第48話 誰も信用するな

 ……眠ってしまったか。

 丸椅子に腰かけ、ベッドに顔をうずめた状態でユウは目覚めた。

 耳に聞こえるのは、月女神の神歌。

 顔を上げると、ちょうど一節を歌い終わったハサンが、

「起きたか」

 と、言う。

「それは、こっちの台詞だ」

 ユウは、大きくため息をついた。

 テリー・ロックウッドの放った弾丸は、ハサンの右肩、鎖骨の下を貫通した。

 急ぎ、宿へかつぎ戻り、アレサンドロの手当てがほどこされ……それから五日。

 いまのいままで、昏睡状態が続いていたのである。

「アレサンドロを、呼んでくる」

 ユウが立ち上がると、

「いらん」

 ハサンが、手をつかんだ。

「そういうわけには……」

「ならばあとにしろ。いまはいらん」

「……」

 強くはなかったが、その声には、決して放さぬという意思が宿っている。

 ユウはため息をつき、再び腰を下ろした。

 レースのカーテンにさえぎられた茜色の西日が、目蓋を閉じたハサンの横顔を、柔らかく照らし出している。

 特に話しかけられるでもなく、おだやかな時間だけがすぎていった。

「なにも、聞かないんだな」

 言われ、ハサンは目をふせたまま、鼻で笑った。

「おまえたちが指輪も取らず、死にかけの私を放っていったというならば、なぜ、と問う気も起きただろうな」

 その言葉どおり、カラスは無事、ハサンの荷物から見つけ出され、ユウの左中指へ戻ってきている。

 コウモリも、アレサンドロの懐にあった。

「ああ、賞金稼ぎがいたな」

 こちらは、例の五十万を工面して戻る途中、疾駆するユウたちを発見、尾行してきたらしい。

 いまは一階で、アレサンドロたちといるはずだ。

 しかしそう聞いても、ハサンの表情は大きく動かなかった。

 ユウはもう一度、アレサンドロを呼ぼうと声をかけたが、答えは先ほどと同じだった。

「私は、誰も信用しない」

「ハサン……」

 そんなことを言っている場合か。言葉が喉まで出かかったが、

「おまえだけは別だ」

「……え?」

「……信じるか?」

 ユウは目をそらし、

「信じるさ」

 ハサンの喉が、くっくと鳴った。


 やがて太陽が、この日最後の輝きを放って湖に沈んだ。

 そろそろ、アレサンドロが様子を見にくる時刻である。

「さっきは、どうして神歌を……?」

 薄闇の中、ユウは光石照明のつまみをまわした。

 高級宿だけあって、光量の調節ができるタイプだ。

「私とて祈りたくなるときもある」

「なにを?」

「さて、神に教えてもらえ」

 と、そこに、

「彼氏さん、ちょっといい?」

 テリーが、顔をのぞかせた。

「あれ? なんだ、目、覚めてたんだ」

「おかげ様でな」

「そいつは好都合」

 テリーは、ずかずかとベッドへ近づき、ユウの座っていた丸椅子を奪った。

 その姿はシャツにベスト。あの銃弾を差した胸と腰のベルトも、一階に置いてきたようだ。

「おい、ちょっと待ってくれ」

 ユウは遠慮会釈もないその態度に、腹が立った。

「話なら下で聞く」

「いやいや、目が覚めてるなら、こっちに直接話したほうが早いからさ」

「ハサンは、怪我をしてるんだ」

 するとテリーは目を丸くし、

「なんだか、すっかりそっち側だね、彼氏さん」

「ッ……!」

「ユーウー」

 ハサンが、例のごとく指を振った。

「気にかかるなら、そこにいるがいい。だが、黙っていろ」

「そうそう」

 ユウは唇を噛み、窓辺に立った。

 口火を切ったのは、テリーだった。

「おたくらのことは聞いてるよ。十年来の師匠と弟子だって? いやぁ、世界はせまいね」

「まったくだ。私もまさか、ここで撃たれるとは思わなかった」

「アッハハハ」

「……見事な腕だ」

「おほめにあずかり、恐悦至極」

 このふたりこそ、まるで長年の友人のようだった。

「さて、ハサンさん。本題に入るけど……」

 と、テリーが言うと、すかさず、

「私の首か……。ああ、好きに持っていくがいい」

 ユウは驚愕した。

「おたく、ホントに話が早くて助かるよ」

「引き際は心得ているつもりだ。この期におよんで、無様な真似はしたくない」

「お察しするよ」

 テリーはユウを一瞥し、腰を伸ばした。

「んじゃあ、まあ、一緒に来てもらおうかな。心配ないよ。依頼人に届けるまで、命は保障する」

「優しいことだ」

「それがモットーでね」

 左わきに腕を差しこまれ、身を起こしたハサンの喉から、低い、うめき声がもれる。

「待て!」

 そこで辛抱たまらず、ユウが叫んだ。

「口を出すなと言ったはずだ」

 ハサンはにらんだが、

「それは、あんたの都合だ! 俺は、こいつに誰も捕まえさせないと誓った!」

「あんねぇ、気持ちはわかるけど……」

 せまるユウを振り払おうと、テリーは身を返した。

 ……が。

「……あら?」

 右手が動かない。

 振り返り、腕を見たテリーは、

「ええっ!」

 素っ頓狂な声を上げた。

 なんと、右の手首に、鈍く輝く真鍮の手錠がかけられていたのである。

「やれやれ、おまえはまだ、私がどういう男かわかっていないらしいな、ユウ?」

「い、いやいやいや!」

 テリーは、もちろんはずそうと左手を伸ばしたが、そこをさらに、かちり。手錠が噛む。

 しかも、天蓋の支柱を抱きこむように鎖を渡されてしまったため、完全に身動きならなくなってしまったのだった。

「フフン、賞金稼ぎ」

 と、ハサンの唇が、にやりと持ち上がり、

「ひとつ教えてやろう。この道で長く生きたければ、誰も、信用、するな」

「そ、そんなぁ……」

「ンッフフフ。さあ、ユウ。あの若造を呼んで来い。すぐに出立するぞ」

「……プ、わかった」

 ユウは、笑いをこらえながら階下へ走った。


「さぁて、賞金稼ぎ」

 ふたりきりとなった部屋で、ハサンは、すっかりしょげ返ったテリーに思わせぶりな視線を送った。

「これがなにか、わかるか?」

 と、鼻先にちらつかされたのは、小指の先ほどの小さな鍵。

「あっ!」

 テリーは身体をありったけ伸ばしてそれに噛みついたが、勢いあまってベッドの端に顔を打ちつけてしまった。

「うう……」

「まずは問題に答えてからだ」

「て、手錠の、鍵……」

「そのとおり」

 ハサンは、突っ伏したテリーの頭をなでた。

「これが欲しいか?」

「そりゃ、そうに決まってるでしょ」

「ならば、頼みかたがあることもわかっているだろう? テリー・ロックウッド」

 するとテリーは、一瞬、言葉を詰まらせ、

「おたく、やっぱりそっち系の人? ……あいたぁっ!」

 鼻をつねられた。

「うう……」

「さあ言え」

 涙目になったテリーは、しぶしぶ両ひざをついた。ただし、手錠が梁板にかかり、両腕だけは高くかかげた状態である。

「……ハサン様、その鍵を俺にください」

「……」

「……ダメ?」

「ンンン、わかっているなら、もう一度だ」

「……ハサン様、どうか、この哀れな賞金稼ぎに、お慈悲をお与えください」

 ハサンは首を振る。

「ハサン様! どうか! この、意地きたなく! 愚かで! ちっぽけなテリー・ロックウッドに! あなた様の愛と! 真心を! お与えください!」

「ああ、よくできた」

 ハサンの手が、再びテリーの頭をなでた。

「……おたく、お弟子さんにもこんなことさせてたわけ?」

「フフン、おまえはあれよりも、おねだりが上手だ」

 テリーは、聞くんじゃなかった、と思った。

「ま、ほら、とにかく鍵ちょうだい」

「鍵?」

 とぼけた調子で片眉を上げられ、テリーは一瞬、めまいを覚えた。

「い、いやいやいや、ここにきてそれはないでしょ。約束が違う」

「約束? いつ、誰が、なにを約束した。おまえはまさか、金をくれ、と言われれば差し出すのか」

「う……ぐ……」

 確かにそのとおりである。

「テリーよ。愚かでちっぽけな、テリー坊や」

 ハサンは、テリーの亜麻色の前髪をかき分けて、いたずらな目でのぞきこんだ。

「いいか? 言葉はタダだ。そして、盗人はタダでは動かん」

「ま、まさか……」

「五十万、用意できているのだろう? それで手を打とう」

「え、えげつねぇぇぇっ!」

 テリーはのけぞった。

「ほぅ、ならばこれは、馬にでも食わせるとしよう」

「ま、待った待った!」

「なんなら、おまえが食っても構わんぞ」

「冗談に聞こえないからやめて!」

「フフン……それで?」

「……わかった、払うよ」

 テリーは、五十万がL・Jのコクピットにあることや、その暗証番号まで、洗いざらい吐いた。

 そして、包帯や薬などの準備を整えたユウたちが戻ってきたころには、

「……なにしてんだ? おまえ」

「いやまあ、いろいろありまして……」

 と、ハサンになでられながら、先ほどにも増して、痩せ細っていたのだった。

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