第50話 毒蛇
馬車を襲った大男の仲間ふたりが怪我ひとつなく姿を現したのは、それから間もなくのことである。
全員が全員、二メートル近い巨体を持ち、黒マントのフードを持ち上げて見せた肌も、皆一様に墨を塗ったように黒い。
「どうした」
「わからん」
「連中が火をつけた」
と、低く発せられる声も、三人よく似ている。
「死んだか」
「わからん。直前に、目つぶしをたかれた」
「だが、生きているとは思えん」
「だが、死んだ証拠もないのだろう?」
「!」
「ならば、油断すべきではないな。バイパー隊の諸君」
「ハ、ハサン!」
大男のかげに、不敵な笑みを浮かべたその人が悠然と立っていた。
幻でも、もちろん幽霊でもない。
ハサンは、大男の盆の窪をレイピアでつつき、
「さて、これから感動の再会シーンだ。静かに見守るのが悪人のマナーだぞ」
と、男の尻を蹴り、遠ざけた。
そして……。
「荷物を分担すんのは善人のマナーだぜ」
「アレサンドロ!」
あとから現れたアレサンドロは、自分の剣とユウの太刀、そして五十万の金袋に医療用具、その他諸々の生活用品を両腕いっぱいにかかえていた。
「ほぅ、私が善人だと?」
「……そりゃそうだ」
アレサンドロは盛大にため息をつき、茫然と口を開けるユウたちのそばへ荷物を下ろした。
「よう。心配しましたって顔だな」
「ア……アレサンドロォ! ハサァン!」
ララは、ふたりの首に飛びつき、わんわん泣いた。
実のところ、ユウも泣きそうになった。
「まいったな、こいつは……」
「フフン、悪くない」
アレサンドロは照れくさそうにはにかみ、ハサンはララの首すじに優しくキスを落とした。
のちに聞いたところによると、馬車には護身用と称して、あらかじめ、大量に火薬の詰めこまれたトランクが積まれていたらしい。
ユウの耳にした爆発直前の破壊音は、脱出口として細工をほどこされていた、後部のはめこみガラスが割れる音だったのだ。
と……。
よどんだ瞳で五人を見つめていた大男三人組が、ローブの下から短刀をふた振り、それぞれ両手に抜き払った。
「やれやれ、せっかちな連中だ」
ハサンは肩をすくめておどけてみせた。
「あいつら、何者なんだ」
ユウが聞くと、
「帝国の犬だ。いや、蛇だな」
ハサンは、くっくと喉を震わせて笑った。
「聖鉄機兵団、独立戦闘部隊、通称バイパー隊」
「独立……」
「全員、蛇の魔人様だ」
「なんだと……?」
絶句したのはアレサンドロだった。
「なんで魔人が鉄機兵団に……! 敵じゃねえか!」
「フフン、鏡を見ろ。人間の中にも魔人を愛する者がいる。逆もまたしかりだ。もっともそこの三人の望みは、情よりも血、なのだろうがな」
こちらの話に聞き耳を立てていたバイパーたちが、そのとき、ふふ、と、薄気味悪く笑った。
「勅命を受けたか、気まぐれか。なんにせよ、話せばわかるなどと思わんことだ。丸呑みされたくなければ殺す気でかかれ」
そこまで言うとハサンはレイピアをステッキにおさめ、地面に腰を下ろしてしまった。
「あとはまかせる」
「やれやれ、仕方ねえな」
アレサンドロは頭をかいたが、そもそも傷のふさがっていないハサンは、馬車から脱出できただけでも御の字なのである。
「こいつらだけは頼むぜ」
とは、ララとモチのことであった。
「いいだろう。いざとなれば三人で逃げよう」
「ハ、格好つけてコケるなよ」
アレサンドロは剣を抜いた。
ユウとアレサンドロ、三人の殺し屋バイパー。
「二対三か」
互いの距離は、十メートルほど開いている。
「まさか魔人とやるはめになるとはな……。気をつけろよ、いつもとは勝手が違うぜ」
「わかった」
バイパーたちは、ゆったりとした動作で、五人の周囲をまわりはじめた。
N・Sの性能に、いままで、どれほど助けられていたか。ユウはそれを、骨身にしみて感じることになった。
鍛錬の成果で大きな失敗こそないものの、やはり実戦ともなると素人と思われても仕方がない。
相手の技量、手数ともにやっかいだが、どうしても、重い太刀に振りまわされる。
ユウは、ともすれば折れそうになる心を叱咤しながら、バイパーの双剣を弾き続けた。
一方。
アレサンドロも、ふたり相手に、防戦に徹していた。
ひやりとする瞬間にはハサンの援護があるが、なかなか有効打が出せずにいる。
ララとモチだけ先に逃がすことも考えたが、それはかえって危ないだろう。
どうする。このままでは、時間の問題だ。
ユウとアレサンドロの心は一致していた。
すると、
「なんだ……?」
身をひるがえしたバイパーたちが、なぜだろう、ふたりから離れ、集まったのだ。
懐から筒を取り出し、双剣の刃に、なにか液体を振りかけている。
「毒か。やっこさん、とうとう本気で殺る気になったらしいな」
「毒……」
ユウは先ほど斬りつけられた左頬の傷をぬぐい、手についた血を、ズボンで強くこすり落とした。
「N・Sを使おう」
アレサンドロは首を振った。
「かえってやりにくくなるだけだ。逃げるにしても、その前に誰かがやられちまう」
「……」
「ハ、こりゃ緊張するなってほうが無理な話だぜ」
わざと冗談めかしてアレサンドロは言ったが、ユウに笑うほどの余裕があるはずもなかった。
「あれ……?」
ララははじめ、それが幻覚だと思った。
祈りかたも信仰心も忘れてひさしいララが、知るかぎりの神に救いを求めて天を仰ぐと、ちょうど、重くたれこめた灰色の雲間から光がさした。
その向こうに、人間が浮かんでいたのだ。
「うっそ……」
思わず、腕に力がこもり、抱かれたモチが小さくうなる。
L・Jのような巨大なものではない。
四肢を大きく開いた、確かに人間だ。
その姿が、徐々に大きくなるにつれ、ララにも、それが浮いていたのではなく、降下してきているのだ、ということがわかった。
男だ。
「ハ、ハサン……! あれ!」
そうララが言うころには、男は懐から広げた巨大な布をふくらませて、パラシュートのごとく風をつかんでいる。
男の身体は羽根のように軽やかに、対峙する両者の中央へ降り立った。
全身黒ずくめの上下に、鋲を打った手甲、脚半。
目もと以外を覆い隠す黒覆面と、寸の短い、つばのある刀を肩に下げた姿は、紛うことなく、忍者。
ただし。
この国には、その名で呼ばれる職業はない。
ゆえにユウは、その男をバイパーと同じ、帝国の暗殺部隊だと思いこんでしまった。
立ち上がった忍者が刃を向けた相手は、なんとそのバイパーだった。
「む……」
バイパーたちは、一歩二歩とあとずさり、
「何者だ……」
と、問う。
忍者は、意外にも柔らかみのある声で、
「ジョーブレイカー」
と、答えた。
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