人は、変わる―(8/21)
「……私はね、中学生になった時に、父親に捨てられたの。父には、母が病気で入院してる頃から他に女性がいて、母が亡くなった後、父はほとんど家に帰ってこなくなった。そして、しばらくしてから、私を師匠に預けていなくなった。絶対に迎えにくるとか、面倒かけてごめんとか、見え透いた嘘をついて……」
「……!」
いつかそうなるとは、なんとなくわかっていた。
母が亡くなってからは毎日、父がいつ姿を消すのかとそわそわしていた。
毎月ちょっとしたお金だけはもらっていたけど、いつかまったく帰ってこない日がくるんじゃないかと思っていた。
実際は、師匠にちゃんと話をつけてからだったけど、いつか一人ぼっちになって途方に暮れる日がくるんじゃないかと思っていた。
そして、そんなことを考える毎日が怖かった。
「血の繋がった家族ですらそんな扱いを受けるんだから、友達なんか作っても、きっといつか私のそばを離れていく……私の前からいなくなる……。ただ疎遠になるのなら別にいい。嘘をつかれて、裏切られるのが嫌なの。一人でいることよりも、裏切られることのほうが何十倍もつらい……。私は……弱いから……耐えられない……」
いつ裏切られるかわからない日々にビクビク怯えながら過ごすのなら、いっそ誰とも親しくしなければいい。
人が嘘をついて身を守るのなら、私は嘘をつかれるより先に身を守る手段を選ぶ。
「だから、他人と関わらないようにしてるの」
「……君は弱くないよ。誰だって、そんな経験をしたら怖くなると思う」
「無理に擁護しなくていいです。自分のことは自分が一番よくわかっていますから」
「そうじゃないよ!」
一際声を張って否定した玉野さんは、真剣な目で訴えた。
「君は強い人だよ。強くて優しい人だよ。僕の……支えになってくれたんだから……」
「え……?」
何言ってるの……?
誰が誰の支えになったって……?
「やっぱり、君は憶えていないんだね、僕のこと」
「…………」
この人と知り合ったのは、昨年の5月。
彼が道場に入門してからのはず。
そんな、前から知っていた風な言い方をされても、身に覚えがない。
「僕達が小学1年生だった頃の話だから、忘れていても仕方がない、のかな。僕は、今でも鮮明に憶えてるけど……」
「詳しく話して」
私が間髪入れずに催促すると、彼は少し寂しそうに笑って、続きを口にした。
「僕は当時……火事で両親を亡くして、おじいちゃんとおばあちゃんに引き取られたんだけど、親を亡くしたショックからなかなか立ち直れなくて、学校にも行かずに、ずっと部屋に引きこもっていたんだ」
「え……」
火事で、両親を……!?
確かに、祖父母との3人暮らしは何か事情があるんだろうとは思ったけど……。
「僕は甘えん坊だったからね。一人っ子だったし、両親にはすごく大切に育ててもらってた。だから、尚さら悲しみから抜け出せなくて、毎日泣いてた。2週間くらいは不登校だったかな。……そんな僕を助けてくれたのが、君だよ」
「!」
まさか……。
「あの時の……!?」
「! 思い出してくれたの!?」
苦笑を一転して、嬉しそうに笑う彼。
「思い出した……。元気をなくした子がいるから、何か一緒にお喋りしてあげてって言われて……。大人よりも子供のほうがいいんじゃないかと思ったらしく……」
確か、父の知り合いの息子さんで……。
名前も聞いていたはずなのに、あまりにも突拍子なことだったからか、すっかり忘れていた。
「君のお父さんは、僕の父さんの学生時代の後輩だったらしいんだ。関おじさんは僕の父さんの幼なじみで、一緒に新しい武術を考えたりしてたんだって」
前々から不思議に思っていた。
玉野さんが、師匠を〝関おじさん〟と呼ぶことを。
昔から知ってたからなんだ……。
あの時の私は、両親を亡くして落ち込んでる男の子と話をしてあげてほしいって父に言われて、何を話せばいいのかよくわからないまま男の子に会った。
人見知りだったこともあって、男の子の部屋に入って二人きりになった時には、ただただ気まずかった――。
~・~・~・~・~・~・~・
「こ、こんにちは……」
「…………」
「あの……」
「…………」
「えっと、如月百合花です……」
「…………」
「ゆうじくん? だっけ……?」
「…………」
「…………;」
布団に横たわってこちらに背を向けていた彼は、なんの返事もしてくれなかった。
「……お父さんとお母さんが……死んじゃったんだよね……」
「Σ! うっ……」
かと思いきや、突然泣き出した。
「あっ、ごめんね! 死んだんじゃなくて、お星さまになったんだよねっ!」
「うっうっ……ぐすん……」
「…………。寂しいのはわかるけど、ずっと寝てると病気になっちゃうよ……。学校、ずっと行ってないんだよね? せっかく小学生になったのに……」
「……行っても、意味ないもん……」
「なんで?」
「楽しくないし……」
「おともだち、いないの?」
「…………」
「…………」
「……わかんない……」
「じゃあ、わかるくらいいっぱい作れば──」
「おともだちなんかいらないっ! パパとママがいいっ!」
「…………。そうかもしれないけど……でも、いないよりはいたほうがいいと思う。あたしも……仲いい子あんまりいないけど……学校楽しいよ?」
「? なんで……?」
「テストでいい点とったり、体育で高い跳び箱跳べたりしたら、先生にいっぱいほめてもらえるもん。ほめられたら嬉しいでしょ?」
「……うん……」
「あとね、みんながいっぱい話しかけてくれるから。あたしはお返事、ちょっとしかできないけど、いろんなお話してくれるし、聞いてるだけでも楽しいよ」
「…………」
「ホントはね、あたしもいっぱいお話したいんだけど、うまく話せないから聞いてるだけなの……。でも、笑って聞いてるだけで、いっぱいお話してくれるし、みんなと仲良くなれてるって思えるし……。笑顔が大事だって、お母さんも言ってた。楽しくなくても、悲しいことがいっぱいでも、笑ってたら、幸せになれるんだって」
「幸せに……?」
その時、彼は初めてこちらを向いた。
「悲しいのに、笑うの……?」
「うん」
体を起こした彼に、私は精一杯の笑顔を作ってみせた。
「こうやって笑ってるだけで、ちょっとは悲しいのが楽になるよ。悲しい時は、いっぱい泣くのもいいと思うけど、泣いてたら、ずっと悲しいでしょ? ずっとつらいでしょ?」
「……うん……」
「それに、ずっと泣いてたら、みんなが心配するよ。さっき、ゆうじくんのおじいちゃんとおばあちゃんも、悲しい顔してたよ。ゆうじくんが泣いてたら、みんなが悲しい気持ちになっちゃうんだよ。そんなの嫌でしょ?」
「……うん……」
「だから笑おうよ。ゆうじくんが笑ってたら、みんなも笑ってくれるんだよ。ゆうじくんが笑ってるだけで、みんな幸せになれるんだよ」
「……僕が……笑ってるだけで……?」
「うん。……ほら、顔ふいて。それで、こうやって笑うの」
私は、服の袖で彼の顔を拭い、左右の頬を掴んで斜め上に引っ張った。
「ひ、ひはいよっ……!」
「じゃあ、自分でやってみて」
「手でやったって意味ないじゃん」
「手でやらなくてもできるの?」
「…………」
「こうだよ、こう」
「……ゆりかちゃんも下手だね」
「えっ!?」
「わっ、ごめんなさい!;」
人がせっかく無理をして最高の笑顔を作ったのに、彼は躊躇いもなくけなした。
「下手じゃないっ!」
「でも、ママの笑った顔のほうがもっとよかった」
「じゃあそれをやってみてよ!」
私は彼のお腹をくすぐった。
「あはははっ! ちょ、ちょっとやめてよあはははは!」
「ほら、できたじゃん!」
「くすぐったいから笑っただけだよ!」
「方法なんてどうでもいいの! ちょっとは悲しいのがなくなったでしょ?」
「う、うん……」
「だから言ったでしょ、笑っただけで幸せになれるって。もういっぱい泣いたんだから、そろそろ元気なゆうじくんに戻ろうよ。ね?」
私は自然と彼の手を握って、微笑んだ。
彼は、目を合わせないとするかのようにうつむいたけど、確かに小さな声で頷いた。
~・~・~・~・~・~・~・
「……あの時、君が最後に見せた笑顔は本物だった。僕はその笑顔を見て、君を信じてみようと思ったんだ。どんな時でも、笑っていれば幸せになれるって。……それは本当だったよ」
「────」
嘘っ……。
私が嫌いな、いつでも笑顔の彼は、私が植えつけたものだったの……!?
「おじいちゃんを悩ませたり、おばあちゃんに心配をかけることもなくなった。僕が笑っているだけで、周りも幸せそうに笑ってくれた。……君を除いては」
「…………」
「はじめは、同姓同名の別人かと思ったよ。せっかく同じ中学校になれたのに、話しかけられなかった。僕をあんなに励ましてくれた人が、まったく笑わない無愛想な人になっていたから……」
「……失礼よ」
「だって、本当のことでしょ? でも、その原因が今日わかってよかったよ。いろいろ……複雑な理由があって、お父さんとお母さんがいなくなったからなんだね。関おじさんが隠していたのも頷ける」
「師匠が?」
「うん。変わってしまった君のことを知るために、関おじさんのところに行ったんだけど、その時、〝詳しくは話せないが、百合花はとても深く傷ついてる。だからあまり干渉しないでやってほしい〟って言われたんだ」
「…………」
師匠……やっぱり知ってたんだ……私が捨てられたってこと……。
「でも、そう聞いて驚いたけど、それなら尚さら放っておけないって思った。君が苦しんでいるのなら、僕が助けなきゃいけないって思ったんだ。……あの時、君がそうしてくれたように」
「私……別に玉野さんを助けようなんて思ってなかったですよ。頼まれたからちょっとお喋りしてあげただけです」
「きっかけはそうだったかもしれないけど、結果的に僕は救われた。君が来てくれなかったら、僕は引きこもりになっていたかもしれない」
──それはないでしょ。
そう言おうとして、やめた。
否定できるほど、私は当時の彼の気持ちを知らない。
「でも、僕に何ができるのかがわからなかった。普通に話しかけても無視されそうだったし……。どうやったら君の気を引けるのか悩んだ」
確かに、無視していたと思う。
あの時の男の子だってわかっていたら少しは違ったかもしれないけど、そもそもあの時のことなんて忘れてたし……。
親のことで頭がいっぱいだったし……。
「そしたら、最初は反対していた関おじさんが、一緒に考えてくれるようになって……一つの案が浮かんだんだ。それが、僕が道場に入門した理由」
「え……?」
「実は僕、武術は小さい頃から父さんに稽古をつけてもらっていたから、本当は初心者じゃないんだ」
「は……!?」
初心者じゃない……!?
「でも、初心者として入門して、君との試合に勝てば、負けず嫌いの君に対抗心が芽生えて、君は鍛練に打ち込むはず。まずは何かに熱中することが必要なんだって関おじさんが言ったんだ。……だから言ったでしょ? 君に負ける自信はないって」
「!」
「僕が負けたら、意味がなくなるからね。僕が君の目標であり続ければ、君は生き甲斐を持っていられる。それをいつか、楽しいと思ってくれる日がくればいいなって、思ったんだ」
楽しい……。
確かに私は、毎日毎日全然楽しくないと思っていた。
……この人に試合で負けるまでは。
あの後、玉野さんに勝ちたい一心で、がむしゃらになっていたから、楽しいとか楽しくないとか、そんなことを考える余裕もなかった。
「正直、道場に入ることは躊躇ったよ。父さんとの楽しかった稽古を思い出すからね。……でも、やっぱりなんとかしたかった。君に、あの時の笑顔を取り戻してほしかった」
「どうして……」
どうしてそこまで……。
いくら助けられたからって、一度しか会ったことのない人間なのに……。
私はあなたのことなんて、忘れていたのに……。
「……僕が、君に一目惚れしたからだよ」
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