第53話 首輪

「火を」

 アレサンドロの差し出したマッチを火種に、パイプへ火を入れる。

 ベッドの天板に背を預け、二度、軽く煙を吹くと、

「悪くない」

 ハサンはにやりと、それだけ言った。

 あれから、傷は日に日に回復へ向かい、無理さえしなければ、医者の手は借りなくともよいところまで来ている。

 意外に早くここまで至ったのは、本人の体力と、撃ち抜かれた場所がよかったのだ。

 だがそうなると、ただ寝ているだけでは退屈になってくるもので、ハサンは、N・Sコウモリを見せてくれ、自分が置くつもりだった場所に飾ってくれ、と、アレサンドロに頼み、アレサンドロも医者の心情が働いてか、それを承諾したのだった。

 宝物の中心に立つコウモリは、その照り返しを浴びて、金色に輝いて見えた。

「歩行許可をくれんか? アレサンドロ先生」

「うん?」

「もう少し、近くで見たい」

 ハサンが、『先生』と呼ぶときは、もちろん茶化す意味もあるのだろうが、そちらの意にそわぬことはしない、という思いを暗に含ませている。

 ゆえにアレサンドロは、

「わかった、いいぜ」

 と、コウモリの指輪だけは預かることにし、ハサンが立ち上がるのも助けてやった。

「おお、寒い」

 肩をすくめたハサンは、手早くワイン色のガウンにそでを通し、素足に靴を履いた。

「もう冬だな」

「あんた、冬でもここにいるのか?」

「いや。雪が降れば、街で宿暮らしだ。女を抱き、好きなものを食って春を待つ」

「いいご身分だな」

「仕方あるまい、誰も私を捕らえられんのだから。金を持つ男が快適な生活を送ってなにが悪い」

 まさに盗人猛々しい。

「でもよ、一度はぶちこまれてるんだ。警戒ぐらいしねえか? 普通」

「あれは捕まってやったのだ」

「そういうのを、負け惜しみって言うんだぜ。仮にそうだとしても、片腕一本と引きかえじゃ、遊び賃は高くついたってわけだ」

 すると、どういうわけか。ハサンは、くっくと笑い、

「さて、それはどうかな……」

 異様な光をたたえた瞳で、虚空を見つめた。

 思い出にひたっているような目だが……。

 なんだ……?

 アレサンドロは、背すじに冷たいものを感じた。

「ハサン、あんた……」

「……フ」

 たちどころに、ハサンの目からあやしげなものが消え、もとのおだやかな色が戻る。

「これだから医者は好かん。ついつい、さらけ出してしまう」

「……気になるな」

「いずれ聞かせてやる。私と、カラスとの関係もな。気になっているのだろう?」

「べ、別に、俺は……」

「色恋のそれはなかった。だが、敬愛はしていた」

「なに……?」

「いまはそれだけだ。……おお、やはり近くで見るN・Sはいい。美しいな」

 そこへ、近くの町へ買出しに出ていたユウ、ララ、モチが戻ってきた。

「わ、これ? 新しいN・S。キレーイ!」

「ハサン、もう起きていいのか?」

「当たり前だ。私を誰だと思っている」

「ん……よかった」

 ユウは頭をかきつつ、荷物を降ろすため、奥に向かった。

 そのうしろ姿をながめ、

「いまの話、あれには黙っていろ。説明が面倒だ」

 ハサンが素早く、アレサンドロへ耳打ちする。

「そりゃいいが……ハ、あんたの弱みを握った気分だな」

「フフン、切り札は大切に使え、アレサンドロ」


 その夜のことだった。

「なに?」

 おまえたちについていく。ハサンが突然、そう言い出したのだ。

「あんた、さっきは、春まで街で暮らすって言ってたじゃねえか」

「気が変わった」

「ああ?」

「近ごろは、盗人稼業も退屈になってきてな」

 どうだ? とでも言うように、アレサンドロの視線が、ユウに向けられた。

 その躊躇は、ユウにもよくわかる。

 いまのところ、ハサンがなにか、たとえばN・Sなどを狙っている様子はない。

 だが、ついていくと言うからには、腹に一物隠しているのは間違いないのだ。

 それが、ユウたちにとって害となるものか、どうか。

 どうとも言えず、ユウは小さく首を振った。

「さて、どうしたもんかな……」

 アレサンドロはあごをかき、

「まあ……いいぜ。裏の世界に顔がきくってのは、悪くねえ」

「フフン、それはどうも」

 ハサンは横たわったベッドの上で、行儀悪くパイプを吹かしはじめた。

「ハサン」

「ん?」

 アレサンドロの手から、枕元に投げられたそれは、N・Sコウモリの指輪。

「あんたが持ってな」

「ほぅ」

「それが首輪がわりだ」

「……ンッ、フ、ハ、ハ、ハ! おお、結構結構! それでこそだ!」

 

「ね、どういうこと? あげちゃっていいの?」

 ララが、アレサンドロのそでを引いた。

「別に構わねえさ。これからは仲間だろ?」

「それはそうだけど……、なんか変」

「ハ、俺も大分、あのオッサンのあつかいかたがわかってきた、ってことだろうぜ」

 ララは首をかしげた。

「あ……ハハ、そうか」

「え、なになに、ユウは、なにかわかった?」

「ああ、わかった」

 ハサンは、盗むという過程にこそ、喜びを覚える男である。

 それが、ポン、と、品物を渡されたらどうだろう。いつまでも、これは他人のもの、という意識が働くに違いない。

 さらに、持って逃げようものなら、ちんけな寸借詐欺に落ちぶれる。

 ハサンのプライドは、それを許さない。

「つまり、えっと……」

「指輪を持ってる間は、どこにも逃げられない」

「ああ、それで首輪かぁ……。アレサンドロ、ちょっと格好いいかも」

 なぜだろう。

 ユウの胸に、ちくりとしたものが走った。

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