第64話 怒涛

 通路は徐々にのぼり坂となり、前方から吹きこんでくる風にも、新鮮な外気が感じられるようになった。

 地上が近い。走る足にも、自然と意気が増す。

 しかし、四つ角の交差点を前にして、

「人が、近づいています……!」

 ディアナの声が、震えた。

「すべての道に……すぐ、近くに……!」

 足を止めたユウとクローゼは周囲を見まわしたが、

「……くそ」

 逃げ道はない。右の壁に、扉がひとつあるばかりだ。

「ご安心ください。活路は我々が……」

 と、剣を抜きかけるクローゼを制して扉の内をうかがうと、それは粗末な武器庫であった。

「立てこもるのは危険だ。一点突破しよう」

 クローゼは訴えたが、ユウはひとりうなずき、ふたりを部屋へ押しこめる。

「失礼します」

 ディアナの上衣を脱がせると、クローゼの顔つきは、一層、怪訝なものとなった。

「ユウ……?」

「俺がやつらを引きつける」

「なッ……!」

「クローゼは、大祭主様のことだけを考えろ」

「馬鹿! ここまで来て、君だけを置いていけるものか!」

「駄目だ」

「駄目は君だ!」

「クローゼ!」

 クローゼの肩が、びくり、跳ねた。

「……俺は心配ない。上手く逃げられたら、仲間を連れて、助けに来てくれ」

「ユウ……」

「大祭主様も、将軍を頼みます。ふたりで地上へ」

 ディアナは、なにか言いたげに口を開いたが、

「……わかりました。メーテルのご加護を」

 と、ユウの額にふれた。

「メイサのご加護を……!」

 と、ドアを閉めたユウは、脱がせた神官衣を、あたかも誰かを抱いているように肩にからませて、交差点まで駆け戻る。

 ヒッポの手下が現れるのを待ち……。

「いたぞ!」

 見つかると同時に、いま来た道を逆走した。


 この場合、一点突破を主張したクローゼの判断は正しい。頭数が多いとはいえ、相手は所詮盗賊だ。先手を取ることができれば、勝算は大いにあっただろう。

 それがわかっていながら、ユウが、あえて別れることを選んだのには理由がある。

 このまま、クローゼの前から姿をくらまし、アレサンドロたちと合流しようと考えているのである。

 鉄機兵団の突入までやりすごすことができれば、そのごたごたにまぎれ逃げられるはずだ、と。

 別れも告げずに去ることは、つらく、義理を欠く行為とわかっていたが、いまはこれが最もよい方法であるように、ユウには思えた。

 だが、そうしている間にも、

「いたぞ! まわりこめ!」

 ユウは追い立てられるように、道をくだっていく。地上はどんどん遠くなる。

 石段を飛び降り、飛びくる槍を頭上にかわし、

「くそっ!」

 突き当たりの扉を押し開けた先へ転がりこむと、そこには。

「L・J……?」

 作業台に固定された、見たこともないL・Jが、ずらり並んでいたのである。


 二足歩行のトカゲのようで、完全人型の多い鉄機兵団のL・Jに比べると、異形といっていい。

 実は、海を越えた南の大国、シュワブのL・Jなのだが、ユウはそれを知らない。

 荒事の多いヒッポ一家だけに、こうしたものも必要になるのか。それにしては物々しい数だった。

 ……と。

「うっ!」

 つい目を奪われていたユウの背に、何者かからの蹴りが入れられた。

「手ぇかけさせやがってぇ……」

 扉から、列をなして現れた手下どもは、二十を越えている。

 しまった、と、ユウの左手も鯉口にかかったが、多勢に無勢。

「あ! こいつ!」

 いまごろ気づいたか、肩にかかった空の神官衣をはぎ取られ、後頭部を殴られた。

 倒れこんだ、その頭を踏みつけたのは、ヒッポの足だった。

「お頭……」

 手下から神官衣を渡されたヒッポは、平静を装いながらも、蝋で固めたひげ先を震わせ、

「立たせろ」

 と、命令する。

 ユウはすぐさま羽交い締めにされ、両足を、左右からふたりの男につかまれた。

 ヒッポの腕が持ち上がり、ユウの頬へ、一発。

 さらに、逆側から一発。

「ハサンめ! ハサンめ、ハサンめ!」

 ユウの唇から血がしたたり落ち、胸もとへシミを作る。

 駆けこんできた手下が、ヒッポへなにか耳打ちすると、さらに、その顔色が赤黒く変わった。

 低くうなったヒッポは、手下の手から細身のナイフを取り上げ、

「ぬぅぅうんッ!」

 ユウの左太腿へ、深く深く、突き立てた。

「あ……ぐ!」

「貴様だけは、許さん……!」

「づッ……ぐ、ぅ、ぅ……ッ!」

 凶暴さをあらわにしたヒッポの手の中で、骨に当たったナイフが、きつくきつく、えぐられる。

 ユウは歯を食いしばり、悲鳴を噛み殺した。

「……ここは捨てる。支度をしろ!」

 ヒッポが告げると、ユウを羽交い締めにする男を残し、手下は各々散っていった。

「こいつはどうします?」

「見せしめだ。目玉と指十本、ハサンに送りつけてやれ。そのあとで……」

 首を締める仕草をしてみせる。

「へ、へへ、承知」

 そのときだった。

 こぐように駆け戻ってきたひとりの手下が、

「て、鉄機兵団です!」

 叫んだのだ。

「なにぃ? 早すぎる!」

「い、いえ、本当なんで! 入り口を全部固められてたみたいで!」

「町にいた連中はどうした! 鉄機兵団の見張りは!」

「さ、さあ……捕まったんじゃあ……」

 ヒッポの喉奥から、獣のごとき、うなり声がもれた。

「全員呼び戻せ! L・Jで出るぞ!」

 ……してやったりだ。

 ユウは、わき出る笑いをこらえきれなかった。

 驚くほど上手く、事が運んでいる。

「首が絞まるのはおまえのほうだ! ヒッポ!」

「うるさい! 黙れ!」

「黙るのも、おまえだ!」

 叫ぶや否や、ユウは床を蹴り上げ、ヒッポの顔面を蹴った勢いで、背後で羽交い締めする男の頭上を飛び越えた。

 着地の際、左足に激痛が走ったが、構ってはいられない。

 刺さったままのナイフを引き抜き、

「野郎ッ!」

 手下のひとりが襲いかかってくるところへ、体当たり同然に突き入れる。

 絶叫したその男は、腹を押さえ、転げまわった。

「ヒッポ!」

 すでにヒッポは逃げ出している。

「待て!」

 駆けつけてくるだろうクローゼのため、せめてヒッポだけでも縛り上げてやろうと思ったユウだったが、引きずる足では追いつけず、あとひと息のところで、目の前の鉄扉が閉まる。

 ユウが入ってきた扉ではない。

 L・Jベッド横の、おそらく隣の格納庫への扉だ。

「くそっ……!」

 あまり時間をかけていると、今度は、自分が逃げる時間がなくなる。

 仕方がない。ユウはその扉を放置し、来た扉へ向かうことにした。

 しかし。

 ヒッポの遠隔操作か、こちらにも電子ロックがかかっていた。

 舌打ちしたユウは、壁に埋めこまれた配線盤のカバーをはずした。

 ドアの配線を目で追いつつ、ポーチをあさっていると、

「!」

 突如鳴り響いたサイレン。そして、赤色灯。

「なんだ……?」

 鉄機兵団の侵入を仲間に知らせるものかと思ったが、そうではない。

 ゴウンゴウン、と、重機のうねりが格納庫に響き……。

 なんと、開放されたL・J出撃用の二重ハッチから、大量の水が押し寄せてきたではないか。

 ザリ湖の湖水。

 そうユウが認識する一瞬の間に、L・Jと作業台、クレーンが、怒涛となって、ユウへ襲いかかってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る