巻の五 本当にイケメン無罪なのか?
「うわー、十四歳少女を妊娠させるとか引くわー。マジでー? よくそんなことできるなーこのケダモノー」
「いきなり二十一世紀の倫理観で物を言うなよ……ぼくら親が認めた正式な夫婦だしこの時代の結婚適齢期は十二、三だから十四で妊娠って普通だし……ていうか平均寿命四十歳だから若いうちからそれくらいキリキリ頑張らないと、うっかり三十過ぎてから生まれると本当に四十で死んだとき困るのは子供だ! 還暦の源中納言さんが何かやたら長生きで晩婚なだけだから! ……いやアレだからね、ぼくもこれはっきり書いてないけど十五、六歳くらいの設定なんだよ多分。そういうことにしておいてください! 原典に特に記述ないし!」
「まあわたしも十九くらい? 原典からして年齢の設定がイマイチあやふやなんだけど……じゃお前の妹、何歳で宮仕えを始めたことになるんだ?」
「あっ今から前章を〝姉〟に直してくるから。女きょうだいの歳の順とか雑なもんだから」
「じゃあそういうことで、メタな次元でポリをコレしておくとして」
「いや喜んでくれよ、あなたが結婚させたんだろ! 巻の二辺りと態度が違うぞちゃんとしてくれよ! 夫婦の間に子供ができるってめでたいことじゃないか!」
なぜだか縁談を進めていたときはあれほど乗り気だった道頼のテンションがここに来て低い。扇で顔をぱたぱた煽いで、全然気乗りしない様子だ。
「ていうかお前さあ。面白の駒のくせにさあ。何張り切って結婚生活とか浮かれてるの。冗談は顔だけにしろよ」
……テンションが低いというか。何だこの罵詈雑言。こんなこと言うやつだったっけ。ていうか新婚初夜にこれをやられたらどうしようと思っていたのに、何で今頃。もう三か月経ってるんですが。
「……前とキャラが違いますよ道頼さん。あなたは親戚としてぼくが人並みの人間になれるよう応援してくれているのでは?」
「いろいろあって何かくさくさして。ちょっと荒んでいるんだよ。わたしも人間だから」
「頼むよ、ぼくにはあなたしか頼れる人間がいないんです。妻に子供ができたんだ。歌や贈り物を送らなければ。ぼくそういうセンスからっきしで。モテのあなたのサポートがないと。妹はすぐ怒って怖いから嫌なんだ。いい服着てご挨拶した方がいいのかな」
「本当に勘弁してもらいたい」
なぜか道頼は顔をしかめ、頭を下げるのだった。
「わたしにまたあんな歌を作れと?」
「前の歌はそんなに傑作だったのか。そこまででなくていいから、パワー八割、いや七割とか六割くらいでいいから。あなたのモテ力を信じているから。ていうか女の人との日常会話って何を話していいかわからないのでちょっと練習させてくれませんか? 何ならカンペとか作って?」
「すごいところでつまずいていたんだな。――違うよ。あんなひどい歌で女心を傷つけるなんて流石にわたしもまっぴらごめんだ」
――信じがたいことを彼は言った。ひどい歌?
「あなたが〝からかっているのか、こんなもの送れない〟と突っ返してくるかと思ったのに、まさかそのまま送るなんて。うちの親戚にそこまで馬鹿がいるとは思っていなかった。文字は書けるのに、機能的非識字とか文脈盲とかってやつなのか?」
「和歌の意味なんかわかる方がおかしいんだよ!」
「いや、平安人なんだからわかれよ。生まれてから今の今まで本当に寝てばっかりいたのか? こういう意味だよ」
世の人のけふのけさには恋すとか聞きしにたがふ心地こそすれ
世間の人は恋人と一夜をともに過ごすと「もう恋する前には戻れない」とか「あなたを知らなかった頃のわたしは人間ではなかった」とか「苦いレモンの匂いが」とか言い出すらしいけど、そういう感じしないわー。恋愛ってこーゆーもんなんすか?
たままくくずの=
萩に葛のつるがまとわりつくように鬱陶しいのでわたしを恋い慕ったりしないでくださいね! いやもうマジ無理。
説明されて愕然とした。
「ど、どうしてそんな歌を?」
「だからあなたが気づいて別のを寄越せと言うと思って」
まるでぼくが悪いかのようだ。――こんな暗号を解説なしでわかれって無理言うなよ平安人。七文字にどれだけ情報圧縮してるんだよ。
「冗談のつもりだったのか?」
「まああちらの家ではさぞ嘆いたろうね。かわいい末の娘の
「ひ、ひどいじゃないか! 人の人生の一大事に!」
「あなたを知らなかった頃のわたしは人間ではなかった」――そう書いてくれればよかったのに!
……あれ。これってまさか。中納言家でご飯や着替えが出なかったのって。こいつの歌のせいで総スカン喰らってたの? ええ?
「ひどいのはどっちだ」
だがなぜか、道頼の方が恨みがましく目を細め、冷たい眼差しでぼくを見るのだった。
「中納言家はクズばっかりだ、あの家にいるのは人を人とも思わない鬼ばかりだよ」
「な、何の話だよ」
「あの家には帝室の血を引く高貴の姫がありながら狭っ苦しい部屋に閉じ込めてずっと縫い物をさせて奴隷みたいに扱っていたんだ。何が四の君の聟がねだ、四の君よりずっと美しい姫を隠しておきながら!」
「……高貴の姫? 誰?」
「今の北の方じゃない
「ちょっと待って、本当に何の話?」
女王は天皇の直接の娘じゃない、宮さまの娘。……ってさっきからぼくと何の関係もない話が続いているような。
「――我が妻は娘とも扱われず、あの家で散々辛酸をなめさせられていた」
彼はまた舌打ちした。――妻? 道頼の?
初めて聞いた。女遊びしているとは知っていたけど結婚していたなんて。いや待てよ。こいつ、中納言邸に忍び込んだことがあるんだっけ?
「ついには六十の
道頼は彼らしくもなく声を荒らげて、無茶苦茶を言い出した。
「我が妻が物置に閉じ込められ折檻され、気色の悪い年寄りに言い寄られていたというのに、四の君は何も知らずに甘やかされて。その上、わたしを四の君の聟に、だって。冗談じゃない。四の君を幸せになんかさせるものか! だからあなたを差し向けたんじゃないか!」
その言葉を。
咄嗟に理解できなかった。――差し向けた?
彼はぼくの結婚を祝福などしていなかった?
「ああ、いや。あいつらが反省したら何か償っておいてやるよ。反省したらな」
それでようやく理解した。
――この男が罠にかけようとしていたのはぼくではなく、十四歳の姫の方だったのだ。
彼女を傷つけるために、ぼくを。
身分も低ければ気の利いた話もできない醜男を送り込んで。
道頼はごろりと畳に寝転がり、投げやりにぼやく。
「こんなひどい手紙を送ったんだ。中納言家はてっきりお前と四の君のことを破談にするかさっさと離婚させるかと思ってたのに、何でかぐずぐず通わせてるし。――知ってるか? 末娘がお前と結婚したせいであちらの家は都中の笑いものになってるんだぞ。蔵人の少将なんか馬と相聟になった気分はどうだ、今日は馬を連れてこないのかって宮中で散々イジられてすっかりへそを曲げて、三の君と自然消滅離婚まっしぐらだ」
……それってぼくのせいなの? いじめるやつが悪いのでは? 蔵人の少将はぼくを馬ネタでイジってた方なんだから因果応報では?
って、都中の笑いものになってるから、ぼくにご飯出さなかったり四の君が泣いてたりしたの?
何だか寒気がし始めた。
「――お前もお前だよはしゃいで子供なんか作っちゃって。わたしもそこまでするつもりはなかったのに。適当に別れたらどこかよそにいい夫を見繕ってやるつもりだったのに。よりによって面白の駒の子を生むとは。どんな子馬なのかな。世間には言えない子になるんだろうな」
そこにいたのはぼくの知っている道頼ではなかった。
パリピは、人をからかいこそすれ憎んだり恨んだりすることなどないのだと思っていた。
「でもやりすぎでもないな」
道頼はふう、とため息をついた。
「――わたしの妻は一歩間違ったら典薬助の子を生むことになっていたんだ! あいつらは高貴の姫を辱めて子を生ませようとしたんだ。それに比べたら政略結婚が一回や二回失敗したからどうだって言うんだよ!」
「お前は何様だ!」
――と言えればどんなによかったか。
むくりと道頼は起き上がると、ぼくの目を覗き込んだ。――その目に燃え上がっていたのは。
憎悪と嘲り。はっきりとわかった。
この男の本性が。
「わたしの歌の意味もわからないほどお前が馬鹿だとは思っていなかったけどね。どうして勉強しなかったんだ? ずっと邸にいるんだ、時間は山ほどあったろう? 寝すぎて脳が腐っているのか?」
鼻で笑う。雅な言葉を使い、雅な和歌を詠む男ではなかった。
「お前はことあるごとに人に笑われるのが嫌だと言うけれどね。わたしは妻のもとに通うのに雨の中歩いていたら、小役人に突き飛ばされて牛の糞の上に転んだことがあったよ。それはひどく笑われたものさ。――一回や二回笑われたから何だと言うんだ」
その言葉がひどく胸をえぐった。
――そりゃあお前は一生に一回や二回しか笑われたことがないんだろう。
牛糞にまみれていたときに笑われただけで。
そんなの誰も知らないじゃないか。
人生のうちどれだけ牛糞にまみれて笑われてたって言うんだよ。こっちは四六時中ずっとだ。牛糞なんて理由もないんだ。
鼻息がキモイとかどうしろって言うんだよ。
と言えればどんなによかったか。
こいつに人の気持ちはわからない。絶対にだ。
イケメン無罪、と人は言う。そんなこと言ったってイケメンなら何をしても許すんだろう? と。
道頼が帰った後、ぼくは夜具をひっかぶって寝転がった。
だがいつものようにすぐに寝入ることはできなかった。
「――あいつは人ではなく物の怪だ」
十四歳の女の子にひどい言葉を投げつけて。
思い通りの結婚ができなかったのに子供だけできてしまって、いい気味だと。
ぼくよりあんなやつが世間に評価されているなんて。
顔がよくて歌が詠めるというのはそんなに偉いことなのか?
不細工でうまくものを言えないというのはそんなに罪深いことなのか?
その後、道頼は賀茂祭りで中納言家の女車と車争いをして車箱が車輪から外れるほど壊し、中納言の北の方、高貴の貴女を牛車から転げ落とした。
その上、家来たちがくだんの典薬助とかいう老人の冠を引きむしり、公衆の面前で散々足蹴にして嬲りものにしたと言う。
そのときの傷がもとで典薬助は伏せって死んでしまったそうだ。
噂を聞いて、ぼくは。
相変わらず父の邸で、夜具をかぶって寝ているしかなかった。
これ以上あの家にかかわったらぼくも殺されるのではないかと思った。
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