第3話 ハルクってどんな人

 見慣れない部屋。

 残念ながら、目が覚めたら戻ってましたなんてことはやっぱりなかった。

 落胆のため息を吐きつつ、ごしごしと目を擦り体を起こす。気疲れしていたのか、気がついたら寝てしまっていたようだ。我ながら図太いとは思う。

 あの後適当にエリザベートに挨拶して部屋に引っ込んだが、結局状況は『全然何もかもわからない』から変わっていないままだ。


 ベッドから降りてぐっと伸びをし、頬をぱちんと叩く。もう腹を括るしかない。自分ハルカはもう他人ハルクになってしまったのだと。


「よし」


 声を出して自分に喝を入れる。昨日は落ち着いて何も見られなかったので部屋の探索をしたいと思っていたのだ。

 まずは性格が出そうな本棚をチェックする。分厚い本がずらりと並んでいて、あまり読書の習慣がないわたしはそれだけで少しくらりとしてしまう。なんとかの歴史、うんたらの生態、かんたらの政治。小難しそうな本ばかりだ。その内から一冊引き出してぱらぱらと捲ってみたが、文字が小さすぎて諦める。


「ん?」


 どうやらスライド式の本棚だったらしく、押すと後ろの棚が現れた。背表紙に書かれていた文字を見て目を輝かせる。

 ――『炎の魔法上級〈Ⅰ〉』。


「えっ、これ魔法書的な? 魔法あるのかこの世界……すごいな……」


 もしかして自分も使えたりして。こんな状況にも関わらずわくわくしながらそんなことを考え、ページを捲る。最初あたりは簡単そうだ。呪文が書いてある。


「ええと、なになに? 『炎の元素エレメントよ、我が言葉に応えよ』!」


 まずこの呼び掛けで炎の元素エレメントとやらを呼び出し、そこから魔法を行使する、らしいのだが――


 暫く待ってみても、何の気配も無い。


「……無理か。ちぇっ。体はハルクなんじゃないの?」


 恥ずかしくなってきて、ぶつぶつと呟きながら素早く本を閉じて元の場所に戻した。


 次にクローゼットとタンスを開ける。色は黒やら白やら地味なものが多い。全部ズボンだ。スカートは一着もなかった。


「うーん、やっぱり男の子として過ごしてたっぽいんだよね。エリザベートは別なのかな」


 クローゼットの中に見覚えのある服を見つけて手に取る。あいがくのパッケージでも皆が着ていた制服の男子生徒版だ。


 首を傾げたところで扉がノックされた。


「ハルクさま? お目覚めの時間ですが」


 聞いたことのない声に背筋を伸ばす。


「あ、はい、起きてます!」


「朝食の準備が終わりました。ご支度ができましたら下へいらしてください」


「はい! ありがとうございます!」


 訝しむような沈黙の後、足音が遠ざかっていった。そうか、ハキハキ喋ったらハルクのキャラ的にはらしくないのか。


「今日学校かなあ……起こしに来るってことはたぶんそうだよなあ……」


 こんな状態で行って大丈夫かな。絶対大丈夫じゃないよね。エリザベートだけでもままなってないのに、他に人がいる状態でどうにかできると思えないし。


 嫌々ながらもたもたと服を着替えにかかる。もちろん事情が分からない以上あの布は巻いたままだ。黒い長ズボンに、袖が詰まった白いブラウス。藍色のベストに、ズボンと同じ色の黒のブレザー。装飾がところどころにあるのが鬱陶しいけれど、あまり奇抜なものでなくてよかった。

 ……と思った矢先、問題が発生した。最後に巻こうと思っていたネクタイが、ネクタイのようでネクタイではなかったのだ。自分が思っていたのより太い。


「見たことはあるぞ、これたぶんアスコットタイとかいうやつだ……結び方知らないよこんなの」


 こんなところで独創性出してくるな、と思わず呻く。こんなお洒落なもの、使ったことある人少ないと思うんだけど。

 しかし首にぶら下げたまま行くわけにもいかず、おぼろげな記憶を必死に呼び起こしながらなんとなくの想像で形を作った。鏡で見た感じはそこまで違和感はないけど……まあいいか。


 ざっと全身を確認する。長い前髪がうざったくて邪魔なことと顔色が悪いことを除けば他には変なところはないはずだ。覚悟を決めて部屋を出る。間取りはわからないぞと不安に思っていたが杞憂だった。階段の上からでもいい匂いがする。

 早足に階段を降り、匂いにつられるように部屋に入る。もう着席していたエリザベートがこちらを見てにこりと微笑んだ。彼女もドレスではなく、長いスカートの制服だ。お洒落すぎる気もするけれど、お嬢様学校ならそんなものかもしれない。


「お早う、ハルク。珍しくのんびりね。急がないと遅刻してしまうわよ」


「あ、うん……」


 やっぱり学校かとがっくりしながらエリザベートの向かいに座る。サラダにパン、スープ。スクランブルエッグにハム。普通の料理でひとまず安心する。


「……」


 優雅に小指を立ててティーカップを傾けているエリザベートがじっとこちらを見つめている。やっぱりタイが変なのか。


「な、なに?」


「……いいえ。今日もハルクは可愛いと思って」


「いやいや、エリザベートこそ――」


 は、と我に返る。しまった。咄嗟に、困ったときの女の処世術ソッチコソが出てしまった。社会に出ると出番も多いのでほとんど無意識に口にしてしまう。

 でもエリザベートが可愛いのは事実だ。可愛いというか、美人だけど。


 驚いたような表情でぱちくりとするエリザベートに何も言えずに固まる。

 というかエリザベートさん、男の子に可愛いって言います? やっぱり女の子って知ってるからなんですかね? ……って聞けたら楽なのになあ……。


「ほ、ほら、遅刻したらいけないし」


 自分の前にあった料理を平らげる。かなり美味しかった。次はもう少し味わって食べたい。


 忙しく立ち上がると、エリザベートはくすりと笑った。


「ええ。では行きましょうか」



 ――乗るように言われた馬車があまりに豪華で、屋敷を見たときのように再び口を開けて立ちすくんだことは言うまでもない。


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