第6話 カラス
十五年前。
アレサンドロはまだ、十五歳の少年だった。
彼女のことも、はじめは母親か姉のように慕うばかりだった。
「カラス」
魔を宿し、人へと変異した鳥獣、昆虫。その、魔人のひとりである。
名のとおり、あの黒鳥から転生した女性だった。
すらりとした肢体。輝く黒髪。露にぬれるまつげ。
肌の白さは白磁にも勝り、唇はみずみずしくふくらむ、薄紅のつぼみ。
剣を取っては達人の呼び声高い遣い手で、アレサンドロの知る中でも、彼女に勝てた者はひとりか、ふたり。
N・Sを駆り、天空を自在に舞い飛ぶその武勇は遠く聞こえ、聖鉄機兵団内にも、
『黒の魔女』
『人喰鳥』
そうした異名が深く浸透しているほどであった。
そんな、強く、気高く、美しいカラス。
月日を重ねるうち、アレサンドロ少年の想いは、あこがれへ、そして恋心へと変わっていった。
だがそれは……決して叶うことのない初恋だった。
アレサンドロはここまで語り、沈黙した。
あぐらをかいているが、がっくりと頭をたれ、指を組むその姿は、まるで祈りを捧げているように見える。
ユウはただ黙って、次の言葉を待った。
気づいてしまうと、想いというものは、日に日にその大きさを増していく。
焼きついた彼女の姿。彼女の匂い。彼女の声。
毎晩、アレサンドロは自身をかき抱くようにして眠った。
毎日、彼女を見つめ続けた。
そして、だからこそ皮肉なことに、アレサンドロは知ってしまった。
彼女もまた、ひとりの男を見つめ続けていることに。
オオカミ。
相手は、砦の指揮をとる魔人だった。
豊富な知識。的確な判断。カラスにも勝る力。容姿。
男としての魅力に満ち満ちた彼は、確かに、カラスと並び立っても遜色のない男だった。
だから、仕方がない。
アレサンドロは、そう納得した。納得するしかなかった。
どれほど想おうと、カラスが自分を見てくれないかぎりは、ただの片思い。
ならばいまは、彼女の幸せを第一に考えるべきなのだ……。
胸の苦しみは、それこそ尋常ではなかった。
彼女を想っていたころの何倍もの痛みが、アレサンドロを容赦なく引き裂いた。
だが、彼女のため。
すべては、彼女のために。
アレサンドロは十五歳。まだ、少年だった。
「なにが正解だったのか、いまだにわからねえ」
アレサンドロは眉をひそめた。
「いまの俺だったら……いや、それでも引いていたのかも、しれねえな」
帝国の大軍勢が目の前にせまっている、と物見から報告が入ったのは、それからまもなくのことだった。
砦はにわかに色めき立ち、アレサンドロも失恋の痛手が薄れるほど、N・Sの整備助手として忙しく立ちまわる日々が続いた。
無論、そう簡単に忘れられるはずもなく、カラスのN・Sを未練がましく磨き上げていたりもしたが、それでも、ただ泣き暮らすよりはましだった。
眼下に見える帝国の旗は日に日に増えていき、仲間たちの数は日に日に減っていった。
そして、緊張感の高まる中、ある日のこと。
いつものように格納庫へ向かったアレサンドロは、そこで、自身のN・Sにしなだれがかり、静かに目を閉じるカラスの姿を見た。
しばらく会えずにいた彼女は少しやつれ、アレサンドロ、と呼ぶ声に涙が出そうになった。
どうしたの。
痛む心でアレサンドロは聞いた。
すると、少し悩みごとがあるのだという。
オオカミのこと?
カラスの顔色が変わった。
ああ、やはりそうか。そうなのか。
ふう、と、気が遠くなった。
……そこからのやりとりを、アレサンドロはくわしく覚えていない。
ただ、戦いがはじまればどうなるかわからない。言いたいことがあるなら伝えておいたほうがいい、というようなことを話した記憶が、おぼろげにある。
そのときのアレサンドロは、とにかく早く話を切り上げ、部屋へ戻りたいと、そればかり考えていたのだ。
これ以上、彼女の口からオオカミの名を聞きたくはなかった。
それが、カラスと話す最後の機会になるとも知らずに。
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