第5話 ユリウス様まじ王子様

 うーん、どうしたものか。

 SHRらしきものを聞き流しながら肘をついて窓の外を眺める。

 ヒロインと悪役令嬢とイケメンと、自分。イケメンたちは数が足りていないので他にもいるはずだけど。

 誰も名前が出てこない。なんとか・赤っぽい名前、とかだったと思うんだけどな。興味はなかったけど、こんなことになるならもっと花の話をちゃん聞いておけばよかった。


 そんなことをぼんやりと考えているとがやがやと騒がしくなってきた。どうやら休憩時間になったらしい。


「マリア」


 不意に聞き覚えのある男の声が聞こえてきて、はてと首を傾げる。どこで聞いたのだったか。


『困ったときは、いつでも頼っていいんだよ』

『きみのことは、僕が一番見ているからね』


「ああ!」


 ぽんと手を叩く。花が聞かせてきたユリウスのボイスだ。同時に「うーっ、ユリウス様尊い! まじイケボ!」という彼女のコメントを思い出す。

 ユリウス・シルバー。あまりに花が言うから唯一名前をちゃんと覚えている人物だ。そういえばメインキャラのくせにヒロインと一緒に入ってこなかったなと思う。クラスが違ったのか。


 入口の辺りでヒロインと話している男子生徒がそうだろう。身につけているものは周りと同じはずなのに、なぜか全然違うものに見えるのはさすが王子様とでも言うべきか。目立つ銀色の髪に柔和に細まる碧い瞳、アイドルっぽく整った顔。こうして直に見るとモブとはもちろん、攻略キャラの赤青紫たちとも明らかにキャラデザが違うことが改めてわかる。


 というか普通王子様と庶民のヒロインなんかが話していたら、周りは僻んだりとかするものじゃないんだろうか。

 長い前髪を活かしてこっそりと周りを見回したが、そのような様子はなかった。「またユリウス様来てるよー」「マリアかー。でもマリアなら納得かなー」などという会話が漏れ聞こえてくる。付き合いが短い自分は何が納得なのか全くわからないが、どうやら彼女は相当周囲の人間の信頼を得ているらしい。これが噂のヒロイン補正か。


 ……何話してるんだろ。


 一度気になってしまうといてもたってもいられなくなって、席を立った。


「ハルク?」


「えーと、トイレ……じゃない、お手洗に」


「そう……」


 素早く振り返られてびくりとしたが、さすがにトイレにまではついてこないらしい。入口に向かい、聞き耳を立てながらゆーっくりと歩いて2人の横を通り過ぎる。


「ユリウス様、今回の試験も学年一位だったんですよね! 3年生の授業ってすごく難しいんでしょう?」


「はは、ありがとう。心配しなくても2年生の今しっかりやっておけば問題ないよ」


 ほう、勉強までできるのか。本当にスペック高いな、ユリウス様とやら。

 自分たちが2年生で、ユリウスはひとつ上の3年生らしいこともわかった。名前は忘れてしまったけどゴールドの方もユリウスと同じ歳なのではないかと推測される。こうなってくると、あと所在がわからないのは橙のみということになる。


「算術が苦手なんです。今でもそうならもっとついていけなくなるかなって」


「それなら、今度2人で勉強会でもしようか」


「本当ですか! ユリウス様に教えてもらえるなんて嬉しいです!」


 さすが、ヒロインのフラグ立て技術すごい。職人のような容易さだ。こうやってイベントを起こしてなめらかに距離を詰めていくわけか。内心うんうんと頷きながら彼女たちとすれ違いきる。


「そんな、僕でよければいつでも言ってよ。――と、きみ」


 きみ? 突然、黄身? まあいいか。ここまで来たらついでに本当にトイレ行ってこようかな。


「聞こえてる?」


 肩を叩かれてびくりと派手に飛び上がった。きみ……君ってことですか。そしてそれはわたしのことですか。

 聞き耳を立てていたのがバレたのかと髪の生え際に嫌な汗をかきながら振り返る。


「は、はい?」


「タイが曲がってるよ。直してあげよう」


 こちらに手を伸ばし、簡単にしゅるりとタイを解いてきた。なんだこの変態はと思わず身を引きかけたが、そういえば今の自分は男(ということになっているの)だった。

 さすが、慣れた様子で結んでいる。それを必死に見つめて脳裏に刻み込んだ。なるほど、そうやって結ぶものだったのか。意外と難しくない。

 最後にぎゅっとやられて結構首が詰まったが、きっと本来はこうするものなのだろう。

 ていうか、顔近っ。肌きめ細かっ。まつ毛長っ。すごいな……王子様すごい。語彙力が無くなる。


「身だしなみは紳士の基本だろう?」


「ありがとうございます先輩!」


 そう言ってこちらに微笑むユリウスに勢いよく深々とお辞儀をした。中高とバレー部だったせいで体育会系のノリが離れてくれない。プラス頭を下げるのに抵抗が無い社畜根性。たぶんハルクのキャラではないので困っているのだが、染み付いたものはどうしようもない。


 でもこれは本気まじで感謝、だ。さすができる男です王子様。よかった。おかげさまで明日からはちゃんと身支度できそう。


 頭を上げるときょとんと随分呆けた顔でユリウスがこちらを見つめていた。それどころかマリアまでも茶色い瞳を見開いてこちらを見つめている。

 ……しまったなあ。そんなにらしくなかったのか。全然視線を逸らしてくれない。


「おい、ユリウス」


 どこの誰だか知らないけれど救世主だ。新たな声にそちらを見る。金髪に紅の目。彫りが深く、整ってはいるが険しい顔。いかつい系のイケメンだ。背はユリウスとそこまで変わらないが、肩幅が広い。

 あと、制服が恐ろしく似合っていない。生で見ると更に似合っていない。

 うん……この人すごい見覚えあるぞ。けど名前が思い出せない。なんとか・ゴールド。ゴールドなのはわかるんだけど。


「また下級生の教室に来て、貴様には慎みというものはないのか」


 そう言ってぎろりとユリウスを睨みつける。眉間の皺に名刺が刺さりそうだ。しかしユリウスはにこやかに笑い返した。


「まあいいじゃないか、これくらい」


「そうですよ、グレイル様! ユリウス様はこうして私たちにも気を配ってくださる優しい先輩なんです!」


 グレイル。そうだ、グレイル・ゴールドだ。メインキャラのようなのでもう忘れないようにと何度も頭の中で繰り返す。


「……そう言うなら好きにすればいいが」


 気難しそうな人だなあとこっそり顔を顰める。フレンドリーな様子のユリウスとは相性が悪そうだ。不仲という設定も頷ける。

 と、そこでグレイルがこちらに気がついたようで視線が向いた。焦って思いっきり顔を逸らす。今はキャパオーバーなのであなたまで相手にするのは無理です。


 これ以上いると更にどうしようもないことになりそうだったので足早にそこを離れた。



 目的通りトイレらしきものを見つけ、ほんの少し躊躇ってから男子の方に入る。さすがお金持ち学校はちゃんと個室になっているらしく、ほっと安心しながら中に入った。

 蓋を開けずに便座に座って頭を抱える。これ、どうするのが正解なんだろう。


 そもそも、自分ハルカとハルクが相容れない性格過ぎるのだ。要らないことにまで首を突っ込みがちですぐ口が出る自分と、何も言わず人の後ろでひっそりとしているハルク。やりにくいことこの上ない。


 ……とまあそれは致し方ないので置いておいて。


 エリザベートは嫌々悪役令嬢をやっているのではなく、本当にマリアに敵意を抱いているようだった。けれど今までのエリザベートを見た身としてはあまりの違いように驚いてしまう。

 そしてハルクはそのエリザベートにくっついていたようなので、彼も少なからずマリアたちに何かしらの感情を抱いていたのだとは思う。

 ……けれど、何を? マリアはクラスメイトたちに慕われているようだったし、むしろ煙たがられているのはこちらのようだった。様子的に、エリザベートの身分が高いので表立って何か言うことはできないのではないかと思われたが。


 もしかしたら、マリアには秘密があるのかもしれない。まあ、今はまだ何もわからないけれど。考えても仕方ないので戻ろうと立ち上がったところで、


 授業の開始を報せるチャイムが鳴った。



*  *  *



 見るからに厳しそうな、眼鏡をかけた女教師がこちらを見下ろしている。


 「ハルク・レングル。あなたが遅刻とは珍しいですね。しかし減点です」


「は、はあ」


 どうやらハルクは素行は良かったらしい。そして遅刻は減点になるらしい。

 視線を集めながら席に座ると、何かの紙が裏返しのまま配られてきた。


「それでは全員集まったところで、テストを致します」


 教室がざわめいた。抜き打ちのようだ。自分にとっては抜き打ちだろうと違おうと関係ないのだけれど。

 何の授業だったっけ、と前に貼られている時間割を見てからげんなりとした。算術。数学のようなものだろうか。それならあまり得意ではない。というか基本的に勉強自体が得意ではないし、何年ぶりだろうという感じだ。


 転生していきなりテストはなかろうよと心の中で悪態をつきながら「はじめ」の声に紙を捲った。


 ……あれ? なんか……めちゃくちゃ簡単じゃない?


 記憶が定かでないが、おそらくは高一くらいの問題だろうか。二次関数とかそういう問題ばかりで、昔の自分が躓いてどうしようもなくなったより前のレベルだ。遥か昔の記憶を呼び覚ましながらだが、自分でも解ける。


 やめという合図でペンを置く。回答を集められるが、感想を誰とも共有することができない。エリザベートをちらと見るがこちらを振り向いてくれる様子はなかった。


 その後授業が始まったが、やはり難しいものではなかった。どうやら学力は元の世界の方が高いようだと結論づけて、わたしは黒板を眺めていた。

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