第6話 ハルクの日記?

 そうして何日か通ってみたものの、学園の授業はすこぶる退屈だった。算術という名の数学、外国語という名の英語、国学という名の国語、それに歴史。たぶんレベルは中3から高一くらい。まあメタ的なことを言えば、ゲームを作った人が日本人なので仕方ないような気もしてきたのだけれど。

 ただ、ファンタジー世界らしく変わった教科もある。魔法学と剣術。どちらもまだ受けたことはない。魔法学だけは興味があるけれど、剣術とやらについては不安しかないので考えないことにしている。


 基本的に誰とも喋らずにじっとしているのがハルクらしいとわかったのでそうしているものの、正直退屈だ。というか、明らかにエリザベート共々避けられているので話しかけられること自体ない。……退屈、なのは平和ということかもしれないので、一概に悪いとは言えないけれど。今のところ問題は起こさずに済んでいるということにしておこう。


 エリザベートといえば、家に帰るとやはりにこやかにこちらに話しかけてくる。けれど学園ではマリアにきつく当たる。まさか訊くわけにもいかないので、その理由はわからないままである。


「あーあ、魔法学はまだかなあ……」


 今の唯一の楽しみだ。呟きながら部屋の本棚を見つめる。才能は無さそうだけど、ほら、やればできるかもしれないし。

 指で魔法書の背表紙をなぞっていると、がちん、と何かのスイッチが入ったような音がして一冊が奥にめり込んだ。


 次の瞬間、魔法書が並んだ本棚が左右に割れる。いわゆる隠し空間というやつだったのだろう。本が数冊並んでいたが、今までのものよりは薄く、しかも結構くたびれていた。手に取ってみると表紙も背表紙も無地で、〈1〉とナンバリングだけされている。手書きで。

 もしやと思いページを捲る。現れたのはやはり手書きの文字だった。少し歪んだ、幼さの残る字。


『今日からハレイルーヌ家に住まわせてもらえることになった。不安なことはまだたくさんあるけれど、優しい人たちに出会えてよかった。できる限り迷惑をかけないようにしようと思う』


 はっとした。これは日記だ。……ハルクの。

 ついページをめくる。


『怖い方だと思っていたけれど、エリザベートさまは笑うと可愛らしい。今日は魔法書を一緒に読んだ。こんな自分にも気さくな方だ』


『エリザベートと呼ぶように言われた。少し恥ずかしいけれど、嬉しそうにしてくれるから、自分も嬉しい。エリザベート。……でも、やっぱりまだ少し恥ずかしい』


『わたくしがハルクを守ってあげる、って。悪者にだってなれるわ、って。ばかだな、優しいエリザベートにそんなことできるはずない。ぼくこそエリザベートを守りたいと思ってる。エリザベートがいたから、ぼくは今こうしてここにいる』


 何歳くらいか正確なことはわからないが、2人はどうやら幼い頃からの付き合いのようだ。こうして仲良くなっていったのかと思うと微笑ましい。彼女たちは自分が思っていた以上に深い仲だったらしい。


 全て読むのは気が引けてその日記を閉じる。それから最後の日記、一番新しいものを手に取る。これだけ読ませてもらおう。何かマリアたちの情報があるかもしれない。

 開くと、随分綺麗になった字が並んでいた。几帳面に高さが揃った、あのとき握りしめた紙に書かれているのとそっくりの文字。


『リーザが次の春からヴァイス学園に入るのだという。自分は行く必要はなかったけど、そばに居たいからと言われて断りきれなかった。ここまでしてもらうのは申し訳ないのに……でも、学校へ行けると思っていなかったので、少し楽しみだ』


 リーザ。あの親しそうな呼び方。更に2人の距離は縮まっている。

 どうやら本当に楽しみだったようだ。ページをびっしりと埋め尽くすような長文の学園への期待を込めた日記が暫く続いて、それから唐突にぷつりと途切れる。驚いてページをめくる。


『あいつがいた』


 白いページに、それだけ書かれていた。


『大きくはなっているけど、間違いなくあいつだ。こんなところで会うと思ってなかった。わかっていて来た? ぼくを追って? ずっとこちらを見ている。気づいている?』


『どうして何も言ってこない? ぼくをどうするつもりなんだろう? 確認しようにも周りに男がいて近づけない。男を誑し込んでうまく壁にしている。相変わらず腹が黒い、嫌な奴だ』


『何かあるなら早く言ってよ!』


 乱れた筆跡で書き殴られている。ページの端に大きなインクの染みがあった。瓶を倒したのだろうか。酷く動揺しているのだということはわかる。


『リーゼが事情を聞いてきた。誤魔化そうとしたら怒られた。話すしかなかった。ばれていたんだ。やっぱり驚いている様子はなかった。ただ、怒っていた。……ぼくのために』


『わたくしがハルクを守ってあげる、って。あの頃みたいに。いつもいつも、もらってばかりなのに。何も返せない。つらい。ぼくはいつもリーゼの後ろにいるだけ』


「これは……」


 頭が追いつかない。けれど、たぶんこれは読まなければいけないものだ。呆然としながらページをめくる。


『もう駄目だ。やっぱり気づかれていた』


『やだよ。別にぼく、ぼくに生まれてきたかったわけじゃない。何も望んでない。静かに暮らしたいだけ! そう言ってもみんな信じてくれない。……心の底から、それだけが望みなのに』


『わかるのは、ここにあいつがいるってことは、絶対にぼくは逃げられないってこと』


 その後、最後の一枚だけを残してページが千切られていた。


『リーゼは怒るかな。怒るだろうな。けど、たぶんぼくじゃ駄目だったんだと思う』


 ――悪役令嬢の腰巾着。エリザベートの後ろにくっついて回って、ヘイトを集めまくっているというキャラ。それだけ聞いたときは、正直良い印象は抱いていなかった。

 けれどこうしてハルクの心境を読んでみると、何か事情があったのだろうと思う。これだけではまだ完全にわかったわけではないけれど、自分が思っていたのとはかなり違っていた。


“ホント、何でこうなったんだろうねー”


「うん……」


 何がハルクを自殺まで追い込んでしまったのだろう。それに、しきりに恐れているようすの『あいつ』というのは……


“ねえねえ、ちょっと。辛気臭いな。勝手に殺さないでよ”


 ――なんか、気のせいでなければ、声が聞こえるような。


“ここ、ここだって”


 やっぱり気のせいじゃない。声の出どころを探してきょろきょろとする。やがて日記が並んでいる奥に何かが光っているのを見つける。


“そう、それ。取って”


「え、ええ……」


 嫌々ながら奥に手を伸ばし、日記と日記の間にあった何かを摘み出した。これはブローチ、だろうか。手のひらより数回り小さく、花を象っている。繊細な金細工といくつか嵌った藍色の宝石。少し雑に扱えばすぐに割れてしまいそうだった。宝石は、光の加減でちらちらと奥に金色の炎が揺れるように見える。不思議な、けれどとても綺麗なブローチ。


“やあ、はじめまして、


 あまりにびっくりして取り落としそうになった。ひやひやしながら再び握りしめ、じっとそれを見つめる。


「ブローチが、しゃ、しゃべ……!?」


“うーん、正確には別にそういうわけじゃないんだけどー。ぼくの魂をここに移してるだけっていうか”


「…………まさか……『ハルク』、だったり」


 半信半疑で囁くと、正解と言わんばかりにブローチが瞬いた。

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