巻の四 ディスコミュニケーション

 ――ぼくの素晴らしい日は二日で終わった。

 いや、別にひどい目に遭ったということはない。露顕の宴でいじめっ子気質の蔵人の少将には散々笑われた挙げ句、


「面白の駒と相聟になんかなれるか!」


 と逆ギレされ、吐き捨てて去られたが、そんな無礼なことをしたのは彼だけだった。

 花嫁の父君、もう還暦の源中納言は、


「ええと……我が娘の聟には右近の少将さまをお迎えするはずでしたが、あなたは?」


 穏やかに尋ねた。年寄りだが優しそうな人だった。なのでぼくは、


「兵部少輔です。以前から四の君さまと交際しておりまして、右近の少将に抗議したのです」


 道頼に言われた通りに答えた。すると


「そうですか」


 とあっさりと中納言はうなずいた。怒られるかと思ったがそんなことはなかった。

 それで宴は続き……あれ。昔からのしきたりでは餅を食べたり、花嫁の父と杯を交わしたりするはずだけどそういうのなかったな。父や従者はそう言ってたけど今どきは段取りが違うのかな。

 いつの間にか中納言はどこかへ行っていて、家来たちも随分数が減っていた。皆、寝てしまったのだろうか。


 じゃあぼくも、いよいよ四の君のお部屋に! 何せ親が結婚を承諾したのだから、今日からは顔を隠さなくていいし夜明け前にこそこそ出ていかなくていいのだ!

 意気揚々と御帳台に入っていくと四の君はびくっと震えた。緊張しているのだろう。大きな潤んだ瞳がかわいらしい。白い肌も青ざめたようで。

 もう一生離さない、ぼくの愛する人。たとえ世界を敵に回しても。――これはクサいな。口には出さないでおこう。

 男はぺらぺら喋らないものだ。しっかりと彼女を抱き締めた。

 このままくっついてしまえばいいのに。

 ――いや、これもクサいな。馬鹿なことを言ったら笑われる。

 余計な口を利かないようにしなければ。

 いつになくぼくはぐっすりと眠り込んだ。

 まだこのときは、この世で一番幸せだった。



 ――一仕事終えてリラックスしすぎたか、いきなり爆睡した。夢もなく眠り込んだ後、不意に起きて、


「……んー、としあきー。ちょうずー」


 寝ぼけ眼で従者の名を呼んだ。

 ……あ。自宅じゃないんだった。御帳台の帳を見て気づいた。

 ここは源大納言邸でぼくは聟。今日からここで衣を着せてもらい、食事を出してもらうのだ。

 一応しゃんと背を伸ばした。昨日の宴は流石にいいものが出た。鯛やら鴨やら。酒だって上等で。今日も、ご馳走が出るんじゃないのかな? 朝から鮎とか出てきちゃったりするのかな?

 わくわくして待っていたが。

 ……誰も来ない。女房も女の童も雑色ぞうしきも。

 というか。どうしてぼくは一人なのだろう。一緒に寝ていたはずの四の君は?


「……あのー。誰かー」


 軽く外に声をかけてみたが、返事はない。

 皆、忙しいのかな?

 まあ、ぼくも普段ならこの時間は寝ているはずだし。もうちょっと寝て待つか。寝間着姿でうろつくのも何だ。

 もう一度、夜具を頭からかぶって寝直した。



 ……お腹が空いてきたぞ。

 流石に、昼を過ぎても誰も来ないのはどういうことだろう。ご飯が朝夕の二回なのだが。昼を過ぎても何も出ないってキツいんだが。このまま夕方まで待てと?


「あのー」


 何度目かの声を上げたが、人がいる気配が全然ない。

 ――まいった。ぼくがいるのを忘れて、何か大がかりな用事でもしているのか?

 顔を洗わなくても死なないが、このままでは飢え死にしそうだ。

 結局、自分で衣を着て牛車で父の邸に帰った。


「お腹空いた! 湯漬けか何かない!?」


 実家に帰って第一声がこれなのは流石に少し恥ずかしかった。



 その後も中納言邸には通い続けたが、結局一度も食事を出してもらったことはなかった。

 というか女房たちがよそよそしい。ぼくを見ると露骨に目を逸らす。

 ご両親にはあれ以降まるで出会わない。――無視されるのはかまわないが、手水や着替えの支度がないのは困る。

 そして四の君はといえば、ぼくが行っても大体部屋にはおらず、しばらくしてから一人でやって来る。露骨に涙目で袖で目を拭っているときもある。

 高貴の姫君は人に声を聞かせない。乳母や仲のいい女房がいつもそばにいて、姫君がこしょこしょと女房に耳打ちし、女房が代わりに口を利く。まあ夫婦の間柄では直接話すものだから、省略しているのかもしれない。

 が。そもそも彼女は口を利かないのだった。


「……ええと。今日はいい天気ですね」


 頑張って話しかけようと思ったが、ここで話題終了。……だってヒキコモリだから世間のこととか知らないし。


「あ。ええと。今日は子餅こもちを食べる日らしいですよ。知ってました?」


 ……今度こそ話題終了。彼女は返事をしない。

 ぼくだって話しかけてもらえればもう少し喋るんだけど。返事もしないとなると。

 目線を合わせようとすると逸らされる。

 彼女はぼくを馬呼ばわりして笑ったり罵ったりはしなかったが、いつだってぼんやりと遠くを見るばかりだった。声も上げず、すすり泣いていることすらあった。

 泣いていると流石にぎょっとして「どうしたんですか」と声をかけたりしたが、彼女は全く何も言わないのだった。


 夫婦生活ってこういうものなの?

 この頃は一夫多妻が当たり前だが、ぼくにとってはきっと一生に一度の結婚。頑張って通おうと思っていたが――話題がないのがとにかくしんどい。後、ご飯が出ないのがつらい。単純につらい。顔は洗わなくても死なないし衣は着てきたのをそのまま着て帰るとして、ご飯はしんどい。

 十日ほど過ぎた頃、ひどい雨が降ったので中納言邸に行かなかった。それきり、行かない日が続いた。気詰まりで億劫で。もう倦怠期?



 あっという間に三か月ほど過ぎた。寝ているとすぐに時間が経つ。

 ――唐突だが実はぼくには妹がいる。ぼくとは真逆で、この家にいてもいいことはないとばかりにさっさと宮中に働きに出たバリキャリなので滅多に出会わないが。出会ってもため息をつくばかりで、「もうっいつまで寝てるの、お兄ちゃん!」とかそういう展開の望めないタイプだった。

 それがある日突然、手紙を寄越した。何だ、たまには働け、とでも書いてあるのかと思ったら。


『お兄さま、中納言家の四の君は御子を授かったそうですよ。ご結婚なさったんでしょう? 聟君ならばお手紙と贈り物とをさしあげなければ。何ならわたくしがご用意いたしますが?』


 ごく平易な文で書いてあったのに飛び上がりそうになった。


「こ、こ、こ、こ、子供!?」

「……というお話でございますね」


 従者の利秋がうなずいた。どうやら知らないのはぼくだけらしかった。


「手紙って何を書けば、贈り物って……」


 ――こんなとき、ぼくが頼れるのはあいつしかいなかった。


「道頼ー!」


 手紙で呼ぶと道頼はすぐに来た。――あいつはこの縁組みを勧めてきた張本人だ。さぞや喜んでくれるかと思いきや。


「厄介なことをしてくれたな」


 来て早々、舌打ちをした。

 何だかいつもと雰囲気が違った。

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