第2話 バイクの部屋

 四月一日。

 高校を修了し卒業旅行を終えた小熊は、名実ともに東京の大学生となった。

 ライフラインの契約も一日に合わせていたので、旅行や引越し作業の時には電気も供給されず、水も出なかった我が家も、今ではスイッチを入れれば灯が点り、蛇口を捻れば東京の水道水が出てくる。

 とりあえず小熊は、ただ運び終えただけの家具をどこに置くか決めるべく、家のあちこちを歩き回った。


 築五十年は超えているという貸し家は2LDKの木造平屋で、契約手続きの幾つかを不動産屋に代行して貰ったが、形態としては家主からの直接賃貸なので、家賃は駅前にある鉄筋のマンションと、工場や倉庫の周辺にある木造六畳間の中間くらい。

 相場より安いのかどうかは分からない。都内ではもうだいぶ少なくなった公営の木造平屋、基準となる価格は無きに等しい。


 部屋は単純な長方形を有した家屋の長辺中間あたりに玄関があって、入ると六畳ほどのダイニングキッチン。左に六畳の和室、右側に四畳半の和室とユニットバスがある。

 生活空間は山梨で住んでいた1DKのアパートよりだいぶ広くなった。奨学金頼りながら山梨の頃より高額な家賃を払っている以上、環境は良くならなくては困る。

 とりあえず大きいほうの和室を生活スペースに決めた小熊は、玄関前に積んいたデスクや、分解したパイプベッドとマットレスを運び終えた。


 デスクとチェアをを部屋の隅に置き、組み立てたベッドを陽の光が当たる窓際に設置した小熊は、一つの問題に気づいた。

 少しくたびれて変色した畳に、デスクとベッドの足が食い込んでいる。

 今まで住んでいたアパートが絨毯敷きの洋間だったため、問題になった事は無かったが、これでは畳に痕がつくだろう。


 賃貸とはいえど家主はもう高齢で、小熊が大学卒業したら取り壊したいと言ってたので、敷金の心配は無く自分で手を入れるのも自由だが、家同様それなりに長い付き合いになるであろう畳を損壊するのは気分のいいものではない。

 何か敷く物を買ってこなくてはいけないが、とりあえず問題ではあれど致命的な瑕疵ではないと判断して、小熊は荷物の設置を進めた。


 カブを整備していてもよくある事。まだ経験の浅かった頃はネジ一つが外れず、あるいは足りず作業が止まることもあったが、今ではその部分を保留にして他の作業を進めるくらいの柔軟性は身に付けている。

 個々の作業が持つ重要度を読むことが出来れば、ネジの一つくらい足りずとも、他の重要度の低い部分のネジを外して代用すれば、とりあえず近場のホームセンターかバイク用品店まで買いに走るくらいの事は出来る。


 小熊は風呂場や台所に細々とした物を置いた。寝室に決めた六畳間とはダイニングを挟んで向かい側にある、四畳半の小さな和室は、まだ使い方が思い浮かばない。

 寝室だけで今まで住んでいた1DKくらいの広さがあり、体が急に大きくなった記憶も無いので、寝室とダイニングがあれば暮らすことに不自由無い。

 収入や生活環境の変化でいきなり広い部屋に引っ越して戸惑った話は聞いたことがあるが、まさか一部屋増えただけで困惑させられるとは。自分自身が小さい人間だと言われたような気分にさせられる。


 まだ荷解きが終わっておらず、色々な物が箱に詰められたままなので、寝室とダイニングキッチンは片付いていて、荷物が部屋に置ききれず別室が必要になるような状態でも無い。

 こういう時は何か別の作業にでも手をつけて気分転換をしようと思った小熊は、玄関近くに置いたダンボール箱の中からクロックスを取り出して足に突っかけ、外に出て敷地の表通り近くに駐めていた自分のカブを片付けた。


 盗難被害の多いカブを人目につく場所に駐めたくないという理由で決めた今の住処。夜間は敷地内にあるコンテナに入れればいいが、短時間の駐輪なら家の縁側とコンテナの間に駐めておけば、外の道路からは見えない。

 このコンテナ横のスペースは、整備場所としても最適だろう。これから理想のガレージとして作っていく予定のコンテナは、雨天や冬季にはいいバイクいじりの秘密基地になりそうだが、溶剤や粉塵の飛び散る作業は出来ず、夏は暑そう。


 カブを駐めた小熊は縁側を振り返った。床まである大きな掃き出し窓の向こう側は、どう使っていいのかわからない四畳半。

 小熊の頭に何かが閃いた。そのまま玄関から家の中に入る。

 寝室とリビングから幾つかの物を持って来た小熊は、何も無い四畳半の和室に並べ始める。

 ヘルメット、グローブ、ライディングウェア、買ったり寄贈されたりした雑誌類。

 小熊は掃き出し窓から縁側越しに見える自分のカブを見ながら決めた。

 ここをバイクの部屋にしよう。

 

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