第65話 それでも、君は

『……ふ、ぅ』

 水の中、ユウは大きくため息をついた。

 九死に一生。波濤に呑まれる直前、とっさに呼び出したカラスへ乗りこむことができなければ、どうなっていたことか。

 呼吸だけは心配したが、さすがは魔人のN・S。水中でも十分に活動できるようだ。

 ユウは水流が弱まったのを感じ取ると、丸めた四肢を伸ばし、上へ折り重なった鉄骨と土砂を押しのけた。

 と……。

 にごった水中に、例のトカゲ型L・Jが浮いている。

 むなしい。

 どことないやるせなさと憤りが胸を突き上がり、思わず、舌打ちがもれる。

『くそ……ヒッポめ』

 ユウはせまい隙間を這い出すと鉄骨を蹴って、開け放しのままのハッチへと向かった。

 金属扉へすがりつくと、水面からの光が柱となって湖底へ差していた。

 ……静かだ。

 まるで神殿のようだと、ユウがその美しさから目を離せずにいると、突然。

『!』

 水泡を引きながら、水中へ落ちこんできたものがある。

 鉄機兵団のL・Jだ。

 上で戦闘がおこなわれている。そう察知したユウは、考えるより速く再び壁を蹴り、湖面を目指していた。

 がむしゃらに水をかくユウの横を、また一機、先と同型のL・Jが沈む。

 ちらりと、その行く先を見やったユウは、

『あ……!』

 はっとした。

 出た扉の、さらに左隣のハッチにグリーンランプが点灯し、開きはじめている。

 現れたのは、先ほどのものと同じトカゲ型L・J。だが、赤茶色の機体は、ひとまわりも、ふたまわりも大きく、その背には翼が生えている。

『ドラゴン……!』

 角の下に埋まった機械の目が、ぎょろり、ユウをにらんだ。

『L・J……いや、N・Sだと……?』

 この声は、

『ヒッポ!』

『貴様……! ハサンの弟子か!』

 開いたドラゴンの口から、泡沫が上がった。

『おぉ……やっと死んだと思っていたらこれだ。……ハサンもそうだった』

 ヒッポの鼻にかかった声は、笑っているようにも聞こえる。

 あきれか、怒りか。こうした声が、一番恐ろしい。

 翼を羽ばたかせたドラゴンが水中へすべり出し、カラスの周囲を悠然と泳ぎまわった。

『不死身の魔術師。弟子もそうだと言うか? んん?』

 水流がカラスを揉み、体勢が崩れる。

 同じ翼でも、モチのいないいま、カラスのそれは邪魔以外の何物でもない。

 ヒッポが不気味に笑ったのは、やつもそれに気づいたのだろう。

 ドラゴンが旋回した。

 来る。

 ユウは、太刀を抜き払った。


 そのころ、クローゼは、やきもきとしていた。

 ハサンの密告により、すべての出入り口の情報を得、水ももらさぬ配備を敷いていた鉄機兵団に保護されたとき、ちょうど、その見張り所へはバレンタイン紋章官が巡回に来ていた。

「閣下! ああ、よかった!」

 大祭主であるディアナを差し置いてクローゼへ飛びついたのは、それがやはり、生まれたときからかわいがってきた弟だからに他ならない。

 大まかな状況を聞き取ったバレンタインは、すぐさま各所で待機している兵たちへ突入を通達し、自身も一軍を率いて乗りこんでいった。

 そこでクローゼは、ディアナとともに湖畔の高台へ移動し、連絡所としてもうけられた天幕の中でユウ救出の報を待っていたのだが、そこへ、シュワブのトカゲ型L・Jが、ザリ湖から続々と現れたのである。

「なぜシュワブが!」

 さすがに驚いたが、そこは将軍だ。

 町で出撃準備を整えていたL・J部隊に出撃を命じ、突入部隊へも伝令を走らせた。

 そしていま。

 数分で到着したL・J部隊は、思った以上の苦戦を強いられていたのであった。

「む、ぅ……」

 シュワブのL・Jは、光炉やコクピットなどの基本構想は同様ながら、帝国のそれとは、まったく異なる進化を遂げている。

 動物型というのがそれだ。

 丸腰で向かい合った場合、人間は野生動物に劣る。つまり、作業性能を切り捨て、戦闘能力に特化したのがシュワブだ、と、クローゼは国立の上等学校で教わっていた。

 教師は明言を避けたが、L・Jの応用開発にかけては、模倣の域を出ない帝国より、シュワブのほうが上を行っているのである。

 ……だが、ここまでとは思わなかった。

 爪を噛んだクローゼのもとへ、バレンタインが駆け戻ってきた。

「閣下!」

「アルバート! ユウは!」

「まだ見つかりません。探索のため、数名を残してきました」

「む……」

「自力で逃げたとも考えられます。気を落とさず、盗人の捕縛を第一に考えましょう」

 バレンタインは、クローゼの肩を叩いた。

「それにしても、シュワブとは……」

「うむ……。二機一組であたれと命じたが、機動力の差が大きい」

「いえ、結構な采配かと思います。あとは、地方騎士団の到着を待ちましょう。幸い、相手は飛行能力を持たないようです。網を張っておけば、逃げられはしません」

 指示を受け、L・J部隊の陣形が守りに変わった。

「アルバート、君はどう思う。この一件、シュワブが関わっていると思うか?」

「いいえ……」

 と、バレンタインが口を開きかけた、そのときだった。

 ザリ湖の湖面が盛り上がり、赤茶のドラゴンが、ドッと、空へ舞い上がった。

「な、なんだ! ドラゴン?」

 叫ぶクローゼにすがりつき、それまで静かに様子を見守っていたディアナが、指をさす。

「カウフマン! カウフマン准神官です、将軍!」

「え!」

 きりきり舞いするその背には、黒いものがつかまっている。

 遠眼鏡をのぞいたバレンタインは、

「N・Sです、閣下!」

「なんだって!」

 ドラゴンは湖面へ落下した。

「げ、猊下! 本当に……あれが?」

「カウフマンです! 私にはわかります! あれは、カウフマンです!」

「なんて、ことだ……」

 クローゼは額に手をやった。

「……アルバート、あとのことはまかせる。私は『フェグダ』で出るぞ」

「閣下!」

「わかっている。万一のため、全軍、水辺から遠ざけろ!」

「ッ……了解です!」


 水面に叩きつけられたユウは、その衝撃で、思わずドラゴンの首に巻きつけた手を離してしまっていた。

 カラスの身体が宙に浮き、そこを、まるで水に落ちた昆虫を狙う魚のように、湖底からドラゴンが噛み上げる。

 ドラゴンは、牙を立てたカラスの腰を食いちぎろうと、首の力だけで振りまわした。

『く、そ……ッ!』

 装甲のきしみが、骨に響く。

 太刀を、と、思ったが、それはいま、ドラゴンの左翼に刺さり、手が届かない。

 強靭な上あごに両手をかけると、見た目にたがわず、感触はまさしく皮膚である。

 厚い唇からのぞいた牙が、さらに深く装甲板を噛み破り、

『ぐ、ぅッ!』

 ユウの身体が跳ねた。

『引きちぎってやる!』

 言い放つヒッポの言葉に合わせ、太い腕がカラスの脚をつかむと、鋭い牙が、ユウの上半身をひねり上げた。

 そこへ。

『待て!』

 クローゼの駆る将軍機、『フェグダ』が、水中へ飛びこんできた。

 上半身は人、下半身は馬。

 ランスとシールドを装備した、パールピンクのオリジナルL・Jである。

『ぬぅっ!』

 叫んだドラゴンは、カラスを振り捨て、突き出されたランスの先端をかわした。

『大丈夫か、ユウ! ユウなのだろう?』

『クローゼ……?』

 フェグダは、驚くカラスの腕を取り、自身のほうへと引き寄せた。

『まったく。君というやつは、とんでもない男だ』

 言いながらも、クローゼの声は笑っている。

『そんなものを持っているのなら、そう言ってくれればよかったのに。余計な心配をした』

『……ああ』

『いったい、どこに隠し持っていたのだ。……あ、もしや、ヒッポのものを盗んだのか?』

『おしゃべりはあとにしていただきたいですな! 閣下!』

 腹立たしげに振られたドラゴンの尾に弾かれ、盾で防いだフェグダと、それに押されたカラスが、相次いで湖面を飛び出し、大空へ舞った。

『しめた!』

 と、素早く体勢を立てなおしたフェグダの額の一本角、フィールド発生器へ青白い光が入り、足底にも同じ光が宿る。

 そして……。

 波紋の広がる湖面を四本足で踏みしめ、まるで、そこが地面であるかのようにフェグダは立った。

 落下するカラスの身体を馬の胴に受け止めながらも、その足は沈まなかった。

『助かった』

 クローゼは、大きく息をはいた。

『実は、フェグダは泳げないのだ』

『えぇ?』

 この浮遊システムは、周囲に発生させた磁場と足裏の磁場とを反発させて機体を持ち上げるというもので、帝国に万と存在するL・Jの中でも、これ専用の光炉をそなえる、フェグダのみが有する能力である。

 だが水中ともなると磁場を形成しにくく、おまけに一切のスラスター・バーニアを持たないフェグダでは、脱出が難しくなるわけだ。

『ハハ、あまり考えずに飛びこんでしまったものだから』

 他人事のように笑うクローゼに、

『どっちが、とんでもない男だ』

 ユウは、あきれた。

 ……と、それを聞きつけたのだろう。ドラゴンが、フェグダの足もとから噛みついてきた。

 再び水中へ引きずりこもうというのだ。

 しかしフェグダは、ひらりと身をかわし、

『君も、飛びこんでくれただろう?』

『え?』

『私とディアナ猊下を助けるために、危険に飛びこんでくれただろう?』

『それは……』

 逃げるためだ。

『もちろん、恩を返そう、などと言っているのではない。その君だからこそ、私がここにきた理由もわかってくれるはずだと……そういうことだ』

 ユウは、クローゼの素直な友情に、胸が痛んだ。

『……クローゼ』

『うん?』

『俺は……』

 と、ここでまたしても牙をむいたドラゴンの頭が水中より突き出したが、フェグダは華麗なジャンプでそれをあしらう。

『俺は、ララ……ララ・シュトラウスと旅をしてる』

 クローゼが押し黙った。

『そう、か。ではそれが、ギュンターの追っている、黒いN・Sか……』

『……すまない』

『いや、謝ることはない。君には君の言い分も、立場もあるのだろう……』

『……』

『……だが、それでも』

『え……?』

『それでも君は……私の友だ!』

 言うや、フェグダのランスが機械音を発し、ユウの目の前で、変形をはじめた。

 先端、中、根元と、三分割されたパーツの隙間が若干伸び、カバーが収納される。

 同時に周囲を走ったのは、白い稲妻。

 湖面にそれを突き立てると、根を伸ばすように電光が走り、

『ぐぉぉッ!』

 感電したドラゴンが、水中から飛び上がった。

 これぞ、光炉内蔵電撃槍。『電雷のフェグダ』の名は、伊達ではない。

『あの男を捕らえる! 協力してくれ、ユウ!』

『……ああ!』

 カラスとフェグダは拳を合わせ、いま共闘できる喜びを、胸に分け合った。

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