人は、変わる―(7/21)
──次の日。
クリスマスなど関係なく稽古が行われている道場に、私は行かなかった。
とてもそんな気分じゃない……。
師匠は不審がっていたけど、昨夜から私の様子がおかしいことには気づいていたらしく、深く言及してくることはなかった。
「ご飯の支度……しなくちゃ……」
夕方4時過ぎ。
私は気怠いままキッチンに立った。
朝昼晩の食事支度や、家事全般は自分の仕事。
それは自らが決めたこと。
どんなに気分が乗らなくても、怠るわけにはいかない。
幸い、体調が悪いわけではないし……。
昨日の夜も、今日の朝も、昼のお弁当も、結局肉じゃがじゃなくて残り物のフルコースにしちゃったし、これ以上手を抜いたら師匠に怒られる。
師匠が帰ってくる前にちゃんと用意しておかないと。
……と、思っていたら。
「うぃ~、帰ったぞ~」
師匠のご帰宅。
「こんなに早くどうしたんですか?」
今日は18時まで稽古があるはず。
「どうしたもこうしたもあるか! クリスマスだからって休むやつが多くて稽古にならん! ったく、どいつもこいつも浮かれやがって!」
昨日のクリスマスパーティーで一番はしゃいでいたのはどこの誰ですか。
「体調不良が19人とかおかしいだろ! 昨日は全員ピンピンしてたのに! どうせ、仮病を使ってデートにでも行ってるんだ!! けしからん!!」
そういえば、師匠ってなんで独身なんだろう……黙ってたらモテそうなのに。
「嘘だと思っても信じるのが師匠の信念じゃなかったんですか?」
「ああそうだ! だが今回に限っては、本当に体調不良になれと呪ってやる!」
ああ、こういうこと言うからか。
「杉田や宮野や中村達だけならまだしも……優司にまで裏切られるとは!!」
「……え?」
私は危うく包丁を落としそうになった。
「玉野さん、休みだったんですか……!?」
「ああ!! 本人から直接電話で聞いた!! お前もデートか!? って聞いたら、まあそんなところです、だってよ!! あいつだけは味方だと思っていたのにぃ!!」
「────」
……嘘だ。
私は直感でそう感じた。
「師匠、玉野さんの家はどこですか!? 教えてください!」
「あ? どうした急に……」
「いいから教えてください!」
包丁を持ったまま詰め寄ると、師匠は後ずさりしながら身構えた。
「ま、待て!! 早まるな!!;」
「バカなこと言ってないで!」
「お、お前も知ってるだろ!! いや、知らなかったのか!? いつも道着を出しに行ってるクリーニング屋!! あそこが優司の家だよ!!」
「えっ……!?」
あそこが……!?
「でも、あそこは老夫婦が二人で営んでるお店じゃ……」
「あのじいさんとばあさんと一緒に、優司も住んでるんだよ!」
え、そうだったの……!?
「──じゃあ、ちょっと出かけてきます!」
私はエプロンを外してコートを羽織った。
「は!? 何しに行くんだ!?」
「真偽を確かめに……」
「やめろ!! 修羅場になったらどうする!!」
「私はそうなったほうが安心します!」
「はぁ!? 何言って……」
もし風邪を引いていたら、私のせい。
そうじゃなかったら、別になんでもいい。
確認しないと……!
私は家を飛び出し、冷たい風を切って、月1で訪れるクリーニング屋を目指した。
道着を持って行くのも取りに行くのも自分なのに、今までまったく気づかなかった。
あそこが玉野さんの家だったなんて……。
10分ほど走ったところで、目的のお店に着いた。
一度深呼吸をして、呼吸を整える。
ためらいも捨て置き、思い切って扉を開けると、いつもの鈴の音が鳴った。
チリンチリン。
「はい、いらっしゃいませ。──あら! 百合花ちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
カウンターにはおばさんがいた。
いつ見ても癒される、笑顔が素敵な人。
「あら? 今月の分は先週受け取りに来なかったかしら?」
「あ、いえ、今日は別件で……」
不思議そうに小首を傾げるおばさん。
私は手汗を握りしめた。
「あの……こちらに、玉野優司さんはいらっしゃいますか……?」
「あら、優ちゃんのお見舞いに来てくれたの?」
「え、あ……はい……」
本当にいた……。
それに、やっぱり体調崩してたんだ……。
「わざわざありがとねぇ。昨日の夜から熱があったんだけど、さっき様子を見に行った時にはだいぶ良くなってたから、もう大丈夫だと思うわ」
「あの……もし寝ていなかったら、お会いしたいのですが……」
「え? でも、百合花ちゃんに風邪を移しちゃ悪いわよ」
「いえ、私は大丈夫です。ちょっとだけでいいので……お話がしたくて……」
謝らないと……。
絶対、昨日のあれで体を冷やしたからだろうし……。
「うーん、でもねぇ……」
「──ばあさん、せっかく百合花ちゃんが来てくれたんじゃから、ちょっとくらいええじゃろ」
おばさんが渋い顔をしていると、おじさんが奥からひょっこりと現れた。
「風邪が移ったらどうするんですか」
「太郎んとこの娘さんじゃぞ。風邪なんか引かんわ。なぁ?」
「は、はい」
どういう関係があるかはおいといて、とりあえず頷いておく。
「仕方ないわねぇ……。ちょっとだけよ?」
「はい、ありがとうございますっ」
私が頭を下げると、おじさんは大仰に笑った。
「はっはっは! こんな可愛い子に心配してもらって、優ちゃんは幸せもんじゃな~」
「本当に、お礼を言うのはこっちだわ。ありがとねぇ」
「い、いえ……」
私はおじさんに案内され、奥にある階段から二階に上がって、玉野さんの部屋に向かった。
――その時、何故かデジャヴのようなものを感じた。
〝この階段、上ったことがある……〟
そんな気がした。
コンコンコン。
とりあえず、慣れない緊張で手が震えるのを抑えながら、恐る恐る扉をノックした。
『──はい』
彼ははじめから起きていたのか、すぐに返事が返ってきた。
ゆっくりと扉を開ける。
「Σえっ……!? 如月さん……!?」
和室の部屋に敷かれた布団の上で、体を起こして読書をしていたらしき彼は、驚いたように目を見張った。
「どうしてここに……!?」
「あなたが……体調を崩したって聞いて……様子を見に……」
「えっ、でも僕……師匠に休む連絡はしたけど、ちゃんとした理由までは……」
「心配をかけないように濁したんでしょ? それくらいわかります」
「…………」
一瞬だけ固まった彼は、観念したようにいつもの笑みを浮かべた。
「……さすがだね」
「さすがだね、じゃないです! だから言ったじゃないですか!」
私は彼の隣に正座で座り込んだ。
「余計なことするから……こんなことに……」
「少なくとも、僕は余計なことだなんて思ってないよ」
「じゃああなたは、風邪を引いてまでして何かを得たんですか? 自分にとってプラスになるようなことを得たんですか?」
「君を少しだけ守れた、かな」
「…………」
微笑みながらサラリとそんなことを言う。
……なんなの。
今回はお礼と謝罪だけ言おうと思っていたのに……絶対に腹を立ててはいけないと決めていたのに……やっぱり怒りがフツフツと沸き上がってきてしまう。
「……バカじゃないの。あなた何様? 守ってほしいなんていつ誰が言ったの? 私はあなたのそういうところが嫌いなの! 組手の時以外は私に関わらないでって言ったじゃない! どうして邪魔ばかりするの!? 笑っていればなんでも許されると思ってるの!?」
「ち、違うよ、そうじゃなくて──」
「違うも何もない! どんな理由があろうと私には関係ない!」
きっと、何も知らないから執拗に関わってこようとするんだ。
私の気持ちを知らないから、軽々しく話しかけてくるんだ。
そう思い、気がつくと、私は一番嫌いな身の上話を始めていた。
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