第6話 カレーライス

 ホームセンターに隣り合った大型スーパーマーケットに立ち寄り、食料品や日用品の買い物を済ませた小熊は、カブを置いた駐輪場に戻った。

 荷物は後部ボックスに積みきれず、普段あまり使わない前カゴまで満杯になったカブは、取り回しの時には少々重かったが、エンジンをかけて走り出せば問題は無かった。

 これでも新聞屋が毎朝積んでいる朝刊よりはずっと軽い。小熊は駐輪場から表通りへと至るショッピングセンター敷地内の通路で、同じくスーパーで買った食材の袋をカゴに積んだ中年男性の自転車を追い抜いた。


 妻に代わって買い物に出る夫でも無ければ、単身赴任者や飲食店の従業員でもない、明らかに結婚の機を逃した独居中年らしき男性は、米や焼酎を積んだ自転車をふらつかせながら、ショッピングモール前の道路から大きな交差点へと至る緩い登り坂を見て、イヤそうな顔をしていた。

 あのオジサンもスーパーカブを買えば、こんな苦労などせずに済むのに、と小熊は少し思ったが、逆に考えれば時々の纏め買いの時くらいしか原付バイクが役立つ事が無い。そういう人間には自転車で充分なんだろう。

 日常生活にバイクがある事で得られる時間を素晴らしいと思う感性は、世の多くの人たちにとって無縁なもの。


 小熊も次にこのショッピングモールに来る時は、嵩張る買い物の予定が無いなら自転車で来てもいいと思っていたが、やっぱり出来るだけカブで来ようと思った。

 そんなに買い物をしない積もりでも、実際に来てみると買う物が見つかる事もある。例えば先ほど手が伸びかけて思いとどまった家庭菜園の用品など。

 予想外の大荷物を積んだ時、きっとカブに乗って良かったと思う。


 買い物を午前中に済ませて自宅に帰った小熊は、チーズとピクルス、ボロニアソーセージのサンドイッチとリンゴで昼食を終えた後、家の内外を片付けた。

 まだ荷解きを終えていない引越し荷物を部屋のあちこちに置き、今日買ってきたカーテンを窓のカーテンレールに取り付け、ベッドとデスクの下にフローリング材を敷く。

 衣類はまだ収納する棚やボックスの類を買っていないので、とりあえずダンボールに詰めて寝室の押入れに納めた。

 中身が分類されていて簡単に取り出せるダンボール箱は、衣装ケースとして悪くなかったが、早く収納家具を買って、間に合わせのダンボール箱は捨てなくてはいけないと思った。

 礼子からダンボールとそれを組み立てる糊はゴキブリやダニの餌になると聞いたことがある


 キッチンにも山梨の集合住宅から持って来た食器棚や、今日買った食材や調味料を置く。

 必要な物は買ったのに、あちこちに空間が出来てしまったのは、キッチンが物理的に広くなったという理由だけでなく、大きな窓のおかげで明るくなった事も原因なんだろう。

 コンテナがある側に面し、小熊がバイクの部屋と名づけた四畳半も整理する。ライディングジャケットやワークマン・イージスの防寒ツナギを壁に掛け、小さな本棚を置いてバイク関連の雑誌や書籍を詰め込む。

 カブの整備に使う工具箱と予備部品類も、とりあえずバイクの部屋に置いておいた。 

 それだけでバイクの部屋と称するには少し淋しいので、棚の上に入院中シノさんが見舞いに持ってきてくれた、スーパーカブの1/12ミニカーを飾った。


 外に出て、冬が終わってまだ間が無いため、あまり伸びていない雑草を抜き、室内用の短い箒で家の周囲を一通り掃き、少々動きの悪い木の雨戸を外して桟と戸の当たり面に蝋を塗ったところで、陽が暮れてきた。

 小熊は古びた屋外灯を点け、だいぶ動きが滑らかになったが、経年劣化で木そのものの強度が落ちている雨戸を閉めて家の中に入る。

 昨日はシャワーで済ませたので、今日は浴槽に湯を張ってゆっくりと風呂に入る。


 昭和三十年代に建てられたというこの家の風呂とトイレは、以前はタイル貼りの和式トイレとバランス釜の狭い風呂だったらしいが、前住人によって新しいユニットバスにリフォームされていた。

 山梨の集合住宅もユニット式だったが、それよりだいぶグレードが上の物らしく、浴槽は背を立てれば足が充分伸ばせるくらい広く、汚れ付着防止加工された壁や追い炊き機能に加え、大きな窓までついている。

 今日買ったばかりの豊作ラジオを壁に吊るし、FMを聞きながらバスタイムを過ごした小熊は、山梨に居た頃からパジャマとして愛用している、ベトナム雑貨屋で買った黒い木綿の農作業服を身に着けた。 

 湯上りの小熊は冷蔵庫から取り出した、冷たいミネラルウォーターを飲む。


 山梨よりだいぶ不味いと聞いていた東京の水道水は、思ったほどひどい味では無かったが、そのまま飲むには抵抗がある。今飲んでいる南アルプスの天然水も、山梨では地下水の蛇口を捻れば出てくるのに、と思い、引越し二日目にして少し懐かしくなる。

 コップ一杯の水を飲んだ小熊は、パジャマ姿で夕食の準備を始めた。炊飯器の内釜で米を研ぎ、昨日よりだいぶ中身が充実してきた冷蔵庫から肉や野菜を取り出し、模造大理石の上に置いたまな板で切り始める。

 キッチンがまともに使えるようになって以来初めての夕食には、何を作ろうかとあれこれ考えたが、結局カレーにした。


 カレーならチキンとトマト、ヨーグルトのカレーや、給料日前によく作る野菜カレーなど何種類か作れるが、今日は豚バラ肉とニンジン、ジャガイモ、タマネギの、定食屋で出てくるような普通のカレー。

 今夜は料理を楽しんでいるが、明日からしばらくの間は、温めてすぐ食べられる物が必要になる。レトルトも缶詰も買ってあるが、大量に作り置きするならカレーがいい。

 明日はやらなくてはならない事がある。この家で普通の暮らしが出来る物は揃っても、自分にとって必要な物はまだある。


 出来上がったカレーライスとレタスだけのサラダをダイニングテーブルに広げた小熊は、開けっ放しの襖から見えるバイクの部屋に視線を投げた。

 雨戸の向こうには、小熊が自分のスーパーカブを保管し整備する場所として作り上げると決めた、ISO規格コンテナがある。   

 

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