第49話 黒の襲撃

「で、どこ行く気だ?」

 馬車に乗りこみ、さすがに隠しきれぬ様子で荒く息をついたハサンに、アレサンドロは聞いた。

 あれからテリーがどうなったかというと、ハサンが出がけに、その尻ポケットへ、手錠の鍵を落とし入れてきている。

 それは高い位置で手を拘束されたテリーにはどうやっても届かない場所で、これでしばらくは、あの賞金稼ぎの顔を見ずにすみそうだ。

「幸運を祈る」

 と、とどめに猿ぐつわを噛まされたときの、言っては悪いが、まぬけでうらめしげなテリーの顔を思い出すと、アレサンドロはいまでも笑えてくる。

「アレサンドロ・バッジョ」

「うん?」

「どこまで持つ」

 と、逆に問われ、

「……あんたひとりじゃ、次の町にも行けねえ」

「……フ」

 ハサンは乱れた髪をなでつけて、馬車の天井を仰いだ。

 いま、ユウはテリーの五十万を取りにいき、ララは宿で、食料を整えてもらっている。

 どうにか回復したモチも、馬車をながめながら、木の上でネズミをつついていた。

「さっき……ユウが俺を呼びにきたとき、なんて言ったかわかるか?」

「なに……?」

「ユウがなんて言ったかわかるか?」

 ハサンは、思わせぶりな様子で沈黙した。

 ゆったりと、扉の横にしつらえられた光石灯の明かりを調節し、出した答えは……、

「……さて、なんと言った」

 突如、アレサンドロが踏み段を乗り越え、馬車へ入った。

 ハサンの上着をめくると、先ほど交換したはずの包帯に、もう血がにじんでいる。

「チッ、だから言ったんだ」

 アレサンドロは傷を押さえ、積んだ木箱から、治療具一式を取り出した。

「フフン、よくわかったな」

「あんたが心を読むってんなら、俺たちは身体を読んでる」

「なるほど……おまえは、いい医者になる。……ッ!」

 ハサンは拳を額に当て、グッと眉を寄せた。

「ユウはな……」

「ん……?」

「せめて落ち着くまで、あんたと行きてえと言った」

「……いらんと言っておけ」

「あんただって、わかってるはずだ。あいつは自分から、あれがしてえ、これがしてえと言う男じゃねえ。いままでだって、ずっと俺についてきた」

「だから、どうした」

「だから、今度は俺が、あいつについていってやる。あんたを隠れ家まで送って、次の医者が見つかるまで面倒みてやる。いいな!」

 しばし沈黙したハサンは、なにか思い出したように、ふ、と、笑った。

 処置が終わり、ユウが、ララが、全員が場にそろった。

「その金は取っておけ」

 衣服と呼吸を正し、ハサンが五十万の入った、ひとかかえある布袋を指さした。

「医師、御者、話し相手と……ペット。四人分の賃金としては、破格もいいところだ」

 つまり、ユウたちを金で雇おうと言うのだ。

 それがハサンの虚勢だということは、誰の目にも明らかだった。

「素直じゃないの。それも意地?」

 ララにからかわれ、ハサンは、わざとらしく咳払いをした。


「どこへ行けばいい?」

 御者台へ座ったユウが聞くと、

「このまま北だ。アシビエム街道を西へ」

 と言う。

「わかった」

 鞭が入り、馬車はなめらかに動きはじめた。

「ユウ、足跡を……」

「足跡を散らせ。わかってる」

 言葉の端を取られ、ハサンは、フンと鼻を鳴らした。

 足跡を散らす、とは、つまり迂回や逆進をくり返すという、ここに至るまでにハサンが使っていたかく乱の手段である。

「先を飛びましょうか?」

 隣の助手台にとまったモチが宵闇の空をながめて言ったが、ユウは大丈夫だと断った。

 馬の腹には前照灯がくくりつけてある。

 おまけにユウは、暗闇で馬車を走らせることに慣れていた。

 だが、

「モチは、そばにいてくれ」

 いてくれるだけで心強い。

「喜んで」

 と、モチはうれしげに羽を揺すった。

 こうして、仮眠や交代をはさみつつ、夜を日に継いで一行は北上。アシビエム山脈にそう街道を、一路、西へと向かった。

 かつて北方諸国との国境であったアシビエム山脈は、標高三千メートル級の山々が連なる難所で、ここを越えた先が、現在の北部グライセン地方にあたる。

 山肌は五合目近くまで雪の白に包まれ、本格的な冬が近いことをユウに予感させた。

 実を言えば、ユウはこの、稲穂が頭をたれてから、大気が肌を刺しはじめるまでの季節が最も好きなのだが、

「……っくちゅん! うう……さむ」

 助手台に座ったララは、そうでもないようだ。

 出立から数日がたち、テリーも鉄機兵団もいまのところ姿を見かけないとあって外へ出てきたはいいが、早朝の身を斬るような風に首をすくめて、足をこすり合わせている。

「だったら中に入ればいいだろ」

「大丈夫、モチあったかいし」

 ララは、懐に抱いたモチに頬ずりした。

「寝てるんだ。起こすな」

「モチはこのくらいじゃ起きないって。ねー、モチ?」

「……フムゥ」

「ほら」

 ユウは白く息をはき、ひざ掛けにしていた毛織りの布を、ララの肩にかけてやった。

「あ……ありがと」

「もう少し陽が高くなったら、暖かくなる。そしたら返せ」

「うん、わかった。……エヘヘヘヘ」

「妙な笑いかたをするな」

 ユウの振るった鞭が、ぴしりと鋭い音を立てた。

 

「……若いな」

 車中のハサンは、左手に続く広大な牧草地をながめながら、センターテーブルにサイコロを振った。

「ああ、いい目が出たな」

 と、白の駒が四回、盤上を移動する。

「若い恋はいい。素直な努力と、活力に満ちている」

 続いて、向かいに座るアレサンドロがサイコロを振って、赤い駒がいくつか動いた。

「ふむ、だが、それを邪魔しようという無粋な輩も、おうおうにして現れるものだ」

「……なに?」

「死にたくなければ動かんほうがいいぞ、アレサンドロ・バッジョ」

 それが言い終わるか終わらないかのうちに、右の木立に面した窓ガラスが割れ、壁板になにかが突き立った。

 手のひらにおさまるほどの、柄の短いナイフが四本。同時に、馬の首にも一本ずつ、同じものが刺さっている。

 もつれるように倒れた馬に車体が乗り上げて、

「きゃっ!」

 空中へ投げ出されたララとモチに飛びついたユウは、ふたりを抱いたまま、まだ露の残る牧草の上を転がった。

「……っ……怪我はないか」

「う、うん……たぶん……あっ!」

「ぐっ!」

 突然、ユウの身体が宙に浮いた。

 喉輪にまわされているのは、太い、男の腕。

 とっさに鞭を差しこんだため窒息はまぬがれたが、それもすぐにひしゃげてしまうほどの怪力である。

「だ……誰だ……」

 と問いかけるも相手は答えず、左手をユウの後頭部にそえ、締める右腕へ押しつけてくる。

「あ、ぐ……」

 鞭の柄は、もはや、なんの役にも立たないほど折れ曲がり、ユウは足をばたつかせたが、地面にはかすりもしなかった。

「……ぐ……」

 ユウは黒く染まっていく視界の端にも、同じような黒い大男がふたりいることに気がついた。その男たちは横倒しになった馬車の扉を、無理にこじ開けようとしている。

「……くそ」

 駄目だ……。

「ユウを放して!」

 ララが男の顔面に、まだ寝息を立てているモチを投げつけた。

「!」

 悲鳴こそ上げなかったものの、男は息を呑み、モチを払う。

 モチは鞠のごとくに地面を跳ねて、その隙に腕から抜け出たユウは激しく咳きこんだ。

「ユウ! モチ!」

「ホ……もう、夜ですか」

「……よかったぁ」

 モチは昼間のまぶしさに目を細めたが、特別怪我をしている様子もない。

 ララは、モチを抱きしめて、ユウの背をさすった。

 そして、

「あ……!」

 三人の頭上に影が差し、またしても、その大男の丸太のような腕が伸びてきたのを見たのだった。

「ララ!」

「か……は……」

 吊り上げられたララのあごが震え、目が、こぼれ落ちるほどに見開かれる。

 ユウはすぐに取りすがったが、大男の手をほどくには力が足りない。武器はすべて馬車の中に置いてきてしまった。

「やめろ……離せ!」

 と、とにかく叫び、どこかで、ガラスの割れる音を聞いた。

 直後。

 突き上げるような地響きとともに、馬車が大爆発を起こして吹き飛んだ。

「……あ……ッ……」

 あまりの出来事に、周囲の時が、一瞬止まる。

 飛び散ったガラスや木片、鉄片が周囲に降りそそぎ、ユウの手にも割れ板がふれた。

 ユウはそれをつかみ、馬車に気を取られた大男の腕へ、根元まで、一気に突き刺した。

「ぐうぉぉぉ!」

 これには、さすがの大男も咆哮し、ララを投げ捨てた。

 地面に突っ伏したララは、ひゅうと喉を鳴らし、立て続けに咳をした。

「ララ!」

 苦しげに、だがしっかりとうなずいたのを確認し、ユウは、ほっと息をつく。

 顔を上げると、骨格のみとなった馬車が、カラカラと車輪をまわして燃えていた。

「アレサンドロは……? ハサンは……? ねぇ! ユウ……!」

「あのふたりが……そう簡単に死ぬもんか……!」

 言われてララは、ぐ、と、唇を噛みしめたが、

「うっ……うっ……」

 こらえきれぬ様子でユウの胸に顔をうずめ、むせび泣いた。

 立て続けに起きた出来事への、混乱と不安。

 気持ちは、ユウも同じだった。

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