、男の顔色は平静そのものだ。

「名前を教えてくれ」

「……」

「認めてくれるんだな?」

「腹の探り合いは趣味ではない。用があるなら早く言え」

 男は、抑揚のない声で言った。

 ここで怒らせるのは得策ではない。

 それならば、と、ユウは、すべてぶつけるつもりで口を開いた。

「……いや」

「いや?」

 はたで、テリーが聞き耳を立てている。

 いま、カラスの生死について問えば、当然、アレサンドロの耳にも入るだろう。

 それは困る。

「……トラマルへの、入りかた……。知っていたら教えて欲しい」

 ユウは結局、茶をにごした。

「……カウフマンと言ったな」

「ああ」

「協力してやってもいい」

「じゃあ、入りかたを……?」

「知っている。そしてそこは、俺でなければ入れん」

「ヒュウ、やったね、彼氏さん」

 ひょうたんから駒。思わぬ幸運だ。

「ただし……」

 と、男はテーブルに、ふせたトランプを広げ、

「俺は、自分より運の強い男にしかつかん」

 その中から、カードを一枚引いた。

 スペードのキング。

「戦場ではなんでも起こり得る。そこで生き残るには、実力だけでなく、運も試されることになる。おまえはどうかな」

 男の目が、挑戦的に光った。

「さあ引け。エースが出れば、おまえの勝ちだ」

 ユウはためらいもせず、目についたカードを引き寄せた。

 仕込みがあるならばまだしも、ここで迷っても仕方がない。

 男から視線をはずさぬままに裏返すと、ずばり、クラブのエース。

「フ、フ、面白い」

「名を聞かせてくれ」

「……クジャクだ」


 店内は、相変わらずの混雑ぶりが続いている。

 窓は結露で外の様子をうかがい知ることはできなかったが、日の入りまでは、まだ時間があるはずだ。

「お姉さぁん! なんか食べるものない? あ、じゃあ、それ。みっつね!」

 などと、好きなだけ食い、飲み散らかしたテリーは、店のウェイトレスを口説きに席を立った。

「もういいだろう」

 クジャクが言い出したのは、ユウが本日三杯目のビールを、やっとの思いで腹におさめたときだった。

「なぜ、俺を探した。なにが知りたい」

 ……やはり、気づかれていたか。

 ユウは口をぬぐって、居住まいを正した。

「魔人、カラスのことだ」

「なに……?」

「彼女が、いつ亡くなったのか、知りたい」

「……」

「たとえば……まだ、生きているということは……」

「……そういうことか」

「え……?」

「おまえは聖鉄機兵団、諜報部の者だな」

 ユウは飛び上がった。

「ち、違う! 俺は……!」

「隠すことはない。そうであったところで、どうする気にもならん」

 そう言うクジャクの声は、確かに、楽しげでさえある。

「トラマルへの侵入もそのためか」

「違う……!」

「魔人の残党をおびき寄せ、一網打尽にしようという……」

「だから違う!」

 木製のテーブルを打った大音声は、クジャクを驚かせても喧騒にまぎれ、他へは届かなかった。

「俺は鉄機兵団じゃない!」

「……そのようだ」

 クジャクの指に弾かれたカードが、空に見事な弧を描き、戻ってきた。


「カラスのN・Sが現れた。その噂は聞いている。しかも、空を飛ぶらしいと」

 以前ユウも聞いたとおり、人間がN・Sの翼をあやつることはできない。

 それだけではなく、同じ鳥類の魔人であろうと、モチいわく情報量の違いから、他人のN・Sにはなかなか搭乗できないものらしい。

 とすれば、カラスのN・Sには、カラスが乗っている。そう考えるのが自然だろう。

 そこで、カラスの生死を確認するために鉄機兵団が諜報部を送りこんできた、と、クジャクは錯覚したのである。

 N・Sカラスに乗っているのは、自分と、言葉を理解するフクロウだと伝えると、

「人間らしいな。無茶をする」

 クジャクは笑った。

「そうか、カラスか……。あれは、いい女だった」

 長いまつげにふち取られた黒真珠のような瞳が、ふ、と、細められた。

「だが死んだ。裏切ったすえにな。俺はそう聞いている」

「裏切った?」

「砦の長である、オオカミを殺した。相打ちだ」

「ああ……」

 そんなふうに伝わっているのか。ユウは真実はどうであれ、心の内に、なにか哀れみのようなものを覚えずにはいられなかった。

「……オオカミとカラス。はめられたのかもしれん」

「え……?」

「俺たちは、神でも聖人でもない。逃げる者も、裏切る者もいた。誰かが、ふたりを殺し合わせようと画策した……」

「誰が……!」

「さあな。人間かもしれん」

「あ……」

 ユウが面をふせたのは、瞬間的に、アレサンドロの顔が浮かんだためだ。

 だが、そんなはずはない。あのアレサンドロが、裏切り者なわけが。

 ……考えてもみろ。

 カラスは、オオカミのことで悩んでいたようだった。そうアレサンドロは言っていた。

 つまり、それ以前からふたりの関係を揺るがす、なんらかの策謀が働いていたのではないか。

 そして、

『言いたいことがあるなら、伝えておいたほうがいい』

 アレサンドロのひとことで、矢が放たれた……。

「……駄目だ」

 これでは、共犯関係はぬぐえない。

 ユウは強くかぶりを振った。

「おまえが、なにをもって生きていると思うか知らんが、答えが知りたければ、俺よりもN・Sに聞いてみることだ」

「……どういうことだ?」

「N・Sと俺たちは、魂が結ばれている。たとえ、遠く離れていても」

「つまり……N・Sに呼びかければ、カラスにも届く……?」

「生きていれば、な」

 そこでユウは、さっそく、と、指輪へふれた。

 ……が。

「そうか、カラスは……」

 マンムートで回復中だ。

「今度試してみる。ありがとう」

 そこへ、頬に手のひらの跡をくっきりとつけたテリーが戻ってきた。

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