第66話 哀願

 バレンタインの指示が機能しはじめたか、陸ではヒッポの手下たちが続々と捕らえられつつある。ハッチをこじ開けられたのは最初の数機で、多くは投降だ。

 その光景をメインモニター越しにながめ、

『ぬうう……話が違う』

 コクピットのヒッポは、歯ぎしりをした。

 それでもなお言葉の端々に余裕が見られるのは、ドラゴンへいどむことのできる空戦型L・Jが、この戦域に見当たらないからだろう。実際、ハイゼンベルグ軍は陸戦を主として構成された軍隊なのである。

 水空両用のドラゴンはザリ湖上空を大きく旋回し、再び、湖面のフェグダとカラスの眼前へと戻ってきた。

『このまま、おさらば、でもよろしいですが、このヒッポ、殺すと決めた男を逃がしたことがないのが自慢でしてな』

『その言葉、すぐに後悔することになる!』

 ヒッポは鼻で笑い、ドラゴンの起こした風が、湖面に波紋を立てた。

『……やつの翼に刺さった剣は、君のものか?』

『ああ』

 クローゼとユウは、ささやき合った。

 さっき、水中で体当たりされたときに刺したのだと伝えると、

『よし、あれを使おう』

 と、クローゼの決断は早い。

 フェグダは雄々しく前足を跳ね上げて、すぐに、ドラゴンへ向けて駆け出した。

 盾を構え、白く輝く電撃槍をわきにかかえ。

 攻撃を察知し、距離を取ろうと浮き上がりかけたドラゴンを追い、水面を蹴る。

 届かない、と見えた、その失速の瞬間。

『まだだ!』

 フェグダは足がかりのない大気を踏みしめ、さらにもう一歩、飛んだ。

 電磁フィールドの出力を上げることで、短時間ならば天空さえ駆けることができるのであった。

『なに!』

 加速度で勝ったフェグダは、一気に距離を詰め、ドラゴンへとせまる。

 ユウはフェグダの背を蹴り、ドラゴンの左翼へ、飛びついた。

『貴様……ッ!』

 振り落とそうとする翼の遠心力に体重を乗せ、握った太刀の柄をすべらせる。

 音もなく、抵抗もなく、翼膜が裂けた。

『ユウ!』

 呼びかけに応え、刃を払ったユウの着地点には、抜群の呼吸で、フェグダが待っていた。

『う、うぉぉおぉ!』

 ドラゴンの左翼はいまや、根元で、かろうじてつながっている状態である。

 川水に揉まれる木の葉のように暴れ、その巨体は、陸地へ向かって滑空をはじめた。

 その、目指す場所は……。

『ア、アルバート! 猊下!』

 あろうことか、ふたりが待つ、高台の連絡所だ。

『しまった、アルバート! 逃げろ! ……逃げろ!』

 クローゼは無線で呼びかけたが、電磁フィールドの影響でノイズがひどい。

『急げ! 急いでくれ、フェグダ!』

 と、鞭打つように走らせるも、間に合うはずはなかった。

 轟音立ててドラゴンは、高台へ激突。ユウの目にも、ひしゃげた天幕が空を舞うのが見えた。

『兄さん! ……あ、ああ……なんてことだ……!』

『クローゼ! まだそうと決まったわけじゃない、走れ!』

『!』

『しっかりしろ! 走れ!』

『……ッ』

 クローゼの手が操縦桿を握りなおす。

 陸へ上がったフェグダは木々を一足飛びに躍り越え、高台へと降り立った。


『ああ……』

 クローゼの喉から、絶望のうめきがもれた。

 肩や頭を押さえ、うずくまる騎士たち。散乱する金属片。

 それ以上に生々しく現実を伝えてくるのは、強大な力によってえぐられた地面である。

 痛々しげな痕跡のその先には、ドラゴンがうつぶせに倒れ、白煙を上げていた。

『大祭主様!』

『アルバート、返事をしてくれ!』

 ふたりの声が、嘘のように静まり返った戦場にむなしく響いた。

 と……。

『……?』

 どこかで、機械音がした。デュアルアイに光が入ったときの、あの音だ。

『起動音?』

『いや、これは……!』

 身構えたフェグダとカラスの前で、ドラゴンの首が持ち上がる。

 と、思うと、その首がぐにゃりとねじ曲がり、下から、緑のL・Jが姿を現した。

『シュッツェンシルト!』

 バレンタイン専用機、五〇五式改、『シュッツェンシルト』である。

 額の一本角はフェグダと共通だが、こちらは先がふたつに分かれている。

 カブトムシだ。

『アルバート、無事だったのだな!』

 声を受けたシュッツェンシルトは、背のフラップブレードを振動させて瓦礫を払いのけたが、それでもまだ下半身をはさまれているような仕草を見せたので、フェグダは急いで駆け寄り、ドラゴンを持ち上げ、わきへ押しやった。

『さあ、アルバート』

 差し伸べられた手を、しかし、シュッツェンシルトは取らなかった。

『クローゼ!』

『あっ!』

 一瞬、鈍い音がして、ユウは見た。

 フェグダの前脚部二本が宙を飛ぶところを。

 どっと横倒しになった人馬機を踏みつけ、

『な、なぜ……!』

 うろたえるフェグダのコクピットを貫かんと、さらに振り上げられた刃を、間に入ったカラスの太刀が止める。

『ヒッポだな!』

『ふふふ、気づくのが遅すぎる』

 ヒッポの乗ったシュッツェンシルトはスラスターを噴かし、数十メートルを飛びすさった。

 くそ、油断した!

 ユウは地団駄を踏みたい思いだった。

『さて、これで私の逃げ道をふさぐ者はいなくなった。愚かな将軍はそのざま。飛べないN・Sに……人質』

『人質……?』

 シュッツェンシルトは左手を突き出した。

 そこに捕らわれていたのは、ディアナ大祭主と、バレンタイン紋章官。

『よかった……!』

 ふたりは生きていたのである。

 メインモニターにふたりの姿を拡大し、なにかシュッツェンシルトへ叫んでいるバレンタインの様子を確認したクローゼの口から、ああ、と、安堵のため息がもれた。

 事態が好転したわけではないが、ユウとクローゼの心に俄然、強い気力がわき出でた。

 フェグダの手がカラスの腕をつかんだのには、なにか理由が、秘策があるからだろう。

 ユウは、フェグダを見ずに、うなずいた。

『では……』

 シュッツェンシルトが人質をちらつかせながら空中へ浮き上がるのへ、

『そうはいくか!』

 フェグダは、電撃槍を投げつけた。

 いまこのときに出す攻撃だ。よほど強力ななにかが隠されているに違いない。

 ……と、思いきや。

 腕の力だけで投げられた槍は、照準も不十分に、あらぬ方向へ飛んでいく。

『ハン! 馬鹿め!』

 ヒッポは笑った。

 だが、

『そうしてすぐ油断をする! 悪い癖だな、ヒッポ!』

『なにぃ?』

 電撃槍は、シュッツェンシルトのスラスター目がけ、自ら意思を持ったように方向を変えたのである。

『無線誘導か! ……ええい、次から次へと、面倒な!』

 シュッツェンシルトは剣を振りまわして電撃槍を払ったが、半自動コントロールされたそれは、そう簡単に撃ち落せるものではない。

 ふたつある背部スラスターのうち一基を破壊され、シュッツェンシルトのバランスが崩れた。

 そこへ、すでに間合いへ踏みこんでいたカラスが、

『ヒッポ!』

 人質をつかむ左腕を、ひじから切断する。

 その腕を柔らかく受け止め、つま先を軸に反転しつつ、もう一閃。

 右腕も飛んだ。

『怪我は』

 ユウが問いかけると、ディアナの頭を抱きしめるように防御姿勢をとっていたバレンタインは顔を上げ、

「大丈夫だ!」

 巨大な指の中で、手を振って応えた。

 その間にもシュッツェンシルトは、もう一基のスラスターをも破壊されている。

 もはやヒッポに、打つ手はなかった。

『観念するのだな』

 這いずりながらも、手に戻った電撃槍を突きつけ、クローゼが言う。

『ヒッポ! 大祭主誘拐、監禁、ならびに他国L・J不法所持の罪で、貴様を逮捕する! 残りの罪は、帝都へ戻ってからだ!』

 追い詰められたヒッポは、

『ま、待て! ……私は、頼まれただけ……』

 なにやらモゴモゴと言い逃れをはじめた。

 そして……。

『あ、や、やめろ! やめてくれ!』

 ヒッポの懇願する泣き声が聞こえたかと思うと、直後。シュッツェンシルトのコクピットが、ドッ、と大爆発を起こして吹き飛んだではないか。

『あ!』

 分厚いハッチが宙を舞い、ユウの目の前に落ちる。

 ぐらりと揺れたシュッツェンシルトは、仰向けに倒れた。

 予想だにしなかった展開に、ユウたちは、ただ茫然と、黒煙の上がるコクピットを見つめるしかなかった。

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